第037話:色を並べる才能
冬の日暮れは早い。
昼間は賑わっていた通りも、夕暮れが近づく頃には人の流れが少しずつ落ち着き始める。
その日、オルゼンは珍しく一人で街を歩いていた。
スープは順調だった。
想像していた以上に客へ定着し、冬の看板商品の一つになりつつある。
だからこそ次の一歩を考えていた。
予約弁当。
そのためには盛り付けを担当する人材が必要だった。
料理人ではない。
火を扱う必要もない。
だが、料理を美しく見せられる感覚を持った人物。
そんな都合のいい人間がいるだろうかと考えながら歩いていると、自然と足は以前も立ち寄った喫茶店へ向いていた。
静かな音楽が流れる店内。
窓際には夕日が差し込み、木の机を柔らかく照らしている。
オルゼンは店の奥へ案内され、温かい茶を注文した。
今日は仕入れではない。
誰かと会う約束もない。
ただ考えるためだけの時間だった。
紙を広げ、弁当の図を描く。
ご飯。
主菜。
副菜。
色。
配置。
詰め方。
そこまで考えたところで、ふと隣の席が目に入った。
一人の少女が座っていた。
年は二十歳前後だろうか。
淡い赤茶色の長い髪は柔らかく波打ち、小さな花飾りがところどころに編み込まれている。
額からは丸く美しい角が伸び、耳は少し長い。
腰の後ろでは大きな茶色の尾が椅子から垂れ、ゆっくりと揺れていた。
山羊系の獣人。
どこか素朴で、森の香りが似合いそうな少女だった。
だが、オルゼンの目を引いたのは外見ではなかった。
机いっぱいに広げられた一冊のノートだった。
色鉛筆のようなもので何かを書き込んでいる。
最初は絵だと思った。
花畑。
木々。
果実。
そう見えた。
しかし少し視線を向けると、それは絵ではなかった。
丸。
四角。
細長い形。
小さな印。
線。
色。
それらが規則正しく並び、一枚の景色のように見えているだけだった。
赤の横には薄い緑。
黄色の隣には深い茶色。
白は中央ではなく少し端へ。
濃い色は重ならないように。
一つひとつには意味がある。
オルゼンは思わず見入ってしまった。
少女はその視線に気づき、慌ててノートを閉じようとした。
「あ、ご、ごめんなさい」
先に謝ったのは少女だった。
「見せるつもりじゃなくて……」
オルゼンは首を横へ振る。
「いや、こちらこそ勝手に見てしまった」
少し間を置いてから、静かに続けた。
「……あれは絵じゃないよな」
少女は驚いたように目を丸くする。
「分かるんですか」
「何となく」
オルゼンは少し笑った。
「色の並び方を考えてるように見えた」
少女は閉じかけたノートを、もう一度ゆっくり開いた。
「はい。これは料理です」
「料理」
「お弁当とか、お皿とか……盛り付けの配置を書いています」
オルゼンは思わず身を乗り出した。
「盛り付け」
「昔から好きなんです。料理そのものは普通なんですけど、並べ方を考えるのが好きで」
少女は少し照れくさそうに笑う。
「同じ料理でも置き方を変えるだけで、美味しそうに見えるんです」
オルゼンはノートを改めて見る。
確かに料理だった。
丸い焼き物。
細長い野菜。
色違いの副菜。
全部、配置を変えながら描かれている。
まるで完成予想図だった。
「面白い」
思わず口から出た。
少女は困ったように笑う。
「みんなには変わってるって言われます」
「そうか」
「はい」
少しだけ俯く。
「だから今日も……何件か面接を受けたんですけど」
そこで言葉が止まった。
聞かなくても分かった。
「全部駄目だったのか」
少女は小さく頷いた。
「料理人を募集していたお店ばかりだったので……私は包丁も普通ですし、火加減も得意じゃありません。盛り付けが好きですって言っても、『それだけじゃ仕事にならない』って」
寂しそうではあった。
だが愚痴ではない。
事実を話しているだけだった。
オルゼンは静かに茶を一口飲む。
偶然というものは、不思議だ。
人手が欲しいと思っていた。
しかも盛り付け専門。
そして今、その話をしている少女が隣にいる。
「自己紹介がまだだったな」
オルゼンは姿勢を正した。
「俺はオルゼン。中央区で商店をやってる」
少女も慌てて頭を下げる。
「私はメルフィアといいます」
その名前を聞いて、オルゼンは頷いた。
「メルフィアさんは、料理人になりたいわけじゃないのか」
「違います」
返事は早かった。
迷いがない。
「料理を綺麗に見せる仕事がしたいんです」
その言葉に嘘はなかった。
オルゼンは少し考えてから、自分の紙を机へ置いた。
そこには弁当の簡単な設計図が描かれている。
「実は俺も、人を探してる」
メルフィアは不思議そうに紙を見る。
「これは……」
「予約弁当を始めようと思ってる」
料理の配置。
副菜。
主菜。
ご飯。
色分け。
全部書かれていた。
メルフィアは紙を見るなり、思わず口にした。
「ここ、少し惜しいです」
オルゼンは笑ってしまった。
「やっぱりそう思うか」
「茶色が少し重なっています。ここへ緑を少し入れるだけで印象が変わりますし、この赤は端より中央寄りの方が目を引きます。あと、ご飯が真っ白なら黒っぽい副菜を少しだけ入れると全体が締まります」
説明は止まらなかった。
熱が入る。
料理ではない。
色の話だった。
それなのに、不思議と全部納得できる。
オルゼンは最後まで黙って聞いていた。
説明が終わった頃、メルフィアはようやく我に返る。
「あっ……すみません。勝手に」
「いや」
オルゼンは笑顔で首を振った。
「その話を聞きたかった」
しばらく沈黙が流れる。
店内には静かな音楽だけが響いていた。
そしてオルゼンは穏やかな口調で言った。
「もし良かったら、一度うちの店を見に来ないか」
メルフィアは驚いて顔を上げる。
「え……」
「まだ採用すると決めたわけじゃない」
商人らしく、そこははっきり伝える。
「でも、俺は実際に仕事を見る方だから」
「……はい」
「うちも今、人を探してる」
メルフィアは何度も瞬きをした。
「私みたいなので……いいんでしょうか」
「まだ分からない」
オルゼンは正直に答える。
「でも、少なくとも今日話していて思った」
そう言って、机の上のノートへ視線を向ける。
「その色を見る目は、店では覚えられない才能だ」
メルフィアは静かにノートを抱きしめた。
今日一日。
何軒も面接を受けて落ちた。
「必要ありません」
そう言われ続けた。
けれど今、初めて違う言葉を掛けられた。
必要なのは料理の腕ではなく、自分だけが持っている感覚かもしれない。
夕暮れの光が窓から差し込み、机の上の色見本を優しく照らしていた。
偶然隣に座った二人。
一人は店の未来を考えていた商人。
もう一人は、自分の居場所を探していた少女。
まだ何も決まってはいない。
だが、その小さな出会いは、オルゼン商店の次の一歩へ静かに繋がり始めていた。




