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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
三つ火の酒

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炉守りは家を広げます

 夕食が終わる頃には、鍋の底に豆が少し残っているだけになっていた。


 ティルダは最後のパンで煮汁まで拭い、満足そうに背もたれへ寄りかかった。背もたれへ身体を預けると、ドワーフらしい小柄さがいっそう目立つ。向かいではフレイが、こちらは背を丸めて匙を揃えていた。洞窟へ来たときには二つとも入口に置かれていた荷袋が、今は食堂の壁際へ寄せられていた。


 ベラが鍋を持ち上げる。


「住むのを決めるのも早かったけど、食べるのも早いね。明日からは二人分多く作るよ。夜に腹が減るなら、残しておく場所も決めとこう」


「助かる。余ってたら聞く」


「置き場所は私が覚えるよ」


「じゃあ私は食べる係」


「そこはもう分かってる」


 ベラは二人のやり取りに笑いながら、鍋を厨房へ運んでいった。


 レオンは卓の上を片づけるミラへ声をかけた。


「その前に一つ済ませよう。ここで働くなら、互いに何ができるかは知っておいた方がいい。二人とも、職業札を見せるのは構わないか」


「いいよ。仕事で使うところだけでしょ」


 ティルダが胸元から札を出した。フレイも同じように取り出し、二人はそれぞれ開示する項目を選ぶ。


 先にティルダの札へ文字が並んだ。


《職名――鍛冶師》


《鍛造 Lv5》

《武具製作 Lv4》

《金属鑑定 Lv4》

《武具修繕 Lv4》

《魔力金属加工 Lv2》


 ロアンが椅子の背から身体を起こした。


「鍛造が五なんだ。僕の《聴音》と同じだね」


「比べるもの違わない?」


 ティルダは笑いながら札をロアンの方へ向けた。


「親方の工房じゃ、槌を持つ時間だけなら誰にも負けてなかったからね。止めろって言われてからもう一回叩く分まで数えたら、もっと長い」


「そこは技能の自慢に混ぜない方がいいと思うよ、姉ちゃん」


 フレイの札にも文字が現れた。


《職名――工匠》


《木工 Lv4》

《石工 Lv3》

《機構製作 Lv4》

《設計 Lv4》

《修繕 Lv4》

《水路施工 Lv3》


 レオンは二人の札を順に見た。


「昨日、腕はいいと親方が言ってたが、数字だけ見ても嘘じゃなさそうだな。圧搾機だけじゃなく、水回りと工房の配置まで二人で見られるのは助かる」


「だから言っただろ。あたしたち、ちゃんと腕はいいんだって」


「腕は信用してる。あとは仕事の範囲を先に決めればいい」


「それなら分かりやすい」


 ティルダは札をしまった。フレイも札を胸元へ戻しながら、主洞の奥を見た。


「部屋の話も、そのあと?」


「そのための登録をする。前にも説明したが、ここを帰ってくる場所として選ぶかどうかは、最後は本人が決める。ミラが勝手に住人へするわけじゃない」


「なんだかよく分からないな。私たちが勝手に住むって決めたってこと? 何か手続きがいるの?」


 フレイはそう言って、姉を見た。


 ティルダは椅子から立ち上がると、待ちきれない様子で帰り火の前へ行った。


「じゃあやろう。何すりゃいい?」


「先に帰属の確認です」


 ミラも炉の前へ立った。


「帰り火。ティルダさんとフレイさんが、ここに住みたいそうです」


 金色の火が少し高くなり、ミラにだけ白い文字が浮かぶ。


《帰属希望者を確認しました》


《ティルダ》

《フレイ》


《本人へ帰属確認を提示します》


 続いて、ミラの視界にも、二人へ提示された帰属確認が浮かんだ。


《この場所への帰属を申請しますか?》


《はい》


《いいえ》


 ほぼ同時に、双子が胸元へ手をやった。


「なにこれ!? ミラにも見えてるの?」


「はい。私にも見えています」


 ティルダは読み終えるなり《はい》を選んだ。ミラの側でも、ティルダの選択が分かる。


「姉ちゃん、こういうときは迷わないね」


「昼からずっと住む気だったじゃん。今さら何を迷うんだよ」


「私も迷ってないよ。ただ、文章くらい最後まで読む」


 フレイも《はい》を選ぶと、ミラの側でもフレイの選択が分かり、表示が切り替わった。


《ティルダ――帰属選択を確認》

《フレイ――帰属選択を確認》


《炉守りの受容を確認》


 これまでベラやロアンを迎えたときと同じ表示だった。


 ミラは二人を見た。昼までベルクの工房にいた双子が、もう自分たちの荷袋を食堂の壁へ置き、明日の仕事の話をしている。


「私も、お二人にいてほしいです」


 《受容します》へ触れる。


《第六炉縁者――ティルダを登録します》

《第七炉縁者――フレイを登録します》


 帰り火が一度、強く揺れた。


 低い石擦れの音が主洞の奥から響く。ミラとレオンたちにとっては、もう何度か聞いた音だったが、ティルダとフレイは同時に振り返った。


「今の、壁?」


「たぶんお部屋です」


「たぶんで壁が動くの?」


 以前ベラにも似たことを言われた気がして、ミラは少し笑った。


 全員で奥へ行くと、ロアンの部屋より先の岩壁に新しい開口ができていた。中は一人用の石室より横幅が広く、左右の壁際に寝台代わりの石の張り出しが一つずつある。奥には荷物を置ける深い窪みが二つ、その間には何も置かれていない平らな場所が残されていた。


 棚も寝具も扉もない。けれど、二人で暮らすための空間だと分かる形をしていた。


 ティルダが最初に飛び込んだ。低い身体が石の寝台へひょいと上がり、そこから奥の窪みまで一気に覗き込む。片耳の太い真鍮の輪が揺れた。


「一部屋だ! ちゃんと二人分ある!」


 寝台を掌で叩き、次に奥の窪みへ腕を入れた。何を確かめているのかはミラにもよく分からない。


 フレイもあとから入った。並ぶと顔立ちは驚くほど似ているのに、姉がまず触るのに対し、妹は入口で一度止まり、床、壁、二つの寝台の間隔へ灰青色の目を順番に動かす。今日は肩ほどの赤銅髪の片側だけを細く編み、白い紐を通していた。


「継ぎ目がない。削った跡もないし、石屑も出てない。これ、空間ごと形を変えたんだ」


「帰り火は、炉縁者が増えると部屋を作るんです。ベラさんのときは厨房も一緒にできました」


「厨房まで?」


 フレイがすぐ振り返った。


「姉ちゃん。これ、工房も頼めるんじゃない?」


「思った。今すぐ聞こう」


「二人とも、まず荷物を置け」


 レオンが入口から言ったが、ティルダはもう部屋を出ていた。


「荷物は逃げないだろ。工房の方が先」


「気持ちは分かるが、今日は引っ越したばかりだ。先に寝る場所だけ作ってからにしろ」


「自分の家なのに?」


「自分の家だからだ。道具を広げる場所を決めてからの方が、あとで動かさずに済む」


 そんな話をしながら主洞へ戻ったところで、ミラの視界に新しい文字が重なった。


《生活域・生産機能の拡張を確認しました》


《炉縁者数――七》


《帰り火“最初の火”》

《Lv1からLv2へ上昇しました》


 ミラは足を止めた。


「どうした?」


 レオンが振り返る。


「帰り火に、レベルがあったみたいです。今、二になりました」


「今まで一だったのか」


「そう書いてあります。私も初めて見ました」


 続けて表示が切り替わる。


《新機能《拠点カスタマイズ》を解放します》


《管理可能領域を表示します》


 文字が消えた直後、ミラの目の前に洞窟と窪地の形が現れた。


 岩壁を上から切り取ったような簡単な立体図だった。主洞、水場、個室、厨房、馬房、畑の位置まで小さくまとまり、その外側を橙色の線が囲んでいる。視線を下へ向けると岩盤の中まで透けて見え、逆に上へ意識を向ければ窪地と旧道へ続く坂が一つの模型のように見えた。


「……増えました」


「何が?」


 ティルダがミラの顔の前へ手を振った。


「すみません。今、洞窟が小さく見えています。上から見た形と、岩の中まで一緒に」


「どこに?」


「ここです」


 ミラが指を差すと、ティルダは何もない空間を覗き込んだ。


「見えない」


「私にしか見えていないみたいです」


 帰り火へ尋ねると、今度は機能の説明が出た。


《《拠点カスタマイズ》》


《管理可能領域内の空間、水路、炉熱経路、および安全確認済み岩盤を変更できます》


《家具、器具、工具、資材、完成設備は生成しません》


《現在の管理可能領域――主洞および周辺岩盤、窪地、洞窟入口周辺、旧道接続斜面》


 ミラは一つずつ読み上げた。


 ティルダの顔が途中から明らかに明るくなった。


「炉の熱も分けられるって言った?」


「はい。炉熱経路を変更できるそうです」


「じゃあ鍛冶場作れる。火口を別に出して、こっちで温度を見れば――」


「厨房の横は駄目だね。反対側なら水も分けられるし、煙も居室から離せるかも」


「それだ。じゃあどこが空いてる?」


 二人が同時にミラを見る。ミラは立体図へ視線を戻した。


「主洞から見て、厨房と反対側の奥に岩が厚いところがあります。そこなら少し広げられそうです」


「水場からどのくらい?」


 フレイが聞いた。


「ええと……このくらいです」


 ミラは指で立体図の中を示したが、もちろんフレイには見えない。


「どのくらい?」


「この部屋二つ分くらい先で、少し右です」


「入口から見て右?」


「今、私が見ている向きの右です」


「その向きが分からないよ」


 ロアンが卓へ肘をついた。


「入口と水場の位置までは、なんとなく分かったよ」


「そこから先は、卓へ描いた方が早そうだね」


 ベラが言う横で、フレイは卓の上へ指で線を引き始めた。


「ミラ、入口をここにして。水場はどっち?」


「そちらです。いえ、もう少し奥です」


「こっち?」


「そこはロアンさんの部屋になります」


「じゃあ反対。姉ちゃん、その線だと水場を横切る」


「なら水路を先に描こう。炭筆どこだ?」


 二人そろって卓の上を空け始め、レオンはその横で腕を組んだ。


「これを毎回やるのは無理だな。位置を決めるだけで夜が明ける」


 ミラも同じことを思った。自分には窪地全体が小さな模型のように見えているのに、説明するたび平らな卓へ置き直さなければならない。


 帰り火へ向き直る。


「これ、皆さんにも見せられませんか。私だけが見えていると、どこを変えるか一緒に決めるのが難しいです」


 白い文字が止まった。


 すぐに返答が来ると思っていたミラは、少し待った。


《共同体への視覚情報共有要求を確認しました》


《要求主体――ミラ》


《継続役割を照合します》


《帰り火との意思疎通》

《炉縁者の受容》

《新規職業・技能候補の仲介》

《帰り火から共同体への情報伝達》


《既存職業体系――該当なし》


 ミラの呼吸が少し止まった。


 最初に《欠け見》へ名前がついたときと、よく似た並びだった。


《炉内役割《炉守り》との一致を確認しました》


《新規職業《炉守り》を定義します》


《職業変更候補――ミラ》


《《無役》から《炉守り》へ変更しますか?》


《はい》

《いいえ》


 文字を読み終えても、ミラはすぐには触れなかった。


「ミラ?」


 ベラが声をかける。


「職業の候補が出ました」


「ミラの?」


「はい。《無役》から《炉守り》へ変えるか、と聞かれています」


 食堂が静かになり、ティルダでさえ炭筆を置いた。レオンは帰り火ではなくミラを見た。


「変えたいのか」


 聞かれ、ミラはもう一度文字を見た。


「帰り火。職業が変わったら、今までと違うことをするんでしょうか」


《現在継続して担っている役割を職業として定義します》


「今までしてきたことに、職業の名前がつくそうです」


 共同寮を出た朝にも、そのあと何度職業札を見ても、職名は《無役》だった。ここへ来てからも変わっていない。畑を見て、怪我を手当てし、帰り火の文字を読み、誰かが帰ってくるたびに受け入れても、札の上ではずっと《無役》だった。


 けれど、今度の候補は「何かになれ」と押しつけられたものではなかった。


 すでにしていることへ、あとから名前が来た。


「それなら、変えたいです」


 ミラは《はい》へ触れた。


《本人の承認を確認しました》


《職業を変更します》


《無役》

《 ↓ 》

《炉守り》


 胸元の職業札が一度だけ温かくなった。


 帰り火の炎も、それに合わせるように静かに高くなった。


「変わりました」


 ミラが言うと、ベラが先に笑った。


「前からやってた仕事じゃないか。名前がつくのに時間がかかったんだね」


「はい。私も、そんな感じがします」


「おめでとう、ミラ」


 ロアンはいつもより冗談を混ぜずに言った。少し考えてから、帰り火とミラを交互に見る。


「聞いてみると、ずっと前からそうだったみたいに似合うね」


 ティルダが大きく頷き、フレイはすぐ次の疑問へ移った。


「それで、炉守りになったら私たちも見えるの?」


「今、続きが出ています」


《炉守り機能を更新します》


《帰り火が共有可能と判定した視覚情報を、炉守りを介して炉縁者へ中継できます》


《文章対話、新規職業・技能候補、個別通知は共有対象外です》


《《拠点カスタマイズ》表示を共有しますか?》


「これなら見せられます。共有しますね」


 ミラが《はい》を選ぶ。


 卓の上に置かれたように、洞窟と窪地の立体図が現れた。


 実際に光っているわけではない。石卓へ橙色の影も落とさない。それでも、その場にいた炉縁者たちの視線が同じ位置へ集まった。


「見えた!」


 ティルダが両手を卓へつき、立体図へ顔を近づけた。


「これ、外の窪地まで全部入ってるじゃん」


 フレイも反対側へ回り込んだ。二人とも触れられない模型へ手を伸ばすが、見る場所は違う。ティルダは炉と工房候補、フレイは水路と地面の下を追っていた。


 キュウも何か見えているのか、卓の下から顔を出し、何もない空中へ鼻先を近づけている。前脚で掻こうとして何も触れず、不満そうに「きゅう」と鳴いた。


「キュウにも見えるんですね」


「炉縁者だからか。バルトにも見えてるかもしれんな」


 レオンが言うと、外の馬房の方から短く嘶きが聞こえた。


「たぶん見えてます」


「驚かせただけじゃないといいけどね」


 ベラが笑った。そこからは、話が早かった。


 フレイはまず水場から伸びる線を見つけ、指でたどる。


「生活用の水をここから取ってるなら、鍛冶場は枝を一本分ければいい。厨房より下流側にして、焼き入れで汚れた水は別の排水へ落とす。お風呂と便所も作るなら、きれいな水と汚れた水を途中で交差させない方がいい」


「風呂?」


 ティルダの目が輝く。


「作れるなら欲しい。今の洗い場、身体は洗えるけど湯に浸かれないじゃん」


「湯に浸かれるなら、あたしも欲しいね。厨房に立ってると背中と腕が凝るんだよ」


 ベラもすぐ賛成し、レオンは立体図の範囲を見ながら言った。


「作るなら水を大量に使う。排水先と、湯を沸かす方法を先に決めろ。あと、居室の近くへ湿気を回すな」


「炉熱を分けられるなら、湯を沸かす方は何とかなる。火の通り道を石の中へ作って、冷水と混ぜるところだけ人が調整できるようにすればいい」


 ティルダが炉から浴室候補まで指を走らせた。


「湯口の位置と炉熱の通し方はあたしが見る。流れを止める金具も欲しいけど、普通の鉄は残ってる?」


「金具に回せる普通鉄はない。青魔鉄を湯口に使う気もないぞ」


 レオンが先に釘を刺すと、ティルダは顔をしかめた。


「それくらい分かってるって。じゃあ金具は買い足してから。今は木栓で止められる形にしよう。フレイ、作れる?」


「小さい栓なら、窪地の硬い枝で足りるよ。水を止める面だけちゃんと合わせる」


「なら、それで一回使えるところまで持っていこう。必要な鉄の量は別に出せ」


 レオンの言葉に、双子が揃って頷いた。


 フレイは二人の話を聞きながら、浴室候補の床を低くする形を立体図へ重ねてもらった。操作できるのはミラだけなので、「そこを半歩下げて」「入口をもう少し手前」と頼み、ミラが帰り火へ変更案を伝える。


 案の段階では岩は動かない。立体図の中だけで形を変え、問題があれば赤い線で止められた。


「便利だね。作る前に何度でも変えられる」


 フレイはすっかり夢中になっていた。


「便所は?」


 ベラが聞く。


「今の便所は、夏になると臭いが戻る。食事のあとに行く場所じゃないって毎回思ってたんだよ。水で流せるなら、絶対そっちがいい」


「水場から細く枝支流を作って、使ったときだけ多めに流す形にしよう。下は急勾配にして、生活排水とは途中で分ける。出口は窪地の外へ流れる側まで伸ばしたいけど……」


 フレイが立体図を下から覗き、少し首を傾げた。


「今見える範囲だと、ここまでしか触れないね」


 橙色の境界線は主洞と窪地、入口、旧道へ続く坂までを囲み、その外では薄く途切れている。


 レオンも境界を見た。


「今の人数なら十分だが、十人以上住むようになったら寝室も工房も窮屈になりそうだな」


「そのときは別に考えましょう。帰り火のレベルが上がったら、変えられる場所も増えるのか聞いてみますか?」


 ミラが言うと、レオンは首を振った。


「まだ二になったばかりだ。先のことまで今決める必要はない。使える範囲で作ろう」


 ロアンがずっと黙っていることに、ミラはそこで気づいた。


「ロアンさんは、何か欲しいものはありますか?」


「聞いてくれるのを待ってた」


 ロアンは浴室候補を指した。


「湯船の横に杯を置ける窪みが欲しい。水でも茶でも、手を伸ばしたところに置けると長く入っていられる」


「長く入りすぎる方を心配した方がよさそうだけどね」


 ベラはそう言ったが、案そのものは否定しなかった。ティルダも浴槽の縁を見て頷く。


「それ便利だな。外側に一個彫っとこう」


「僕も家づくりに貢献したね」


「窪み一つだけどね」


 フレイは笑いながら、立体図へ小さな印を足してもらった。


 最後に、鍛冶場を厨房と居室から離した場所にして、炉熱の枝と水路、排気の通り道だけを帰り火に作らせることにした。完成した金床や鞴、工具棚が現れるわけではない。浴室も石の浴槽と水路、熱を通す空間までは作れるが、水を止める栓、衣服を置く棚、仕切りの布や扉は自分たちで用意する必要がある。金具は普通鉄を仕入れてから付け替えることになった。


 その不便さを聞いて、ティルダはむしろ喜んだ。


「全部できあがって出てくるなら、あたしたちの仕事なくなるじゃん。そのくらい残ってる方がいい」


 フレイも頷く。


「石を何日も掘るところだけ任せられて、細かいところは自分たちで作れる。ちょうどいいね」


 ミラは全員の顔を見てから、立体図の変更案を確定した。


 帰り火の炎が大きく揺れる。


 洞窟のあちこちから、深いところを石が動く低音が重なった。


     ◇


 翌朝、洞窟の形は昨夜までとはかなり変わっていた。


 厨房と反対側の奥には鍛冶場用の石室ができ、中央に炉熱を受ける石の火口が口を開けている。水場からは細い水路が分かれ、壁際の石槽へ冷たい水を落としていた。煙と熱を逃がす縦穴もあるが、金床も鞴も工具棚もない。


「ここから先は人間の仕事だな」


 ティルダは嬉しそうに革前掛けを締めた。荷袋から使い慣れた槌、鏨、金鋏、小さな当て金を取り出し、火口の高さから順番に確かめていく。


「本格的な金床と鞴、それに普通鉄。必要な物はまだあるけど、火と水と作業場所があるなら鍛冶場として始められる」


「一覧にしておけ。次の買い出しで値段を見る」


 レオンが答える。


「あと、青魔鉄を使うときは先に言ってくれ」


「昨日から三回目だぞ、それ」


「大事な材料だからな。最初のうちは確認する」


「分かった。普通鉄が来るまでは触らない」


 ティルダはそう言うと、青魔鉄の鉱石袋には手を出さなかった。


 フレイは鍛冶場より先に浴室へ入り、排水口へ水を流していた。昨日まで何もなかった場所に、四人ほどなら脚を伸ばせる石の浴槽があり、その手前には身体を洗うための低い石台と排水溝がある。浴槽へ入れる水は、冷水と、炉熱を通して温めた水を別々の石口から落とせる形になっていた。


「姉ちゃん、熱い方を見て。今のままだと冷水より勢いが強い」


「鍛冶場の火を見てから」


「昨日、最初に水回りを使えるようにするって決めたでしょ。栓は私が作るから、姉ちゃんは熱だけ」


「でも火が出てるんだぞ?」


「逃げないよ」


 ティルダは火口と浴室を二度見し、かなり苦しそうな顔で浴室へ向かった。


 ミラはそれを見ていた。ベルクの工房では、止められても気になる場所へ戻ってしまう二人を何度も見た。今も性格が変わったわけではない。ティルダは歩きながら三度も鍛冶場を振り返り、フレイも窪地から切ってきた硬い枝を木栓へ削っている途中で排水溝の縁の高さが気になり、いったん手を止めてしゃがみ込んだ。


 ただ、ここでは二人が触ってよい範囲が最初から広かった。


 レオンが「今日は浴室を使えるところまで」と線を引くと、その内側では細かなやり方まで口を挟まれない。ティルダは炉熱の通りを二度調整し、熱い水が一気に出すぎない位置を探した。フレイは排水溝の角を少し丸め、「裸足で踏んだら痛いから」と削り直したうえで、二つの水口へ合う木栓を仕上げた。


 昼を過ぎる頃には、冷水と熱い水を別々に止められるようになった。


 ベラが最初に湯を張った。冷たい魔力泉の水へ、炉熱を通った熱い水を少しずつ混ぜ、腕を入れて温度を確かめる。


「もうちょっと熱くていい。身体を洗ってる間に少し冷めるからね」


 ティルダが熱い方の栓を開ける。


「これくらい?」


「もう少し。……そこ。止めな」


 湯気が石室の中へ広がった。


 その日の夕方、女性陣が先に使うことになった。


 ミラは身体を洗ってから、ベラ、ティルダ、フレイと一緒に浴槽へ入った。肩まで湯へ沈むと、歩き回った脚から力が抜けていく。魔力泉は水のままなら冷たいのに、温めるだけでこんなに違うのかと、しばらく何も言わずに指を開いたり閉じたりした。


「……出たくなくなりますね」


「分かる」


 ティルダは浴槽の縁へ両腕を乗せ、完全に動く気をなくしていた。普段はじっとしていない人なのに、湯の中では赤銅色の髪を頭の上へまとめたまま、目まで半分閉じている。


 フレイは壁際へ作った小さな窪みに木杯を置いた。中身は水だった。


「ロアンの案、一個だけ残してよかったね。これ便利」


「ほんとだね。あいつ、こういう生活が楽になるところはよく気づくんだね」


 ベラは湯に肩を沈め、古い火傷痕のある手首をゆっくり揉んだ。


「厨房に立ったあと、毎日これに入れるなら文句ないよ。今まで桶で湯を使うだけでも贅沢だと思ってたけど、一度こっちを知ったら戻れないね」


「帰り火、最高じゃん」


 ティルダが天井へ向かって言ったが、ミラには文字の返事は出なかった。


「たぶん、褒め言葉として受け取っていると思います」


「そこは答えないんだ」


「質問ではないからかもしれません」


 四人で笑った。


 交代で入ったレオンとロアンは、思っていたより長く戻ってこなかった。ベラが「ロアンが寝てないだろうね」と見に行きかけたところで、二人とも髪を濡らして出てくる。


「寝てないよ。レオンが見張ってたから」


「見張ってない。ロアンが湯船で歌い始めたから、終わるのを待ってただけだ」


「反響がいいんだよ。浴室は楽器としても優秀だね」


「蒸気でリュートを駄目にしたら自分で払えよ」


「持ち込まないよ。そこまで馬鹿じゃない」


 ロアンは言いながら、浴室の入口を名残惜しそうに振り返った。


     ◇


 翌日には、水洗いできる便所も使えるようになった。


 石の仕切りで二つに分け、腰掛けられるよう滑らかにした石の縁の下へ細い水が流れ続ける。使用後に、フレイが窪地の枝を削って作った木の取っ手を引けば短時間だけ水量が増え、急な溝を通って生活排水とは別の下流へ落ちる仕組みだった。入口には手を洗う細い水口も付けた。


 最初に試したベラは、出てくるなり腰へ手を当てた。


「もう前の便所へ戻るのは禁止だよ。臭いと掃除の手間が減るだけで、あたしはこの二人を雇った分の元を半分取った気がする」


「半分は言いすぎじゃない?」


 フレイが笑う。


「毎日使うものは強いんだよ。料理と同じさ」


 ティルダは便所そのものより、取っ手の戻り具合が気になったらしく三回続けて水を流し、レオンに「水で遊ぶな」と止められた。


 その午後、鍛冶場の火口が安定したところで、圧搾機の製作も始まった。


 ただし、最初の仕事は木を切ることではなかった。ベルクでは置き場所を見ないまま見積もったため、レオンは材料をまだ買っていない。フレイは以前の図面を卓へ広げ、実際に置く場所の幅と高さを測り直した。ティルダは炉口から運べる金具の大きさを確かめ、必要な普通鉄の量を横へ書き足していく。


 二人が仕事を始めると速かったが、頼まれた通りだけでは終わらない。


「姉ちゃん、横梁ここ二本にするなら、下ももう一本入れた方が捩れない」


「だよな。あと回し棒の受け、片側だけ鉄だと減り方違うから両方にしたい」


 ティルダは炭筆を動かしかけたところで止め、レオンを見た。


「横梁を一本増やしたい。今のままでも動くけど、林檎を多く入れたとき枠が捩れるかもしれない。木が一本増える。鉄の量は今のままでいける。それならいい?」


 レオンはフレイの図を見た。


「一本だけならいい。材料表を増やすなら、ほかも全部決めてからまとめて持ってこい」


「分かった」


 ティルダはそこで初めて線を足した。


 ミラは、その短いやり取りを少し離れたところから見ていた。


 ベルクでは客に止められたあとも、ティルダは「ここも直した方がいい」と槌を握ったまま食い下がっていた。今も改善したい気持ちは同じで、フレイも横から理由を足している。


 違ったのは、材料を買う前に一度聞いたことだった。


 それを本人たちが気にしている様子はない。


「ティルダさん」


「ん?」


「今、先に聞きましたね」


 ティルダは一度手を止め、何を言われたのか分からない顔をした。


「……ああ。そうだな。レオンがそこにいたから」


「はい。前より少し早かったです」


 ティルダは照れたように鼻の横を擦り、すぐ図へ戻った。


「言われると変な感じするな。自分じゃ、別に変わったつもりはないんだけど」


 ティルダは炭筆の先で、追加した横梁を軽くなぞった。


「でも、助かります。作ってから直すより、材料を増やす前に聞いてもらった方が、レオンさんも困りません」


「それは分かる。ただ、次も先に思い出せるかは分からないぞ。作ってると、こっちの方がいいって思ったところへすぐ手を出したくなるからな」


「そのときは、また止めます。私が気づかなかったら、ほかの人に止めてもらえばいいです」


 ティルダは少し考えてから、炭筆を持ち直した。


「じゃあ、それで頼む。止められるのは好きじゃないけど、切った材料を捨てるよりはいい」


 横で図面へ寸法を書き込んでいたフレイが笑った。


「姉ちゃんだけじゃないよ。私も、必要だと思ったらそのまま足したくなるから。木や鉄が増えるときは、私も先に言う」


 ティルダがフレイの図面へ目をやった。


「じゃあ二人とも同じだな。増やす前に一度聞く」


「そこは認める。図面の上なら、聞いてからでも直せるもの」


 二人はそれ以上話を広げず、また図面へ炭筆を走らせた。


 日が落ちる前には、実寸を入れた図面と木材・鉄の材料表がまとまった。材料を仕入れれば、そのまま切り出しへ入れるところまで詰めてある。


 それから数日は、大きな出来事が起きなかった。夕食のあとになると誰が先に浴室へ入るかだけが妙に真剣な相談になり、ロアンは二日目から鼻歌を響かせ、ベラは厨房を片づけたあとの最後の湯を好んだ。ティルダは鍛冶場を覗いてから入るせいで毎晩遅れ、フレイに「姉ちゃん、湯が冷めるよ」と呼ばれてようやく作業を切り上げる。


 ミラも畑と水汲みを終えたあと、湯へ肩まで沈んで何もしない時間を覚えた。最初の晩ほど驚かなくなっても、石の浴槽から上がった脚が軽いことや、夜中に外へ出ずに便所へ行けることは毎日少しずつ嬉しかった。


 圧搾機の材料表をまとめた翌朝、レオンはバルトを連れてベルクへ出た。木材は長さと太さまでフレイが書き込み、普通鉄はティルダが必要量に少し余裕を持たせている。


「書いてある分をそのまま買えばいいんだな」


 出発前にレオンが念を押すと、ティルダは材料表を受け取って端から見直した。


「今のところはね。作ってる途中で変えたくなるかもしれないけど、そのときはある材料の中で考える。足りなかったら次だ」


 フレイも横から図面を覗き込み、木材の欄を指で追った。


「木は曲がりと割れだけ見てきて。寸法が足りないのを無理に継ぐより、一本長い方がいいところがあるから」


「分かった。四日は戻らん。その間に材料を増やす相談を始めるなよ」


「始めても、買えないなら図面の上だけだよ」


 フレイが答え、ティルダも材料表をレオンへ返した。


 五日目の夕方、帰り火が橙色に揺れた。


 窪地へ出ると、バルトの後ろに木材を括った荷車が現れていた。荷台には長い角材と板、その隙間へ油布で包んだ普通鉄が積まれている。レオンは荷崩れがないことを確かめてから縄を解いた。


 ティルダとフレイはすぐに寄ってきたが、先に手を出したのはフレイだった。角材の端から端まで目を走らせ、反りの少ない一本を選んで作業場所へ運ぶ。ティルダは普通鉄の包みを開き、太さを確かめてから頷いた。


「これだけあれば始められる。明日、木枠から組もう」


「今日はやらないのか」


「四日待ったんだ。一晩くらい増えても変わらないよ。それより寸法をもう一回測る」


 ティルダはそう言いながら、すでに一番太い角材の横へしゃがみ込んでいた。


     ◇


 浴室と便所を使い始めて六日目の朝、フレイは便所の裏側にしゃがみ込んでいた。


 服は初日に着ていた淡い緑ではなく、薄い青の短衣へ替わっている。髪も片側だけ細く編み込み、白い紐の代わりに濃い青の布を結んでいた。


 ミラが水場から戻る途中で見つけると、フレイは床へ耳を近づけるようにして排水の音を聞いていた。


「何か詰まりましたか?」


「ううん。今はちゃんと流れてる」


 フレイは立ち上がり、指についた石粉を払った。


「だから、今直さなくても困らない。ただ、この太さだと人がもっと増えたら余裕がないと思う。お風呂の排水と便所は分けてるけど、最後に岩の中を通るところが近いでしょ。大雨のあとに水が増えたら、戻る可能性も少しある」


「今の人数なら大丈夫なんですよね」


「大丈夫。でも分かってるのに、そのままにするの気持ち悪い」


 フレイは最後の一言だけ少し小さくした。


「前の工房でも、こういうところを勝手に直して怒られましたか?」


「何回か。客の家の排水を見に行って、頼まれてない裏庭まで掘ったこともある。詰まる前に直した方が安いのにって思ったんだけど、庭を掘るなら先に言えって怒られた」


「それは、先に言った方がいいと思います」


「うん。そこは学んだ」


 フレイは少し笑った。


「だから今回は、まだ掘ってない。ミラに先に言ってる」


「本当ですね」


「姉ちゃんに先に言うと、排水だけじゃなく浴室の床まで測り直し始めるから。まずミラに見せてからにした」


 ミラは頷いた。二人なら本当に、排水を直すついでに浴室の床まで測り始めそうだった。


 ミラはフレイと一緒に帰り火の前へ行き、共有の立体図を開いた。朝食前だったので、ベラは厨房、ロアンはまだ起きてこず、レオンは外でバルトへ水をやっている。


「この排水を、もう少し先まで延ばしたいそうです。今は問題ありませんが、人が増えたときに詰まりにくくしたいです」


 帰り火へ伝えて立体図の地下側を開くと、フレイが指で延長したい方向を示した。


「ここ。今の出口から、あとこれくらい下げて、岩の割れ目へ流せれば余裕が出ると思う」


 ミラが変更案を重ねようとしたとき、立体図の一部が赤く点滅した。


《変更予定経路上に未登録空間を検知しました》


 ミラの手が止まった。


「未登録空間?」


「何て?」


「この先に、帰り火がまだ登録していない空間があるそうです」


 フレイの灰青色の目が、排水より先へ向いた。


「空洞ってこと?」


「聞いてみます」


 帰り火へ安全を確認すると、すぐに文字が返った。


《空間内部の安全は未確認です》


《管理領域との接続前に入口部の安全確認を推奨します》


「中が安全かは分からないそうです。勝手につなげない方がよさそうです」


「じゃあレオン呼ぼう。姉ちゃんも。こういうのは二人だけで開けたら絶対怒られる」


 フレイはそう言って、先に主洞を出ていった。


 ほどなく全員が集まった。


 レオンは剣を腰へ差し、キュウもいつもより頭を低くしている。ティルダは槌を持ってきたが、レオンに「壁が動くまでは使うな」と言われ、素直に腰へ戻した。


「場所はどこだ」


「主洞の下です。排水を延ばそうとした先にあります。入口だけなら、こちら側から安全な範囲を開けられるそうです」


「中までつなげるな。穴を開けるだけにしろ。岩を動かしても、こっちの天井や床が崩れないか確認してくれ」


 ミラが尋ねる。


《入口部のみ接続可能です》

《管理領域側の構造安全を確認しました》

《未登録空間内部の安全は確認できません》


「こちら側の岩は大丈夫です。でも、中が安全かどうかは分からないそうです」


「なら、開けたあとに入り口だけ確認する。全員、前へ出るな」


 ミラが《入口部を接続します》を選んだ。


 帰り火から少し離れた主洞の壁で、石が低く鳴った。


 岩が崩れるのではなく、奥へ押し退けられるように形を変えていく。最初は縦に細い隙間だったものが、人一人が通れる幅まで広がり、その向こうへ石の階段が現れた。


 階段は下へ続いていた。


 帰り火の明かりは数段先までしか届かない。それより下は黒く沈み、どこまで続いているのか分からない。


 冷たい空気が、足元を撫でるように流れてきた。


 キュウが一歩前へ出て鼻を動かし、喉の奥で低く鳴いた。


「きゅう……」


 いつもの甘える声ではなかった。


 ロアンも何も言わず、階段の奥へ顔を向けている。


「何か聞こえますか?」


 ミラが尋ねると、ロアンはしばらく耳を澄ませたまま答えた。


「水の音はする。かなり下だね。それと……ときどき、何かが擦れるような音もする。遠くて、何の音かまでは分からない」


 ティルダが槌の柄へ手を掛けた。


「降りてみる?」


「今日は降りない」


 レオンが即座に止めた。


「入口が見つかっただけだ。中の広さも、何がいるかも、戻れる道かも分からん。灯りと装備を揃えてからだ」


 フレイも珍しく反対しなかった。さっきまで排水のことを考えていた目が、暗い階段の先を伺っている。


「排水は別方向にしよう。ここへ流すのは、中が何か分かってから」


「そうしてください。知らない場所へ便所の水を流すのは、あまり良くないと思います」


「そこを最初に心配するの、ミラらしいね」


 ロアンが小さく笑ったが、目は階段から離さなかった。


 冷気がまた一度、暗がりから上がってきた。


 その日の朝食はまだ食卓に並んでいない。


 主洞には、昨日までなかった下り階段が口を開いていた。

個室が増え、風呂とトイレまでできました。

ようやく快適な家になったと思ったところで、地下への階段まで生えてきました。

拠点づくりもダンジョン探索も楽しめそうだと思っていただけたら、評価で応援していただけると嬉しいです。

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