109.5章-第3話 ”傾国の姫”
銀の姫の記憶が、記録が、展開される。共有される。
それは、ナオの頭の中に直接流れ込んでくる、ルナリスの視点での過去の出来事だった。
とても、とても優しいお父様。大好きだったお父様。
末の王女、愛しい我が子の未来を憂い、幽閉という不自由を強いる事に苦悩する父親。
それは、アレイスター王国の先王。
しかし早晩、その優しい父の仮面は醜悪な罅割れ(ひびわれ)に覆われるようになった。
「あぁ……美しい。美しい、我が娘よ。妃となるべき娘よ。我らが神に、先を越されることのなんと口惜しい事か」
塔の最上部の部屋。
かつて、世の理不尽から守り慈しむために用意されたはずの部屋は。いつの間にか、隠し切れぬ欲望を向ける雛鳥を捕らえる檻と化していた。
月明かりの陰に佇む虹色に輝く銀の髪の少女。
金髪の偉丈夫が陶酔したように語り掛ける。
その瞳には、父としての愛情と、男としての歪んだ欲望が混在していた。
「妹よ、君はなんと魅惑的なんだ。あぁ、君を知ってしまった時から、私は君以外目に入らなくなってしまったのだよ。次期国王は私だ。今少し待っていてくれたまえ、私が王座を手にすれば、君は私のモノとなる定めを得るのだ。それまで……!」
理知的な容貌の中に、一筋の狂気を宿した金髪の美青年、第ニ王子が、月明かりの陰に佇む少女に語る。
「ああ。ああ、そうだ。君の教育のためだ、書籍を置いていく。読んでおくように。我々の輝かしき未来、あるべき妻の姿を学んでおくのだ」
その声は、甘く、そして、ねっとりと彼女の身体に絡みつく。
「ふひ……ふひひ……」
欲望に澱んだ瞳で、鼻息を荒げ。ただ、興奮を露わに、月明かりの陰で自身を守るように抱きしめる少女を見詰める。
「ぐへ……ぐふぇふぇふぇ……」
忌み嫌われる第三王子……股間をいじくる、肥満体の金髪の男。
「お姉ちゃん、僕、がんばるから。ね、だから、誰のモノにもなっちゃだめだよ。お姉ちゃんは僕の、うん、僕のなんだ。大丈夫。何とかするからね、僕が、僕が何とかするから。そうだ、この本、読んでみてよ! まさに僕たちみたいなんだ」
金色の和毛を振り乱し、熱情をまくしたてる金髪の年端もいかぬ少年、第四王子。
月明かりの陰に頽れる少女に、一方的に語りかける。
「姫……。ご兄弟も、陛下も、きっと本心では……」
ふるふると、ゆっくりと、月明かりの陰に座る少女は頭を振る。
栗色のウェーブロングがふわふわと柔らかそうな。ああ、それは、今は亡きメイドの少女マリーナさん。
「わかっております。わかっておりますが……! こんなのあんまりにも、そうです、姫。一緒にここを出てしまいましょう。わたくしどもであれば。それに、アルフレドも否とは申しませぬでしょう。彼は、彼だけは信用できます。それに、厨房の……」
ふるふると、ゆっくりと、月明かりの陰に座る少女は再び、頭を振る。
黒髪セミロングメイドのベリーヌさん、脱出の最後、殿を担った、もう一人のメイドの女性の言葉が否定される。
「あんの……腐れ外道ども、第一王子クロウリードの外道と、何が違うっすか! あちしが……あちしが、ぶっ殺してきてあげるっす!!」
知らない、影。姿は見えないけれど、小さな女の子のシルエットだけが視界の隅に映る。
月明かりの陰に座る少女の首はしかし、縦に振られることはない。
「でも、あの下衆野郎どものおかげで、姫はまだ、贄に捧げられていない。まだ、使い道がある。殺すのは、その時が来てから」
淡々とした声が響く。やはり知らない、影。こちらも姿は見えないが、小さな女の子のシルエットだけが、視界の隅に映る。
次々と場面は変わり、展開されるルナリスの記憶、記録。
よもや、愛情を注いでいたと思っていた父王も、兄弟も、そういう魂胆だった、と?
魂の香り。その影響がここまで彼らを狂わせたのでしょうか?
月が満ち欠けを繰り返す。
「姫。第一王子派による反乱の鎮圧はもはや絶望的。どうか御身を安全な場所まで」
騎士服に身を包んだ老齢の紳士が、黒い剣を腰から下げ、銀の姫にかしずく。
姫が逡巡したその時、乱暴に開かれる、扉。銀の姫を捕らえる籠の扉が、破られる。
「姫の御前であるぞ、わきまえぬか!」
騎士、アルフレドさんが容赦なく剣を抜き……しかし、その手が止まります。
「アルフレド、おぉ、アルフレドよ! そなたの忠義、余は誠、嬉しく思っておる。このようなときである故な、安全な場所に娘を連れて行くのだ、王族の居所へな」
「な……さ、左様でございましたか。ご無礼の咎、どうか姫をお送り届する間のみ、ご寛恕願えればと」
「よいよい。護衛頼むぞ」
「はっ」
護衛の一人すら連れず、銀の姫の囚われた塔最上階まで来た国王。その後ろを銀の姫が、アルフレドに護られ続く。
外からは爆音、剣戟の音、正にクーデターの真っ最中であることを示す音が響いてきている。
まるでそんなこと知らぬとばかりに、ただ、ただ、進む国王。その行く先は私が立ち入ることができなかった区画。
「まずは玉座の間に参る。第三王女もそこに向かわせている故な」
近衛に護られているべき王城深部はしかし、無人であった。不気味な静寂に包まれる、華々しい通路。
薄く開かれたままの玉座の間の扉。
「陛下……明らかな異常でございます。反乱軍の手がここまで及んでいるやも」
「アルフレドよ、案ずるな! 感じるであろう、余を守護する邪神の加護は健在である」
どこか澱んだ、重苦しい気配。それは王権の証たる守護の神器が効力を発揮している証。
アレイスター王国が奉ずる邪神ヨグ=ソトースの物……とされる守護と排斥をもたらす領域の証。
かつて、この神器の来歴に異を唱えた神学者は、当時の国王の手で処刑されたと伝えられているが……。
そして3人が足を踏み入れた玉座の間。そこは、血にまみれていた。
驚愕に目を見開き、首を断たれた、理知的な金髪の青年。第ニ王子。
座り込み、股間を濡らし、首を断たれた、肥え太った金髪の男。第三王子。
背骨を絶ち割られ、首を断たれた、金髪和毛の少年。第四王子。
「陛下! こ、これは何事でございますか。まさか反乱軍がここまで……いや、そのようなはず……。近衛、近衛は何処か!」
「アルフレド、あぁ、アルフレドよ、案ずるな! こやつらはな、分をわきまえず、我が妃となるべき姫に。第四王女に懸想しておった。故に。故に! 我自ら断罪してやったのよ」
「へ……へい……か?」
狂気的な笑みを浮かべ、目を血走らせる、かつて対帝国戦線を共に駆け抜け、忠義を誓った国王。かつての戦友を唖然と見つめるアルフレドさん。
「こやつらは良い、既に処した後じゃ。問題はクロウリードよ。奴め、愛しきこの娘を! 我が妃たるべき娘を! 邪神に捧げると申して聴かぬ。許さぬ、そのようなこと許さぬ」
鬼のような形相となり、たけり狂う金髪の偉丈夫。
「しかし、陛下。それはこの国の定め、王家が果たすべき神との約定にございます」
「貴様、貴様も余を阻むと申すか、許さぬ、許さぬぞ。”至上の供犠姫”はワレノモノであるぞ!」
絶叫と共に懐から国王が取り出した宝珠が、禍々しい黒い光を発する。
「がっ」
とたん、意識を刈り取られ、崩れ落ちるアルフレドさん。
「ふ、ふふ、さあ、これで邪魔をする者はおらぬ。来い! 邪神になぞくれてやってたまるか。お前の初めては、余のものである! お前は余にのみ腰を振っておればよいのだ。余にのみその甘美なる魂の雫をもたらしていればよいのだ!」
諦めたように、何も瞳に映さず、ただ、粛々と腕をつかまれるまま連れ去られようとする銀の姫。
「貴女、いつもそうよね。貴女はそれでいいわけ? 意思がないわけじゃないでしょ、力がないわけじゃないでしょ」
玉座に響く、落ち着いた女性の声。
玉座の影から歩みだしてきたのは、海のように深い碧い髪と瞳の女性。身に纏うは、碧い供犠姫のドレス。
それは確かにルゥでした。
今ならわかります。ルナリスから伝わる記憶と記録。あれはレプリカなんかじゃない、純白のルナリスの供犠姫のドレスと対を成す、正当なる供犠姫のドレス……しかし、アレイスター王国にあって、その来歴も不明。邪神ヨグ=ソトースへと捧げられる供犠姫の正装とは異なる、捧げられるべき先のしれぬ供犠姫の装束。
第三王女、クゥルゥネ=フォン=アレイスターは、いつのころからか、そのドレスを愛用するようになった。
「クゥルゥネ! おぉ、我が愛しのもう一人の娘よ。おいで、今日はめでたき日なのだ。至上の供犠姫を、余の妃として迎え入れるのだ! お前もまた、余の側室として、この良き日に愛でてやろう」
満面の、気色の悪い笑みを浮かべ、狂った国王が声を張り上げます。
「きも」
ただ嘲るように、国王を高き位置、玉座の陰から見下すルゥ。
「結局」
続く言葉はルナリスへのものでした。
「貴女は変わらないのね」
その言葉に、顔を上げ、目線を合わせるルナリス。しかしその瞳はただ、虚ろで……いつも生気に満ちた目で私を見てくれる蒼銀の瞳は、長年の無為に澱んでいて……。
「いいわ、貴女がやらないなら私が終わらせてあげる」
「クゥルゥネ、何をしているのだ、ほれ、はよう、来るのじゃ」
再びルナリスを引っ張ろうとする国王。
その姿が、突如として虚空から湧き出した膨大な水に、取り込まれた。
激しく渦巻く巨大な水の球。内部の圧力も相当な物なのか、もがき苦しむ国王の指がへし折れる。
いとも容易く。アレイスター王国国王。その命は散った。
「もうすぐクロウリードがここに来る。どうするかは自分で決めなさい。私はどうせ……」
後は知らぬとばかりに、再び玉座の影へと姿を消すルゥ。
残されたルナリスは、しばし玉座の間を見渡し。
散らばる、父と、そして兄弟であった者たちの躯を前に。
静かに、鎮魂の舞いを、歌を、奏上し始めた。
静けさの中、血と海の匂いが満ちる。籠の鳥であった銀の姫には広すぎる空間に。
哀切に満ちた鎮魂の歌が静かに染みわたっていた。
【エリアアナウンス:名を剥奪されし”至上の供犠姫”が、称号”傾国の姫”を獲得しました。称号はすでにLockされています、変更する事ができません】
たった一つのアナウンスを雑音として。




