113.5章 - 第7話 ”銀の姫へ願う”
「ナオお姉ちゃん、私もいつまでもはクロウリードを抑えておけないよ? ほら、早く」
海の香りに誘われるように、広間の最奥、触手に囚われるルゥの目の前に進め出る私達。
領域のせめぎあいに阻害され、偃月刀の転移も、私たちの行動の上書きもなされない。
それでも、クロウリード王側は彼の領域、ひとたびそこに踏み入ればまた先程の繰り返し。奴に刃を届かせることはできない。
圧倒される気配を放ち続ける美しい男はただ、こちらを見つめるのみ。
ならば……ならば今、ルナリスの肉体をまずは蘇生し。ルゥちゃんも苦痛をできるだけ長引かせず、蘇生薬で復活させれば。
「ためらっている時間はないよ、ほら、領域がだんだん押し込まれてる」
目に見える境界があるわけではありませんが、徐々に薄れる海の香り、水の匂い。
碧い供犠姫のドレスの胸元にそっと手を触れる。
柔らかな息遣いが、指先に感じ取れる。
うっすらと皮膚を押し上げるあばら骨の感触。
「貴女の大切を見誤らないで。あの夜、貴女は私を受け入れなかった。貴女の愛は、第四王女ちゃんと、紗雪ちゃんだけに向けられるもの。全てを拾おうとすれば、惨劇を招く、悲劇をもたらす。貴女の、少なくとも今の貴女の手は、全てを救い上げられるほど広くない。私は、捨て置きなさい。いい?」
諭すような、碧い瞳が、むしろ私に覚悟を決めさせてくれました。
つながった心の奥で、紗雪にも、今一度覚悟を伝え
「いやだ。絶対に、全部、救うんです……! ルゥちゃんは短い間とはいえ、一緒に笑って、遊んで、楽しく過ごした……お友達でしょう!? ちょっとだけ、ちょっとだけ我慢してね……」
膨大な力、偃月刀に刺し貫かれた痛みがもたらす力の増幅の後押しも受け、VRMMOという仮想の世界のアバターの手指が。現実ではありえない、直接肉を、骨を、割り開く感触を伝えてくる。
慈母の笑みでその様子を見詰めるルゥちゃん……自身の身体に突き立ったままの幾本もの偃月刀が私自身に伝えてくる痛みを思うまでもなく、壮絶な痛みを与えている事に、心が締め付けられる。
ぬめりとした感触。
脈打つ、暴れるような拍動。
「あは、ナオお姉ちゃん、第四王女ちゃんの生の心臓まで抱きしめちゃったね。これが内臓まで愛するカップル……なんてね」
全く何一つ笑えない、彼女の言葉に反応する事もできず。
「ごめんなさい……」
生を訴えかける心臓を、大切に、大切に、この手で奪い取った……。
蘇生、蘇生のためには死亡の確定が必要……脈打つルナリスの心臓を片手に、光を失っていく碧い瞳をみつめる……心につきささる拷問のような時間。
海の香りが一気に遠のいていく、領域の事を半ば失念していた。早く、早く……クロウリード王の領域に呑まれる前に。そうでなければ、自傷の巻き戻し、否上書きで蘇生も無かったことにされる。
ああ、もう。最愛の銀の姫の脈打つ心臓を片手に捧げ、碧い髪を零す少女の早い死を願うという、あまりに矛盾に満ちた状況に発狂しそうになる。
右手に黄金の輝きを放つ神話級の蘇生薬を捧げ持つ。
使用を、蘇生を願って……水の、海の匂いが完全に消える寸前、一際眩い輝きが瓶から放たれる。
自身がえぐり抜いた胸の穴に、眩く煌めく黄金の液体をそそぐ。
行く末を見守る暇もなく、左手に捧げていた愛おしい人の心臓が宙に浮かびあがる。
見つめる眼前で淡い光に包まれ、生まれる、銀の姫の肉体。
一糸まとわぬ麗しの銀の姫の身体が、今ここに再生される。
しゃらりと、虹色の輝きを纏った銀の髪が揺れ、再生が完了される。力ない体が落ちてくる。
慌てて両手でお姫様抱っこに抱き留める、待ち焦がれた銀の姫の軽やかな重み。
その眼窩はやはり空洞のままなれど、確かにルナリスがこの腕の中にいる。
「ルナリスちゃん!」
クロウリード王へ銃口を向け警戒したまま、紗雪が隣に降りてくる。
共有された生命と魔力に、ルナリスが加わったことが感覚的にわかる。
彼女の復活を実感する。
「ルナリス……ルナリス……」
必死に呼びかける私。未だ暗闇に沈んだ彼女の魂。肉体の接触をきっかけに揺り起こそうと、必死に腕の中に抱きしめ、名を呼び続ける。
背後、いささかも衰えることが無い邪気を放つ男、クロウリード王から、緩やかなため息が、零れ落ちる。
「賭けは貴様の勝ちだ」
それは、私に向けられた言葉では……ありませんでした。
「ほんと、ナオお姉ちゃんのお人よし。忠告してあげたのに。全部を救うなんて幻想、だめだよ」
湧き上がる濃密な海の匂い、溺れそうな圧倒的な気配。
澱み、圧し潰さんとする、圧倒的な……邪悪な気配。
クロウリード王に匹敵しようかという、威圧感。
その源……今しも、私がえぐり抜いてしまった傷がふさがれ、蘇生を果たした、ルゥ。
クゥルゥネ=フォン=アレイスター第三王女から発せられる、悍ましい邪悪な気配。
あの日アレイスター王国で時間を共にし、今先ほどまで私達を領域で保護してくれた彼女の、潮騒を感じる穏やかな海の気配とは相反する。あまりにも深い、深海の恐ろしさを叩きつけてくる気配。
「あは、生まれる、生まれるよ! 邪悪が! 世界を憎む、世界の脅威が! IA,IA, Cthulhu! 海の底へと沈んだルルイエに封じられし、神ヨ!」
狂気じみた哄笑を、妖艶に、身重の体をくねらせるルゥ。
碧い髪が、不気味に蠢く。
彼女の眼前にはいつの間にか、一冊の魔導書が浮かんでいる。
人の皮で装丁された、悍ましき気配を纏う魔導書。
【エリアアナウンス:☆8禁忌級魔導書 - “ルルイエ異本” が顕現しました】
喉をのけぞらせ、ますます哄笑を高める、ルゥ。
狂ったような彼女の様相に呼応するように、現れた魔導書が高速でページをまくる。
「時の捻じれた世界の中で、今、貴方は再臨する。あぁ、再誕の時を祝福せよ! IA,IA, Cthulhu!」
ルゥの大きく膨れていた胎が……腹が……内側から引き裂かれた。
「あぁ……あぁ……! IA,IA, Cthulhu!」
法悦の涙を流し、自らの腹から這い出す触手の塊を、うっとりと眺める、ルゥ。
飛び散る血しぶきに濡れるその姿は、色香を纏い、狂気を孕む。
【エリアアナウンス:”☆9 神話級 クトゥルフ” の器が、再誕しました】
生暖かな甘い香りに満たされていた空間が、神殿が、海底の気配に染まる。
今、ここに、一柱の邪神が。最悪の一柱ともいわれる邪神。その器が顕現した。
「ヨグ=ソトースの伝承……確かに、ありました。邪神群の父たるヨグ=ソトース。海の底に沈む、封じられた邪神、外界より来る災厄。邪神クトゥルフもまた、ヨグ=ソトースの系譜、子であるという伝承も。でも……まさか……」
「アレイスター王国王家の伝承、ヨグ=ソトースとの約定は生娘たる供犠姫を捧げる事を定めていた。その約定において、生まれる子はヨグ=ソトースへ捧げられるべき、当該時代の巫女たる供犠姫。しかし、こやつは。ひとたび人の欲に穢された、贄の腹から生まれたヨグ=ソトースの子。故にこそ、その胎は既存の約定から逸脱し、新たなる邪神の苗床足りうる」
学者のような、透徹した目で状況を見詰めるクロウリード王。
彼自身の計画の破綻と思いきや……。
「貴方は悔しそうでも何でもないようですが?」
「我は、我が父ヨグ=ソトースの子。そしてかの神に仕える神官。かの神にまみえる事こそが至上の悦び。かの神が系譜を言祝ぐもまた、我の悦び。貴様に宿るは神クトゥグア、そしてその子、神アフーム=ザー。我が父の系譜にはあらず。故にその全てを祝福する事は厭われる。が、その在り様は、我が父の系譜に近しく。また、アフーム=ザーは旧き神に封じられた我が父の系譜をも解き放つ可能性を秘めたる神。故に、貴様には解放者たるを期待する」
簡単に言えば、どちらかというと私は邪神側に堕ちそう、と、期待されていると……?
それで先ほども、一息に消し去るのではなく、まるで見せつけるように神域の展開やら、みせて……いえ、彼なりに教導していたとでも……?
アフーム=ザーが、旧神とも呼ばれる地球の古来神話の神々に封印された、邪神群を開放する役目を負っているという話も紗雪から聞いてはいます。そうした諸々への期待もあって、クロウリード王は私とただの敵対者とは見なしていなかったのかもしれません……。
「あはぁ♪ ナオお姉ちゃん! 世界の敵を生み出すお手伝いをした気分は、どぅ?」
喜悦にまみれた声で、淫靡に唇を舌で舐め、嗤うルゥ。
続く瞬間には、
「せっかくあれだけ忠告してあげたのに。あのまま私を殺しておいてくれれば! こんな事には! ならなかったのに……ねぇ、ねぇ……」
苦悩に満ちた声で罵りを上げるルゥ。あまりに激しい落差。
「第四王女ぉ、貴女いつまで閉じこもってるのぉ。私が、貴女の最愛の人を、もらっちゃってもいぃのぉ?」
いまだ絡みついていた触手が、中身を吸い取られたように、しなびて崩れ落ちる。
自由になったルゥ。
甘い粘液に濡れた彼女が、碧い供犠姫のドレスの胸元を扇情的にはだけ。左手でたくし上げられたスカートは、そもそも隠す役にたっていなかった透ける薄布を取り払われ、内股を露わにする。
その右腕には、まだ小さな邪神、その器が抱えられている。
「わるぅい、わるぅい、ナオお姉ちゃん。この先の将来、邪神クトゥルフの復活によって死ぬ全ての命は貴女のせい。ね、そんな苦しみにまみれるくらいなら、私と、いい事してぇ、全部全部見なかったことにして、いつまでも蕩けあおうよ。深い深い水底で、いつまでも沈んでいよう? 第四王女との繋がりなんて捨てて、今度こそ私と、最後まで繋がろう?」
フラシュバックする、アレイスター王国での夜の一幕。
あの時と同じ海の匂い。揺れる視界、ひたすら与えられる快楽。
ああ、これに溺れる事ができるなら。もう疲れた、重すぎるいろいろな出来事の連続。
この後さらに……なんて、もう耐えられない。
「ほら、ルナリス、私がナオお姉ちゃんを、獲っちゃうよ? あるいは、私が飲みこんで、溶かして、消してしまおうか?」
でも……でも、私の腕の中には確かな重みが今はある。
銀の姫が、腕の中にいてくれる。
そっと肩に手を乗せ、敵を睨み据えてくれる、私と共に在るために魂を得た紗雪がいる。
だから。
呼びかけるは。
「ルナリス、私の、私達の最愛。どうかお願い、今一度。貴女との繋がりを、絆を、感じさせて」
切実に、祈るように、肉体とマナの確かな繋がりを感じる、銀の姫の。昏く沈んだ魂へ呼びかけるのです。
誤解されたくないと、失いたくないと、過去を伝えてくれた彼女。
私の絶望を払拭してくれた彼女。
その想いに、応えさせてほしいと願う。
そして、その切なる願いは……。




