第044話:流れを読む者
隣の建物の工事が始まってから五日ほどが過ぎた。
木槌の音も、今では店の日常になりつつある。
ドワーフ職人たちの仕事は相変わらず早く、壁はすでに組み直され、天井裏には魔導配線が通され始めていた。
昼休憩にはボルガムの料理を楽しみにしている職人も増え、親方が「今日は何だ」と厨房を覗きに来るのも、すっかり恒例になっている。
そんなある朝、オルゼンは書類の束を革鞄へ入れながらクィナスへ声を掛けた。
「準備はいいか」
「はい。申請書類も添付資料も確認済みです。営業内容の追加、作業場増設、それと保管設備についてもまとめてあります」
「助かる」
「マスターが内容を整理してくれていたので、私は書類に落とし込んだだけですよ」
二人は店をレイシャたちへ任せると、役所へ向かった。
昼前の役所は相変わらず多くの人で賑わっている。
商人。
職人。
旅人。
冒険者。
それぞれが用件を抱えて窓口へ並んでいた。
案内所で目的を伝えると、受付係が慣れた様子で案内板を指差す。
「営業許可関係でしたら第三庁舎二階です。今日は少し混み合っていますので、お呼びするまで少々お待ちください」
礼を言い、二人が廊下を歩いていると、向こうから一人の男が書類を抱えて歩いてきた。
身長は二メートル近い。
厚い胸板に太い腕。
灰褐色の短い体毛と、大きく張り出した牙。
猪族だった。
年齢は四十代半ばほどだろう。
身体は大きいが、歩き方には無駄がない。
鋭い目つきは一見すると威圧感があるものの、その奥には冷静さが宿っていた。
男はすれ違いざまに足を止める。
オルゼンの顔を見る。
次にクィナスを見る。
そして書類へ視線を落とした。
「……隣店舗の増設申請か」
突然そう言われ、オルゼンは少し驚く。
「はい」
「共同販売館への供給も始めた店だな」
「ご存じでしたか」
男は小さく鼻を鳴らした。
「知らない方がおかしい」
そう言って書類を抱え直す。
「この都市で物がどこから来て、どこへ流れ、どこで止まり、どこで売れるか。それを見るのが私の仕事だからな」
クィナスが興味深そうに尋ねた。
「失礼ですが、どちらの部署の方でしょう」
男は名札を軽く指差す。
そこには、
都市流通管理局・流通調整課
と刻まれていた。
「流通調整課……」
オルゼンは聞き慣れない部署名を口にする。
男は静かに頷く。
「商人は仕入れを見る。職人は物を作る。役所は流れを見る」
短い説明だった。
しかし、その一言だけで仕事の内容が何となく伝わる。
都市全体の物流。
市場の偏り。
品不足。
供給量。
そういったものを管理する部署なのだろう。
「申し遅れた」
男は右手を胸へ当てる。
「私はバルドーク」
「バルドークさん」
「猪族だ」
「オルゼンです」
「クィナスです」
互いに軽く頭を下げる。
バルドークは二人を見ながら口元だけで笑った。
「最近、お前たちの店の荷動きが面白い」
「荷動きですか」
「最初は珍品だけだった」
オルゼンは頷く。
「途中から食品へ重点を移した」
「ええ」
「次に共同販売館へ商品が流れ始めた」
クィナスも頷く。
「その通りです」
「そして今度は作業場を増やす」
バルドークは腕を組んだ。
「店を広げることが目的ではないな」
オルゼンは少し驚く。
「どうしてそう思われたんですか」
「売場を広げるなら表を広くする」
バルドークは淡々と説明した。
「だが、お前たちは裏を広げる」
「……」
「つまり目的は販売面積ではない」
クィナスが静かに笑う。
「作業効率ですね」
「その通り」
バルドークは頷いた。
「効率が上がれば供給量も増える。供給量が増えれば信用も増える」
そこまで言って、少しだけ目を細める。
「悪くない考え方だ」
オルゼンは自然と背筋が伸びる。
この人物は表面だけを見ていない。
商売の先を見ている。
そんな印象だった。
バルドークは廊下の窓から街を眺める。
「この都市には毎日何千もの荷車が出入りする」
静かな口調で続ける。
「大きな商会は量で勝負する」
「はい」
「だが、小さな店は流れを読まねば生き残れん」
その言葉には重みがあった。
「人気商品を作ることも大事だ。だが、それだけでは続かない」
オルゼンは真剣に聞いていた。
「続けるためには、『次に何が必要になるか』を先に用意しておくことだ」
その一言は、今のオルゼンに強く刺さる。
スープ。
弁当。
作業場。
共同販売館。
どれも「次」を考えて動いてきた結果だった。
「……勉強になります」
オルゼンがそう言うと、バルドークは少しだけ笑う。
「勉強ではない」
「え?」
「私は毎日見ているだけだ」
その言葉が妙に格好良かった。
ちょうどその時、遠くから職員が声を掛ける。
「バルドーク課長! 会議のお時間です!」
「今行く」
課長。
その一言でクィナスは少しだけ納得した。
(やっぱり偉い方でしたか)
バルドークは歩き出しかけて、ふと思い出したように振り返る。
「そうだ」
「はい」
「冬の終わり頃になったら、保存食の需要が少し変わる」
「変わる?」
「理由はその時になれば分かる」
それだけ言い残し、再び歩き出した。
大きな背中はあっという間に廊下の向こうへ消えていく。
しばらく沈黙が続いた。
やがてクィナスが小さく息を吐く。
「……ちょっと苦手なタイプですね」
オルゼンが笑う。
「そうか」
「全部見透かされている感じがします」
「確かに」
「でも嫌な人ではありません」
「うん」
「むしろ、かなり親切でした」
オルゼンも同じことを思っていた。
鋭い。
観察力がある。
言葉は少ない。
それなのに、どこかこちらの成長を楽しみにしているような空気があった。
二人はそのまま申請担当部署へ向かう。
廊下の角を曲がった先では、ナギルカが書類を抱えて歩いていた。
「あ、お二人とも」
「こんにちは」
ナギルカは二人を見るなり少しだけ苦笑した。
「もしかして、バルドーク課長とお会いしましたか」
クィナスが思わず尋ねる。
「有名な方なんですか」
「有名というより……」
ナギルカは困ったように笑う。
「仕事では尊敬しています。でも、私は少し苦手です」
「どうしてですか」
「質問される前に答えを言われてしまうんです」
その理由に、オルゼンとクィナスは思わず顔を見合わせる。
確かに、ほんの数分話しただけで、自分たちの考えをほとんど言い当てられていた。
ナギルカは肩をすくめながら微笑む。
「でも一つだけ確かなことがあります」
「何でしょう」
「課長が興味を持った商人さんは、いつも長く商売を続けているんです」
その言葉を聞いた二人は知らなかった。
都市流通管理課の執務室。
窓際に置かれた大きな机の引き出しには、一冊の小さな手帳が入っている。
そこには市場価格や流通量だけではなく、課長であるバルドーク自身が気になった店の名前まで細かく書かれていた。
その最初のページには、見慣れた文字がある。
『オルゼン商店』
その横には、さらに細かな走り書きが続く。
・青塩 継続性あり
・そぼろ瓶 三種とも完成度高い
・冬季スープ 客層拡大成功
もっとも、その評価を書いた本人が店へ足を運んだことは、まだ一度しかない。
普段は忙しく、昼休みも会議や決裁に追われる日が多い。
だから代わりに信頼する部下へ、時々こんな指示を出していた。
「昼だ。今日はあの店へ行ってこい」
「またですか、課長」
「まただ」
「毎回違う商品を買ってこいという指示まで付ける上司は、課長くらいですよ」
「報告も忘れるな」
「食べた感想までですか」
「それも仕事だ」
部下は苦笑しながら店へ向かう。
戻ってくると、商品の味だけではなく、客層や待ち時間、売り切れ時間まで報告する。
バルドークはそれを静かに聞きながら、手帳へ短く書き加える。
『客の流れ、良好』
『供給安定』
『次の商品を考えている動きあり』
流通を知るということは、人の流れを知ること。
人の流れを知るということは、店の未来を読むこと。
それが、バルドークという男の仕事だった。
そして本人は今日も、誰にも気付かれないまま、あの小さな店の成長を静かに見守っている。




