第032話:秋空に咲く大輪
祭り三日目の朝は、不思議な静けさから始まった。
昨日までの慌ただしさが嘘のように、露店の準備をする人々はどこか落ち着いている。疲れているからではない。今日で終わると知っているからだ。
祭りには独特の空気がある。
始まる前の高揚。
途中の熱気。
そして最終日だけが持つ、名残惜しさ。
オルゼンたちも、いつも通りの準備をしながら、その空気を自然と感じていた。
「祭り焼き包みの生地確認、問題ありません。甘穀実団子二十五食、角鳥串二十五食、殻茸串十五食。追加だれも補充済みです」
クィナスが帳簿を閉じると、ボルガムは焼き台の火を見つめながら満足そうに頷いた。
「今日は最終日だ。焦る必要はねえ。だが、一番うまいもんを出す!」
「それ、毎日言ってますよ」
カイルが笑う。
「毎日思ってるからな!」
「そこは変わらないんですね」
「変えたら料理人失格だ!」
その言葉に、レイシャも静かに頷いた。
「今日は私も補助ではなく、補助として動けます」
昨日とは違う。
一度経験したことで、身体が少しだけ動きを覚えている。
カイルも昨日の疲れは残っていたが、ミレイユの香草茶と十分な睡眠のおかげで顔色は戻っていた。
「昨日は迷惑かけた」
そう頭を下げると、ボルガムは豪快に笑った。
「一日で戻ってきたなら十分だ! 今日動けりゃ昨日休んだ意味がある!」
オルゼンも肩を軽く叩いた。
「今日は無理をするな。ただ昨日より一歩前へ進めばいい」
「はい」
その返事は昨日より力強かった。
販売が始まると、最終日は初日とも二日目とも違う流れになった。
「今日が最後だから」
その理由だけで人が集まる。
昨日買えなかった者。
三日連続で来た者。
友人に頼まれて買いに来た者。
「昨日食べたら子どもがまた食べたいって言うんだ」
「角鳥串、今日は食べられるか?」
「追加だれだけでも売ってくれない?」
そんな声が飛び交う。
追加だれだけを欲しがる客まで現れたのには、クィナスも少し驚いた。
「申し訳ありません。追加だれは商品と一緒のみになります」
「やっぱりそうか」
「ですが、祭り焼き包みに青塩香草だれはおすすめですよ」
「じゃあそれで!」
客は笑顔で買っていく。
そのやり取りを見ていた近くの露店主が苦笑した。
「やっぱり選べるって楽しいもんなんだな」
オルゼンも笑って答えた。
「決めてもらうのも、商売の一つだと思っています」
昼を過ぎた頃には、他の露店との距離も近くなっていた。
互いに客を奪い合うというより、「今日はどうだ」「そっちは売れてるか」と声を掛け合う関係になっている。
初日に偵察へ来ていた露店主も笑いながら近寄ってきた。
「うちも昨日から三種類のたれ始めたぞ」
「どうでした?」
「思った以上によかった。客が『どれにしようかな』って悩む時間まで楽しんでくれる」
「それは良かったです」
「全部真似はできねえけどな。うちにはうちの味がある」
「その方が面白いです」
露店主は満足そうに頷いた。
「お前さんの言う通りだった」
午後になる頃には、祭り会場全体が最高潮を迎えていた。
大道芸人が歓声を集め、吟遊詩人が歌い、子どもたちは走り回り、露店からは笑い声が絶えない。
そんな中でも、オルゼンたちの露店は最後まで慌ただしかった。
カイルは昨日とは別人のようによく動いた。
補充のタイミングも覚え、焼き台の補助も迷わない。
ボルガムが何も言わなくても次に必要なものを持ってくる。
レイシャは全体の流れを見ながら列を整え、クィナスは会計と説明を同時にこなし、オルゼンは客との会話をしながら全員を支えていた。
誰一人欠けることなく、夕暮れを迎えた。
最後の祭り焼き包みが売れた時、自然と拍手が起こった。
近くにいた常連客が笑いながら言う。
「三日間、ご苦労さん!」
「また店に行くよ!」
「そぼろ瓶も待ってるからな!」
「ありがとうございます」
オルゼンは深く頭を下げた。
祭りが終わる。
その瞬間、街中の灯りが一斉に少しだけ落とされた。
人々が自然と空を見上げる。
静寂。
次の瞬間だった。
遠くの城壁の上から、一頭の飛竜が夜空へ舞い上がる。
深い青の鱗を持つ飛竜。
その背には祭典騎士が跨っている。
飛竜はゆっくりと都市の上空を旋回し、騎士が手にした長杖を夜空へ掲げた。
光が集まる。
魔力が一点へ凝縮される。
そして放たれた。
夜空へ昇った光は、高い場所で大きく弾けた。
赤。
青。
金。
緑。
一つでは終わらない。
まるで本物の花が夜空へ咲くように、魔法の光が幾重にも重なり、秋の空を染めていく。
歓声が上がる。
子どもたちは飛び跳ね、大人たちは空を見上げ、恋人たちは肩を並べ、家族は笑い合う。
魔法の花火だった。
実際の火薬ではなく、魔力を圧縮して色を変える古い祭典魔法。
都市に古くから伝わる締めくくりだった。
オルゼンたちも仕事の手を止めて空を見上げた。
クィナスの耳が光を映す。
ボルガムは腕を組みながら豪快に笑う。
「毎年見てもいいもんだな!」
「初めて見ました」
レイシャが静かに呟く。
「綺麗ですね」
カイルも子どものように見上げていた。
「……すげぇ」
誰も喋らなくなった。
花火だけが夜空へ咲き続ける。
その光は、祭りを締めくくるには十分すぎるほど美しかった。
そして三日目。
祭りが終わった翌日。
オルゼン商店は約束通り休業だった。
朝、全員が揃うと、オルゼンはいつものように簡単な朝食を用意してから話し始めた。
「今日と明日は完全に休みだ。店のことは忘れていい。寝てもいい。遊びに行ってもいい。誰かと会ってもいい。この二日間だけは仕事を考えないで過ごしてほしい」
全員が静かに聞いている。
「祭りは成功した。でも働き続ければ、また同じことになる。休むことも仕事の一つだ。二日後からまた店を開ける。その時に元気でいてくれれば、それで十分だ」
クィナスが柔らかく笑った。
「了解しました、マスター」
ボルガムも大きく頷く。
「久しぶりに朝市でもぶらぶらするか! 仕入れじゃなくて、見るだけってのも悪くねえ!」
カイルは椅子へ思い切り身体を預けた。
「俺は……今日は何もしねぇ。昼まで寝て、腹減ったら食って、また寝る」
「完全休暇ですね」
レイシャが少し笑う。
「そういう日があってもいいだろ」
「良いと思います」
その頃、店の外ではミレイユが待っていた。
クィナスが出てくると、少し遠慮がちに頭を下げる。
「今日はお休みですよね?」
「はい」
「でも、もし時間があったらお願いしたいことがあるんです」
「何でしょう?」
ミレイユは少し恥ずかしそうに帳簿を抱えた。
「祭りの帳簿の付け方を教えていただけませんか。普段のお店とは全然違って、どこまで記録すればいいのか分からなくて」
クィナスは帳簿を見ると、自然と笑みを浮かべた。
「もちろんです。今日くらいは数字を好きになってもらえるよう頑張ります」
「数字を好きに……なれますかね?」
「大丈夫です。数字は怖くありません」
二人はゆっくりと歩き始めた。
帳簿の話をしながら。
祭りで売れた時間帯。
試飲の数。
売り切れた理由。
来年へ残す記録。
そんな話をしながら街を歩いていく。
一方その頃。
ボルガムは本当に朝市を歩いていた。
今日は仕入れではない。
手ぶらだった。
「あぁ、今日は客として見られるのか!」
肉屋の親父にそう言われると、大笑いしながら返す。
「たまにはな!」
「あんたが荷物持ってないの初めて見たぞ!」
「今日は見るだけだ!」
そう言いながら、珍しい野菜や果物を眺め、屋台の匂いを楽しみ、時には試食をもらって満足そうに笑っている。
料理人としてではなく、一人の客として朝市を歩く時間だった。
レイシャは街外れの並木道を静かに歩いていた。
特に目的はない。
休みだから歩いているだけだった。
すると前方から見覚えのある二人が歩いてくる。
アルフェンとロウだった。
アルフェンはレイシャに気づくと穏やかに笑った。
「これは偶然ですね」
「アルフェンさん」
「祭り、お疲れさまでした。少し見に行きましたが、大盛況でしたね」
「ありがとうございます」
少し世間話をした後、アルフェンは時計代わりの懐中魔道具を見て微笑んだ。
「ちょうど昼時です。もしご予定がなければ、ご一緒に昼食でもいかがですか。祭りの話も聞いてみたいですし、こちらも少し面白い話があります」
恋愛感情などではない。
純粋な興味だった。
レイシャは少し考え、静かに頷いた。
「では、お言葉に甘えます」
ロウも静かに一礼する。
三人はゆっくりと石畳の道を歩き始めた。
祭りが終わった翌日の街は、昨日までの喧騒が嘘のように穏やかだった。
それぞれが、それぞれの休暇を過ごしている。
仕事を忘れる二日間。
その時間もまた、オルゼン商店にとって大切な日常の一部だった。




