第059話:冬支度が生む商機
内覧会を終えて数日。
新店舗は本営業へ向けた最終調整を続けながらも、すでに以前とは比べものにならないほど人の出入りが増えていた。
店の半分を占めるテイクアウト側は昼前から夕方まで客足が絶えず、ボルガムとカイルは火を絶やすことなく調理を続け、レイシャとメルフィアも販売や補充に追われている。ミレイユも茶を求める客への対応に忙しく、以前なら考えられなかったほど店全体が動いていた。
その一方で、もう半分の雑貨屋側は落ち着いた空気が流れている。
以前からそうだったが、雑貨というものは食事のように毎日買うものではない。目的を持って訪れる客もいれば、棚を眺めながら時間をかけて選ぶ客もいる。
オルゼンは久しぶりに雑貨屋側の店番へ立っていた。
「こっちはこっちで落ち着くな」
棚を眺めながら呟くと、離れた位置で帳簿を整理していたクィナスが小さく笑う。
「そう思えるようになったのは、向こうを任せられるようになったからでしょうね。以前なら、マスターは雑貨屋にいても厨房が気になって落ち着かなかったじゃないですか」
「否定はできない」
「今でも時々見に行きたそうな顔をしていますけど」
「見に行きたいというより、癖だな」
「それなら、少しずつ直してください。マスターが全部見ようとすると、誰も育ちません。向こうは向こうで任せる。その代わり、こちらはマスターしか見られないものを見る時間です」
その言葉にオルゼンは頷いた。
店全体を見るようになってから、クィナスの言う意味は以前より理解できるようになっている。
厨房には厨房の視点。
販売には販売の視点。
そして雑貨屋には雑貨屋の視点がある。
今まではどうしても目先の売上や仕込みへ意識が向いていたが、これだけ店が広がると、すべてを同じ熱量で見ることはできない。
だからこそ、自分は少し先を見る。
それが今の役目なのだろう。
そんなことを考えていると、雑貨屋側の扉が開いた。
入ってきたのは二十代半ばほどの役所職員だった。
見覚えのある制服ではあるが、顔にはあまり記憶がない。
男は店内を一通り見回したあと、オルゼンの前へやって来る。
「失礼します。都市管理局から参りました。少し在庫を確認させていただきたい品がありまして」
「もちろん構いません。何でしょう」
男は一枚の紙を広げた。
そこには素材名がいくつか並んでいる。
その中の一つを見た瞬間、オルゼンは小さく目を見開いた。
「……雪灯草」
冬の終わり頃まで乾燥保存できる白い植物だった。
乾燥させると非常に軽くなり、加工すると青白く柔らかな光を放つ。
祭りや飾り付けに使われることもあるが、毎年必要になるものではないため、商人でも大量には仕入れない。
男は続ける。
「急遽、冬祭りで大量に必要になりました。しかし今年は寒波の影響で収穫量が少なく、市内の在庫がほぼ尽きています」
「なるほど」
「そこで各店舗を回っているのですが……失礼ながら、こちらに保管されているという話を聞きまして」
「ありますよ」
「……やはり」
男の表情が少し変わった。
「どれくらいでしょうか」
「確認します」
オルゼンはそのまま倉庫へ向かう。
奥の棚。
湿度を一定に保つため二重箱へ入れ、乾燥剤と香木を一緒に保管していた箱を取り出す。
蓋を開けると、白銀色の雪灯草が傷一つなく眠っていた。
「保存状態も悪くないな」
一年前なら、ここまで保管には気を使っていなかった。
しかし。
「もっと先を見据えることじゃな」
そんな声が頭へ浮かぶ。
少し前。
エルマがふらりと店へ来た日のことだった。
『冬の終わりに雪灯草を仕入れておけ』
そう言われた時には理由を聞いた。
『祭りは終わるじゃないか』
そう返した自分へ。
『祭りを見るのではない。祭りが終わった後を見よ。商いとは、人が忘れた頃に必要になる物を用意することでもある』
意味が分からないまま、それでも少しだけ多めに仕入れた。
その後、保管方法も見直した。
湿気を嫌う素材だからこそ、倉庫も整理した。
まさか今になって役立つとは思っていなかった。
箱を持って戻ると、職員は驚きを隠せなかった。
「これだけ綺麗な状態で……」
一本手に取り、慎重に確認する。
乾燥具合。
繊維の残り方。
折れ。
変色。
どれを見ても申し分ない。
「保存方法まで完璧です」
「湿気だけ気を付けていました」
「他店では保管中に色が変わってしまった物も多くて……」
男は思わず息を吐いた。
「少々お待ちください」
そのまま店を飛び出していく。
クィナスがその様子を見ながら首を傾げる。
「ずいぶん急いでいましたね」
「誰か呼びに行ったんだろ」
「祭り関係でしょうか」
「たぶんな」
十分ほどして。
再び扉が開いた。
今度は四人。
先ほどの職員。
そして祭り運営らしい壮年の男性。
もう一人は会計担当と思われる女性。
最後に見慣れた姿があった。
「オルゼンさん」
「ナギルカ」
都市管理局の職員であり、一部門を若くして任される才女。
一話の頃から何度も顔を合わせてきた相手でもある。
ナギルカは店へ入るなり棚を見るより先にオルゼンへ苦笑した。
「またあなたですか」
「俺もそう思った」
「最近、その返事ばかり聞いている気がします」
「偶然だって」
「偶然だけで済ませられないから来ているんです」
そう言いながらも、その表情は少し柔らかい。
仕事ではあるが、気心の知れた相手でもある。
「雪灯草があると聞きました」
「ああ」
箱を見せる。
ナギルカは一本取り出し、慎重に確認した。
「……綺麗」
思わず漏れたその言葉には驚きが混じっていた。
「これ、本当に去年の物ですか」
「去年仕入れた」
「保存状態が良すぎます」
祭り担当者も頷く。
「この品質なら十分使えるどころか、市場品より良い」
会計担当の女性も帳面を見ながら口を開く。
「市場価格ではなく、特別調達価格になります」
クィナスがその言葉へ反応した。
「特別調達価格、ですか」
「急な行政案件になりますので、通常価格では調達できません。品質も加味し、市場価格より高く買い取ります」
オルゼンは驚いた。
「高く、ですか」
ナギルカが頷く。
「本来なら市場で集めます。でも、もう市内にはほとんどありません。さらに、ここまで状態の良い物は見つかっていません」
祭り担当者も続ける。
「祭りは都市の催しです。品質を落とすわけにはいきません。必要な物には正当な価格を支払います」
オルゼンは少し考えた。
利益だけを考えるなら願ってもない話だ。
しかし。
「全部必要なんですか」
祭り担当者は少し驚いたようだった。
「ええ」
「それなら全部出します」
クィナスが横目でオルゼンを見る。
その意図はすぐ伝わった。
価格交渉をしないのか。
そういう視線だった。
オルゼンは静かに答える。
「今回は都市の祭りなんですよね」
「そうです」
「なら、俺は値段より祭りを優先したいです。適正価格なら十分です」
クィナスは小さく息を吐いたあと、口を開く。
「マスター、少しだけ補足します」
「ん?」
「適正価格で構いません。ただし、保管状態が良かった理由も価格へ含めてもらってください。これは欲張りではありません。適切な保管へ費用も時間もかかっています。その価値まで安くしてしまうと、真面目に管理する商人ほど損をします」
ナギルカはすぐ頷いた。
「そこは私も同意見です。保存技術も商品の価値です」
祭り担当者も納得する。
「もちろんです。そこも評価した価格になります」
オルゼンは笑った。
「それなら任せる」
クィナスも苦笑する。
「マスターは本当にこういうところだけ人を信用しすぎます」
「ナギルカなら変なことしないだろ」
「しませんよ」
ナギルカは即答した。
「でも、その信頼は裏切れませんね」
契約書が作られていく。
数量確認。
品質確認。
受領手続き。
すべてが順調に進んでいく。
その途中。
ナギルカが何気なく尋ねた。
「そういえば、この素材を大量に仕入れていた理由は何だったんですか。普通の商人なら、この量は持ちません」
オルゼンは少しだけ笑った。
「エルマに言われたんだ」
「エルマ?」
「昔から世話になってる人でさ。冬が終わる頃に仕入れておけって」
ナギルカは首を傾げる。
「商人なんですか」
「いや……商人というか」
オルゼンは少し困った。
何と言えばいいのか分からない。
「よく分からない人」
「それで仕入れたんですか」
「今思えば、そういうことになる」
ナギルカは苦笑した。
「ずいぶん信用しているんですね」
「昔から世話になってるからな。それに、あの人が理由もなく勧めることってほとんどないんだ」
クィナスはその会話を聞きながら、静かに帳面へ視線を戻す。
エルマの名が出るたび、妙なことへ巻き込まれる。
その経験だけは十分過ぎるほど積んできた。
ボルガムも向こう側から雑貨屋を覗き込み、小さく肩をすくめる。
「またあの婆さんか……。マスター、あの人の言うことを聞くなとは言わねぇが、理由を全部理解した気になるなよ。あの婆さんは十歩先どころか、その先まで見て動く。俺たちが真似をしようとしても、見えてる景色が違う。だからこそ、教わったことは一度自分の商売へ落とし込んで考えろ。それができりゃ知恵になるし、できなきゃただの偶然で終わる」
「分かってるよ。今回はたまたま当たったんじゃなくて、保管までちゃんとやったから意味があったんだと思う」
「その答えなら十分だ。仕入れだけじゃ金にならねぇ。仕入れてからどう守るか、どう使うかまで含めて商売だからな」
その言葉にナギルカも静かに頷いた。
「なるほど……だから品質がここまで違うんですね」
窓の外では、冬祭りの準備が少しずつ始まっている。
街路へ飾り付け用の柱が運ばれ、人々は今年の祭りの話題で賑わっていた。
その光景を眺めながらオルゼンは思う。
少し先を見る。
その積み重ねが、こうして思いもよらない形で商売へ繋がる。
以前の自分なら、必要になった時に考えればいいと思っていた。
だが今は違う。
未来は予想できなくても、備えることはできる。
その一歩先を考えることが、店を育てるということなのだと、新しい雑貨屋の棚へ並ぶ商品を見つめながら静かに実感していた。




