125.5章-第19話 ”灯篭流し”
ぼんやりとした影のような人々が、川辺に集っている。
各々の手には、ほのかな光を灯した灯篭。
夜空に瞬く星々の輝きの元、温かな灯りがあたりを満たしている。
「プライベートモードがあって良かったですね」
「鎮魂イベントとはいえゲーム内ですからね。羽目を外す方もいるでしょう」
今日は長かった第1回大規模イベントの最終日。アレイスター王国での事変の真っ最中は間に合わないかとも思った灯篭流し、その当日。
プライベートモードを設定すると、あたりの人の姿は影絵のようになり、声も聞こえなくなるという機能がこの灯篭流しでは選択可能になっていました。
数少ない親身になってくれた方達を失ったルナリスにとっては、死者を悼む、本来の意味での灯篭流し。ゲーム感覚でのお祭り騒ぎは避けたかったですからね。
それに私や紗雪にしても、住民が完全には至っていないとはいえ魂を持つ身と知ったのです。NPC、プログラムという感覚で、ないがしろにする気持ちは元々なかったとはいえ、一王国の全住民が邪神の生贄に捧げられた事に想うところがないわけがありません。
両隣の二人の手にも灯篭が。それぞれには一文づつ言葉が書かれている。
本来であれば、特にルナリスは思い出の品を中に込めたいところだったのですが、アレイスター王国は王城ごと滅してしまっており。遺品に当たるものも回収できなかったのですよね……。
「ルナリス、もう少しで、灯篭を流す時間になります。私は貴女を逃がす前にごく短い時間しか、彼らと接する機会がありませんでした。少し、思い出を聞かせてもらっても良いですか?」
言われ、こくりとうなづく銀の姫。
つらい思い出ばかりなことは、共有された記憶の中で知ってはいます。ですが、あの忠臣達もアルフレドさんを除けば、その中ではあくまで、わずかに垣間見えただけ。彼女達とルナリスの日常を知る事はかないませんでした。
「メイドのベリーヌと……マリーナは、一歩引いたように……見せながら、こっそりとぐいぐい来る子達……でした」
「ぐいぐい?」
「頼んでいない……甘いお菓子……や、いろいろな本を……。それも、彼女たちの……趣味が反映……された本を、持って」
「おや……それは、王子の押し付けかと思っていましたが」
ふるふる、と首を振る銀の姫。
「王子の……とは違う……女性同士の、愛情の……ご本でした。男性なんて碌なものではない……と、おやつを持って来てくれるたびに……。いつかわたくし……に、真に愛する女性……が、できた時。王女として学んでいる……事ではいけない……と。女性同士についてを」
「あ、そこは実際に彼女達だったのですね」
偏った知識は王子のせいと、性魔術やそういった方面の教育のたまものかと思っていましたが、それもあるにせよ、なるほど彼女たちの影響も大きかったと。
「メイルとメイリーの兄妹は……陰から私を守る、護衛……でした。元は諜報員として……教育されていましたが……任務で失敗。いえ、過剰な対応を……し。貴族家をいくつか……殲滅した事で処理……されそうなところをアルフレド……が、拾い上げ」
「記憶の中で声だけ聞こえていた方達ですね」
「はい。王子達が来るたびに……大変な荒れよう……で。アルフレドが抑えるのに……苦心して……いました」
それだけ、ルナリスが愛されていたという事ですね。
語りながら、ルナリスは、記憶を辿りはじめていました。
灯篭の淡い光が、彼女の虹色に仄かに輝く蒼銀の瞳に揺れている。まるで、過去の出来事を映し出す万華鏡のよう。
灯りを見詰めながら、彼女は、かつて籠の鳥、いない事にされている王女として過ごした日々を思い返しているのでしょう。 それは、周囲の男達から向けられる歪んだ欲望に晒され続ける、窒息しそうな毎日。
いつ、贄姫としての務めを果たす事になるかと、諦観を共とする毎日。
しかし、その苦しい日々の中、彼女をそっと支えてくれた人たちは確かにいたのですね。
「メイルと……メイリーは……いつも……私を見守って……くれていました」
ルナリスの言葉は、まるで霧のようにかすれていました。
彼らの存在は、アレイスター王国の記録上からも抹消されていた。
幼い頃から、彼女は塔に幽閉された身。やって来るのは穢れた欲望を向ける父王と、同じく汚らわしい想いをぶつける王子達。贄姫としての責務が唯一彼らへの歯止めとなる中、警戒と恐怖と共に、生きてきた。
しかし、メイルとメイリーの気配は、温かく、護る者がいるのだと教えてくれた。
彼らは、ルナリスにすら、決して姿を見せることはなかった。ただ、声だけの存在。
それでも、彼女が窓から庭を眺めていると、遠くの茂みが微かに揺れ、彼女が地下のダンジョンでの訓練を行うようになると、離れた陰から微かな、安心させるようわざと漏らされる気配がしていた。
「気配を……操るのが、とても上手くて……」
彼女が、言葉を詰まらせます。
それは、彼女がまだ幼い頃の記憶。
ある夜、悪夢にうなされて目を覚ましたルナリスは、耐えきれずにバルコニーへと飛び出した。
冷たい夜風が、火照った体を冷やしていく。
その時、彼女は高い塔の屋根の方から、微かな、しかしはっきりとした声を聴いた。
『姫様……』
『……泣かないで……』
それは、姉妹の声。たった2人の専属メイドも気が付かないわずかな気配の動きに、彼らは、彼女が泣いていることに気づき、慰めの言葉をかけてくれたのです。
「その声を聞いた時……私は、一人ではないのだと……改めて、そう思えました」
彼女は、手の中の灯篭に指を添わせ、その表面をそっと撫でた。
そこには、彼女が書いた文字が浮かんでいる。
『メイルとメイリーへ。あなたたちの声は、私にとって、夜空に輝く星でした』
彼女は、目を閉じた。
メイルとメイリーが、彼女の言葉を聞いてくれているような気がした。
「そして……ベリーヌとマリーナ」
ルナリスの口から、二人のメイドの名前が再び、こぼれ落ちる。
彼女の周りには、いつも歪んだ欲望が渦巻いていた。
そんな中で、いつも親身に世話を焼いてくれるベリーヌとマリーナは、彼女に”甘いお菓子”と”女性同士の愛情の本”も運んできてくれた。
「お菓子は……本当に、甘くて。口に入れると……心が、溶けていくようでした」
彼女は、その時のことを今度は鮮明に、思い出していました。
ベリーヌが、こっそりと彼女の部屋に忍び込み、マリーナが、廊下で見張りをする。
そして、彼女の前に、温かい紅茶と、焼きたてのクッキーが並べられる。
「マリーナは……いつも、目をキラキラさせて……お菓子を自慢してくれました。ベリーヌは……『甘いものを食べると、嫌なことを忘れられるんですよ』……って、微笑んでくれました」
彼女は、その時の二人の笑顔を思い出す。
それは、彼女が王城で見た、数少ない、心からの笑顔でした。
そして、もう一つ、彼女たちが運んでくれたもの、女性同士の愛情をつづった本。
「最初は……意味が、分かりませんでした。どうして、女性同士が……愛し合うのか」
彼女は、正直に告白した。
彼女は、贄姫として邪神と結ばれ、そしてその果てには、父王や王子たちの慰み者になる定めと諦めていました。
だから、ベリーヌとマリーナが持ってきた本は、彼女にとって、異質なもの。
「でも……ページをめくるたびに……分からなくなりました。どうして……男性は、こんなにも……女性を……痛めつけるのか」
彼女の言葉は、震えていた。本来は物語の中だけ、と思う人もいるような内容だったのでしょう。
けれど、彼女にとってはそれと同等以上の劣悪な環境が現実だった。
王子からの執拗な性的要求、彼らの視線が、言葉が、彼女に迫るたびに感じた嫌悪感。
彼女は、男性という存在に、恐怖と嫌悪を抱いていた。
「本の中の……女性たちは、お互いを……大切に、愛し合っていました。……心から、大切に。……その姿を見て……私は、初めて……『愛』というものを、知りました。そして、贄姫……として、邪神では……ない。わたくし自身を心から……捧げる……相手を夢見るよう……にも」
彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、悲しみの涙ではなかった。
それは、彼女に『愛』を教えてくれた、二人のメイドへの感謝の涙だった。
「ベリーヌとマリーナへ。あなたたちが教えてくれた愛は、私の心を、温かく照らしてくれました」
彼女は、灯篭に書かれた言葉を、そっと指でなぞった。
二人のメイドが、彼女の言葉を聞いてくれているような気がした。
自身を救い出すために、身を捧げて機会を作ってくれた2人に……。
「そして……アルフレドさん」
ルナリスの声は、震えていた。
アルフレドは、彼女の護衛騎士でした。
戦友でもあった、そして代々の王同様、贄姫への欲望に狂って行っていた王の忠臣としての自身との間で板挟みになっていたとしても。
彼に、彼女は、多くのものを教えられた。
しかし、そのほとんどは、彼女が王女として、贄姫としてではなく。そこから抜け出し、その後を生きるために、必要な”知識”と”技術”だったと、今なればこそわかる。
「他の師匠……を、連れてきてくれたのも……アルヅレド……でした。刀、刀舞術……魔術の使い方……贄姫としての、わたくしには秘されていた知識……そして、覚悟」
彼は、彼女に厳しかった。
しかし、その厳しさの中には、彼女を心から心配し、守ろうとする彼の『愛』があった。
「彼は……いつも、私のために、戦ってくれました。……行き過ぎになる前に、王や王子達をうまく誘導して……時には、武威を示す事も」
彼女は、その時のことを思い出していた。
王子が、塔の中の狭い部屋の隅、無言と諦観をもって、言葉を受け流す姿に業を煮やし、ドレスの胸元に手をかけたその時。
王子の手首には鞘に収められたままの漆黒の剣が、押し当てられていた。
『殿下……これ以上は……』
彼の声は、静かだったが、その中に秘められた怒りは、燃え盛る炎のようだった。
王子は気圧され、その場を後にした。
殺気を浴びせられ、委縮した心に、贄姫を穢す事での咎の可能性を思い出したという事もあるのでしょう。
「私は……彼の背中を……何度も、見てきました。……それは、私の……守護者であり、親代わり……でした」
彼女は、アルフレドの背中を、決して忘れないだろう。
それは、彼女が諦めの底に沈む中、仮初めであっても安寧をくれた、背中でした。
「アルフレドさん。あなたが見せてくれた背中は、私に、勇気を与えてくれました」
彼女は、灯篭に書かれた言葉を、静かに見つめた。
アルフレドが、彼女の言葉を聞いてくれているような気がした。
「……みんな……わたくしを、守って……助け出してくれて……」
ルナリスは、呟いた。彼女の瞳は、もう涙を流してはいませんでした。
しかし、その瞳の奥には、亡き忠臣たちへの感謝と、そして……彼らを救えなかった自分への、悔恨が渦巻いていました。
「彼らは……私を、救ってくれたのに……私は……彼らを、救えなかった」
彼女は、自分の手を見つめた。
この手は、彼女を救ってくれた人達を、守れなかった。
そして、そのことが、彼女の心を、深く抉っていた。
「ルナリス」
私は、そっと彼女の手に触れました。
彼女の手は、冷たく。そして、微かに震えていましたから。
「あなたは……。彼らは……。あなたのために戦ってくれたのです。貴女の幸せを願って、計画を進めてくれたのです」
彼女は一人ではなかった。抗えない定めの中に囚われてはいても、彼女の周りには、彼女を心から愛し、守ってくれる人達が、数はわずかであっても確かに、いたのです。
「……そう……ですね」
銀の姫は、微かに微笑みをその美貌の中に浮かべました。
その微笑みは、悲しみを乗り越え、前へと進もうとする、彼女の意志を物語っていました。
――やがて、灯篭を流す時間になり。紗雪とルナリスと共に、それぞれの灯篭を手に、川へと向かいます。
影としてしか見えない無数の人影も、それぞれの灯篭を手に、川へと向かっています。
ルナリスは、自身の灯篭を、そっと水面に置きました。灯篭は、ゆらゆらと揺れながら、川の流れに乗って、遠ざかっていく。
「……ありがとう。ナオ様……と、紗雪ちゃんと……幸せに、なり……ます」
彼女の口から、感謝の言葉がこぼれ落ちた。それは、彼女の心からの、偽りのない言葉でした。
灯篭は、光の点となり、夜空に瞬く星々の中に、溶けていきました。
そして、彼女の心の中には、亡き忠臣たちの温かい愛が、永遠の光として輝き続けたのです。




