第049話:新たな店、新たな一歩
朝の柔らかな冬の日差しが街並みを照らす頃、オルゼンたちは完成したばかりの新店舗の前へ集まっていた。
二週間以上に及んだ工事は予定通り終わり、昨日すべての建築工程が完了したばかりである。しかし、それは建物として完成したというだけで、本当の意味で店が完成したわけではなかった。
新しい厨房へ運び込まれる大型冷蔵庫。調理台。包装用の作業机。魔導保温設備。収納棚。共同販売館へ出荷するための保管棚。洗い場の各設備。まだ搬入を待つ機材は数多く残っており、職人たちは今日からその据え付け作業へ入る予定だった。
親方は図面を丸めながら笑う。
「建物は完成だ。だが店ってのは建てて終わりじゃねぇ。道具が入って、人が動いて、初めて生き始める。あと数日は俺たちも出入りするから、悪いがまだ通常営業は待ってくれ」
「十分です」
オルゼンは素直に頭を下げた。
「ここまで予定通り進めてもらえただけでも助かりました」
「おう。その代わり、開店したら一回食わせろよ」
その一言に全員が笑う。
職人たちが作業へ向かうのを見送り、一同は改めて新しい店舗の中へ足を踏み入れた。
木の香りがまだ新しい。
壁も床も磨き上げられ、広くなった作業場は以前とは比べものにならないほど動きやすそうだった。
「広いですねぇ……」
メルフィアが思わず見渡す。
「ここ全部が作業場になるなんて、まだ実感がありません」
レイシャも静かに歩きながら視線を巡らせる。
「洗い場だけでも二人並んで十分作業できます。以前は少し身体をずらしながらでしたから」
ボルガムは厨房へ入ると腕を組み、ゆっくりと一周した。
「いやぁ……これはいい。料理人ってのは火元と調理台、それから冷蔵設備までの歩数を身体で覚える生き物なんだ。二歩が三歩になるだけでも、一日何百回も往復すりゃ最後には疲れになる。逆に一歩減るだけでも身体は驚くほど楽になる。この配置なら鍋から盛り付けまで流れが綺麗だ。親方たち、相当考えてくれたな」
カイルも目を輝かせる。
「師匠、ここなら二人で動いてもぶつかりませんね」
「だからいいんだ」
ボルガムは笑った。
「料理は一人で作るもんじゃねぇ。人が増えるほど導線が命になる。狭い厨房じゃ『そこどいてくれ』『今通るぞ』ばっかりになるが、ここなら互いに仕事へ集中できる。それだけで味まで安定する」
クィナスは新しい帳場へ立ち、窓から店内を眺めていた。
「マスター、この位置、とても見やすいです。販売側も入口も包装場所も全部視界へ入ります。帳簿を書いていても全体が見渡せますし、お客様が入って来られた瞬間も分かります。これは本当に助かりますね」
「良かった」
「それにですね」
クィナスは嬉しそうに歩き始める。
「包装棚まで近くなりました。以前は何度も往復していましたけど、この距離なら商品をお渡しするまでの時間も短くできます。お客様はほんの数十秒でも待ち時間って長く感じるものですから、その積み重ねはきっと大きいですよ」
全員がそれぞれ新しい店を見て回り、完成後の姿を思い描いていた。
その後、オルゼンは皆を集めた。
「今日は予定通り、そぼろ瓶を販売しよう」
クィナスが帳簿を開く。
「百八十本用意した内訳を確認します。今日六十本、明日六十本。合計百二十本を販売します」
「残りは」
「三十本は日頃お世話になっている方々への贈り物ですね」
オルゼンは頷く。
「工事中も支えてくれた人たちへ渡したい」
ラグネル。
バルドーク。
ナギルカ。
親方たち。
イェルミナ。
そして、これまで店を支えてくれた数名。
商売は信用で成り立つ。
だからこそ、利益だけではなく感謝を形にすることも大切だった。
クィナスは微笑む。
「私はこういう使い方、好きですよ。帳簿だけ見れば利益にはなりません。でも信用って数字に表れ始めるまで時間が掛かるものなんです。だから先に種を蒔く。そうすると何年か後にちゃんと実ります」
ボルガムも大きく頷いた。
「料理も同じだな。一回食わせて終わりじゃねぇ。『また食いたい』と思ってもらえるかどうかが勝負なんだ。贈り物ってのは味を届けるだけじゃねぇ、『あの店はこういう時にも俺たちを思い出してくれた』って記憶まで残る。人間ってのは案外そういうもんを忘れねぇ」
「残り三十本は」
クィナスが続きを引き継ぐ。
「新店舗オープン記念ですね」
「そうしよう」
全員が頷いた。
「では今日の担当です」
クィナスが紙を広げる。
「第一班はマスターと私です。途中からミレイユも合流します」
「場所は」
「中央図書館前広場です」
「第二班はボルガムとカイル」
「職人工房街だな」
「はい。そして第三班はレイシャとメルフィア」
「都市植物園入口ですね」
レイシャが確認する。
「移動時間も問題ありません」
「販売数は各班二十本ずつ。売り切れたら終了です」
クィナスは最後に笑った。
「今日は利益を追う日ではありません。新しい店がもうすぐ始まる、そのご挨拶です。いつものお客様にも、新しいお客様にも、『また戻ってきます』という気持ちを届けましょう」
その言葉に全員の表情が引き締まる。
荷車からそれぞれ二十本ずつ箱へ移し替え、各班が街へ向かって歩き始めた。
冬の空気は冷たい。
けれど、新しい店を待つ期待は、それ以上に胸を温かくしていた。
街の三か所で始まる、小さな二日間の販売会。
それは単なる臨時営業ではない。
新しい店へ続く、人との縁をさらに結ぶための第一歩となろうとしていた。




