94.4章-第10話 ”ドリームランド(偽) #3/5”
甘く爛れた空気に、新たな濃密な昏い気配が降臨する。
けぶる魔毒を制し、空間が塗り替わる。
「あら。お可愛らしくなってしまわれて。せっかくお誘いしても、乗ってきてくださらなかったのに。こういう倒錯的で猟奇的に嬲られるのがご趣味だったのですか?」
妖艶な声が耳に届く。
薄褐色の肌をほとんど露出した踊り子のような衣装。黒いフェイスベールに透ける艶やかな赤い唇。
先ほどまで喉をかきむしるように喘いでいた私の身体が、その声に反応し、びくりと震える。
魔薬に侵された意識が、その声の主を認識し、混乱と安堵が入り混じる。
「レイラ……さん……なん、で?」
「あら、つれないですわ。せっかく喚んで(よんで)くださったのではありませんか」
赤い舌が、長く伸びる。元天使の私の身体にまたがり、胸を揉みしだき、頬をなめ上げる。
魔薬とは異なる、甘い、香と汗の混じった匂いが迫る。
しかし、その接触は、先ほどまでの猟犬たちに貪られる痛みとはまったく異なる。ただ、ただ、得も言われぬ悦びの感覚が、汚された身体に満ちる。
「よもや、そちらにも手を出していたか」
先ほどまでの享楽の狂騒をただ愉悦を浮かべ、ネクロノミコンのページをまくりながら、観るともなく眺めていたクロウリード王が声を発する。
「すべての可能性に手を出しますわ? 私、キンベン、ですもの?」
これまで一緒に行動してきた時とは打って変わって、人を食ったような、おどけた調子でケラケラと、クロウリード王に返すレイラさん。
その顔は、私が知る少し引っ込み思案が見え隠れする、優しい笑顔とは似ても似つかない。
「今更、我の邪魔だてをするつもりでは、あるまいな?」
「安心して頂戴、私のためにこの子をもらっていくだけよ。こ~んなに、情熱的に私を求めてくれたのだもの。人形の少女は、関係ないのでしょう?」
「作り物の魂に興味はない」
「なら、問題ないわね。取引は続いているわ。貴方に素敵な破滅を♡」
2人の間の空間がきしむ音を聞いた気がする。
レイラさんの真意を図りかね、私はただ、怯えたように、そのやり取りを見つめることしかできない。
「うふふ、な~んにも分かっていない、可愛い子。いいわ~教えてあげる。私もね、邪神ナイアルラトテプの無数の顔の一つ。この宇宙という夢の主、万物の支配者、邪神アザトースの使者。そこの王様、クロウリードちゃんに、お願いされて手助けしてあげているのも私。そして貴女を助けてあげるのも私。その代わり貴女は今から私のお願いを叶えに行ってもらうの。ね、対等な取引でしょう?」
「な……にを。レイラさんは、地上に」
「あらぁ。警戒していたと思ったら、信じちゃってたの? 可愛い。ええ、ええ、レイラも私、私達の一部もレイラ。勘違いしないでね? ”レイラ”はその身体も、偽りの魂も、一つの個として成立している、実在の存在。ただ、この邪神ナイアルラトテプの一側面、貌の一つでもあるというだけで。さあさあ、ここは私が、この子レイラが、お相手してあげる。だから貴女は、救われるの♡ そして、あの白痴の夢を見る邪神、アザトースへの道を開いてきてちょうだい。このレイラを身代わりに!」
そう言ったきり、急激に悍ましい神威が消えさる、レイラさん。
きょとんとしたように、にぎにぎと、私の胸をもむ手を確かめ。
「あ……あら? 私なにを……ナオさん!? わ、私ったら本当に、何を!?」
「レイラさん?」
「え。ええ。ここは……ひっ」
あたりに群がる黒い狗。
邪神の気配が消えるとともに再びあたりに満ちてきた、魔薬の強烈な甘い香り、脳髄を犯す快楽。
レイラさんの身体が跳ねる。一瞬で蕩ける瞳。
しかし私への影響は、薄膜に隔てられた世界の出来事のように届かない。
「「レイラさん!? しっかり」」
触れようとした手がすり抜ける。私の上から引きずり降ろされた美女。
長い黒髪が振り乱される。
「いひゃぁ、いh……あぁぅん」
悦楽と、絶望の悲鳴を上げる美女。
先ほどの私の繰り返しのように、嬲られ、侵され、犯され尽くす。
その無残な光景に、伸ばせど伸ばせど、すり抜ける手。
黒い狗たちを追い払おうと振るう武器もすり抜け。
嬲られる中、魔力すらも吸い尽くされたこの2つの身体は、魔術の発動すらできず。
【リスポーン地点の上書きが解除されました】
「まあ、良い。十分に愉しんだであろう? 贄であった王女はいただく。後は好きにせよ。もはや貴様に用はない」
「「ふざけるな」」
快楽と苦痛の喘ぎを上げ、貪り食われ、命が流れ出すレイラさんの姿が。
群がる悍ましき黒い狗達。邪神の気配が消え、ただの女性となった彼女。
まさに今先ほどまでの私の姿を、再現される、レイラさん。
傲然と佇む、クロウリード王の嘲笑が。
薄れて行く、かすんで行く。視界が歪み。
どこかへと、私は再び転送された。
私の代わりに、永劫の淫獄に、暴虐の地獄に、薄褐色の肌の美女を生贄として残して……。
邪神ナイアルラトテプが作り出した存在だと、今は知っている。けれど、あの反応は……自我は、邪神が語った通り、彼女固有のものだったのではないのか……あくまで一人の個として邪神とは独立した……ただのヒトとしての。
そんな考えが、私の心を切り裂く。
ここがどこか、わからない。
いろいろな器具が置かれた部屋。蛍光色に発光する液体で満たされたフラスコや、薬剤を詰め込んだタンク。
どこか近未来的な部屋。
けれど、今はそれどころではなく。
たまらず嘔吐する。
先ほどまでの凌辱の渦。そして何より、レイラさんを身代わりにして、逃がされたというその事実。
冒涜的な記憶に、白と黒、両方の身体で、ただ……嘔吐を繰り返した。
喉が焼け付くように熱い。胃液しか出てこないのに、それでも吐き出すことを止められない。
「何度目でしょうね、もう嫌だと思ったのは」
「いい加減、心が折れてもおかしくないですよね」
「何なら私達で慰め合います?」
「やめましょう、意識も記憶も一つ、空しい自慰行為にしかなりませんよ」
自問自答を2つの身体で繰り返し、何とか心を落ち着けようとする。
「ゲームなのにリアルすぎるんですよ。戦闘NGとか設定する人がそりゃ増えますよね」
「痛すぎ、苦しすぎ、きもすぎ、ついでにいやらしすぎ」
「そこはルナリス絡みの邪神系シナリオのせいな気もしますが」
「こうしている場合じゃないですね」
「ルナリスを助けなきゃ」
「紗雪を、早く探さないと」
まだ、あのモンスターの群れだけであれば、ルナリスは当面大丈夫だろう……。だが、クロウリード王が明らかに狙っている。
私が救出された今、あの怪物がどう動くか、不安しかない。
舐められているのか、場所は月だとは教えられた。
ナイアルラトテプが、人形少女と、紗雪について口にした。
何かの狙いに私達を利用しようとしている。
邪神アザトゥース。クトゥルフ神話において、邪神ナイアルラトテプを生み出した最高位の邪神の一柱。
「「動きましょう」」
1秒だって本来は惜しい。とにかく彼女たちを救出する、それだけを考えるよう頭を無理やり切り替える。
魔力残量ごくわずか。
生命力は8割以上。欠損も”今は”無し。
顕現体/裏は、血姫繚乱のデメリット効果でHPの回復が6時間は不可能。リスポーンして間もない状態で転送されたのが不幸中の幸い。
封印体たる”不朽の束縛”側の魔力は満タンなので、顕現時間の限界をすぐに気にする必要はなし。
しかし、顕現体を消すことができず、ルナリスの元に戻れない事は変わらず。
「で。ここは何でしょうかね」
「ナイアルラトテプが送り込んだ場所、だとは思いますが。少なくともここに飛ばしたのは、クロウリード王ではないですよね」
初めの部屋を出ると、湾曲した長い通路に出ました。金属的な質感の通路。
継ぎ目一つなく、近未来的。
扉はスライド式で、SF作品に出てくる宇宙船の内部のようなイメージ。
自動ドアになっているそれらはほとんどが閉ざされたままですが、いくつか開いた中を覗き込むと、いづれも研究室のよう。
切り刻まれたさまざまな生物、モンスターの死骸の一部。
頭にケーブルを差し込まれた、モンスターと融合されたような姿の人型達。
変わったところでは、大量の楽器が置かれた部屋もありました。
進むうち
「聞き間違いではないですよね」
「こちらの身体でも聞こえますね」
遠く響いてくる、笛や太鼓の音。
その音は、まるで狂気を呼び起こすような、不協和音。
通路の終わりに設けられた、スライド式の扉が開くと、その音はさらにはっきりと、この空間から聞こえていたことが分かりました。
ぼんやりと青白く光る壁に包まれたドーム状の広い空間。
壁際には無数の人形が飾られ、それぞれが手にしたフルートやドラムを、ひたすら奏でています。
そして部屋の奥、反対側には
「「紗雪!!」」
ええ。淡いライトグレーのウェーブロングヘア。さらに両脇には緩やかなツーテールで飾られた、ゴシックドレス姿の少女人形。
しかしその翡翠の瞳は閉ざされ、体中には血管のようなケーブルが大量に接続されているではありませんか。
呼びかけに、反応するそぶりもなく、血の気を失ったその姿はまるで、精巧に作られた人形その物のよう。
「彼女に何をしているの!」
いつからいたのか。確かに視界に収めていたはずなのに気が付かなかった。
紗雪の隣には漆黒のカソックを着た黒い男が立っていました。
肌の色が黒い、という事ではありません。闇を押し固めたように、全てが真闇の黒でできているのです。
この偽物のドリームランドへ入る前、扉の前で言葉を交わした、精強な体つきの神父らしき姿の男。
「よくぞ来られました。歓迎しますよ」
「貴方が、ナイアルラトテプ?」
「私”も“、ナイアルラトテプですね」
「状況が飲み込めないのですが?」
手を顎に当て、考え込む仕草をする、彼。ナイアルラトテプを名乗る、依り代? 分身?
「よろしい。ご説明しましょう。無知蒙昧なるヒトには確かに必要なのでしたね」
癇に障る言い回しは努めて無視し、沈黙をもって続きを促します。
「世界を作りたもうたは創造神。あらゆる可能性を内包した、マナに満ち、マナを生み出すこの世界。その世界創造の核の一つ、宇宙の原初、混沌の核その物に重ね合わされたのが、我ら旧支配者の偉大なる一柱。邪神アザトース。ああ、悲しきかな、無知蒙昧なるかな、愚かなその邪神は、万物の王ではあるが、盲目にして白痴の神」
語りに酔いしれるように、両手を広げ、朗々と語る漆黒の男。
やおら自らを指し示し、
「何も成せぬかの混沌の神は、3つの存在を生み出した。その一柱がこの私、邪神ナイアルラトテプ。旧支配者たる邪神の方々に仕えるとともに、かの邪神アザトースの代行者。あまねくその意思を具現化すべく、千の化身を有し、いかなる場所、時にも現われいずる、這い寄る混沌」
長い語りにしかし、黙って今はとにかく我慢して聞き、思考する。
紗雪の様子に変化はない。
「静聴、傾聴、実に素晴らしい。ご褒美に続きを、“騙って”、差し上げましょう。この少女人形に宿るは偽物の魂。されどこの魂はかの創造神が自ら、生み出したもの」
ナビゲートAIとしての紗雪の事ですね。確かに、ナビAI達は運営が直接用意したもの。ゲーム的な解釈では創造神が生み出した。で、なんらか違いないでしょう。
「ヒト曰く、この世界は邪神アザトースが見る夢の世界である。かの邪神目覚める時、世界は滅ぶ。ナンセンス。かの白痴の神は今も、呪われた、太鼓と笛の音に無聊を慰め、起きています」
「ヒト曰く、邪神アザトースと邪神ヨグ=ソトースは旧神に反旗を翻したるものどもの旗頭であったと。ナンセンス。かの神らとの間に支配関係などありはせぬ」
「ヒト曰く、邪神アザトース、その一部たりとて顕現する時、残るは破壊のみ。しかり……しかり!しかり!!故にこそ。見たくはありませんか? 魅せられたくはありませんか? あの盲目にして白痴の神が、万物の王が、愚かな混沌の邪神が、顕現したその先を! 確認したくはありませんか!?」
自身を生み出した邪神アザトースへの敬意など一欠けらもないとばかりに、こき下ろし、嘲笑い、語る漆黒の男。否、邪神ナイアルラトテプ。
そして彼の言葉が、この世界、Steps to Elysium Onlineにおける、設定なのでしょうね。
「つまり、邪神アザトースの顕現があなたの目的?」
「いえ? あくまで私の”騙り”でありますれば?」
ことごとく神経を逆なでするような物言いに、イラっと仕掛けるのを抑え。
「それと紗雪の状態がどう関係するの。関係ないなら開放して、今すぐ」
そこでさも今思い出したといわんばかりに、無数の管に囚われた紗雪に振り替える黒い男。
「この少女人形の偽物の魂が、創造神由来である。それは語りましたね。さらにこれは、現在この世界に光と闇が入り交じり、混沌の属性を身に宿している。光と闇に分化して存在しているあなたとは逆。一つの身体に、貴女から受け継いだ光と闇が混ぜ合わされ、混沌となっている」
黒白2色の羽根とヘイロー。それは私のキャラクターメイクで種族確定したときの変化。親密度が高いナビゲートAIに現れる変化の証。
そして実際、ゲーム内で、最上級 古代魔導人形の身体に宿った彼女はスキル”☆7 属性:混沌 (光闇由来)“を持っていた。
それらの事を言っているのだと、理解できます。
「このお人形を通じて、創造神の領域へアクセスできないか、実験してみたのですよ」
ゲーム内のキャラクターとは思えない言動が唐突に始まる。
「ハッキングというのですか? 部分的には成功しました。残念ながら創造神へはどうあってもたどり着けなかった。しかし、ああ、しかし、この哀れな人形の魂の座には届きうるのです。この人形少女の魂を凌辱し、汚辱し、嬲り尽くすことはできたのですよ! 作り物のはずの魂があげる叫びのなんと甘美な事か!! ナオさん、ナオさん! とすすり泣き、壊れていく少女人形の魂! あぁ……あぁぁ! たまらぬ甘美!!」
漆黒の男の輪郭がぼやける、3つの縦に裂けた真っ赤な目が、頭部に現れる。
彼の言葉が、刃となって私の心を切り裂く。紗雪が、私の知らない場所で、そんな苦痛を。
「この腐れ外道…………っ!!」
怒りよりも先に、胸を締め付けられるような、絶望が私を襲う。
沸騰する2つの身体の頭。目の前が真っ暗になるほどの怒り。
「あぁ……しかし、やがて、作り物の魂は絶望に沈み、鳴き声を上げなくなってしまいました。つまらない。実につまらない。そこで考えました。邪神アザトースの求める音楽を、この創造神が作り出した魂で奏で、そしてそこに混沌と絶望が満ちていたならば? 無限無窮の宇宙の最奥。沸騰し、湧き立つ原始の混沌。それらの中心。あらゆる次元から切り離され、時間を超越した無明の座に隔離されたかの邪神アザトースが、この地へ現界する。その、呼び水たるに十分なのではないか!? さあ、ナオさん、貴方が。この哀れな人形少女が敬愛してやまない、愛してやまない、凌辱され尽くした姿を誰よりも見てほしくない、貴女が! 引導を渡して差し上げなさいな?」
ひときわ邪悪な笑みに、漆黒の影の口元を歪め、赤く濡れ光る長い舌を垂れ流し、悍ましい混沌の気配を振りまき。
邪神ナイアルラトテプが。
嗤った。
閉ざされていた、紗雪の目が開く。
美しい翡翠の瞳はしかし、闇の漆黒に染まり。視線は茫として、定まらない。




