112.5章-第6話 ”クロウリード王#3/3”
無数の魔法陣に覆われた虹色の球体が再び収縮し、クロウリード王の、ルナリスから奪われた両の瞳に吸い込まれ、消える。
膝がすくみそうになる邪悪なプレッシャーまでもが霧散する。
ただ、それだけ。
「な……にを?」
何が起こったかわからない。爆発が起きるでも、空間が割れるでもなく。悍ましき背徳的な生き物が出てくるわけでもない。
ただ、ルゥの微かな喘ぎと、嬲る触手の粘液の音だけが静寂を満たす。
「なにも起きないなら、攻め時、です!」
低い轟音と共に、紗雪の対物狙撃銃が魔力攪乱の弾丸を解き放つ。
全ての屍喰鬼も消え、自由となった鋼糸の結界を収縮させ、クロウリード王を捕らえ、切り刻もうとする。
「そうですよね」
あわせて、ハルバードを大きく振りかぶり突貫する私。
……
「「え……」」
何も起きていなかった。
全ては動き出す直前。弾丸は放たれず。鋼糸は未だ空間全域を覆い、加速したはずの私の飛翔は無かったことに。
「も、もう一度」
紗雪の魔力高まる。私も翼に魔力を籠め……。
何も起きなかった。
全ては元のまま。
ただ怪しく虹色の輝きを放つ、蒼銀の瞳が、見つめてくるのみ。
紗雪の傍に控える4丁の古式拳銃が、高度を上げ……無かったことにされる。元の位置に静かに浮遊していた。
アフーム=ザーへ呼びかけ、灰白色の冷炎を……無かったことにされる。絶対零度の冷気の残滓すら残さず、元の生暖かい甘い空気が空間を満たしていた。
紗雪の鋼糸に魔力攪乱を乗せ、新たに張り巡らせ……無かったことにされる。鋼糸は生じる事無く、虚空が広がるばかり。
暗黒を空間に拡げ、満たし……無かったことにされる。視界一つ遮る事無く、元の空間が広がるばかり。
「領域……領域ごと、さっきのクロウリード王と同じ。起こる前の状態、時間に戻されて。違う、変化が起こされなかった時空に、領域全体が上書きされている」
紗雪の小さな呟き。
「うむ。では次である」
魔導書ネクロノミコン”アル=アジフ”から生み出される1本の偃月刀。
それが明後日の方向に投げ放たれる。さしたる力も込められていない、投げ捨てたかのような投擲。
左の翼の付け根に激痛。敏感なそこに、灼熱の痛み。
「ナ、ナオさん、偃月刀が……!」
共有されている紗雪の視界が捉える私の背後。漆黒の翼の付け根に、深々と突き刺された偃月刀が映っていた。
再び生み出される偃月刀。魔力攪乱で消すことができるとわかっているそれに、打ち放たれる拳銃弾の嵐。
しかし、無数の弾体は消失し、偃月刀だけがまた無造作に投げ捨てられる。
左太ももに激痛。深々と貫通したそれが栓となり、血はわずかに流れ落ちるばかり。
右太もも、左わき腹、右足の甲……次から次へと無造作に突き立てられる偃月刀。
確実に、少しづつ、回復不能のこの身の生命力が削られていく。
共有されている紗雪にも、損傷と喪失の痛みが共有される。
泣きそうになりながら、阻止せんと放たれる紗雪の弾丸は打ち放たれることが無かった時空に上書きされ。
回避しようと身をよじる私の動きも上書きされ。
あがくすべてが、上書きされる。
ただただ、的となり、無造作に、明後日の方向に投げ捨てられる偃月刀が私を苛んでいく。
しかも、このままではいづれ、元々私の神翼種/闇よりは少ない紗雪の生命力までも喰い尽くしてしまう……。紗雪と1つに統合された生命力、回復不能の私が受けた傷はその全ての快復を阻害してしまう。
受けた傷に比例し、”血姫繚乱”と、”背水”を統合した”特化武術:斧槍術-天翔”が、凶暴な攻撃力をブーストしてくれても意味がない。反攻の手は全てが、無かったことに上書きされる。
ただ、ただ、的となる事しか許されない。
「このままじゃじり貧……紗雪、一か八か」
「はい!合わせます」
口に出すまでもなく、脳内で描いた、事前の打ち合わせの通り最終手段の一つを切る!
こちらも、領域を展開、神代魔法を!
神翼種/表が封じられている今、“護法抱擁”を発動する事はできない。
“依依恋恋たる抱擁 - 海誓山盟”の再演能力も発動前提を満たせない今の私では無意味。
ならば、新しい奇跡を!
抗う意思を胸に、高まるマナ。
神代魔法を行使できるよう変質した魔力を呼び水に!
「定義が杜撰、術理の構築が脆弱、領域が定義できていない。落第である」
生み出したマナが霧散する。
容易く無へと上書きされた、内より生じたマナ。
「わ、私がサポートすれば……!」
紗雪から私とルナリスを案じる、温かな思いが伝わってくる。共に在るためにと、必死の想いが、伝わってくる。
共有する想い、紗雪とルナリス、2人を思う私の心が共鳴する。
混ざり合う想いが、新たなマナを生み出す。
古代魔導人形の、ただのナビAIの、ままであれば決して生み出すことができなかった、紗雪の”マナ”が共鳴する。
「魂、心、感情、想い。すべて重要である。が、足りぬ。魔術とて、術理に基づき編まれる精緻なる御業。その段階においてからして貴様らは未熟。魂の昂ぶりは目を見張るものがある。が、これを支える術理が杜撰、脆弱。そも、魔法へとすら至ってもおらずに、神世の術理へと至ろうなどと、千年早い」
絡みあい護り合う2人のマナが、容易く無に上書きされる。
「無様。が、それもやむを得ぬのであろうな。研鑽が足りぬ、時が足りぬ、理を学ぶ機が足りぬ」
奪われたルナリスの瞳が、虹色の輝きを強める。
再び生み出される1本の偃月刀。
「慈悲である」
無造作に投げ捨てられようとするその一刀。
伝わってくる、その一刀は、確実に私の存在の根幹を貫く、と。
何もできなかった。何一つ届かなかった。完封された……。
私と、紗雪、2人の悔いが共鳴し合う。
が……どうする事もできない。こうする今も、あがき、動く全てが、行動の起こりから即座に無に上書きされる。
もはや身じろぎ一つ許されない。ただ、ただ、静止状態に陥らされる2人。
「仕方がないなぁ、ナオお姉ちゃんは」
耳から入り、脳を蕩かすような声が、聞こえる。
聞き覚えがある。だが、遥かに淫蕩な声。
「第四王女ちゃん。いつまで閉じこもってるかなぁ……こんな蕩け合って気持ちいい、一つになれるなんて素敵なのに。全部全部忘れて、一緒になっちゃえばいいじゃない。2人がそれを許してくれてるなんて、幸せだよぉ? 特に紗雪ちゃんは心が広すぎるよね、まるで私みたい。全てを受け入れ、全てを溶かしこんじゃう私みたい」
肉の触手に貪られていたはずの、海のように深い碧い髪の……甘受する快楽に閉ざされていた瞳が、開かれている。
髪と同じ碧い瞳が正気を宿し、まなじりを上げ、険しい眼差しで見つめている。
「あ、無駄だよ、クロウリード。私の領域を、お前は侵せない」
「クゥルゥネ=フォン=アレイスター……いや。貴様、何者であるか?」
瞳の虹色を強めるクロウリード。上書きしようとして……できていない……?
「ぷぷぷぅ、わからない? 私は私。クゥルゥネだよ。何も変わってなどいないよ」
「貴様はなりそこないの供犠姫。至上の供犠姫の魂と心臓を移植したといえど、神代の魔法、まして我に抗する領域を定義できる知識も、術理も、有するはずがない」
語る間にも、水の香り、潮騒の匂いが私達を包み込む。
ルゥちゃんが展開する領域に私達が招き入れられた証。それはとりもなおさず、クロウリード王の領域から逃れたことを示す。
「ええ、そうね。私は”術理”なんて言う小難しい事は知った事じゃない。邪神ヨグ=ソトースに第四王女ちゃんを奪われたくなかった先王が。代わりの供犠姫を今一度、邪神に捧げ、生まれた子。生涯を邪神ヨグ=ソトースに捧げるべしと約しながら、過去の供犠姫達の肉体が心を失っているのをよい事に姦淫を強要し。挙句、再利用するように再び邪神に捧げ、結果、生まれた娘が私」
邪神ヨグ=ソトースとルナリスの母の子として生を受けたクロウリード。
役目を終えたルナリスの母と先王の間に生まれたのがルナリス。
そしてその後、再度捧げられたルナリスの母と邪神ヨグ=ソトースの子がクゥルゥネ第三王女……つまり、ルナリスとは実の姉妹? でもそれなら、年齢が逆。第四王女であったルナリスが実は姉で、第三王女になるのでは?
「ナオちゃん、誤解してるね」
ルナリスとの一体化している事で、部分的な共有の対象となっているらしいルゥちゃんが、語り掛けてくる。
こちらからは、ルゥちゃんの事は見えないのに、私たちの感情や今の思考は見えているらしいことがぼんやりと、伝わってくる。
「私の母は、ルナリスちゃんのお母さんじゃないよ。そのさらに先代。ルナリスちゃんのおばあちゃんだよ。供犠姫ってね、邪神ヨグ=ソトースの血筋の影響なのか、生涯若い姿のままなの。そして特に、その魂を邪神に啜りつくされ、空っぽの肉体になった後は、疑似的な不滅になるの。ナオちゃんたちが解放してくれたけれど、あの王城の最奥にはね。歴代の供犠姫が王族の慰み者として永遠と飼われているんだよ……。反吐が出そうに気色悪い系譜の家族だよね、本当」
つまり、ルナリスも、もしもあの時救い出すことができていなければ、そんな生涯を永久に過ごすことになっていた……?
「その通りだ。そして、それゆえ、貴様は正当なるヨグ=ソトースの子たりえない」
「そうだね、正しきヨグ=ソトースの系譜。ううん、正しき、ヨグ=ソトースの神官と巫女の系譜からは、外れた。そして3年、父たるヨグ=ソトースに嬲られ続けている。ああ、ナオお姉ちゃん、ここはね、時間の流れが外と違うんだよ。ここではすでに3年が過ぎているの。でも安心して、その間第四王女ちゃんはもう、外の感覚を感じることもできず、心も閉ざしてしまっていたの。嬲られ続けていたのは私だけ。お腹もこんなにおっきくなったんだ。えへへ、良かったね」
「良いわけないでしょう、何が良いのですか。ルゥちゃん、貴女も必ず……必ずここから!」
ええ、その事も紗雪とは打ち合わせ済みなのですから。何せこちらには神話級の”☆9蘇生薬”があるのです。
運営のお詫びでもらった、現状絆を結んだ住民の喪失という特殊な条件を満たしたプレイヤーしか、ポイント交換に出現しない。そのため、入手手段のない貴重なアイテムとはいえ、使いどころはここでしょう。
どのみちルナリスや紗雪、そしてうちの古代魔導人形の子達にはもはや不要なのです。
思えば、これはそもそも魔薬事件へのお詫びだったので、魔薬の影響でロストする住民(NPC)と出会った時に、救うため。という事で帰属扱いで、お詫びに入れてくれたのでしょうね。
「えー。ナオお姉ちゃん達、優しすぎるよ。私の事は捨てておいて? 優しさは時に罪だよ? それとも、私と蕩けあってくれる? 第四王女ちゃんの代わりに、私を愛してくれる?」
「それは別のお話でしょう、とにかく……」
「私の心臓を抉り取って。そうすれば少なくとも、第四王女ちゃんの身体は戻る。瞳は……諦めるか、がんばって。それしかないのはわかっているよね? そしてこの汚らわしい、偽物の供犠姫は捨てておいてよ。全部を救おうなんて、傲慢だよ」
そこが、一番の問題。
一度、ルゥさんを殺す事になる事。蘇生させるとはいえ、覚悟はしてきたつもり。でも最後のその瞬間、私に本当に実行できるか。
そしてもう一つ問題は、できれば先に、瞳を取り戻しておきたかった事。今、肉体が蘇生されても、瞳の失った状態のままとなってしまう。
ナコト写本の知識を元に紗雪と相談し、厳密には瞳をえぐり取るとかそういう事ではなく、呪術的な方法で引きはがされた状態を覆す事。又は、魂から削り取った、という事実。現状クロウリード王の魂に紐づけられてしまっている瞳の所有権を引きはがす事。が、ルナリスの瞳を取り戻す条件である事はわかっている。




