87.4章-第3話 ”リチェスタの異変 #2/3”
「確かに、湖ですね」
「です、なの」
「ですが……川も……何もつながっていま……せん」
2時間弱で戻ってきた子達の報告にあった関心を引く場所は2か所。
一つはもちろん神殿。どうも神殿内に入った人々は次々、試練ダンジョンの物としか思えない大きな扉に手を触れ、消えて行っているとの事。出てくる人たちも確認できたそう。しかしその出てきた人たちは広場まで出ると、列の最後尾に並びなおすかのように、また神殿へと向かう群衆の後ろについたそうです。
そしてもう1か所が、この湖。緑に濁った、ぱっと見では、藻が繁茂しているのかという色ですが、近づいてみれば水そのものが緑色をしていることが分かります。夕日も沈み、魔法の光に照らされる水面の上には、薄緑色の靄が霧のようにかかっているありさま。
「でも。鑑定、毒探知、どちらでもただの水としか出ないのですよね?」
「はい、なの」
「はい……」
ここが、調べるべき魔薬兵器の製造所か貯蔵池なのでは? と、少し町の様子を見てくると言って馬車に残してきたレイラさん以外、皆でここに来たわけですが、外れなのでしょうか。あからさまに、薄気味悪いですが。
「霊視に……は、微かに反応……が。魔力か何か……の力が籠められた……水です」
「一応サンプルを採取して、アメティスタに調べてもらいましょう」
と早速紗雪が取り出したポーション瓶に次々、水と漂う靄を採集。少女人形の一人に預けてくれます。
「戻る前に一応、水の中に光を投げ込んでみますね」
2人の反対がないことを確認し、新しく生み出した光輝魔術の球を接触発動のため手に持った適当な石に灯し。水の中に投げ込み、沈めていきます。
よほど濁りが強いのか、ほんの1メートルほど沈んだかというあたりから光がほとんど見えなくなってしまいます。
光が見えなくなった後も、何も変化はありませんね。それこそ、化け物が飛び出してくるとか、水の下への扉が開くとか、期待しないわけでもなかったのですが。
「となると、後は神殿の中ですが……」
「試練ダンジョンと思しき扉に触れて何が起こるのか、ですね」
「ええ。出てきている住民がいる。とのことですが、あの異様な有様ですからね……」
最悪、顕現解除できる私が一人で見に行きたいところですが、ルナリスとの愛の絆でもある”狂愛の楔”はそれを許してくれません。
「もう少し……調べてもらって……夜、人がいなくなっても、何も……見つからなければ」
「そうですね、さすがに夜通し神殿に群がり続けてはいないでしょうし……いないですよね」
「では、他に怪しい場所がないか調べてこさせます、なの」
「皆ありがとう。頼みますね」
結局他に怪しい場所は見当たらず、夜も深まり始めた頃。
「住民は帰り始めています、なの」
「では、行きましょうか。レイラさんはここに残っていてくださいね、何かあるといけませんので」
「承知しましたわ。私の占いに、良くない予兆が出ております。”棘”と”針”。何か鋭利で、尖った物に災いありと。お気を付けくださいまし」
「尖った? なるほど? ありがとうございます」
そういえば彼女は占い師でしたね。それもまた一種の魔術なのでしょうか。未来予知とかのスキルにつながるのですかね。
依然として、放っておけばこちらを見る様子もない住民の群れ。今度は帰路についているからですが、道が全てふさがれてしまっていることには変わりなく。屋根よりも高く空を飛んで神殿へと向かいます。
「屋根に彫刻……されていたはずの……創世聖教の十字架……が、削りとられ……。いえ、なくなって……います」
辺境伯領領都の試練の間や、彫刻の町の2つの初級試練ダンジョン。どちらの神殿でも、屋根部分正面中央には、十字架が刻印されていました。が、近づいて魔法の光で照らしてみれば確かに、十字架があるべき部分は平らな、白い石の表面を晒しているだけ。削り取られたというよりも、まるで初めからなかったか、わざわざ、石材そのものを入れ替えたか。いえ、それにしては雨露による汚れの感じに違和感もありませんね。
「そういえば、創世聖教の教会。建物自体、見当たらないような? この国であっても、試練ダンジョンの傍に建てられるのが常のはずです。打ち壊されたにしても、そんな痕跡もありませんし」
紗雪に言われて広場周辺を見回しますが、確かに。教会はもちろん、不自然な空き地も、見当たりません。
「政変の……前までは、創世教会、と普通に交流……が、ありましたので……やはり、おかしい……です」
この村だけが特殊、と考えるには不自然すぎますよね。こうして神殿もありますし、何よりレイラさんが試練ダンジョンを知らないという事が引っ掛かります。
「狐にでも化かされている気分ですが、とりあえず中に入りましょう」
神殿内部はこれまでの試練ダンジョンで見てきたものと変わりありませんでした。やはり十字架の装飾が消え失せていることを除けば。
住民がすっかりいなくなった空間は、不気味な静寂に包まれています。
「扉に触れてみますか」
「何日か、様子を見る手もありますが」
「事態は着々と進んでいるでしょうからね……この街以外にも、調査対象はたくさんありますし」
一応二人にはドレスの袖に手を触れ、接触した状態になってもらいます。気休めにすぎませんが、ほら、物語にある転移の罠とかで、触れあっていないと、ばらばらに飛ばされるとかあるじゃないですか。
そうして扉に触れた瞬間。これまで幾度も見てきた試練ダンジョンへの入場アナウンスは無く、視界がいきなり切れ変わる。
そこは、お屋敷の玄関ホールでした。
「おや、初めて見るお客人だね」
「あら、初めて見るお客様だわ」
目の前に立つ金髪碧眼の男女。ルナリスや紗雪、そして私自身も含め、美人には多少見慣れた……と言いながらレイラさんのまた別ベクトルの妖艶さに惑わされそうな危うさはありますが……と思っていた私が、思わず目を離せなくなる美貌。
この世の、人という種に許されうる、理想の美という概念の極致をそのまま形にしました。と、いわんばかりの、魂の奥底が納得してしまう、美。
ふと、両脇を見れば、ルナリスと紗雪すら、目を奪われているではありませんか……。そんな2人の様子に心の奥に、黒い感情がうぞり、と、蠢き。
金縛りのような状態が解けました。
「ここはどこなのでしょう」
「おや、おかしなことを言うね」
「ここは、求める方に、ただ奉仕する館」
「あなた達に、最高のおもてなしを受けてもらうための場所だよ。さあ、おいでよ」
先ほどの、魅力に充てられたような状態であれば危うかったかもしれませんね。差し出された美貌の男性の手に、吸い寄せられかける2人の手をぎゅっと握り。
「お手は結構です」
きっぱりと言ってさしあげます。
握った手の感触に、我に返ったか、2人も自分たちの行動に驚くように身を引くと、私の翼の陰に隠れてしまいました。
「ナオ……様……申し訳……ございません。わたくし……なぜ……なぜ……」
「わ、私まで、な……な、なんで……ナオさん、ナオさん、違、違うんです」
あ、滅茶苦茶動揺していますね。
「大丈夫ですよ。私も危ういところでしたから。でも、2人のおかげで戻れたのですからね。どうせ魅了魔術か何かでしょう」
小刻みに震える二人を背中越しに感じ、神翼種となってふかふか感の増した白い翼で優しく包んで慰めます。
ああ、もう、2人とも涙までこぼれっているじゃないですか。
ちょっとこいつ許せませんね。私の2人を泣かせるとか。
「ミネルイ兄様」
美女の方が軽く咎めるような口調で、王子服のような煌びやかな正装の男性。兄なのですね、へと言葉を投げかけます。
「美しいお嬢様がた、大変申し訳ありませんでした。私はお暇するとしましょう」
爽やかな笑みを浮かべ、すっと、引き下がる男性。そのまま一礼すると、2階へ続く階段へと去っていきました。
「よもやご不快な思いをさせてしまうとは、申し訳ございません。さあ、よろしければどうぞ、こちらへ。饗宴の準備は整っておりますわ」
ひらひらと裾を揺らめかせ、エメラルドグリーンのドレスをまとった美女が先導します。
状況を探るためにもついて行くべきですか……。
そうして案内されたのは、ダイニングホール……ではなく……。
「……え? 寝室?」
それは立派な、キングサイズの倍はあろうかという、巨大な、天蓋付きベッドがデンと中央に置かれたシックなお部屋でした。
空気にはかすかに香の匂いがしますが、あの忌まわしい王城地下のような、魔薬。というわけではないようで、ただ、ほんのりと気分が柔らかくなるような、優しい匂いがするだけです。
「皆様は互いに強く結ばれているご様子。ここに奉仕を求めてこられる皆様とは異なるようです……私でご満足いただけるのか……」
しゃらり……優しい衣擦れの音と共に毛足の長い黒い絨毯へと落とされる美女のドレス。
まさかの下着一つ身に着けていない裸身が、揺らめくランプの灯りの元にさらけ出される。
ゆらゆら、ゆらゆらと、真っ白な雪のような肌の上で揺れるオレンジの光。
ルナリスに勝るとも劣らぬ、すべやかな肌。
肉付きの薄い、ほっそりとした手足は、もしも紗雪が成長したら……と、想像を掻き立てる。
紅もささぬ、されど妖艶に濡れる唇は、歓喜に振るえるルナリスの……。
な、なぜ、なぜ私はこの女性と彼女たちを対比して。ただ理想の美の化身と見えていたこの女性が、急に、愛する2人の似姿を取り始めたように感じて……。
「良いのですよ、私を求めて。ご奉仕、させてくださいまし。すべての理想がここでは叶います。さあ、みんなで、愉しみましょう?」
あれ、私は、なぜ紗雪のドレスを脱がせようと。
ルナリスは私の背中が大きく開いた、蜘蛛神様のドレスの肩に手を。
ああ、でも、彼女たちとの睦み合いなら、彼女たちと愛し合うなら、いいのよね。
あれ、でも目の前にいるこの女性は? だぁれ……? すごくきれい、綺麗ってこういう事なのね……。
思考が、だんだんぼやけて、鈍く、単純になってきて。
転身 顕現体/裏 神翼種-闇
暗黒よ、心を犯す、甘い毒を侵せ、捕らえ、停滞させよ
属性-暗黒
神代魔法適正とともに
開花したはずの、”領域”や”魔法”は結局どうすればどうなるのか全く分からないものの、咄嗟の干渉の魔術はもはや魂にしみ込んだ反射。私達をむしばむ魔力の動きに、干渉のデバフで介入。
頭がクリアになる。ルナリスは、しっかりと前に向き直って。紗雪も……まだ少しぼうっとしている感じがありますが、動きは止まっていますね。
「やはり貴女は、すでに満ち足りているのね。ごめんなさい、求めてくださる子にしか、私は与えられないの。でも、その少女は? 求めても、いえ、求める事もできずに、悶々としているの?」
紗雪に手を差し伸べる女性。
ふら、ふら、と、吸い寄せられるように半歩。前へと足が出かけて。
「ナオさん、ナオ……ちが……違う。私、求めてなんて! 満たされていないだなんて……違うの……!!」
おびえたように、身を縮こませる紗雪。
「やめていただけます?」
ギュッと彼女を抱きしめ、女性。町の住民が呼んでいたもう一つの名前、ミネルネが彼女なのでしょう。
「わた、し……ち、ちが、違うんです、ナオさんだけなのに、ナオさんしか、なのに。なんで、あの人がナオさんに見えて……」
ああ、もう。フルフルと震えて涙まで浮かべているじゃないですか。
「大丈夫、大丈夫ですからね。ほら、ぎゅーって」
お顔をこちらに向け、胸の中に埋めてしまいます。心臓の音が聞こえるくらい、ぎゅっと。
ようやく落ち着いてきた彼女ですが、くたっと体の力が抜けて。
意識が落ちていますね。
お胸で窒息したとかではないですからね? 心に大きな負荷がかかったのでしょうね。まったく……とんでもない事を……。
いえ、これ。責任は私かな……うん、そうですよね、私の責任ですよ。ついルナリスを優先してしまっていた事は自覚しています。なし崩しにルナリスの後押しもあり、夜の交歓を幾夜も交わしてしまっていましたが。曖昧なままの関係性が紗雪の心に負担をかけていたのでしょうか。
たまにメイド服を着て、「ご奉仕です♡」 なんて言ってくれますが、どことなく、メイドと主という関係性を忌避するように。ドレス姿で、ルナリスと共に私の傍にいる事にこだわりを見せている事には気が付いています。
「そう。足りずとも、それでも求めるものは決めているのね。お幸せにね……と言ってあげたいのだけれど、ごめんなさい……私ももはや、生み出された当初とは変質してしまっているの。させられてしまったの。数多の人々への奉仕を求められて……」
悲しそうに、寂しそうに、涙すら目の端に浮かべて言う絶世の美女。
その言葉と共に。
部屋の壁から、床から、天上から、あたり一面に緑の触手が生える。
先端に鋭く太い、棘の生えた触手。
「レイラさんの占いはこれですか……!」
占いと言っても、このファンタジーのゲーム内ではやはり魔術の一種なのでしょうかね。と、今はそれどころではないです。
ミネルネは身動き一つせずただ、こちらを見つめています。
意識のない紗雪を抱いた私の代わりに、ルナリスが刀を抜き、迫る触手を舞いに乗せて切り払います。が、焼け石に水。
切り払われる傍から即座に再生するばかりか、切り落とされた棘のある先端がそのまま床を這い、まるでナメクジか何かのように、ズルリ、ズルリ、と這い寄ってきます。
「逃げましょう」
「はい」
転身 顕現体/表 神翼種-光
氷炎で部屋ごと封じることも考えましたが、どう見ても本体ですらない触手の群れ相手に、あまり意味がないでしょう。
そんな事で、すぐに補給してもらえるとは言っても自身の保有魔力を枯渇させ、隙を晒すのは決して得策ではないでしょう。
案の定寝室の外の通路も、とげを生やした緑の触手が出現し始めています。
「覆い尽くされる前に、飛び抜けます」
飛行速度は元天使状態から進化した私が圧倒的に上ですからね。紗雪を右腕に抱きしめなおし、左腕でルナリスを抱き上げ、飛翔。
ただ、ただ、逃走のための全速を。




