第042話:作る前に、働く人の声を聞く
二週間ほどが過ぎた。
冬の空気はさらに冷たさを増し、朝一番に売れるのは相変わらず温かなスープだった。
客足も安定している。
昼には役所へ向かう職員が立ち寄り、夕方には仕事帰りの人々が湯気の立つ器を受け取って帰っていく。
日常になり始めていた。
昼の営業が終わった頃だった。
共同販売館から戻ってきたクィナスが、珍しく足取りを速めて店へ入ってくる。
その表情を見ただけで、オルゼンは何となく察した。
「いい報告みたいだな」
「あります」
クィナスは帳簿を机へ置き、少しだけ胸を張る。
「隣の建物ですが、利用許可が正式に下りました」
その一言で店内の空気が少し変わる。
厨房からボルガムが顔を出し、カイルも思わず包丁を置いてこちらを見る。
「本当か」
「はい。契約内容も問題ありません。改装も可能ですし、内部の壁についても必要なら手を入れて構わないとのことでした」
「よくやった」
オルゼンが笑うと、クィナスも少し照れたように笑う。
「交渉相手はなかなか手強かったですけど、共同販売館での販売実績も評価していただけました。『この店なら安心して任せられる』とも言われましたよ」
「それはクィナスの交渉があったからだ」
「マスターの積み重ねですよ」
互いに譲り合うような会話に、ボルガムが豪快に笑う。
「どっちでもいい! 借りられたんなら前へ進める!」
その言葉に全員が頷いた。
その日の営業を終えると、いつもの食卓ではなく、店内の大きな机へ全員が集まった。
オルゼンは白紙を広げる。
「今日は設計図じゃない」
そう言って笑う。
「まずはみんなの意見を聞きたい」
誰もすぐには話さない。
オルゼンは紙の中央へ大きく四角を書いた。
「隣の建物は作業場兼倉庫として使う予定だ」
さらに四角を増やしていく。
「ここは厨房の補助」
「ここは大型の冷蔵庫」
「隣に冷凍庫」
「包装資材の保管場所」
「完成品を一時的に置く棚」
簡単な配置だけ描いてから、ペンを置いた。
「でも、これは俺が考えた案でしかない」
全員を見る。
「実際にそこで働くのはみんなだ。だったら、使う人が使いやすい場所にしたい」
その言葉に、レイシャが静かに頷く。
「その方が長く使えますね」
「そう思う」
「一度作ってしまうと簡単には変えられませんから」
「だから今のうちに聞いておきたい」
最初に口を開いたのはボルガムだった。
腕を組みながら図面を眺める。
「正直な話をすると、今の厨房に不満はねぇ」
「そうか」
「料理はできる」
「うん」
「困ってるのは広さだけだ」
カイルもすぐに頷く。
「俺もそう思います。師匠の動きはもう慣れましたし、仕事自体はやりにくくありません。ただ、二人で同じ場所を使うと少し狭いだけです」
「つまり」
オルゼンが確認する。
「作業場が広くなるだけでも十分ってことか」
「そうだ」
ボルガムは迷いなく答えた。
「包丁を振る場所が増える。鍋を並べられる。それだけでかなり違う」
「それと」
カイルが少し手を挙げる。
「洗い場がもう少し広いと助かります」
「洗い場か」
「料理しながら洗い物が重なると、結構混むんです」
「なるほど」
オルゼンはすぐ紙へ書き込む。
『洗い場拡張』
今度はレイシャが図面を指差した。
「冷蔵庫と冷凍庫ですが、できれば入口付近ではなく奥の方がいいと思います」
「理由は」
「搬入時は少し遠くなりますが、営業中は人が頻繁に開け閉めしません。逆に包装資材や空箱は入口近くの方が動線が短くなります」
オルゼンは思わず感心した。
「確かに」
「重い物ほど、一日に動かす回数は少ないです」
「なるほどな」
クィナスも補足する。
「共同販売館へ納品する商品も、一時保管できる棚が欲しいですね。今は店の奥へ置いていますけど、お客様からも見えてしまいます」
「専用棚か」
「できれば鍵付きが安心です」
「追加しよう」
メモはどんどん増えていく。
オルゼン一人では思いつかなかったことばかりだった。
少し考え込んでいたメルフィアも、おずおずと手を挙げる。
「あの……」
「何でも言ってくれ」
「私、お弁当の盛り付けをしていない時間もあると思うんです」
「うん」
「その時に何もしないのは、もったいない気がして」
オルゼンは続きを待つ。
「包装のお手伝いや、乾燥香草を小袋へ詰めたり、販売用の札を書いたり……細かい作業なら私にもできます」
クィナスが笑顔になる。
「助かります」
レイシャも頷いた。
「手先が器用ですから、向いていますね」
メルフィアは少し安心したように笑う。
「あと……」
少し恥ずかしそうに図面の端を指差した。
「ここに、小さな作業机を一つ置けませんか」
「作業机」
「色の組み合わせを考えたり、新しい盛り付けを書いたりする場所です」
ボルガムが笑った。
「研究机ってことか」
「そんな感じです」
「いいじゃねぇか」
ボルガムは嬉しそうだった。
「料理人にも考える場所は必要だからな」
オルゼンもすぐ書き込む。
『試作・研究用作業机』
気付けば白紙だった紙は、細かな文字で埋まっていた。
最後にカイルが図面を見ながら首を傾げる。
「店主」
「何だ」
「最初は隣を借りるだけだったのに、気付いたら結構すごい作業場になってませんか」
一瞬静かになり、全員が図面を見る。
確かにそうだった。
冷蔵庫。
冷凍庫。
包装スペース。
共同販売館用保管棚。
試作机。
洗い場。
作業台。
最初の想像よりずっと充実している。
オルゼンは苦笑した。
「最初は『少し広くなればいい』くらいだったんだけどな」
ボルガムが豪快に笑う。
「人が集まって意見を出せば、こうなるってことだ!」
クィナスも楽しそうに帳簿を閉じる。
「こういう会議、私は好きですよ」
レイシャも静かに続ける。
「使う人の声を最初に反映できる職場は、きっと長く使いやすい場所になります」
オルゼンは図面を見つめながら頷いた。
商売とは商品を作ることだけではない。
働く場所を作ることも、同じくらい大切なのだ。
その場所が快適なら、良い仕事ができる。
良い仕事ができれば、また新しい商品が生まれる。
その積み重ねが、この店を少しずつ大きくしてきた。
「よし」
オルゼンは図面を丁寧に畳む。
「これを元に、改装をお願いしよう」
誰一人反対する者はいなかった。
新しい作業場は、店を広げるためだけではない。
この店で働く仲間たちが、もっと笑って働ける場所になる。
そんな未来を思い描きながら、オルゼンは静かに次の準備を始めるのだった。




