第048話:育つ姿は、誰にも分からない
旅人の二人が店を後にしてからもしばらく、店内には静かな空気が流れていた。
客足もひと段落し、販売側にはオルゼンとボルガム、それにカイルだけが残っている。
クィナスは帳簿を片付けながら鉢植えを覗き込み、小さく耳を揺らした。
「綺麗なお花ですね。派手じゃないのに、不思議と目が行きます」
レイシャも近寄る。
「葉の形も少し変わっています。普通の草花とは違いますね」
メルフィアは花弁を見ながら微笑んだ。
「白なのに冷たい色じゃないですね。銀色が入っているのに、どこか温かく見えます」
それぞれが思ったことを口にする中、オルゼンだけは静かに鉢を見つめていた。
どこか懐かしい。
それなのに、何か違う。
そんな感覚だった。
「マスター」
クィナスが優しく声を掛ける。
「何か思い出したんですか」
オルゼンは少し考えてから頷いた。
「子どもの頃にな」
全員の視線が集まる。
「ばあちゃん……エルマが庭で育てていた花に似てるんだ」
「へぇ」
カイルが興味津々に身を乗り出す。
「同じ花なんですか」
「いや」
オルゼンはゆっくり首を横へ振った。
「見た目は似てるけど、さっき旅人さんが言ってた通り、これは銀縁蒼月っていう亜種らしい。俺が見たのは普通の蒼月花だったと思う」
そう言って笑う。
「でも、その花も普通じゃなかった」
ボルガムが腕を組む。
「普通じゃなかったっていうと、育ち方が違ったのか」
「うん」
子どもの頃の記憶を辿るように目を細める。
「最初は本当に普通の花だったんだ。庭の片隅に一輪だけ咲いていて、ばあちゃんが毎日水をやってた」
「それなら普通ですね」
クィナスが頷く。
「ところが、ある日から急に枝分かれを始めた」
「枝分かれ」
「一本だった茎が二本になって、その次は四本、その次は八本」
カイルが目を丸くする。
「そんなにですか」
「しかも花の色まで少しずつ変わっていった」
誰も口を挟まない。
オルゼンも思い出しながら苦笑している。
「最後なんて庭の半分くらいまで広がってさ」
「えっ」
「朝起きるたびに増えてるんだ」
メルフィアが思わず笑う。
「ちょっと可愛いですね」
「最初は俺もそう思ってた」
オルゼンは苦笑する。
「でもある朝起きたら、家の屋根にまで蔓みたいなのが伸びてて、庭木を全部包み始めた」
「それは可愛くないですね」
レイシャが真顔で呟く。
「全然可愛くなかった」
オルゼンは笑いながら続ける。
「近所のおじさんまで集まって『何だこれは』って騒ぎになった」
カイルも笑い始める。
「どうしたんです」
「ばあちゃんが一言だけ言った」
エルマの口調を真似する。
『今日は元気じゃのぉ』
その瞬間。
店中が笑いに包まれた。
ボルガムは腹を抱えて笑っている。
「はっはっは! 普通なら慌てる場面だろうに、その婆さんは褒めたのか! いやぁ、その話だけでどんな人物だったか何となく分かるな。植物が庭を埋め尽くしても『元気で何より』って言える奴は、そうそういねぇ」
クィナスも肩を震わせて笑う。
「マスターのお話を聞いていると、エルマさんって本当に規格外ですね。以前お会いした時も思いましたけど、普通の基準が全部違う方なんでしょうね」
オルゼンも笑う。
「そのあと一日かけて剪定してたけどな」
「一日で済んだんですか」
「済んだというより……」
少し間を置く。
「翌日にはまた元に戻ってた」
「戻るんですか!?」
カイルが大声を出した。
「だから俺、ちょっと怖かったんだ」
その時の自分を思い出して笑う。
「夜になると窓の外で葉っぱが揺れるだけで、『また増えてるんじゃないか』って毎日確認してた」
ボルガムはまだ笑っている。
「いやぁ、マスターの子どもの頃もなかなか大変だったんだな。俺なんか熊族の集落で育ったから、木が倒れても『まぁそんな日もある』で終わるが、その花は話を聞く限り生き物みてぇじゃねぇか」
「結局どうなったんですか」
メルフィアが尋ねる。
「ある日突然、全部の花が一斉に散った」
「散った」
「それっきり」
オルゼンは静かに銀縁蒼月を見る。
「だから結局、あれが何だったのか今でも分からない」
少しだけ微笑む。
「ばあちゃんも最後まで教えてくれなかったし」
クィナスは鉢を覗き込みながら考える。
「でも、今回のは違うんですよね」
「うん」
「銀縁蒼月」
その名を静かに口にする。
「旅人さんも亜種だって言ってましたし、同じように育つとは限りませんね」
「むしろ違う可能性の方が高いだろうな」
レイシャも頷く。
「植物の亜種は成長の仕方まで変わることがあります」
ボルガムは花を見ながら穏やかに笑った。
「植物も料理も似てるんだよ。見た目が同じでも、中身は育った土地や環境で全然違う。だから決めつけねぇ方が面白い。『前はこうだった』って思い込むより、『今回はどう育つんだろう』って楽しみにしてた方が毎日見に行く理由になる」
その言葉にオルゼンも頷いた。
「そうだな」
銀色の縁を持つ小さな花は、冬の日差しを受けて静かに揺れている。
普通の蒼月花とは違う。
エルマが育てた花とも違う。
ならば、この花は何になるのか。
それは誰にも分からない。
だからこそ、毎日少しずつ成長を見守る楽しみがある。
オルゼンは店の窓際へ鉢植えを置きながら、小さく笑った。
「ゆっくり育てよう」
その言葉に応えるように、銀縁蒼月の葉が冬の柔らかな風に、小さく一度だけ揺れた。




