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第005話:夜そぼろ瓶

 翌朝、ボルガムはいつもより大きな袋を背負って帰ってきた。


 店の裏口が開くなり、どさり、と重い音がする。


「マスター! いい肉が手に入ったぞ!」


 厨房にいたオルゼンは振り返った。


「いい肉?」


「安い肉だ!」


「今、いい肉と言わなかったか?」


「安くていい肉だ!」


 ボルガムは得意げに袋を作業台へ置いた。


 中に入っていたのは、いくつもの肉の欠片だった。


 薄いもの。

 筋の近くのもの。

 脂が少しついたもの。

 形の悪いもの。

 大きさの揃っていないもの。


 高級な塊肉ではない。

 店先に綺麗に並べられるような肉でもない。


 いわゆる端肉だ。


 肉屋では、あまり見栄えが良くないため安く売られることが多い。

 だが、味そのものが悪いわけではない。


「クズ肉か?」


 オルゼンが聞くと、ボルガムは大きく首を振った。


「違う! 肉の端だ! 肉は肉だ! 形が悪いだけで味は同じだ!」


「なるほど」


「むしろ、部位が混じってる分、刻んで煮るならうまい。脂も赤身も筋も少しずつある。こういうのは、ちゃんと叩いて火を入れれば化ける」


 その言い方には、妙な説得力があった。


 ボルガムは料理を語る時だけ、いつもの騒がしさの中に確かな知識が混じる。


「いくらだった?」


「いつもの半分以下だ!」


「安いな」


「肉屋の親父が困ってた。形が悪いから貴族街には回せねえ。冒険者向けの煮込み屋は今日は仕入れ済み。だから俺が買った!」


「量は?」


「夜用の瓶詰め二十個分くらいだな」


 その言葉に、カウンター側からクィナスが顔を出した。


「瓶詰め?」


 耳がぴんと立っている。


「はい、詳しく聞きましょう。数量、原価、販売時間、保存性、見た目、価格帯。全部大事です」


「相変わらず速いな」


 オルゼンが言うと、クィナスは帳簿を抱えて厨房に入ってきた。


「限定商品になりそうな気配がしましたので」


「なる」


 ボルガムは胸を張った。


「夜に売る。冷ます時間が必要だからな。朝や昼には出せん」


「何を作るんです?」


 クィナスが聞く。


「そぼろだ」


「そぼろ?」


「肉を細かく叩いて、甘辛く煮る。香草と少しだけ青塩を使う。熱いうちは味が尖るが、冷めると馴染む。瓶に詰めて、夜に売る」


 オルゼンは作業台の肉を見た。


 端肉。

 安い。

 見栄えは悪い。

 だが、加工すれば関係ない。


 むしろ、形が不揃いなことが利点になる。


 細かく刻むなら、最初から形は問わない。

 味の濃い部分、脂のある部分、筋の旨みが混ざる。


「いいな」


 オルゼンは頷いた。


「瓶詰めなら持ち帰れる。夜に売れば、仕事帰りの客が買いやすい」


「飯に乗せてもいい! パンに挟んでもいい! 酒のつまみにもなる!」


 ボルガムが声を張る。


「つまり危険な商品ですね」


 クィナスが真顔で言った。


「危険?」


「一瓶で済まない可能性があります」


「最高じゃねえか!」


「お一人様二瓶までにしましょう」


「なぜだ!」


「買い占め防止です。限定二十個なら、最初の数人で終わる可能性があります」


 オルゼンも頷いた。


「一人二瓶まで。試験販売だな」


「価格はどうします?」


 クィナスが帳簿を開く。


 オルゼンは肉の量、瓶代、香辛料、火の時間、手間を考えた。


 原価は安い。

 だが、手間はかかる。

 瓶も使う。

 さらに夜限定で売るなら、安すぎるとすぐに買い占められる。


「普通の惣菜より少し高め」


「高級品ではなく?」


「高級品ではない。けれど、安売りでもない」


「いつもの面倒な値段ですね」


「そうだ」


 クィナスは満足そうに頷いた。


「では、商品名は?」


 ボルガムは少し考えた。


「肉そぼろ!」


「そのままですね」


「うまいぞ!」


「味の話ではありません」


 オルゼンは瓶を想像した。


 小さな透明瓶。

 中には濃い琥珀色に煮詰めた肉そぼろ。

 上に少しだけ香草。

 夜に売る。


「夜そぼろ瓶」


 クィナスの耳が動いた。


「いいですね。時間限定の感じが出ます」


 ボルガムも頷いた。


「夜そぼろ瓶か! いいな! 夜に食うとうまそうだ!」


「朝に食べてもいいけどな」


「それはそうだ!」


 商品名は決まった。


 ボルガムはすぐに動き始めた。


 肉の欠片を種類ごとに分ける。

 脂が多いもの。

 赤身が多いもの。

 筋に近いもの。

 硬い部分。


 それを全部一緒にはしない。


「混ぜればいいんじゃないのか?」


 オルゼンが聞くと、ボルガムは首を振った。


「火の入り方が違う。脂は先に出す。筋に近いところは細かく叩く。赤身は少し形を残す。全部一緒に刻むと、味は出るが食感が死ぬ」


「そぼろで食感まで考えるんですね」


 クィナスが感心したように言う。


「当然だ! 噛んだ時に、肉を食ってる感じがいる!」


 ボルガムは大きな包丁で肉を叩き始めた。


 どん、どん、どん。


 重い音が厨房に響く。

 しかし不思議とうるさくはない。

 一定のリズムがある。


 クィナスはその横で瓶を数えていた。


「小瓶、二十四あります」


「二十個販売。残り四つは?」


 オルゼンが聞く。


「一つは味見。ひとつはナギルカさん用に取り置き候補。ひとつは予備。ひとつは記録用です」


「記録用?」


「翌日まで味が落ちるか確認します」


「なるほど」


「ナギルカさん用は、マスターが何も言わなくても残すと思いました」


「……常連への味見だ」


「はいはい」


 クィナスは楽しそうに笑った。


 昼過ぎまで、店はいつも通り営業した。


 朝包みは完売。

 青塩の小包みも二つ売れた。

 リュナメルの種は、裏の作業台で蜂蜜水に浸されている。


 ボルガムは暇を見ては種を見に行き、そのたびにクィナスに言われていた。


「まだ芽は出ませんよ」


「分かってる!」


「一日に何度も見ても出ません」


「分かってるが、見たいんだ!」


「気持ちは分かります」


「だろう!」


 そう言いながら、ボルガムはまた厨房に戻り、夜そぼろ瓶の仕込みを続ける。


 鍋に脂を落とし、刻んだ肉を炒める。

 じゅう、と音が立つ。


 そこへ、細かく刻んだ香草、少量の青塩、甘みのある根菜のすりおろし、黒い豆醤のような調味料を加える。


 香りが変わった。


 焼き肉の匂いから、飯が欲しくなる匂いへ。

 濃い。

 甘辛い。

 けれど、青塩のわずかな涼しさが後ろにいる。


「これは売れますね」


 クィナスが真顔で言った。


「まだ食ってねえぞ」


 ボルガムが言う。


「匂いで分かります」


「そうか! なら売れる!」


「単純ですね」


「うまいものは単純でいい!」


 煮詰めた肉そぼろは、熱いうちに瓶へ詰める。

 そのままでは味が尖っているため、少し冷ます必要がある。


 瓶を並べると、二十個と少し。


 予定通りだった。


「冷めるまで開けるな」


 ボルガムが言う。


「熱いまま食っても悪くはねえが、夜そぼろ瓶は冷めてからがうまい。味が落ち着く。脂も少し固まって、飯に乗せた時に溶ける」


「説明がうまいな」


 オルゼンは感心した。


「そのまま黒板に書きたいくらいだ」


 クィナスはすでに書いていた。


『本日夜限定

 夜そぼろ瓶 二十個

 端肉を香草と甘辛だれで煮詰めました。

 飯に、パンに、酒の供に。

 冷めてからがおすすめ。

 お一人様二瓶まで。』


「早いな」


「私は優秀なので」


「知ってる」


 夕方になると、店の空気が変わった。


 朝や昼の客は、仕事前や移動中が多い。

 だが夜の客は、少し違う。


 仕事帰りの役人。

 酒場へ向かう職人。

 明日の遠征に備える冒険者。

 夕飯を手軽に済ませたい一人暮らしの者。

 家族への土産を探す者。


 そこに、夜そぼろ瓶はよく刺さった。


 入口の黒板を見た客が、次々に足を止める。


「夜そぼろ瓶?」


「二十個だけだってよ」


「飯に乗せるやつか?」


「酒にも合うって書いてあるぞ」


 開店してすぐ、一人目の客が入ってきた。


 犬族の配達人だった。


「これ、匂いがすごいですね」


「夜そぼろ瓶です」


 クィナスが瓶を一つ手に取る。


「端肉を叩いて、香草と甘辛だれで煮ています。ご飯にもパンにも合いますよ」


「いくらですか?」


 値段を聞いた配達人は、少し迷った。


 安くはない。

 だが、高すぎるわけでもない。


「一つください」


「ありがとうございます」


 彼は瓶を受け取り、店を出る前にもう一度振り返った。


「これ、明日もあります?」


「本日は試験販売です」


「じゃあ、食べて美味しかったら後悔するやつですね」


「その可能性はあります」


「二つ買っていいですか?」


「お一人様二瓶までです」


「じゃあ二つで」


 クィナスは笑顔で二瓶目を渡した。


 帳簿に記録する。


 犬族配達人。

 二瓶購入。

 匂い反応強。


 次に来たのは、近くの鍛冶職人だった。


「酒に合うって本当か?」


 ボルガムが厨房から顔を出す。


「合う! 濃い酒なら少しずつつまめ! 薄い酒ならパンに乗せろ!」


「じゃあ二つ」


「即決ですね」


 クィナスが言う。


「熊族がそこまで言うなら間違いねえだろ」


「いい判断だ!」


 ボルガムは満足げに笑った。


 夜そぼろ瓶は、じわじわと売れた。


 爆発的にではない。

 だが、買った客が店先で匂いを確認し、その反応を見た次の客が興味を持つ。


 瓶の中身は地味だ。

 ただの茶色い肉そぼろに見える。


 だが、匂いが強い。


 腹を空かせた夜の客には、それだけで十分だった。


 残りが八個になった頃、ナギルカが店に来た。


 今日は役所帰りらしく、少し疲れている。

 だが、入口の黒板を見て足を止めた。


「夜そぼろ瓶……?」


「いらっしゃいませ、ナギルカさん」


 クィナスがにこにこしながら手を振る。


「今日は昼ではなく夜に来ましたね。珍しいです」


「南門の件で少し遅くなってしまって」


「お疲れ様です。そういう日には、肉です」


「肉ですか」


「肉です」


 ボルガムが厨房から大声で言った。


「ナギルカ嬢! 今日は飯に乗せるとうまいやつだ!」


「飯に乗せると……」


 ナギルカは明らかに興味を引かれていた。


 オルゼンはカウンターの下から、一瓶を出した。


 取り置いていた分だ。


「味見用に残しておきました」


「またですか?」


「常連への確認です」


 クィナスがすぐに言う。


「はい。常連への確認です」


 ナギルカは少しだけ困ったように笑った。


「では、確認します」


 ボルガムが小皿に少しだけ夜そぼろを出し、薄く焼いたパンを添えた。


 ナギルカはそれを少し乗せて食べる。


 次の瞬間、彼女の目が静かに開いた。


 大きな反応ではない。

 だが、分かりやすい。


「……これは、危ないです」


 クィナスが帳簿を開く。


「ナギルカさん、夜そぼろ瓶評価。危ない」


「そのまま書かないでください」


「では、非常に食が進む、にします」


「それなら」


 ボルガムが嬉しそうに聞く。


「どう危ない?」


「少しだけのつもりが、もう少し食べたくなります。味が濃いのに、後味が重すぎません。青塩ですか?」


「おう! ほんの少しだけだ! 入れすぎると台無しだからな!」


「なるほど……」


 ナギルカは真面目に頷いた。


「役所の食堂でも、こういう保存のきく惣菜は需要がありそうです。夜勤の職員が多いので」


 クィナスの耳が立つ。


「夜勤職員向け」


「いえ、まだ独り言です」


「業務上の?」


「業務上ではなく、空腹上の独り言です」


 オルゼンは思わず笑った。


「買っていきますか?」


「はい。一瓶ください」


「一瓶でいいんですか?」


 ナギルカは少し迷った。


「……二瓶でお願いします」


 クィナスが満足そうに頷く。


「正しい判断です」


 ナギルカが帰る頃には、夜そぼろ瓶は残り三つになっていた。


 そして最後の三つは、酒場帰りの職人たちが買っていった。


 完売。


 黒板の横に、クィナスが小さな札を掛ける。


『夜そぼろ瓶 本日完売』


 ボルガムは腕を組み、満足そうに鼻を鳴らした。


「よし!」


「売れましたね」


 クィナスが帳簿を見ながら言う。


「二十個、完売。購入者の反応良好。二瓶購入率高め。再販希望あり。夜向け商品として有望」


「原価は?」


 オルゼンが聞くと、クィナスはすぐに数字を示した。


「肉が安く仕入れられたので利益は良いです。ただし、手間と瓶代を考えると、常時販売には向きません」


「限定向きだな」


「はい。肉屋で良い端肉が出た日限定。夜販売。二十個前後」


 ボルガムが頷いた。


「端肉は毎日同じ質じゃねえ。いいのがある日だけだ。悪い肉で作ったら駄目だ」


「そこは任せる」


 オルゼンが言うと、ボルガムは嬉しそうに笑った。


「任された!」


 クィナスは帳簿に新しい項目を書き加えた。


『夜そぼろ瓶

 端肉仕入れ時限定

 夜販売

 二十個目安

 お一人様二瓶まで

 青塩少量使用』


 それを見て、オルゼンは小さく頷いた。


 安く仕入れた端肉。

 形が悪いからと、価値を低く見られた肉。


 だが、料理人が手をかければ商品になる。

 売り方を決めれば、限定品になる。

 客の生活に合えば、また欲しいと言われる。


 商売とは、そういうものだ。


 高いものを高く売るだけではない。


 安く見られているものに、正しい場所と形を与える。

 それも商人の仕事だった。


 閉店後。


 ボルガムは裏の作業台で、リュナメルの種を確認していた。


「まだ出ませんよ」


 クィナスが言う。


「分かってる!」


「でも見たいんですね」


「見たい!」


 オルゼンはカウンターの上を片づけながら、その様子を見ていた。


 棚には青塩。

 帳簿にはリュナメルの栽培記録。

 そして今日、新しく夜そぼろ瓶が加わった。


 この店の商品は、少しずつ増えていく。


 珍しいもの。

 安いもの。

 手間をかけたもの。

 客がまた食べたいと思うもの。


 どれも派手ではない。


 けれど、小さな店にはそれくらいがちょうどいい。


 ボルガムが種を見ながら、ふと呟いた。


「芽が出たら、リュナメル入りのそぼろも作れるかもしれねえな」


 クィナスが顔を上げる。


「甘い果実と肉ですか?」


「脂の多い肉なら合う。酸味があるからな」


「高級夜そぼろ瓶ですね」


「おお、強そうだ!」


 オルゼンは笑った。


「まず芽が出てからだな」


「そうだな!」


 ボルガムは種の入った器を大事そうに棚へ戻した。


 夜の店に、甘辛い肉の残り香が漂っている。


 明日になれば、この匂いを覚えた客がまた来るかもしれない。

 夜そぼろ瓶はあるかと聞くかもしれない。

 だが、毎日は出さない。


 いい端肉が入った日だけ。

 冷ます時間が取れる日だけ。

 ボルガムが納得した日だけ。


 それでいい。


 限定品とは、数が少ないから価値があるのではない。


 また出会えるか分からないから、記憶に残る。


 オルゼンは入口の札を『閉店』に変えた。


 今日も店は、無事に終わった。


 ただし、帳簿の新しい一行が、明日の商売を少しだけ面白くしていた。

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