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帰り火の洞窟 ~役立たずと追放された少女、拾った洞窟を仲間たちの帰る場所にします~  作者: Rastarock
帰り火の洞窟

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15/85

旅商人は一人雇って二人連れ帰ります

 荷物を対象に《帰還》を使ってから、丸七日が過ぎた。


 夕方、レオンは採掘場で槌を振った。


 青い筋の走る岩へ打ち下ろすと、甲高い音が返り、拳ほどの鉱石が足元へ転がる。もう一度、少し角度を変えて振る。左肩は素直に上がり、角狼に噛まれた古傷の周りにも、盗賊との戦いのあとに戻っていた引きつりはなかった。


 選別用の籠を抱えたミラが、すぐ横まで来た。短い赤毛の先が歩くたびに揺れ、大きな桃色の目が左肩から肘、手首へと順に移る。


「昨日よりずっと自然です。槌を振ったあとも顔が変わっていません。これなら私も大丈夫だと思います。ただ、道に出てから痛くなったら、我慢せず休んでくださいね」


「分かってる。帰り道が短くなるかもしれんからって、行きで肩を潰したら意味がない」


「そこまで言えるなら、本当に大丈夫そうですね。昨日までは、レオンさんの『もう平気だ』を半分くらいしか信じていませんでした」


「本人の申告が半値か。怪我をしてないときくらいは満額で頼む」


「怪我をしているときだけです。普段はちゃんと信じています」


 ミラが小さく笑った。


 足元では、キュウが青魔鉄の小さな欠片を前脚で転がしている。黄土色の爪先で押し、転がった先へ回り込んで、また押す。


「キュウ、それは売り物だ。遊ぶなら別の石にしろ」


「きゅう」


 鼻先で欠片を止めたキュウは、名残惜しそうに長い尻尾を一度振った。


 この一週間、レオンは肩を休めながら、無理のない範囲で採掘を手伝っていた。ミラが《欠け見》で選り分けた高品位の青魔鉄は、前回とほぼ同じ二袋にまとまっている。重いが、バルトの背を埋めるほどではない。前回はこの二袋のほかに、途中で狩った角狼の素材まで積んでベルクへ入れた。


 レオンは槌を壁際へ戻し、二袋の口を締め直した。


「前と同じ二袋だ。買い取りも銀貨十一枚でいいか」


「はい。前に決めた値段でお願いします」


 銀貨十一枚を受け取ったミラは、一度自分の革袋へ収め、それから三枚を取り出して板の上へ戻した。


「これは、洞窟で使う分として持っていってください。前に一か月分を買ってもらったときより多いですけど、今回は食べ物も生活用品も、少し余裕を持たせたいです」


「三枚なら、前と同じ使い方をしても一か月じゃ使い切らんぞ。残りは次へ回す。それでいいな」


「はい。毎回きれいに使う必要はないです。何に使ったかだけ、レオンさんの帳面へ残してもらえますか」


「共同で食う物まで一人分ずつ割る気はないが、洞窟の金を何に使ったかは分けて付ける。俺の旅糧、宿代、商売道具は俺の勘定だ」


「お願いします。キュウのお肉は洞窟の方ですよね。最近、前より食べるようになりました」


 名前を聞いたキュウが、さっきより素早く顔を上げた。


「そこだけ聞き分けがよすぎるだろ」


「きゅう」


「返事までしました」


「都合のいい言葉だけ覚えるのは、人も竜も同じらしいな」


 共同費の銀貨三枚を別の革袋へ入れる。主食と保存の利く肉、灯りや布を優先し、余裕があれば香辛料も少し買う。荷車を買うなら、それは自分の商売道具なので共同費からは出さない。


 《帰還》へ意識を向けると、昨日まであった閉じた感覚は消えていた。


「こっちも戻ってる。明日の朝に出る。南橋がまだ駄目ならベルクまで五日。向こうで一日使って、ベルク近くから《帰還》が届けば六日目には戻れる」


「届かなければ、帰りも五日ですね。長くて十一日なら、そのつもりで待っています」


「俺も十一日かかる前提で旅糧を持つ。使えると分かる前から帰りの食料を減らすほど、この技能を信用してない」


 ミラは二袋の鉱石を見てから、少し笑った。


「六日目に帰ってきたら、夕食を五日分考えなくて済んだことになりますね」


「俺は五日歩かずに済む方を得だと思うが」


「私は食事を考える方で数えます」


「そういう数え方もあるか。待つ方には待つ方の勘定があるんだな」


 キュウがまた青魔鉄へ前脚を伸ばしたので、ミラは袋ごと少し遠ざけた。


     ◇


 翌朝、レオンは青魔鉄二袋と旅道具をバルトへ積んだ。


 ミラは腹帯を確かめたあと、最後に旅糧の袋を一度押した。


「十一日分、ありますね」


「数え直したのか」


「帰ってくる日を数えるので、出ていく日の荷物も気になります」


「足りてる。今度は怪我も増やさず帰るよ」


「そこまで含めてお願いします」


 洞窟を出ると、キュウが坂の途中までついてきた。呼び戻すと一度だけ不満そうに鳴き、ミラの横へ戻る。


 レオンは手を上げ、バルトを街道の方へ向けた。


 南橋は、まだ復旧していなかった。


 川岸には新しい橋材が積まれ、人足が橋脚の周りを動いている。徒歩なら一人ずつ通せても、荷馬や荷車を渡せる状態ではない。レオンは橋番へ聞くまでもなく、前回と同じ東回りの道を選んだ。


 《帰還》を得ても、往路まで短くなるわけではない。


 宿場ではバルトへ飼葉を与え、荷の左右を締め直した。三日目に雨が降れば油布を掛け、泥の深い区間では自分も降りて歩く。帰りに五日分の道を消せる可能性が増えただけで、行きの五日は今まで通りだった。


 五日目の夕方、ベルクの城壁が見えた。


 西門へ近づくと、前に角狼の素材を積んで入ったときの衛兵がレオンへ気づいた。人混みでも頭ひとつ抜ける長身と、白い長鬣の鹿毛の組み合わせは覚えやすいらしい。


「今日は静かな荷だな。前みたいに途中で狼を六頭も拾ってこなくて助かったよ」


「俺も助かった。あれを毎回やってたら、素材を売る前に治療代で赤字になる」


「橋はまだ見た通りだ。修理は進んでるが、荷車まで通すにはもう少しかかる。帰りも東へ回るなら、暗くなる前に宿を取れよ」


「明日には用を終える。その後は、そのとき考える」


 衛兵は妙な返事だという顔をしたが、旅商人が予定を濁すこと自体は珍しくない。通行札を返し、次の馬へ手を上げた。


     ◇


 翌朝、レオンは青魔鉄を行商人組合の裏秤場へ運んだ。


 最初に声をかけたのは、前回の競りで最後に銀貨二十八枚を出した年配の買付人だった。次も売る前に一度は見せる、という条件で前回の取引を終えている。


 男は二袋を見るなり笑った。


「本当に最初に持ってきたな。お前のことだから、約束の『見せる』だけ済ませて、すぐ三軒並べると思ってた」


「値が合わなければそうする。前と条件が変わってないなら、今日は呼び集める時間を省きたい」


「最初から最後まで商売の話しかないな。まあいい、見せろ」


 鑑定人が袋からいくつか抜き、割った断面と混入物を確かめる。前回と大きな差はなく、選別も揃っていた。


 買付人は結果を見て、袋の重さを手で確かめる。


「質も量も前と同じくらいだな。南橋はまだ止まってるし、鉱材の入りも戻ってない。二袋で銀貨二十八。鑑定料と秤場代はこっち持ち。前と同じ条件でどうだ」


「それなら売る。今日は競らせない」


「やけに素直だな」


「同じ品に同じ条件で同じ値を出した相手から、もう一枚むしるために半日使う方が損だ。橋が直ったあとも同じ値だとは思ってない」


 男は鼻で笑った。


「安心させるのか脅すのか、どっちかにしてくれ。次もこの選別なら、持ってきた人間にはいい仕事だと伝えておけ」


「それは伝える。選別したのは俺じゃないからな」


 銀貨二十八枚を受け取り、レオンは空になった鉱石袋を畳んだ。


 前回と同じ額だった。条件が変わらないなら、それでいい。今日は青魔鉄から一枚でも多く取ることより、買う物を揃え、《帰還》をベルク近くから使えるか確かめる方が価値がある。


     ◇


 荷車屋では、小型の二輪荷車を選んだ。


 大きすぎれば狭い道で扱いにくく、小さすぎれば積める量が増えない。レオンが車軸の歪みと鉄輪の減りを見ているあいだ、店主はバルトの脚を眺めていた。


「普段は鞍荷だろ。その馬、車を引いたことはあるのか? 慣れてないなら最初は空で歩かせた方がいいぞ」


「昔、二輪車を使ってた時期がある。長い街道じゃ鞍荷の方が都合がよくてやめただけだ。こいつも覚えてる」


 胸当てと轅を出すと、バルトは嫌がらずに二輪車の前へ入り、自分から一歩下がって位置を合わせた。


 店主が感心したように口笛を吹く。


「俺の若い弟子より話が早いな。置いていかないか」


「弟子の方を鍛えろ。馬を雇うより安い」


 奥から「聞こえてますよ」と声が飛び、店主は笑いながら鉄輪をもう一度叩いた。


 荷車を買うと、レオンは食料と生活用品の買い付けへ回った。


 日持ちする主食と肉を中心に、豆、根菜、塩、灯り、布を積む。料理の匂いを変えられそうな香辛料も少量ずつ選んだ。キュウ用には塩気が強すぎず、仮に五日歩いて戻ることになっても傷みにくい肉を別包みにしてもらう。


 肉屋の主人は包みを大きくしながら、何度かレオンを見た。


「ずいぶん食う犬だな。これだけあれば、普通の猟犬ならしばらく持つぞ」


「大型なんだ。確かにずいぶん食う」


「山犬でも飼ってるのか?」


「似たようなものだ。腹を空かせるとうるさい」


「その量を食うやつなら、うるさいで済めばいいな」


「今のところは済んでる」


 共同費で買った分を帳面へ付ける。


 荷車にはまだ余裕があった。ただし、それを《帰還》が使える前提で埋めることはしない。このままバルトに引かせて五日戻ることになっても、無理のない重さに収めておく。


 昼を過ぎたころ、予定していた買い付けはほぼ終わった。


 残ったのは、自分の腹だった。


     ◇


 レオンが入ったのは、西門から少し離れた宿兼酒場だった。


 裏庭へバルトと荷車を預けて店へ入ると、料理より先に焦げた木の匂いがした。厨房の梁の一部が黒くなり、店主が濡れ布を手に、赤褐色の髪の女と言い争っている。


「だから、肉を焼くたび店まで焼かれちゃ困るんだよ! 今日は梁、昨日は竈の横板だ。次はどこを焦がす気だ!」


「焦がす気でやってるわけじゃないよ。火が弱いと表面が締まる前に汁が出るんだ。あたしだって建物まで焼きたいわけじゃない。でも、火を弱めて肉まで駄目にしたら、それはそれで客に出せないだろ」


「その言い分を聞くのも三回目だ!」


 女は背が高く、肩や腕に働く者らしい厚みがあった。後ろで束ねた赤褐色の髪はところどころ跳ね、濃い琥珀色の目が店主をまっすぐ見ている。鼻のあたりには薄いそばかすがあり、腕まくりした手首から先には、古い火傷の跡がいくつも残っていた。


 その騒ぎの少し外で、小ぶりのリュートを爪弾く音がした。


 窓際に座る男は、背中の半ばまである栗色の髪を革紐で緩く束ねている。青緑の目と整った顔立ちは物語絵の王子を思わせるのに、旅塵のついた服と片肘を卓へ置いた座り方が、その印象をきれいに崩していた。


「ただいま厨房では、料理人が肉を守り、店主が建物を守っています。どちらも生活には必要なので、客席の皆さんは勝敗を決めずにお待ちください」


「ロアン、あんたは口を挟む前に昨日の酒代をなんとかしな!」


「僕は今、演奏で店の空気を守っているところだよ。酒代とは担当が違う」


「同じ財布から出ていくんだよ!」


 近くの荷運び人たちが笑った。ロアンと呼ばれた男は、その笑いが一度広がったところで弦を軽く鳴らし、喧嘩の調子を壊さない程度の明るい曲へ移った。怒鳴り声の合間へ音を差し込む加減だけは、酔客の戯れより手慣れている。


 レオンは空いている卓へ座り、店主がこちらを見るのを待った。


「騒ぎの途中で悪いが、昼飯はまだ出せるか。匂いを嗅いでから別の店を探すのも面倒だ」


「出せる。火術さえ使わなきゃな。ベラ、お前も腹を立ててないで、最後に一皿くらいまともに作ってから出ていけ」


「最後って決めるのは勝手だけど、料理は作るよ。客に八つ当たりするほど子どもじゃない」


 ベラと呼ばれた女は、濡れた梁を一度見上げてから厨房へ戻った。


「食べるなら少し待ってな。山羊肉があるけど、今日のは硬い。急いで焼くだけじゃ美味しくならないからね」


「待つ。うまくなるなら半刻くらいは構わん」


「そういう客は助かるよ。腹が減ったって何度も厨房を覗きに来る人間より料理しやすい」


「覗いたところで煮えるのは早くならん」


「それを分かってない客が案外いるんだよ」


 ベラは一瞬だけ笑い、それから包丁を取った。


 火術は使わなかった。


 硬い部位は筋に沿って薄く、脂の多いところは大きめに切り分ける。湿った薪は細く割って内側の乾いたところを使い、鍋を火へ掛けてからも置き場所を何度か変えた。派手な炎はないのに、包丁も木匙も止まらない。鍋縁へ浮いた灰汁をすくうたび、焦げた梁へ一度だけ視線を上げる。


 途中、ロアンの弦が同じ四つの音を繰り返し始めた。


 ベラは蕪を刻みながら、三度目の繰り返しで顔だけを客席へ向ける。


「その曲、やめな。今日は聞いてると妙に腹が立つ」


「昨日は包丁の速さに合うって言っていただろう。料理人の気分で拍子の好みまで変わるなら、次から先に聞くよ」


「昨日と今日は違うんだよ。今日はあんたにも腹が立ってる」


「なるほど。では、僕に腹が立っていない日にまた弾こう」


「次があると思ってるところから話が合ってないね」


 ロアンは言い返さず、別の曲へ移った。少し離れた卓の老人がその旋律を知っていたらしく、鼻歌を重ねる。ロアンはそれに気づくと、老人が歌いやすいよう音を一段下げた。


 半刻ほどして、レオンの前へ山羊肉と豆を煮た皿が置かれた。黒パンは薄く切って焼き直してあり、煮汁をつけても崩れにくい。


 レオンはまず肉を食べた。硬さは残っているが、筋は歯に引っかからない。脂の匂いも強すぎず、豆と一緒に食べると塩気がちょうどいい。


「うまいな。硬い肉だと聞いたから構えてたが、これなら同じ値段でも次にまた頼む」


 ベラは空になった木匙を布で拭きながら答えた。


「肉が硬いのは料理人のせいじゃないけど、硬いまま出すかどうかは料理人のせいだからね。あんた、食べ方を見ても旅が長そうだ。温かいものを食べられるときに食べる癖がある」


「冷えたものを食う日が多いだけだ。料理人なら、ほかにも働き口はあるだろ。火で揉めるたびに店を変える方が面倒じゃないのか」


 ベラの手が少し止まった。


「あるよ。火を使えるなら鍛冶場でも護衛でも声はかかる。でも、あたしは鍋の前にいたいんだ。腹を空かせた人間が座って、食べ終わる頃に少し機嫌がよくなる方が性に合ってる。ただ、木の厨房だと火を使うたび、料理より周りを心配される」


 離れた卓を拭いていた店主が、「実際に梁が焦げてるからな」と口を挟んだ。


「それは見れば分かる。だから聞いてる」


 レオンは残った煮汁をパンで拭った。


「俺は料理人を探しにベルクへ来たわけじゃない。ただ、お前の困り方なら、今より面倒が少ない場所を一つ知ってる」


 ベラは眉を寄せた。


「店かい? 見たところ、あんたは料理人を雇う店主には見えないけど」


「店じゃない。山の中にある小さな拠点だ。料理に使える場所は石造りで、水もすぐ近くにある。少なくとも、火を使うたび木の梁を見上げる必要はない」


「ずいぶん都合のいい場所だね。そこで料理人を探してるの?」


「探してはいなかった。今日ここで食うまではな」


 ベラはしばらくレオンを見た。


「それで、あたしにそこへ来いって?」


「七日だけ試してみないか。食事と寝床は出す。給金は一日銅貨八十。合わなければ七日で終わりだ。ただし、俺が決められるのはそこまでだ。俺一人の家じゃない。住み続ける話になったら、向こうにいる人間とも話して、ベラ自身が続けたいかも含めて改めて決める」


 ベラの目が少し細くなった。


「雇う側が『俺だけじゃ決められない』って言うのは珍しいね」


「七日の客として連れていく話なら、俺の責任で決められる。住み続ける話まで俺一人で決めるのは違う」


「場所も名前も聞かずに、山の中へ付いていけってのは無茶じゃないかい」


「そう思うのが普通だ。場所は商売に関わるから、来ると決める前に詳しくは話せない。その代わり、俺の身元は確認していい」


 レオンは冒険者証と行商許可証を卓へ置いた。


「C級冒険者で、ベルクにも出入りしてる旅商人だ。番号も控えて構わん。店主にも見せておく。俺と一緒に出たことを誰も知らない状態にはしない」


 ベラは二枚を取り、番号と有効期限まで確かめたあと、店主へ渡した。


「悪いけど、あんたも見ておいてくれる? あたしが誰とベルクを出たのか、分かるように残しておいてほしい」


「それくらいならやる。こいつがまともな旅商人なら、俺も梁を焼かれずに済むしな」


「最後の一言はいらないよ」


 店主は証を見て番号を帳面の隅へ写した。


 レオンも店主へ目を向ける。


「こっちも一つ確認したい。ベラがここへ来てから、料理と火以外で揉めたことはあるか」


「ロアンが連れてきた。客の金に手を出したとか、酔って暴れたとか、そういう話はない。料理の腕も見た通りだ。揉めてるのは最初から最後まで火だけだよ」


「最後の一言は余計だけど、まあ、その通りだね。あたしだけ一方的に身元を聞くよりは公平だ」


 料理がうまいだけで、秘密の場所へ知らない人間を連れていく気はなかった。店主の返答と、さっきまでの仕事ぶりには少なくとも矛盾がない。


 ベラはそれを確認してから、レオンへ向き直った。


「もう一つ。七日で嫌になったら、ちゃんと外へ出られるんだね?」


「出られる。ただ、扉を開ければベルクという場所じゃない。七日で終わるなら俺がベルクまで送る。帰りに日数がかかるところまで含めて、こっちの都合で給金から削る気もない」


「分かった。それなら七日だけ行く。石の厨房が本当に使えるなら、その先はそこで考える。あと、食材を安い順にしか買わない商人だったら、一日目から文句を言うからね」


「帳面に理由を書ける文句なら聞く。高い方がうまい、だけなら却下する」


「それなら話はできそうだね」


 話がまとまりかけたところで、窓際の弦が止まった。


「では、僕も荷物をまとめた方がよさそうだ。ここへ来るときもベラと一緒だったし、次の場所まで同行するのが自然だと思う」


 レオンは初めてロアンへ正面から顔を向けた。


「雇う話をしたのはベラだけだ。お前まで増えると、食い扶持も寝床も一人分増える」


「僕は荷物が少ないし、寝床も雨が落ちなければかなり融通が利くよ。食事については、あまり量を食べない日もある」


「飲んだ日はね」


 ベラがロアンの外套の襟を後ろから掴んだ。


「こいつは連れていく。あたしに銀貨三枚と銅貨四十枚の借金がある。ここへ置いていったら、次に戻ったときには別の町で飲んでる」


「それは逃げたのではなく、仕事を探しに移動した可能性も考えてほしいな」


「仕事を探す途中で、どうして借金が増えるんだい」


「人と話すには酒場が一番なんだ。酒場で何も頼まず長居するのは店にも悪いだろう?」


「その理屈で何杯も飲む必要はないよ!」


 ロアンは困ったように笑ったが、否定はしなかった。


 店主が帳面を持って近づいてくる。


「こいつ、うちにも昨日の宿代と酒代が残ってるぞ。楽器を置いていくなら、その分は待ってやってもいい」


 ロアンの手が反射的にリュートを抱え込んだ。


「それは困る。僕の荷物の中で、なくなったら一番困るものなんだ」


「なら払え。今すぐ払えないなら、誰かに借りろ」


 レオンは店主の帳面を見た。


「いくら残ってる」


「銀貨一枚まではいかん。宿代より酒代の方が多い」


「俺が立て替える。ロアン、お前の借金として帳面に残す。ただし、雇うのはベラだけだ。七日一緒に来るなら飯と寝床は出すが、仕事も給金も約束しない。手が空いて、何かやる気になったらそのとき相談する」


 ロアンは少し意外そうに目を瞬いた。


「それでいいのかい? 僕は歌と演奏なら喜んでやるけど、朝から晩まで働く生活にはあまり向いていないよ」


「向いてないものを、七日で直せとは言わん。ベラがお前を置いていくと金が戻らんと言ってる。それで一緒に来る理由としては足りる。借金は借金として残すが、返し方は着いてから考えろ」


「なるほど。働き口を与えられたというより、債権ごと運ばれる感じだね」


「自覚があるなら話が早い」


 ベラが鼻で笑った。


「こいつに勤勉さを期待して話を長くするよりは、たしかに早いね」


「僕としては、その結論に少し反論したい」


「返してから言いな」


 ロアンは肩をすくめ、リュートの弦を一本鳴らした。


「では、まず楽器を守ったことを今日の成果にしておくよ」


     ◇


 二人を連れていくことが決まったので、レオンは買い物を少しやり直した。


 《帰還》が使えなければ、ここから五日を一緒に歩く。旅糧を二人分増やし、洞窟へ着いた夜から石床へ直接寝かせずに済むよう、簡単な寝具も二組買った。食器も足りなくなるので丈夫なものをいくつか追加する。


 これはミラから預かった共同費ではなく、今回はレオン自身の勘定にした。ベラを誘い、ロアンまで客として連れていくと決めたのは自分だ。七日間の追加費用まで洞窟へ押しつける理由はない。


 ベラは荷車の中を覗き込み、香辛料の小包に気づくと歩みを止めた。


「この小さい包み、全部香辛料かい? 中を見てもいい?」


「今ほどくと積み直しになる。着いてからにしろ。俺じゃ使い分けまで分からんから、店の主人に肉や豆へ合わせやすいものを選ばせた」


「それなら安心した。商人が何でも自分で分かると思ってないのは悪くないね」


「料理人を連れていくことになったなら、着いてから使い方を聞けばいい」


「七日で出ていくかもしれないよ」


「それでも七日はいる。七日あれば、こっちも一つくらい覚えられるだろ」


 ベラは少しだけ口元を緩めた。


 ロアンの荷物は、着替えと毛布、それにリュートでほとんど終わった。


「お前、本当にこれだけか」


「持って歩くものは少ない方が楽だからね。酒は飲んでしまえば荷物にならないし」


 ベラが無言で睨む。


「今のは一般論だよ。今日から借金が増えた人間としては、もう少し慎重に暮らすつもりだ」


「その慎重さが明日まで残ってたらいいんだがね」


     ◇


 西門を出てから、レオンはしばらく街道を進んだ。


 途中でバルトへ水を飲ませながら二度立ち止まり、そのたび後ろから同じ歩調でついてくる者がいないことを確かめる。往来が疎らになったところで脇の林道へ入り、街道から姿が見えなくなるまで進んだ。


 レオンはそこで荷車を止めた。


 ベラが周囲を見回す。


「ここから山道へ入るんじゃないのかい?」


「入る可能性はある。その前に、帰り方について話しておくことがある」


「場所の次は帰り方まで秘密かい。聞くよ」


 ロアンもリュートの紐を肩へ掛け直し、さっきまでより少し真面目な顔でこちらを見た。


「《帰還》という技能を持ってる。俺自身が帰る場所へ戻る技能だ。動物と荷は一緒に連れて戻れるところまで確かめてる。ベルクの近くからでも届けば、ここから先の五日を歩かずに済む」


 ベラは黙った。


 数呼吸遅れて眉間に皺が寄る。


「待ちな。それは、あんたが場所を言えないって言ってた拠点へ、いきなり飛ぶってことかい?」


「そうなる。だから使う前に話してる。嫌なら使わない。このまま普通に五日歩く」


「普通に歩くなら道を覚えられる。そっちの技能を使ったら、あたしたちは帰り道も分からない場所へ行くことになるね」


「その通りだが、七日で辞めるならベルクまで送るという条件は変えん。道を知らない状態が嫌なら、今日は五日歩いて連れていく。どちらを選んでも給金も待遇も同じだ」


 ベラの目が鋭くなったが、すぐには答えなかった。


「……店主に身元を残したのは、このためでもあったんだね」


「そこまで先に決めてたわけじゃない。知らない男について山へ入るなら、どんな移動方法でも身元くらい残すべきだと思っただけだ」


 ロアンが片手を上げた。


「僕からも一つ。人に使って大丈夫な保証はあるのかい?」


「ない。今まで確認したのは動物と荷物までだ。人間は今日が初めてになる」


 ベラが額へ手を当てた。


「説明を聞くたび初めてが増えるね。試すだけなら、今まで誰かに頼めたんじゃないの?」


「性能を知りたいだけで、人を実験台にする気はなかった。今回は、お前ら自身が洞窟へ移動する必要がある。そのうえで未確認だと知って、使うか歩くかを自分で選べる。そこは別だ」


 ベラはしばらくレオンを見たあと、わずかに顎を引いた。


「そこまで分けて考えてるなら、少し安心したよ。で、失敗したらどうなる?」


「条件が合わなかったときは、前の試験では発動そのものができなかった。使えなければ歩く。発動できたのに途中で何かだけ消えたことはない。ただ、人間でも同じだと証明したわけじゃない。安全だとは言い切れん」


 ロアンは少し考えたあと、リュートを背中へ回した。


「僕は使ってみたい。五日歩いて着く場所へ一瞬で行けるなら、その方が面白いし、話としても強い。ただし、僕だけ着いて楽器が残るのは困るから、これは本人の一部くらい大事に扱ってほしいな」


「本人と一緒に指定する。楽器だけ置いていくつもりはない」


「では僕は賛成」


 ベラはロアンを見た。


「決めるのが早いね」


「五日歩いたら、その間に君から借金の話を五日分されるだろう? 一瞬ならその分が短い」


「着いたあと一か月分するよ」


「それじゃあ計算が合わないな」


 ベラは呆れたように息を吐いたあと、レオンへ向き直った。


「いいよ。使ってみな。あんたの身元は残してあるし、嫌なら歩く選択を残したまま話してくれた。それなら、あたしが選ぶ。ひとつだけ、包丁も向こうへ持っていっておくれ。料理場へ行って包丁だけベルクじゃ話にならない」


「荷車の積み荷ごと指定する。二人とも、俺から十歩より外へ出ないでくれ」


 レオンは自分、バルト、二輪荷車と積み荷、ベラ、ロアンを意識の中で一つずつ確かめた。


 《帰還》へ触れる。


 閉じた感覚はない。ベルクから離れたこの場所でも、二人の人間と実物の荷車を含めても発動へ進める。


「通る。今から使う。動かないでくれ」


 橙色の光がレオンの足元から広がった。


 バルトの脚を包み、車輪と荷台をなぞり、ベラとロアンの足元へ届く。ベラは反射的に荷車の縁を握り、ロアンは声も出さずに目を見開いた。


 林の匂いが途切れた。


     ◇


 次に足裏へ触れたのは、洞窟前の窪地の土だった。


 バルトが大きく鼻を鳴らし、荷車の鉄輪がわずかに軋む。積み荷は崩れず、ベラもロアンも同じ窪地に立っていた。


 レオンはまず人数と荷を確認した。ベラとロアン、バルト、二輪荷車までそろっており、荷台の寝具も食料袋も香辛料も、そのまま載っている。


 ベラは周囲の岩壁を見回し、最後に自分の腕をつねった。


「……五日分、本当に消えたね。こういうのは、先に聞くだけじゃ信じなかったかもしれない」


「僕は信じる前に歌にしたくなったよ。ただ、最初の一節で嘘つき扱いされそうなのが困るね」


「歌う前に自分の荷物を見な。楽器も来てる」


 ロアンは背中へ手を回し、リュートの胴を確かめて安心したように笑った。


 洞窟の入口から足音が聞こえた。


 ミラが外へ出てくる。まずレオンとバルトを見て、その小柄な身体が一度止まった。桃色の目が荷車へ移り、そこから見知らぬ二人へ動く。


「レオンさん、お帰りなさい。今日は六日目ですから、ベルクの近くからでも《帰還》が届いたんですね。それと……お客様が二人増えています」


「ただいま。向こうからでも使えた。急で悪い。こっちはベラ。俺の責任で七日だけ料理を試してもらう。七日のあとも続けるかは、ベラ本人と、ミラも含めてここで改めて決めたい」


 ミラはベラを見て頷いた。


「分かりました。七日間のお客様ですね」


「そっちはロアン。ベラに借金があるから一緒に来た。雇ってはいない。飯と寝床だけ七日分、俺の勘定で出す」


「紹介の順番に、僕だけ少し悪意がないかな」


 ロアンが言うと、ベラはすぐ横で首を振った。


「一番大事なところから説明してるだけだよ。あたしはベラ。急に来ることになったけど、七日間よろしく」


 ミラは少し考えてから頭を下げた。


「ミラです。レオンさんにはお帰りなさいですけど、お二人は初めてなので、いらっしゃいませですね。寝る場所は、今から一緒に考えましょう」


「僕、初めてなのに『お帰りなさい』と言われたら、少しだけ嬉しい気もするけどね」


「それは、帰ってきたときに言います。今日はまだ、いらっしゃいませです」


 ロアンは一瞬だけ黙り、それから青緑の目を細めた。


「なるほど。では、その言葉は取っておこう」


 そのとき、洞窟の奥から「きゅう」と鳴き声がした。


 黄土色の丸い身体が入口から現れる。白い腹を揺らして歩く幼竜の頭には二本の角があり、左の角だけ先が欠けている。長い尻尾をゆっくり振り、見知らぬ二人の手前で一度止まった。


 ベラの顔から表情が消えた。


「……待ちな。何だい、あれ」


「キュウだ」


「名前を聞いてるんじゃないよ!」


 ロアンは目を輝かせ、反射的に一歩出かけたところで自分から止まった。


「地竜の子どもに見えるね。僕は絵でしか見たことがないけど、たぶん間違ってない」


「そうだ。向こうから近づくまでは触るな」


「了解。知らない相手へ最初の一曲を押しつける趣味はないよ」


 ミラがキュウの横へしゃがむ。


「キュウです。人を襲ったことはありません。でも、初めての人にはキュウも少し警戒するので、向こうから近づくまで待ってください」


 ベラはレオンを振り返った。


「あんた、山の拠点の説明でこれを一言も言わなかったね」


「ベルクで地竜の話をする気はない。珍しいものがいると知られるだけで、場所を探す理由になる。着いたら説明するつもりだった」


「秘密にする理由は分かるけどね。厨房の客に地竜が来るかもしれないなら、あたしには十分関係あるよ」


「そこは今から決める。勝手に鍋へ顔を突っ込ませる気はない」


「レオンさん、その言い方だと、前に突っ込んだことがあるみたいです」


 ミラが言う。


「未遂だ。止めた」


「きゅう」


「本人は異議があるみたいだね」


 ロアンが小さく笑った。


 キュウの鼻先が二人ではなく、荷車の方へ動いた。肉の包みを載せたあたりを見ている。


「きゅう」


「お前の分はある。だが荷ほどきが先だ」


 キュウはレオンを見上げ、それから肉の包みの横へ座り込んだ。


 ベラはその様子をしばらく見てから、張っていた肩を少し下げた。


「……人より先に肉の方を見るなら、今のところは安心していいのかね」


「食べ物の匂いにはかなり敏感です。でも、駄目と言えば止まります。たぶん」


 ミラの最後の一言に、ロアンがリュートを背中へ押し上げた。


「その『たぶん』を聞いたら、僕は楽器を高いところへ置きたくなったよ」


「それは賛成だ。まず荷を下ろす。話は飯を食いながらにしよう」


 レオンが荷車へ手を掛けると、ミラも反対側へ回った。


 ベラは袖をまくり直し、荷台の食料袋を一つ持ち上げる。


「料理人を七日雇ったんだろ。初日の仕事は、ここからでいいかい?」


「助かる。厨房を見る前に、まず食材を運んでくれ」


「それなら話が早いね」


 ロアンは三人が荷を持ち始めたのを見て、自分のリュートをいったん高い岩棚へ置いた。それから一番軽そうな寝具の束へ手を伸ばす。


「僕は雇われていないので、これは自主的な善行として記録してほしいな」


「一回で借金が減るとは思うなよ」


「記録だけでいいよ。評価は積み重ねるものだからね」


 誰も返事をしなかったが、ロアンは気にせず寝具を抱えた。


 バルトは轅につながれたまま鼻を鳴らし、肉の包みの横ではキュウが座り込んでいる。その前で、四人は荷車の中身を洞窟へ運び始めた。

料理人を一人雇ったら、借金つきの吟遊詩人まで増えました。

洞窟の食卓は、これからもう少し賑やかになります。

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