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第050話:冬の植物園

 都市植物園へ続く大通りは、冬の午前らしい薄い光に包まれていた。空は高く晴れていたものの、建物の間を抜けてくる風には冷たさがあり、通りを歩く者たちは外套の襟を寄せ、あるいは手袋をした手を擦り合わせながら足早に目的地へ向かっている。その中で、レイシャとメルフィアは二十個のそぼろ瓶を収めた木箱と、小さく折り畳める販売台、それに価格と販売時間を記した札を載せた手押し車をゆっくり押しながら、植物園の入口前に設けられた臨時露店区画を目指していた。


 都市植物園は、中央通りの賑わいから少し離れた場所にありながら、休日には思いのほか多くの人が訪れる場所だった。薬草や花木を扱う商人、庭園づくりを学ぶ職人、絵や染色の題材を求める者、季節ごとの展示を楽しみに来る家族連れまで、訪れる理由はさまざまである。植物園の正門は蔓草を模した鉄柵と淡い灰色の石柱で作られており、その向こうには冬の寒さから植物を守る大きな温室の硝子屋根が見えていた。朝の光を受けた屋根は白く霞むように輝き、温室の内側から立ち上る水気が時折薄い雲のように硝子へ広がっている。


 販売場所へ着くなり、メルフィアは手押し車の取っ手から手を離し、思わず温室を見上げた。普段から色や形へ強く惹かれる彼女にとって、外から見える範囲だけでも植物園は宝箱のように感じられたらしい。冬枯れの庭木の向こうに、赤や黄の花らしき色が硝子越しに淡く揺れており、正門脇の花壇には寒さに耐える背の低い草花が、薄紫、乳白、深い藍と、互いを邪魔しないよう計算された間隔で植えられている。


「レイシャさん、入口だけでも色の置き方がすごく綺麗です。紫をずっと続けないで、間に白を入れているから暗く見えませんし、葉の緑も全部同じじゃないんですね。銀色に近い葉を混ぜてあるから、冬なのに寂しく見えないです」


 販売台を広げていたレイシャは、作業の手を止めずに花壇へ一度だけ視線を向けた。花の種類までは分からなくとも、メルフィアが何に心を動かされているのかは、その声の明るさで十分に伝わってくる。


「見ている場所が私とは違いますね。私は通路の幅や、人がどこで足を止めるかばかり見ていました。入口の花壇は綺麗だとは思いましたが、白が紫を明るく見せているところまでは考えていませんでした」


「私も、少し前までは綺麗だなって思うだけだったんです。でも、お店で料理を並べるようになってから、どうして綺麗に見えるのかを考えるようになりました。ボルガムさんの料理は茶色や赤が多いですけど、葉物を少し置いたり、包み紙の色を変えたりするだけで全然印象が違いますから。こういう場所なら、まだ知らない組み合わせがたくさん見つかりそうです」


 そう話しながらも、メルフィアは販売の準備を忘れてはいなかった。手押し車から厚手の布を取り出して台へ敷き、その上へ瓶を並べ始める。ただし、最初から二十個すべてを出すのではなく、正面へ六個、その後ろへ少し高さをつけて四個だけを置き、残りは木箱の中へ収めたまま台の下へ置いた。瓶を一直線に並べるより、数に奥行きを持たせた方が目に留まりやすいと考えたらしい。さらに彼女は、持参した淡い緑色の小布を瓶の下へ斜めに差し込み、茶褐色のそぼろが硝子越しに重く見えないよう整えた。


 レイシャはその手元をしばらく見た後、素直に感心を示した。


「先ほどまで、瓶はすべて同じように並べればよいと思っていました。ですが、その形の方が商品を選びやすそうです。正面の瓶へ自然に目が行きますし、後ろにもまだあると分かります」


「全部をきっちり揃えると、綺麗ですけど少し固く見えることがあるんです。植物園に来る人なら、整いすぎているより少し動きがあった方が立ち止まってくれるかなと思って。あっ、でも崩れて見えるほどにはしないです。お店の商品ですから」


「その判断は任せます。私は瓶が落ちないことと、代金を間違えないことに集中します」


 レイシャが真顔で言ったため、メルフィアは一瞬だけ目を丸くしたあと、柔らかく笑った。レイシャ自身は冗談を言ったつもりではなかったのだろうが、その真面目さがかえって親しみを感じさせた。


 準備を終え、販売開始の時刻になると、二人は台の前へ小さな札を立てた。そこには店名と、工事期間中の限定販売であること、今日の販売数が二十個であること、肉の旨味を生かして甘辛く仕上げた一種類のみであることが、クィナスの整った字で分かりやすく記されている。


 最初の客は、植物園の開門を待っていた年配の夫婦だった。二人は正門の方へ向かう途中、瓶の並びへ目を留め、少し速度を落としたものの、そのまま声を掛けるほどではないようだった。メルフィアが呼び止めようか迷う気配を見せると、レイシャは小さく首を振り、客の足が自然に止まるのを待った。押しつけるような声掛けはしない。その代わり、夫婦が商品札を読める位置へ台をほんの少しだけ向け直すと、妻の方が立ち止まり、瓶の中を覗き込んだ。


「これは何に使うものなのかしら。見たところ、お肉を細かくしたもののようだけれど」


 レイシャは相手が瓶から目を上げるのを待ってから、落ち着いた声で説明した。


「肉を細かくほぐし、香辛料と調味料で水分を飛ばしながら煮詰めたものです。そのままパンへ挟んでもよいですし、温かい穀物へ載せても召し上がれます。今の店舗が工事中のため、今日と明日だけ別の場所で販売しておりまして、こちらはその期間に合わせて用意した一種類だけの商品になります」


「保存はどのくらい利くの」


「未開封なら、冷暗所でしばらく保管できます。ただ、開封後は冷やして、なるべく早めにお召し上がりください。味が濃すぎないよう作ってありますので、料理の具として加えることもできます」


 夫が瓶を一つ手に取り、硝子越しに中身を確かめる。持ち上げた時の重さや、表面へ浮いた脂の少なさを見ていたのだろう。しばらくしてから妻と顔を見合わせ、まず一つ買うことに決めた。メルフィアは代金を受け取り、瓶を布で包みながら、植物園帰りにも持ち歩きやすいよう紐を少し長めに結んだ。


 一つ目が売れると、不思議なことに次の客はすぐに現れた。露店というものは、誰も立ち止まっていない時には入りづらく、一人でも商品を見ている者がいると自然に人を呼ぶ。園芸用の手袋を腰へ下げた中年の女性が、先ほどの夫婦とのやり取りを聞いていたらしく、店名を確かめるように札を読み、それから二人へ声を掛けた。


「この店、中央通りの少し奥にあるところでしょう。昼前にはよく列ができている」


「はい、そちらです。現在は店舗を広くする工事をしているため、持ち帰りの商品を通常通りお出しできません。それで今日は、保存できる瓶の商品だけをこちらへ持ってきました」


「やっぱりそうなのね。何度か前を通ったけれど、いつも売り切れていたから買ったことはないのよ。今日は運が良かったわ」


 女性は二つ買い、一つは家族へ、もう一つは近所へ分けるのだと話した。さらにその様子を見て、植物の写生道具を抱えた若者が一つ、温室の職員らしい服装の者が昼食用に一つと、ゆっくりではあるが着実に瓶は減っていった。


 メルフィアは客が途切れるたびに瓶の位置を微調整していた。売れた場所をそのまま空けるのではなく、残った瓶同士の間隔を変え、数が少なくなっても寂しく見えないよう整える。人が右側から多く歩いてくると分かれば、札の角度をわずかに変え、正門から出てくる者が多くなれば布の端を直して反対側からも商品名が見えるようにした。


 その動きを見ていたレイシャは、代金箱を整理しながら尋ねた。


「メルフィアは、どの方向から人が来るかまで色と同じように見ているのですか」


「色だけじゃないと思います。並べ方も、人の流れも、見てもらうためには全部必要なんだって、最近分かってきました。たとえば、さっきの女性は右側から来ましたけど、最初に見たのは瓶じゃなくて薄緑の布でした。そこから視線が瓶へ移って、最後に札を読んでいました。たぶん、布がなかったらそのまま通り過ぎていたかもしれません」


「よく見ていますね」


「お客様の顔をじっと見るわけにはいかないので、視線だけを何となく見るんです。お店でも、料理を受け取った時に最初にどこを見たかで、良かった場所や足りなかった場所が少し分かる気がします」


 レイシャは一度、販売台から離れて通行人と同じ位置へ立ち、店の見え方を確かめた。彼女はこれまで、商品を正確に渡すこと、客の質問へ間違いなく答えること、列が乱れないよう周囲へ注意を向けることを重視していた。それらは決して間違いではなく、実際に販売には欠かせない。しかしメルフィアは、客が質問をする前、そもそも足を止める前の瞬間を見ている。


「私は、人が近づいた後のことばかり考えていました。ですが、近づきたいと思わせるところから販売は始まっているのですね」


「クィナスさんも、たぶんそういうところをずっと見ているんだと思います。私は数字はまだよく分かりませんけど、色や形なら少し分かります。それぞれ見えるものが違うから、一緒にやると上手くいくのかもしれません」


「そうですね。私も、店へ入ったばかりの頃は、自分にできることだけをすればよいと思っていました。けれど今は、誰かが見落としたものを別の誰かが拾うことが、同じ場所で働く意味なのだと思います」


 その言葉を口にしたレイシャは、自分自身でも少し意外そうに黙った。以前の彼女なら、仕事とは任された役割を果たすことであり、他人と足並みを揃えることは必要でも、そこへ特別な意味を見いだすことはなかった。だが、オルゼンの店で働き始めてからは、得意な者が不得意な者を補い、失敗した時には誰かが責めるより先に手を伸ばすという関係が、少しずつ当たり前になっている。自分の変化を大げさに語るつもりはなかったが、今の言葉はその実感から自然に出たものだった。


 昼が近づくと、植物園前の人通りはさらに増えた。冬季展示の案内を見に来た者や、温室内の休憩所で昼食を取ろうとする者が正門へ集まり、そぼろ瓶も残り八個まで減っていた。その頃、通りの向こうから二人の男性が歩いてくるのを、レイシャは客へ商品を渡しながら視界の端で捉えた。


 一人は整った冬用の外套を着た若い男で、派手な装飾を身につけているわけではないが、布地の質や仕立ての良さは、見る者が見れば決して庶民向けではないと分かるものだった。歩き方には急ぐ様子がなく、周囲を見渡す時にも落ち着きがあり、植物園の景観そのものを楽しんでいるように見える。その半歩ほど後ろを歩くもう一人も年齢は近く、控えめな色の服装をしていたが、姿勢の正しさと、前を歩く者だけでなく周囲の人間の動きまで無意識に把握している目つきが、ただの友人とは違う立場を感じさせた。


 アルフェンとロイだった。


 先にレイシャへ気づいたのはアルフェンの方である。彼は足を止めると、意外そうに目を細めたあと、以前会った時と変わらない柔らかな笑みを浮かべて販売台へ近づいてきた。ロイもすぐにその視線の先を確かめ、何も言わずに歩調を合わせる。


「偶然ですね、レイシャ。今日は植物園を見に来たのかと思いましたが、その様子ではお仕事のようですね」


 レイシャは客へ釣り銭を渡し終えてから、二人へ向き直った。以前、休日に会った時とは違い、今は店の商品を預かる立場であるため、親しさだけを前へ出さないよう自然と背筋が伸びる。


「はい。店舗の工事は建物の部分まで終わりましたが、まだ調理台や魔道具の設置が残っています。そのため通常の持ち帰り販売は再開せず、今日と明日の二日だけ、三組に分かれて瓶の商品を販売しています。私たちは植物園前の担当になりました」


「三組に分かれて、ということは、ほかの場所でも同じ商品を売っているのですね」


「場所ごとに二十個ずつです。こちらも残りは七個になりました」


 アルフェンは並んでいる瓶へ目を落とし、興味深そうに中身を眺めた。以前オルゼンの店を訪れたことがある彼にとって、商品そのものへの興味だけではなく、なぜ植物園前という場所を選んだのかも気になったのだろう。


「植物園の前とは、少し意外でした。食べ物を売るなら、商店街や職人街の方が分かりやすいと思っていましたが、ここを選んだ理由があるのですか」


 レイシャは一瞬、どう説明すべきか考えた。販売計画を決めたのは全員であり、ここへ来た目的は単に人の多い場所で売ることだけではない。


「今の店には、それぞれ違う得意分野を持つ者がいます。私と一緒に来ているメルフィアは、商品の色や盛り付けを考える役割を担っていますので、植物園なら販売をしながら多くの色や形を見られるのではないかと考えました。私も、普段とは違う客層へ説明する経験を得られます。売るだけで終わらず、店へ持ち帰れるものがある場所として選びました」


 その答えに、アルフェンは感心したように頷いた。


「なるほど。露店を営業の代わりとしてだけ考えているのではなく、学ぶ機会にもしているのですね。店が使えない期間を不便として終わらせず、普段なら訪れない場所へ出る理由に変えている。そういう考え方は、言葉にすれば簡単ですが、実際に行うには皆が同じ方向を見ていなければ難しいでしょう」


「マスターは、無理に今までと同じ営業を続けて品質を落とすより、一度止める方を選びました。ただ、止めている間にもできることはあると考えています。私たちも、その判断に納得しています」


 ロイは会話へ割り込まず、少し離れた位置から販売台と周囲の人通りを見ていたが、客が二人続けて足を止めたため、アルフェンの立ち位置をさりげなく横へ誘導した。それだけで通路が広がり、商品を見ようとする者が台の前へ入りやすくなる。レイシャはその気遣いに気づき、客への対応を終えたところで小さく頭を下げた。


「ありがとうございます。人の流れを塞いでいました」


「いえ、アルフェン様は興味を持つと周囲が見えなくなることがありますので、私が少し気をつけているだけです。今日は植物園の管理者と会う予定がありましたが、時間には余裕があります。どうぞこちらを優先してください」


「ロイ、その言い方では、私が毎回人の邪魔をしているように聞こえるよ」


「毎回とは申し上げておりません。興味を持った時だけですので、それほど頻繁ではないでしょう」


 言葉遣いは丁寧だったが、二人の間には主従というだけではない、長く行動を共にしてきた者同士の気安さがあった。アルフェンも不満そうに見せながら、本気で咎める気はないらしく、苦笑している。


 メルフィアは少し離れたところで商品を包みながら、二人のやり取りを興味深そうに見ていた。しかし客への対応が終わると、すぐにレイシャの隣へ戻り、明るく頭を下げた。


「いらっしゃいませ。こちらは今日と明日だけの限定販売で、温かいご飯やパンに合わせやすい味にしています。今は試食をご用意できないのですが、お肉の脂を重く残さないようにしてあるので、見た目より食べやすいと思います」


 アルフェンは、メルフィアが商品について話しながらも、瓶の並びを崩さないよう手を添えている様子へ目を留めた。


「あなたが、先ほどレイシャの話していた色や盛り付けを担当している方ですね」


「はい、メルフィアと申します。まだ働き始めたばかりで、料理そのものはほかの方々に教えていただいているところですが、商品が少しでも美味しそうに見えるよう考える役割を任せてもらっています」


「この瓶の並べ方も、あなたが考えたのですか」


「そうです。植物園の入口なので、普通の市場みたいにたくさん積み上げるより、少し花壇みたいに高さを変えた方が、この場所に馴染むかなと思いました。布の色も、お肉の色が暗く見えないように薄い緑にしています」


 アルフェンは販売台から数歩離れ、通行人と同じ角度から全体を眺めた。その仕草は、ただ商品を買いに来た客というより、美術品や庭園の配置を確かめる者に近い。しばらく見た後、彼は納得したように笑った。


「確かに、商品だけが浮いて見えませんね。露店なのに、植物園の入口へ以前から置かれていたように馴染んでいます。物を目立たせるために周囲から切り離すのではなく、周囲へ馴染ませた結果として見つけてもらう。興味深い考え方です」


 メルフィアは褒められたことを嬉しく思いながらも、少し恥ずかしそうに指先を重ねた。


「ありがとうございます。でも、まだ偶然うまくいったところも多いです。さっきからお客様がどこを見ているのかを観察して、少しずつ並べ方を変えているので、最初から全部分かっていたわけではありません」


「それは偶然ではなく、試しながら答えを見つけているのでしょう。最初から正解を知っていることより、変化へ気づいて直せることの方が、長く続ける仕事では大切だと思います」


 アルフェンの言葉に、メルフィアは何度か小さく頷いた。彼の話し方は評価を押しつけるものではなく、本人が気づいていない長所を一度手渡して、あとは自分で考えられるようにする穏やかさがあった。


 その間にも客は続き、残りは四個となった。アルフェンはロイへ視線を向けると、相談というほど大げさではない口調で尋ねた。


「二つ買っても構わないかな。一つは今夜の食事にして、もう一つは持ち帰りたい」


「アルフェン様のお好きなようになさってください。ただし、すべて買い占めるようなことはお控えください。限定品と聞くと時折そうなさいますので」


「そこまで節度がないと思われていたのか」


「以前、地方の工房で試作品を残らず買い取ったことを忘れておられるのでしたら、私は何も申し上げません」


「それは職人が次の製作資金に困っていたからで、買い占めが目的ではなかったよ」


「結果として店頭から消えたことは同じです」


 レイシャは二人の会話を聞きながら、わずかに口元を緩めた。アルフェンが身につけているものやロイの振る舞いから、裕福な家の出身であることは以前から察していたが、ロイが遠慮なく釘を刺し、アルフェンもそれを受け入れている様子を見ると、単純な主人と使用人という関係では説明しきれない信頼があるように感じられた。


「まだほかのお客様もいらっしゃるかもしれませんので、二個にしておきます」


 アルフェンはそう言って代金を渡した。メルフィアが二つの瓶を包み始めると、ロイがその手元を見ながら、持ち運ぶ時間を尋ねた。


「このあと植物園の中を回る予定ですが、温室の中は外よりかなり暖かくなります。長く持ち歩いても問題はありませんか」


 レイシャはすぐに答えた。


「短時間であれば問題ありませんが、暖かい場所へ長く置くより、植物園の受付で荷物を預けられるなら、そちらへ頼んだ方が安心です。帰宅後も日差しの当たらない涼しい場所へ置いてください」


「承知しました。商品を売るだけでなく、その後の扱いまできちんと説明されるのですね」


「食べるまでが商品だと、店の料理担当がよく話しています。渡した後に状態が悪くなれば、作った時にどれだけ良い味でも意味がありません」


「それはもっともです。では、受付へ預けることにします」


 ロイは二つの包みを受け取ると、重さを確かめるように持ち直した。アルフェンはすぐには立ち去らず、販売台の残り二個と、途切れずに訪れる客の流れを見ながら、レイシャへ声を掛けた。


「以前会った時は、休みの日のレイシャしか知りませんでした。今日こうして働いている姿を見ると、あなたがあの店を大切にしていることがよく分かります。説明する時も、店の人たちの考えを自分の言葉で話していましたね」


 レイシャはその言葉へどう返すか少し迷った。大切にしている、と他人から明確に言われたことが、思いのほか胸の奥へ残ったからである。


「最初は、働く場所として受け入れてもらっただけでした。ですが今は、戻る場所に近いものだと思っています。私がいなくても店は続きますし、誰か一人が欠けただけで止まるような場所でもありません。それでも、自分がそこにいることを当然のように受け止めてもらえるので、私もできることを返したいと思うようになりました」


 アルフェンはすぐに言葉を重ねず、レイシャの表情を静かに見ていた。彼女が普段あまり感情を大きく表さないことを知っているからこそ、今の言葉が軽いものではないと分かったのだろう。


「良い場所を見つけたのですね」


「はい」


 レイシャは迷わず答えた。その短い返事には、余計な説明を必要としない確かさがあった。


 そこへ、植物園から出てきた親子が最後の二個へ目を留めた。小さな子どもが瓶の中身を見て、夕食に食べたいと母親の袖を引き、母親は少し悩んだ末に二個とも買うことを決めた。メルフィアが最後の包みを丁寧に結び、レイシャが代金を確認して商品を渡すと、販売台の上からそぼろ瓶がすべてなくなった。


「ありがとうございました。今日の分は、これで完売です」


 レイシャが親子を見送ってから札を裏返すと、メルフィアは緊張がほどけたように大きく息を吐いた。販売開始から決して長い時間ではなかったが、慣れない場所で客の反応を見続け、並べ方や説明を変えながら二十個を売り切ったため、本人が思っていた以上に集中していたらしい。


「レイシャさん、全部売れました。最初は植物園でお肉の瓶を買ってくださる方がいるのか少し心配でしたけど、持ってきてよかったですね」


「メルフィアの並べ方が、足を止めるきっかけになっていました。説明も、私だけでは実用面に偏っていたと思います。二人で来た意味はありました」


「そんなふうに言ってもらえると嬉しいです。私も、レイシャさんがお客様の質問へすぐ答えてくれたので安心して話せました。保存のことや食べ方を聞かれると、私はまだ全部を上手く説明できませんから」


「分からないことを無理に答えないのも仕事です。次に同じ質問をされた時へ向けて覚えればよいと思います」


 二人が台を片づけ始めると、アルフェンは植物園の正門へ一度目を向け、それからメルフィアへ尋ねた。


「販売が終わったのでしたら、植物園を見ていくのですか」


 メルフィアは片づけの手を止め、期待を隠しきれない顔でレイシャを見た。もともと完売後、時間に余裕があれば園内を見てよいと話していたものの、荷物の整理や帰りの時間もあるため、自分から強く頼むことは控えていたのだろう。


 レイシャはその視線へ気づき、折り畳んだ台を手押し車へ載せながら頷いた。


「その予定です。荷物は私が見ていますので、メルフィアは園内を回ってきて構いません。今日は販売だけでなく、感性を伸ばすことも目的でしたから、入口だけ見て帰るのでは意味がありません」


「でも、レイシャさん一人に片づけを任せるのは」


「ほとんど終わっています。それに、二人とも園内へ入ってしまえば手押し車を預ける手続きが必要になります。私はここで待つ方が都合もよいです」


 メルフィアはまだ少し迷っていたが、レイシャの言葉が気遣いではなく、役割を考えた上での判断だと分かると、嬉しそうに頭を下げた。


「ありがとうございます、レイシャさん。全部を見る時間はないと思うので、色の組み合わせが分かりやすい場所を中心に見てきます。戻ったら、気づいたことをちゃんと話します」


 アルフェンは二人のやり取りを聞き、少し考えてから提案した。


「私たちはこれから冬季展示を案内してもらう予定です。管理者が説明してくれるため、ただ歩いて見るより植物の特徴や配置の意図も分かると思います。差し支えなければ、メルフィアも一緒に来ますか。もちろん、仕事の妨げにならない範囲で」


 突然の申し出に、メルフィアは目を丸くし、すぐにレイシャへ確認を求めた。知らない相手へ勝手についていかず、まず仲間の判断を仰ぐところに、彼女なりの慎重さが表れていた。


 レイシャはアルフェンとロイを見た。二人とはこれまでにも会っており、少なくとも不誠実な人物ではないと分かっている。さらにロイが同行し、植物園の管理者とも約束があるのなら、危険を心配する必要はほとんどない。


「お願いします。メルフィア、展示を見ることへ夢中になって帰りの時間を忘れないようにしてください」


「はい。レイシャさんとの待ち合わせ時間を決めて、その前には必ず戻ります」


「では、一刻後にこの正門前で」


「分かりました」


 ロイはその決定を聞くと、アルフェンへ視線を向けた。


「アルフェン様、管理者との約束までは少し余裕がありますが、先に受付を済ませた方がよろしいでしょう。預ける荷物もありますし、メルフィアが見たい場所を確認しておけば、案内の順番も調整できます」


「そうだね。メルフィア、特に興味があるのは花の色ですか。それとも葉や実の形でしょうか」


「一番は色ですけど、料理へ使えそうな形も見たいです。花そのものを料理に載せるという意味ではなくて、盛り付けの広がり方や、高さの違いを参考にできたらと思っています」


「それなら、冬咲きの花だけでなく、葉の配置を見せる温室も役立つでしょう。庭園は花が咲いている場所だけで作るものではありませんから」


 三人は正門へ向かい始めた。メルフィアは数歩進んだところで振り返り、もう一度レイシャへ手を振る。レイシャも小さく手を上げて応えた。


 ロイは受付へ向かう途中、一度だけ後ろを振り返った。販売台を片づけたレイシャは、手押し車の荷紐を確かめながらも、正門へ入っていくメルフィアが人の流れへ紛れるまで見送っている。その姿を確認したロイは、隣を歩くアルフェンへ声を落として話した。


「アルフェン様が以前お話しになっていた通りの方ですね。言葉は多くありませんが、自分の役割だけでなく、同行している者が何を得るべきかまで考えておられる」


「以前は、警戒心の強い人だと思っていたよ。今でも簡単に気を許す方ではないだろうけれど、あの店の話をする時だけは表情が違う」


「良い環境にいるのでしょう。それに、先ほどの話を聞く限り、店の者たちから信頼されているだけではなく、ご本人もその信頼へ応えようとしているようです」


 アルフェンは何も答えず、硝子屋根の向こうへ揺れる植物の影を見上げた。だがその横顔には、単なる偶然の再会を喜ぶ以上の、穏やかな関心が残っていた。


 一方、正門前に残ったレイシャは、荷車の側面へ完売の札を括りつけ、販売記録へ時刻と個数を書き込んでいた。二十個という数は多くない。しかし、どの客が何を尋ね、どの説明へ反応し、どの位置から商品を見たのかまで思い返すと、普段の店内販売とは違う発見がいくつもあった。


 植物を見に来た客は、食べ物だけを目的にしていない。だからこそ、ただ味を勧めるのではなく、持ち帰った後の生活を想像できる説明が必要だった。温室を歩いた後の夕食に、家族との食卓に、知人への小さな土産にと、それぞれが自分なりの使い道を見つけた時、初めて瓶へ手が伸びる。商品の価値は中身だけで決まるのではなく、客が自分の暮らしの中へ置けるかどうかでも変わるのだろう。


 それは、オルゼンが品へ触れた時に感じ取るという、誰へ届くべきかという流れにも、どこか通じているように思えた。レイシャには同じものは見えない。けれど、客の言葉や視線を丁寧に追えば、ぼんやりとした流れの一端くらいは、自分にも拾えるのかもしれない。


 一刻ほど後、植物園の中から戻ってきたメルフィアは、入る前よりも明らかに目を輝かせていた。両手には何も持っていないが、頭の中には抱えきれないほど多くの色と形を持ち帰ってきたらしく、正門を出るなりレイシャのところへ駆け寄った。


「レイシャさん、すごかったです。花の色だけじゃなくて、葉っぱの向きで見え方が変わるんです。背の高い植物を真ん中に置くとは限らなくて、端に置くと視線が奥へ流れるようになるんですよ。それから、同じ赤でも艶のある葉の近くに置くと鮮やかに見えて、柔らかい葉の近くだと落ち着いて見えました。お弁当でも、真ん中を一番高くするだけじゃなくて、端に高さを作れば開けた時の視線を動かせるかもしれません」


 一息に話したあと、メルフィアは自分が興奮しすぎていることへ気づき、少し恥ずかしそうに笑った。


「すみません。まだ頭の中でまとまっていなくて」


「謝ることではありません。それだけ多く見つけたのなら、来た意味がありました。帰ったら紙へ書いて、実際の盛り付けで試しましょう。言葉だけでは分かりにくいところは、簡単な絵にしてもよいと思います」


「はい。アルフェンさんが、庭園は一か所だけを綺麗にするのではなく、歩く人の視線が次へ移るように作るものだと教えてくれました。ロイさんも、料理なら食べる順番へ置き換えて考えられるのではないかと言ってくれて、私、今まで一つのお弁当を一枚の絵みたいに考えていましたけど、開けてから食べ終わるまでの流れとして考えてもいいのかもしれません」


 レイシャはその話を聞きながら、温室の出口近くでこちらを見ているアルフェンとロイへ目を向けた。二人はメルフィアを送り届けるところまで付き添ったらしく、アルフェンは軽く手を上げ、ロイは静かに一礼した。


 レイシャも礼を返すと、アルフェンが近くまで歩いてきた。


「有意義な時間になったようです。管理者も、料理の盛り付けという視点で植物を見る方は珍しいと、楽しんで説明していました」


「ありがとうございました。メルフィアの話を聞く限り、多くのものを得られたようです」


「こちらも興味深かったですよ。植物の配置と料理の盛り付けを結びつけて考える発想は、私にはありませんでした。異なる仕事の者が同じものを見ると、見える価値まで変わるのですね」


 レイシャは頷き、少し迷った後で言葉を続けた。


「今日は、私も同じことを感じました。メルフィアと販売しなければ、客が商品へ近づく前の視線までは見ていなかったと思います。アルフェンとロイが商品を買ってくれたことも含めて、良い一日になりました」


 名前で呼ばれたアルフェンは、ほんのわずかに目を細めた。以前より距離が近づいたことを、彼も感じ取ったのだろう。しかしその変化を言葉で指摘してレイシャを困らせることはせず、いつも通り穏やかに答えた。


「それなら、偶然ここを通った甲斐がありました。新しい店が開いたら、改めて伺います。今日買った瓶の感想も、その時に伝えましょう」


「お待ちしています。新しい調理設備が入れば、今までより作れるものも増える予定です」


「楽しみにしています」


 ロイも一歩前へ出て、包みを軽く持ち上げた。


「こちらは植物園の受付で預かっていただきましたので、状態も問題ありません。帰宅後にいただき、感想はアルフェン様が忘れないよう私からも確認しておきます」


「ロイ、私が感想を忘れる前提で話さないでくれるかな」


「アルフェン様は味そのものより、器や由来の話へ関心が移ることがありますので、念のためです」


「そこまで見透かされていると反論しづらいね」


 二人のやり取りに、メルフィアが堪えきれず笑い、レイシャの口元にも自然な笑みが浮かんだ。


 アルフェンとロイを見送った後、レイシャとメルフィアは空になった木箱と販売台を手押し車へ固定し、店への帰路についた。冬の風は朝より少し強くなっていたが、完売した軽い荷車は押しやすく、二人の足取りも自然と軽くなる。


「帰ったら、今日のお客様が何を聞いたかも皆さんへ話した方がいいですね」


 メルフィアが言うと、レイシャは頷いた。


「保存方法、食べ方、販売場所を選んだ理由。どれも次の販売へ使えます。それから、メルフィアが気づいた並べ方も共有しましょう。明日も同じ場所で売るなら、今日とは少し変えられるはずです」


「はい。明日は布の色をもう少し冬らしくしてみたいです。でも暗くならないように、薄い青と白を重ねるのがいいかもしれません。今日見た温室の展示で、冷たい色なのに寂しく見えない組み合わせがあったんです」


「任せます。ただし、商品名と価格が読みにくくならないようにしてください」


「そこは絶対に気をつけます。クィナスさんに、綺麗でも数字が見えなければ販売台としては失格ですって言われそうですから」


「おそらく言いますね」


 二人は顔を見合わせ、同時に笑った。


 二十個の瓶は、すべて売れた。だがこの日、二人が持ち帰るものは空になった木箱だけではなかった。植物の色と形から得た新しい発想、普段とは異なる客の反応、仲間と同じ場所へ立ったからこそ見えた互いの得意分野、そして、これまで店の外で知り合った者と、仕事を通じて結び直された縁。


 新しい店舗には、まだ調理台も魔道具もすべては揃っていない。それでも店はもう、新しい形へ向かって動き始めていた。建物が広くなったからではない。働く者たちが、それぞれの場所で見つけたものを持ち帰り、少しずつ店の中へ重ねようとしているからだった。

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