炉守りは双子を連れて帰ります
翌朝、ミラとレオンが職人街へ着いたとき、ティルダとフレイはもう工房の前にいた。
昨日は客の荷車が塞いでいた場所に、今日は低い作業台が出されている。板材が数枚、鉄の帯金が三本、木ねじの見本らしい太い棒が一本。その向こうで、ティルダは短い上衣の上から厚い革前掛けを掛け、帯金を指で弾いて音を聞いていた。人間用の作業台は彼女の腰より少し高く、肘を載せるには都合が悪いらしい。足元に木箱を一つ置き、その上へ片足を乗せている。
隣のフレイは、昨日とは違う淡い緑の上衣に白い帯を合わせていた。肩ほどの赤銅色の髪は片側だけ細く編み、白い紐を通している。図面を見るため作業台へ身を乗り出すたび、片耳の小さな銀の耳飾りが三つ揺れた。
「来たね。圧搾機、だいたい形は出たよ」
ティルダが帯金を置き、板の上へ広げた図を叩いた。
「枠は堅い木。ねじはもっと目の詰まった材を使う。力が掛かるところだけ鉄で締めれば、全部を金物にするより軽い。横梁と回し棒は外せるようにして、荷車に積むときはばらせる」
フレイは図をレオンの前へ押し、「置き場所が分からないから、幅を少し詰めても組めるようにした。汁受けは枠と別に外せるよ。昨日話した、林檎を潰す方は入れてない。姉ちゃんが横に描いたけど、それは注文じゃないから」と説明した。
「潰す方も必要になるのは分かってるだろ」
「分かってる。でも圧搾機の幅を変えたら、潰した果肉を受ける桶の高さも変わるから、先に置き場所を見ないと決められないでしょ」
工房主も奥から帳面を持って出てきて、「作るなら銀貨五十枚だ。高いから、昨日その場では値段を出さなかった」と告げた。
ティルダが胸を張ったまま固まり、フレイも図面から顔を上げた。
工房主は帳面を開き、図面の上へ指を置いた。
「一品物だ。枠に使う堅木だけなら大した額じゃないが、ねじは別だ。この太さで力を掛けるなら、目の詰まった材から切り出して一本ずつ仕上げる。横梁も鉄で補強する。金具も既製品を寄せ集めるんじゃなく、寸法に合わせて作る」
「こいつら二人を三日止める。その間、他の仕事は受けられん。組んだあとも、ねじが噛むか、枠が捻れないか、荷を掛けて俺が最後に見る。作って渡して終わりじゃない」
「五十枚のうち、材料だけならどのくらいだ」
「半分もいかん。だが、材料だけ買って積めば圧搾機になるわけじゃないだろ」
工房主はそこでティルダとフレイを順番に見た。
「それに、こいつらへ一品物をやらせるなら余裕を見ておく。途中で必要な補強を見つけて、黙って増やす可能性まで込みだ。増やす前に聞けと言っても、必要だと思ったら手が先に動く」
フレイは図の上へ指を置いたまま首を傾ける。
「でも、実際の置き場で回し棒が壁に当たったら、長さは変えるよ。そこまで勝手な追加に入れられると困る」
「設置に必要な調整は別だ。勝手に別の機械を足すなと言ってる」
フレイは納得したらしく、図の隅へ小さく印をつけた。
「今の銀貨五十枚は、まだ見積りの段階だな」
「ああ。まだ一枚ももらってないし、材料も切ってない。置き場所を見て寸法を決めるなら、そのあと正式に頼むか決めろ」
ティルダは残念そうにしたが、フレイはむしろ図面を引き寄せた。
レオンは材料の種類、ねじの交換が必要になったときの手間、鉄帯を外して運べるかまで聞いた。ティルダは力が掛かる場所を指でなぞり、フレイは寸法を変えた場合にどこまで組み直せるかを説明する。
ミラには、昨日、石畳へ思いつくまま線を増やしていた二人より、今日はずっと商談らしく見えた。
ただし、図面の右端には注文していない潰し機の歯が、昨日より細かく描き込まれていた。
◇
話が一区切りしたところで、フレイが腰袋から白と青の紐を出した。
「約束したから。ミラは今日は昨日より襟が薄いから、白の方が合うと思う」
フレイに促され、ミラは工房脇の低い木箱へ座る。ドワーフ用なのか、人間用の椅子より座面がずっと低く、膝が少し高くなった。
フレイはミラの短い赤毛へ指を入れ、耳の上を少しだけすくった。指先には細かな切り傷と、洗っても残った薄い木粉があり、髪を二つに分けると途中で一度手を止めた。
「ここ、昨日より少し汗かいてるね。きつく結ぶと痛そうだから、今日は編み込み少なくする」
「そういうのも見て分かるんですか?」
「触れば分かるよ。服も同じ。見た目だけ合ってても、動いたら擦れるのは嫌でしょ」
フレイは白い紐を使って耳の上の髪だけを後ろへ留め、最後の結び目をミラの指へ触らせた。
「これなら一人でもできる。ここを引いて、二回返すだけ。ほどくときは先にこっちを抜く」
ミラは教えられた通り、結び目を指で確かめた。
ミラが作業台へ戻ると、レオンが一度だけこちらを見た。
「似合ってる。前より髪が目に掛からないな」
「自分でもできる結び方を教えてもらいました」
「その結び方なら、道中でも自分で使えるな」
褒めたあとに実用の話へ戻るところが、やはりレオンだった。
「レオンって、そういう褒め方をする人なんだね」
◇
レオンは図面を畳まず、作業台の上へ戻した。
「もう一つ聞く。昨日、今月いっぱいで次を探せと言われてたな。次の当てはあるのか」
ティルダは工房主を見てから肩をすくめ、「まだ。昨日言われたばっかだし、探せばどっかあるだろ」と答えた。
「姉ちゃん、それ前のときも言ってたよ」
「前のときだって、ちゃんと次は見つかっただろ?」
「見つかったけど、ここで四軒目。姉ちゃん、最初の町の共同工房を一軒に数えてないでしょ」
レオンは目を細め、「その四軒とも、辞めた理由は同じなのか?」と工房主へ尋ねた。
工房主は帳面を閉じ、「腕で追い出されたことはない。そこは俺が保証する。むしろ最初は客が喜ぶ。頼んだより丈夫になるし、使いやすくもなるからな。だが、三か月、半年と経つと、納期と見積りが信用されなくなる」と答えた。
「前のところは農具の柄が割れかけてたんだよ」と、ティルダが言った。
「十二本のうち頼まれてたのは三本だけね」
「頼まれてない残り九本も、直した方が安全だった」
「だから私も留め金を替えた。柄の太さが変わったのに古い金具のままじゃ、また緩むから」と、フレイは言葉を切って工房主を見た。
「でも、納品の朝に全部外したのはよくなかったと思う。あれは時間が足りなかった」
ティルダが笑いかけたが、レオンは笑わなかった。
「それなら、二人だけで独立する話はなかったのか?」
「独立の話はしたさ。だが、客から金を受け取る前に材料を使うようじゃ店が持たん。二人揃うと、片方が見つけた問題にもう片方が理由を足して、仕事がどんどん増える」
ティルダは作業台の木ねじを転がしながら、「でも壊れるって分かってるのに、そのまま返す方が嫌だろ。武器や防具なら、なおさらな」と言った。
さっきまで笑っていたティルダの声が少し低くなり、「刃が甘いとか、留めが弱いとか分かってて渡して、使ったやつが怪我したら、腕がないのと同じだ。そこは嫌だ」と続けた。
フレイも姉の方を見て、「姉ちゃんが作った物を、雑だから壊れたって言われるのも嫌。だから私は寸法を合わせたい。でも、頼まれてないところまでやると怒られるのも分かってる。私は姉ちゃんよりちゃんと確認してるつもりなんだけど」と続けた。
レオンはしばらく黙ってから、「一月だけ、別の仕事を試す気はあるか」と尋ねた。
ティルダの手が止まり、「その仕事は、圧搾機だけじゃないってこと?」と聞き返した。
「ああ。道具を作る仕事がかなりある。寝る場所と食事はこっちで出す。一月の給金は一人銀貨十五枚。仕事に使う材料もこちら持ちだ。外へ売る物を作るなら、取り分は品物ごとに決める」
フレイがすぐには答えず、レオンを見上げた。
「給金も仕事の条件も、二人とも同じなの?」
「同じだ。仕事を分けることはあるが、片方だけ雇うつもりはない」
「姉ちゃんだけ鍛冶で残して、私だけ別の町へ設備作りに行けっていうのは?」
「長く別々に働かせる前提はない。必要なら二人と相談する」
フレイはそこで初めて肩の力を抜いたが、ティルダはもう別のところへ食いついていた。
「道具がかなりあるって、何作るの?」
「それを話す前に条件がある。仕事場はベルクの外だ。場所と、そこで見たものを勝手に他人へ話さないと約束できるなら見せる。無理なら圧搾機だけ頼んで終わりだ」
「見せてもらった仕事場を勝手に喋る必要ないだろ。守るよ」
ティルダが即答すると、フレイも一拍遅れて頷いた。
「私も守る。姉ちゃんが酒飲んで忘れそうになったら止める」
「酒を飲んだら長くなるのは、フレイの方だろ」
「そういう勝負をしなきゃいいの。二人とも喋らない」
「なら少しだけ話す。工房だけじゃない。俺たちが暮らしてる場所だ」
レオンは作業台の図面を指で押さえ、「それと圧搾機だ。今は発注しない。場所を見て、そのまま試すなら、圧搾機を最初の仕事にする。銀貨五十枚で外注するんじゃなく、材料はこちらで出す。見て合わないなら、発注するかどうか改めて決める」と続けた。
「分かった。先に置き場所を見られるなら、その方が私はいい」
フレイが即座に答えると、ティルダも図面の端を叩いた。
「私も。作るなら、使うところまで見たい」
フレイはミラへ視線を向け、「ミラも、その仕事場に一緒に住んでるの?」と尋ねた。
「はい。ベラさんとロアンさんもいます。キュウと、バルトさんも一緒です」
「キュウだけじゃなくて、馬まで一緒にいるの?」
「はい。バルトさん用の馬房もちゃんとあります」
「そこで毎日のご飯は、誰が作ってるの?」
「主にベラさんが作っています。とてもおいしいです」
ティルダがレオンへ顔を向け、「それで、そこには酒もちゃんとあるのか?」と尋ねた。
レオンは一瞬黙ってから、「ある。自分たちで飲むだけじゃなく、売るほど造ってる」と答えた。
ティルダの琥珀色の目が明るくなり、フレイもミラを見て、「そこでは、いったいどんな酒を造ってるんだ?」と尋ねた。
「林檎酒と麦酒も、自分たちで飲む分があります」
「フレイ、二人でその場所を見に行こう」
「私も今、まったく同じことを言おうと思った」
工房主は吹き出しながら、「お前ら、まさか給金より酒で決めるつもりなのか」と言った。
「給金も大事だよ。でも、私たちはドワーフだよ? 飯と寝るところがあって、酒を造ってて、道具を作る仕事があるんだろ。見るだけなら損ないじゃん」
それからレオンは声を少し硬くし、「ただし、好き勝手していいとは言ってない。触るなと言った物には触るな。使っていい材料と予算は先に決める。大きく変える前には聞け。その線の内側まで、釘一本ごとに許可を取れとは言わん」と続けた。
ティルダは口元を上げ、「その条件なら、今までよりだいぶ広く任せてもらえるな」と笑った。
工房主は腕を組み、「見に行くのは構わん。ただし、今ここで次が決まったことにはするな。実際に見て、ちゃんと二人で決めろ」と言った。
ティルダが親方を見て、「意外。早く次探せって言ったの、親方だろ」と言った。
「だからって、どこでもいいから放り出したいわけじゃない」
そこで工房主はレオンへ視線を向け、「お前のところが、本当に作る物だらけで、先に予算と範囲を決めれば好きに考えさせられる場所なら、こいつらには俺の工房より合うかもしれん。合わなきゃ別を探せばいい。だから一度見てこい」と続けた。
ティルダは何か言いかけて結局笑い、「親方、そういうこと思ってたなら、もっと早く言えばよかったのに」と返した。
「見学で明後日から抜けるなら、その前に今抱えてる仕事を片づけろ。そのまま向こうで試すと決める可能性があることまでは分かった。辞める話と給金の精算は、決めてからだ」
「明後日なら、ハウルの樽が上がる日だな」とレオンが言うと、ティルダは革前掛けを持ち上げて作業台の奥へ向かった。
「じゃあ今日のうちに蝶番まで終わらせる。フレイ、穴合わせ先にやろう」
「姉ちゃん、急いで穴増やさないでね。私は寸法から見直す」
「穴はもう増やさないって言ってるだろ」
「見直したら増えることあるから言ってるの」
◇
明後日の朝、ハウルの店で五つ分の代金を払い、新しい空樽を五つ受け取った。
空でも五つ並べれば荷台のかなりの場所を取る。レオンが樽同士の間へ藁を詰め、ミラが縄を締めるのを手伝った。荷台の前側には、昨日買っておいた薄い毛布と藁敷きを二組載せてある。
「住むと決めるか分からないのに、買ったんですね」
「決めなきゃ俺たちが使う。客を一晩泊める物くらいあって損はない」
レオンがそう言って縄を引くうちに、通りの向こうからティルダとフレイが、それぞれ背負い袋を一つずつ持って歩いてきた。
ティルダは今日は革前掛けを外し、肩と腕の出る短い上衣に太い革帯を締め、やはり臍も出している。片耳の真鍮の耳輪が朝日に光り、袋の横には愛用らしい槌と小さなたがねが括りつけられていた。
フレイは濃い青の短衣に刺繍入りのベストを重ね、昨日の白い髪紐を赤へ替えている。腰の工具袋はそのままだが、背負い袋の口から色の違う布がいくつも覗いていた。
二人とも一泊できるだけの着替えと、手放したくない道具だけを持ってきたらしい。工房に残した荷物は、住むと決めたあとで片づけることになっている。
「見学なのに、工具も持っていくんですね」
ミラが聞くと、ティルダは自分の袋を一度持ち上げた。
「見るだけでも、道具があった方が話が早いだろ。槌とたがねくらいは持ってく」
フレイも袋の紐を締め直し、「私は服が一組と、測る道具。住むって決めたら、残りはあとで片づける」と言った。
「姉ちゃんは見た瞬間に住むって言いそうだけどね」
「まだ見てもいないのに、決めるわけないだろ」
「だから、見た瞬間に決めそうだって言ってるの」
ティルダは笑って袋を荷台へ載せたが、その持ち手には真新しい革が巻かれており、ミラが目を留めるとティルダも気づいたようにそこを掴んだ。
「これ? 今朝、親方が勝手に巻いた。途中で切れたら面倒だって」
「頼んでいないところを直したんですね」
「そう。人には止まれって言うくせに、自分もやるんだよ」
フレイは革の縫い目を見ながら、「でも姉ちゃん、これ前より持ちやすいよ。端もちゃんと内側に折ってある」と言った。
レオンが荷台を一周し、樽、荷袋、毛布の順に縄を確かめた。
「行くぞ。城門を出るまでは場所のことも移動のことも聞くな。人前で余計な話を増やしたくない」
◇
ベルクの城壁が遠くなり、街道を行く人影が途切れたところで、レオンは荷車を木立の陰へ入れた。
周囲を一度歩き、人がいないことを確かめる。戻ってきたレオンの短い黒髪には汗が浮き、右眉の古傷の脇へ細い埃の筋がついていた。
「ここから先は、さっき約束した秘密の一つだ。俺には《帰還》という技能がある。行き先を選ぶ転移じゃない。俺たちが暮らしてる場所へ帰るためだけの技能だ」
ティルダは荷車へ手を掛け、「帰るためだけに使える技能なのか?」と聞いた。
「ああ。戻る方は普通に街道を四日だ。見て、住まないと決めたなら俺がベルクまで案内する」
フレイは荷車の端から自分の足元までを見た。
「私たちは、どの辺りに立っていればいい?」
「俺から十歩以内。今までの検証で、そのくらいなら複数人も馬も荷車も積荷も一緒に帰せてる。対象に入ってない配置なら発動する前に俺には使えないと分かるが、わざわざ外して試す気はない。二人とも近くにいろ」
「触ってなくても、一緒に帰れるの?」
「触れてなくてもいい。動かない方が大事だ」
フレイは荷車の横へ寄ってから、「姉ちゃん、そっちだと十歩は出てないけど、こっち来て。知らない技能で端を攻める必要ない」と言った。
「私も今そっちへ行こうと思ってたんだって」と言いながら、ティルダも笑って荷車の横へ寄った。
ミラはバルトの頬へ手を添え、これから帰ることを告げた。
バルトがいつものように耳を前へ向けるあいだに、レオンは全員を見回し、荷車の位置をもう一度確認した。
「……全員入ってる。これなら使えるから、動くなよ」
《帰還》が発動すると、足元へ橙色の光が走り、バルトの脚、荷車の車輪、樽と荷袋の輪郭を順に包んだ。ティルダは反射的にしゃがみかけたが途中で止まり、フレイは自分の靴の周りを見たまま、唇だけで何か数えている。
乾いた土と木立の匂いが一瞬で消え、次に鼻へ入ったのは、湿った土と草、水、それから薄い林檎の甘い匂いだった。
バルトが鼻を鳴らしたとき、荷車は隠れ窪地の土の上へ立っていた。
◇
ティルダは、さっき曲げた膝のまま固まっていたが、やがてゆっくり顔を上げた。
高い岩壁と木々に囲まれた窪地では、畑の葉が夏の日を受けて濃く、一本の林檎の木には赤い実と青い実が同時についている。奥には岩肌へ口を開けた洞窟があり、その前ではベラが水桶を抱えていた。
木陰にはロアンが長い栗色の髪を首の後ろで束ねて座り込み、樽の口へ鼻を近づけている。ミラたちの姿に気づくと、ゆっくり立ち上がった。
レオンは荷車の縄へ手を掛け、「ここだ。酒も畑も、さっき話した仕事も、だいたいここで回してる」と言った。
言い方はいつも通りだったが、ミラには少しだけ声が違って聞こえた。ベルクで品物の値を説明するときより、短いのに迷いがない。
ベラが荷車を見て、それから双子へ目を移した。
「お帰り。樽はちゃんと五つ――って、その二人は職人かい?」
「ああ。今日は場所を見せるだけだ。まだ住むと決めたわけじゃない」
「なら先に水だね。ベルクから来たって言っても、移動した本人の身体は暑いままだろ。手も洗っておいで」
ベラは桶を地面へ置き、濃い琥珀色の目で二人の手を見た。ティルダの指には鉄粉、フレイの爪の脇には炭筆の黒が残っている。
「飯の前にその手でパン触ったら、私は怒るよ」
フレイが先に頷くと、ティルダは飯があることへ真っ先に反応した。
「あるよ。だけど飯の前に、まず手を洗ってきな」
洞窟の入口から重い足音がし、黄土色のずんぐりした身体に白い腹、左の角だけが欠けたキュウが姿を見せて、見知らぬ二人へ鼻先を向けた。
フレイの目が大きくなり、「姉ちゃん、本当に地竜がいる。あれ、地竜だよね?」と言った。
二人は地竜だと確かめ合ったあと、小さい、かわいいとほとんど同時に口にした。
ミラはキュウの横へ立ち、「キュウです。まだ幼竜です。最初は急に触らない方がいいです」と二人へ伝えた。
フレイはすぐに腰を落とし、手の甲を前へ出した。人間のミラが同じ姿勢になるより、キュウとの目線がずっと近い。
キュウは鼻先を寄せて匂いを嗅ぐと、次にフレイの工具袋へ鼻を向けた。
「そっちが気になるんだね。木の匂いでもするのかな」
ティルダも隣へしゃがみ、真鍮の耳輪へキュウの目が移ると、「これは食べるなよ。金属だし、食い物じゃない」と笑った。
「きゅう」
「今の、ちゃんと返事したように聞こえたぞ!」とティルダが大きく笑った。
ロアンが樽の布を戻しながら近づいてきて、「その反応なら、僕より早く仲良くなりそうだね。僕はロアンだよ。林檎酒の仕込みをやってる」と名乗った。
ティルダとフレイが同時に立ち上がり、「今、林檎酒の仕込みって言ったのか?」と食いついた。
「酒の話になると、そこだけは二人とも揃うんだね」
ロアンは笑ったが、すぐ棚の方へ行かなかった。
「飲ませるなら昨日動かした樽じゃなくて、今朝落ち着いてた方だな。見学客なら一杯くらいは出せると思うけど、レオン?」
「一杯だけならいい。だけど先に手を洗ってこい」
「ベラとまったく同じこと言ってるじゃん」
「正しいことだから、同じになるんだよ」とベラが言った。
◇
水場で手と顔を洗ってから二人が洞窟へ入ると、外の暑さが背中から抜けていった。
主洞には、帰り火の金色の火、食卓、保存棚、厨房へ続く石台、壁際の道具、皆が日々使って角の丸くなった椅子が並んでいる。岩肌のままの場所と、人の手で暮らしへ変えた場所が同じ空間にあった。
ティルダは入口で立ち止まって腕を擦り、「涼しい。これ、夏ずっとこの温度?」と尋ねた。
「外よりはだいぶ涼しいです。冬は寒すぎないです」とミラが答えた。
フレイは天井ではなく、食卓の脚を見ていた。人間用の椅子へ座ると足が少し浮くのを確かめ、すぐに立ち上がる。
「この椅子、私たちには高いね。座れないわけじゃないけど、長く作業するなら足台ほしい」
「作るなら、自分たちで使う分は相談してくれ。材料と置く場所を決めてからだ」とレオンが言った。
ロアンは陶杯を二つ出し、「はい。今朝見た方。温度も匂いも落ち着いてる。売り物と同じ仕込みだよ」と双子へ差し出した。
林檎酒が注がれると、ティルダは香りを嗅ぎ、一口飲んだところで目を丸くした。
「強いな。林檎なのに麦酒よりずっと来る」
フレイも杯を口へ運び、少しだけ舌の上で転がした。
「甘いけど、後ろがちゃんと酒。これ好き」
「それを五樽ずつ売ってる。次は量を増やしたい。だから圧搾機が要る」
レオンが荷車から運び込んだ空樽を顎で示した。
ティルダは杯と樽を交互に見て、「なるほど。これなら圧搾機に金を出すのも分かる」と頷いた。
「僕としては、腕で布袋を捻る日が減るなら歓迎だね」とロアンが言った。
ミラは首を傾げ、「ロアンさん、搾る日はよく発酵樽の方へ行っていますよね」と尋ねた。
「分担だよ、ミラ。発酵中の樽は待ってくれないからね。力仕事の手が足りないときは戻るけど」
ベラが厨房から顔を出し、「その代わり、樽の具合が悪い日は朝から張りついてるよ。昼寝する日もあるけどね」と口を挟んだ。
「そこは否定しない。今日は発酵が早い樽が一つあるから、夕方また様子を見なきゃならないよ」
フレイが小さく笑い、「樽の具合で、仕事の波がずいぶん変わるんだね」と言った。
「そういうこと。面白い仕事なら僕は意外と真面目なんだ」
ロアンは自分の杯には酒を注がず、水を飲むと、ティルダが笑った。
◇
林檎酒を一杯だけ飲んだあと、ティルダは中央の帰り火から目を離さなくなった。
薪箱も炭袋もなく、誰も燃料を足していないのに、金色の火は同じ高さで揺れている。
「これ、薪も炭もないけど、何を燃やしてるんだ?」
「何も入れていません。薪も炭もなくても消えませんし、灰は少し出るので畑へ混ぜています」
ティルダは炉前へしゃがみ、手を近づけて熱を測ってから、石組みの合わせ目を横から見た。
「これだけ熱があるなら、鍛冶にも使えるのか?」
「鍛冶には、まだ一度も試したことがありません」
ミラが答えると、ティルダはすぐレオンへ向いた。
「鍛冶に使えるか、一度試してみたいんだけど」
「今日は見学だ。まだ住むと決めてもいない」
「今日やるとは言ってない。住むなら仕事場を作るときに試したいんだ」
ティルダはそう言ったが、もう炉の周りへ視線を走らせている。
フレイも止めず、むしろ炉の脇にしゃがみ、床と石台の高さを見比べた。
「姉ちゃん、鍛冶で使うならここで槌振るのは無理だよ。人が通るし、火の粉も飛ぶ。別の場所に作って、熱だけ引けるか見ないと」
「それいいな。炉そのものを動かせないなら、横に作業炉を――」
レオンの声が落ちると、双子が同時に振り返った。
「今は見学だ。作る話は、住むと決めてからだ」
「私は寸法測ってないよ。姉ちゃんも槌出してないし」
フレイは少し考えてから、「でも、作業炉を別にする方が安全なのは本当だよ」と続けた。
「作業炉を分ける案は、こっちでも覚えておく」とレオンが言うと、フレイは満足したらしい。
ミラには、フレイは姉を止めているようで、話を一段先へ進めているようにも見えた。
◇
そのあとミラが洞窟の中を案内すると、水場、保存棚、洗い場、厨房、バルトの馬房と進むあいだ、二人は同じところを見ているようで目の向きが少し違った。
ティルダは金具を見つけるたび、爪で軽く叩いて音を聞く。フレイは棚板の裏へ回り、支え方や水の流れを覗き込んだ。
洗い場の棚で、ティルダが一枚の留め金を爪で軽く弾き、何か言いかけて後ろにいるレオンを見たものの、そのまま指を離した。
フレイは棚より水路へしゃがみ込み、流れていく水を目で追い、桶を洗う場所から排水口まで見てから立ち上がった。
「水はこっちへ逃がしてるんだね。圧搾機の汁受けを考えるなら、これも考えといた方がよさそう」
「考えるだけなら好きにしろ。今は直すな」
フレイは腰袋に手を掛けず、そのまま先へ進んだ。
洗い場の先には、林檎を搾るときに使っている道具がそのまま寄せてあり、厚刃のナイフ、木桶、果肉を潰す太い棒、染みの残る布袋、二枚の厚板、それから重石に使う平たい石が三つ並んでいた。
フレイが足を止め、「ここが今、林檎を搾っている場所なの?」と尋ねた。
「はい。ここで林檎を割って、桶で潰して、布袋へ入れます」
ミラは木桶の横へしゃがみ、「二人で布を捻って、それでも残った分を板に挟んで石を載せます。たくさん採れた日は、この辺りが全部濡れます」と説明した。
ティルダは厚板を持ち上げ、裏へ染みた果汁の跡を見た。
「重石を毎回載せ直すなら、そりゃ時間が掛かるな」
フレイは壁際から木桶までを歩き、今度は床の水路へ視線を落とした。
「置くならここかな。圧搾機の汁受けを水路へ向けるんじゃなくて、桶をこっちに置けば洗うときも邪魔にならない。回し棒は横に抜く形なら壁へ当たらないね」
「じゃあ、昨日の図面にした長さでもいける?」
「たぶん。でも作る前に一回だけ測る。見て決められるなら、図だけで縮めるより確実」
フレイは腰袋へ手を掛けたところで止まり、「今日はまだ仕事が始まってないから、測らないよ」と自分から言った。
言いながら、本人はきちんと我慢したつもりらしかった。
ティルダは厚板を元の場所へ戻し、「圧搾機できたら、これよりは絶対楽になる。そこは保証していい」と言った。
「保証するなら、実際に使うところまで面倒を見てくれ。作って置いて終わりじゃなく、最初の仕込みで問題が出たら直してくれ。その方が俺も金を払う意味がある」
フレイの灰青色の目が細くなり、「それならいい。そういう仕事の方が私は好き」と、今日いちばん早く答えた。
やがてティルダの足が主洞の奥へ向かい、「この奥は、何をしている場所なんだ?」と尋ねた。
「この奥は採掘場で、鉱石を掘っている場所です」
ティルダの足が速くなり、フレイもすぐその後を追った。
「姉ちゃん、待って。採掘場なら私も一緒に見る」
「採掘場は暗いので、灯りを持っていきます」
案内していたはずのミラが、二人を追う形になった。
◇
採掘場へ入ると、灯りの先で岩壁に青い筋が浮いた。
ティルダが急に止まり、フレイが背中へ軽くぶつかった。
「姉ちゃん、急に止まるなら先に言ってよ」
「フレイ、あの壁の青いところを見ろ」
ティルダの声から、さっきまでの笑いが消えていた。
岩壁へ近づいて床に落ちていた小さな欠片を拾うと、ティルダは掌の上で転がし、灯りへかざした。
「あれ、青魔鉄だ。壁からそのまま出てる」
フレイも隣へ来て、「これを、ここでそのまま掘り出してるの?」と尋ねた。
「はい。レオンさんがベルクへ持っていって売っています。今回も少し売りました」
「ベルクへは、鉱石のまま持っていくの?」
後ろから来たレオンが、今はそうしていると答えた。
ティルダは欠片を握り直し、「売るのが悪いわけじゃない。今すぐ金が要るなら鉱石で出すのも普通だ。でも、これを普通の金具にして使い潰すのも違う。刃や防具にするなら、純度と熱の入り方を見てからだ。青魔鉄だからって雑に鍛えて丈夫になるわけじゃない」と言った。
レオンはティルダの掌の欠片へ視線を落とした。
「武器にできるなら、鉱石で売るより価値は上がるか」
「上がる。けど値段より先に、使うやつが死なない物にする。変な癖が残るなら武器にしない方がいい」
ティルダが欠片を灯りの下で何度も返す横で、フレイは鉱石ではなく採掘場の足元を見ていた。
「掘る場所と運び出す道が近いね。ここから工房まで遠いと、重い鉱石は面倒だけど、洞窟の中に作業場を置けるなら運びやすい」
「まだ洞窟の中に作業場は作ってない」
「だから、作るなら。圧搾機もそうだけど、置き場所を見て作れるのはいい。作って渡して終わりだと、使い始めてからずれたところを直せないから」
ティルダもようやく欠片を戻し、「青魔鉄があって、燃料いらない火があって、まだ作る物がいっぱいあるんだろ?」と尋ねた。
「作ってほしい物なら、まだいっぱいあります」
ミラが答えるとティルダは大きく笑い、「それなら、ここは職人には天国みたいな場所じゃん」と続けた。
フレイは姉の顔を見てから、採掘場の壁をもう一度見た。
「姉ちゃんがこういう顔してるの、久しぶりかも。前の工房でも楽しそうだったけど、怒られる前までね」
◇
主洞へ戻るころには、ベラの鍋から豆と肉の匂いが広がっていた。
夕方の光が入口から斜めに入り、帰り火の金色と混ざっている。ロアンは食卓の端でリュートの弦を一本張り替え、指で軽く弾いて音を確かめていた。キュウはその足元で丸くなり、ときどき耳だけを動かす。
ベラは採掘場帰りの双子の手を見るなり、水場を顎で示した。赤褐色の髪は厨房の熱を避けるよう高めに束ね、鍋を持つ手首には古い火傷の跡が覗いている。
「鉱石まで触ってきたなら、もう一回洗ってきな。飯の前だよ」
二人は今度は言われる前に袖を上げ、水場へ向かった。
戻ると、ベラは豆と肉の煮込みをたっぷり盛った椀と、切ったパンを二人の前へ置いた。人間用の椅子では足が床へ届かず、フレイがさっき見つけた低い木箱を二つ引き寄せる。
「やっぱり足台はいるな。明日さっそく作ろう」
「明日、ちゃんと相談してから作ろうね」
フレイが言い直すと、ティルダは面倒そうな顔をしたが否定はしなかった。
「食べな。話は冷めてからでもできる」とベラに言われ、ティルダが匙を取った。
一口目を食べたあと、ティルダはうまいと言ってすぐ二口目へ行き、フレイは肉を一つ割って中まで熱が通っているのを見てから口へ入れた。
「それだけ早く二口目に行けば、言わなくても分かるよ」
ベラは嬉しそうにしながらも、自分の椀へ豆をよそった。
フレイはパンを煮込みへ浸し、「林檎酒のあとにこれ、かなり好き。塩が強すぎないし」と言った。
「酒の味が残ってるなら、そりゃ塩を強くしすぎない方がいい。暑い日だから水はちゃんと飲みな」
ベラが双子の杯へ酒ではなく水を足す横で、ロアンが弦を鳴らした。
「酒は夕食のあとでも逃げないよ。樽は僕が見張ってる」
「それ、自分があとで飲むために見張ってるんでしょ」とフレイが言った。
「それも仕事の動機としては優秀だと思うけどね」とロアンは悪びれずに笑った。
ティルダは三口目を飲み込んでから、炉と採掘場の方を交互に見た。
「……うん。ここは、かなりいい場所だな」
ティルダはすぐ次の言葉を足さず、熱い椀を両手で包んだまま、しばらく帰り火を見ていた。
レオンはそこで初めて帳面を開き、「なら、試用について残ってる条件を話す」と言った。
ティルダが匙を置くと、レオンは「試用中に問題があれば、こちらから続けないこともある。二人の側も、やってみて合わないと思えば出ていい」と続けた。
「その条件なら決めた。ここで一月やる」とティルダが言った。
レオンの口が止まると、フレイが「姉ちゃん、早い。私は最後まで聞いてから決めようと思ってたの」と言った。
「……うん。私もここで一月やりたい。それでもここがいいなら続けたい」
レオンは帳面へ二人の返事を書き留め、「なら、親方には次にベルクへ出るとき俺から話す。二人の残りの荷と、向こうの給金の精算もそのときだ。今日ここで勝手に終わったことにはしない」と続けた。
ミラが二人の顔を見比べると、同じ赤銅色の髪とよく似た輪郭でも、ティルダが先に身体を動かす瞬間と、フレイが納得できる形を探して目を細める瞬間は、もう別々に見えた。
「ただ、今はまだお二人の部屋がありません。この後です」とミラが言うと、ティルダは洞窟の奥を見た。
「寝られるなら十分だよ。床も平らだし」
「毛布と藁敷きは買ってある。食堂の脇なら一晩は寝られる」とレオンが言った。
ベラは空いた椀を見て、「住むって決めたなら、おかわりするかい?」と尋ねた。
ティルダは今日一番と言っていい速さで、空いた椀をベラへ差し出した。
「私もおかわりする。それと、パンを一つください」
「自分で取りな。棚の下から二段目だよ」
ティルダが立ち上がり、上の棚を開けかける。
「姉ちゃん、そっちは鍋の棚。パンはこっちだよ」とフレイが迷わず隣を指した。
「初めて来たのに、もう置き場所が分かるんですか?」とミラが聞くと、フレイは得意そうに笑った。
「さっき見学したから。置き場所は一回見ればだいたい覚えるよ」
ティルダがパン籠を持って戻ってくると、「じゃあ、明日作る足台の場所も忘れないな」とフレイへ言った。
「場所だけじゃなくて高さも見る。姉ちゃんが勝手に作ると、たぶん高すぎるから」
「姉ちゃんの高さだったら、私にも丁度いいはずなんだけどね」
ティルダとフレイは、もう二人で明日の話をしていた。
ミラは棚から匙を二本取り、空いていた場所へ並べると、その食卓には見慣れない椀が二つ増えていた。
飯あり、寝床あり、仕事あり。そして酒もあり。
双子の新しい職場は、どうやら洞窟になりそうです。
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