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第031話:二日目の壁

 記念日祭り二日目。


 初日の成功は、良い意味でも悪い意味でも影響を残していた。


 朝から露店の前には人が集まっている。


 昨日買えなかった者。


 噂を聞いて来た者。


 別の露店で名前を聞いた者。


 ミレイユの茶を飲みながら「焼き包みが美味しかった」と聞いた者。


 理由は様々だったが、確実に客は増えていた。


 クィナスは朝の時点で昨日の記録を見返していた。


 祭り焼き包みは想定以上。


 香り赤角鳥串は夕方前に完売。


 甘穀実団子は終日安定。


 殻茸の香草串は数は少ないが満足度が高い。


 その結果を受け、二日目は配分を少し変えた。


 祭り焼き包みを増やし、角鳥串も少しだけ増やす。殻茸は据え置き。甘穀実団子も微調整のみ。


 大きくは変えない。


 売れたからといって急激に数を増やすと失敗する。


 それはオルゼンもボルガムも同じ意見だった。


「昨日売れたから今日も売れるとは限らない。祭りは天気と人の流れで変わる」


 オルゼンがそう言えば、クィナスも頷いた。


「記録は参考ですが、信仰してはいけません」


「帳簿係らしい言葉だな」


「数字は嘘をつきませんが、人は気分で動きますから」


 二日目の販売は、初日より早く動いた。


 昨日の客が友人や家族を連れてくる。


「あの包み焼きまだある?」


「昨日食べられなかったんだよ」


「香り赤だれってやつ気になってたんだ」


 そんな声が絶えない。


 昼前にはすでに行列ができ始めていた。


 その列の中に、一人の男がいた。


 地味な服装。


 特に特徴のない帽子。


 肩掛け鞄。


 どこにでもいる旅人のような姿。


 だが、その男は四種類の商品を一つずつ購入し、追加だれも一匙ずつ受け取ると、特に何も言わずに人混みの中へ消えていった。


 オルゼンも気づかない。


 クィナスも気づかない。


 ボルガムも気づかない。


 ただの客。


 それだけだった。


 だが数日後、『至高』という短い言葉で都市中を騒がせることになる美食家であり食評家でもある人物だった。


 もっとも、その日は誰も知らない。


 本人も何も語らない。


 ただ買って、食べて、去っただけだった。


 昼を過ぎた頃になると、今度は別の客層が現れ始めた。


 露店を営む者たちだった。


 祭りに出店している同業者である。


 彼らは隠れもしなかった。


 むしろ堂々と列に並び、普通に買い、普通に食べた。


 一人が祭り焼き包みを食べながら頷く。


「なるほどな。味も悪くねえが、それだけじゃねえ」


 もう一人が追加だれを見ながら言う。


「これだろ。選べるってやつだ」


「しかも一匙だけ」


「そこがうまい。好きな味にできるって満足感がある」


「客は選んだってだけで満足するからな」


「だが選ばせすぎても面倒になる」


「三種類に絞ってるのも正解か」


 オルゼンは隠れて聞くつもりもなかった。


 向こうも隠す気がない。


 だから普通に会話になった。


 年配の露店主が焼き包みを持ちながら笑った。


「お前さん、真似されるぞ」


 オルゼンも笑う。


「どうぞ」


「いいのか?」


「競争相手がいた方が面白いですから。それに、真似しただけで同じになるとも思ってません」


 その答えに、相手は豪快に笑った。


「言うじゃねえか」


「負けるつもりで商売はしてません」


「気に入った。うちも追加だれやるか」


「ぜひ」


 クィナスは横で聞きながら頷いていた。


 独占は長く続かない。


 良い物は真似される。


 だからこそ、その先を考える。


 それが以前オルゼンと仕入れへ向かった時に話していた考え方だった。


 午後になる頃には、祭り会場全体の熱気がさらに増した。


 そして問題が起きた。


 カイルだった。


 朝からずっと動き続けている。


 焼き台。


 仕込み。


 補充。


 受け渡し。


 洗い物。


 説明。


 移動。


 昨日も疲れていた。


 だが今日は人が多い。


 経験不足の身体には重かった。


 最初は誰も気づかなかった。


 本人が隠していたからだ。


 しかし角鳥串の補充を持ってきた時、足が少しふらついた。


 ボルガムは見逃さなかった。


「カイル」


 呼ばれた時点で、カイルは嫌な予感がした。


「なんだよ」


「顔が白い」


「気のせいだ」


「俺に嘘つくな」


「平気だって」


 そう言った直後だった。


 一歩踏み出した足がもつれた。


 転ぶほどではない。


 だが十分だった。


 ボルガムは即座に判断した。


「休め」


「嫌だ」


「休め」


「まだやれる」


「やれてねえ」


「負けてられるかよ」


 その言葉は本音だった。


 悔しいのだ。


 自分だけが遅れている。


 レイシャもクィナスも平然としている。


 ボルガムは怪物みたいに動く。


 オルゼンも全体を見ながら動いている。


 だから自分もやらなければならない。


 そう思っていた。


 だが身体は正直だった。


 ボルガムは怒らなかった。


 静かに言った。


「負けてるんじゃねえ。まだ育ってる途中だ」


「でも――」


「俺も昔、ぶっ倒れた」


 カイルは思わず顔を上げた。


 ボルガムが笑う。


「三日寝た」


「嘘だろ」


「本当だ。だから今日は休め。明日動くために休むのも仕事だ」


 カイルはまだ納得していなかった。


 だが足に力が入らない。


 悔しさだけが残る。


 その時だった。


 レイシャが前へ出た。


「代わります」


 ボルガムが彼女を見る。


「付いてこれるか?」


 レイシャは少し考えた。


 そしていつもの落ち着いた口調で答える。


「なんとかなると思います」


 経験はない。


 だが見ることは得意だ。


 人の流れ。


 作業手順。


 補充のタイミング。


 火加減。


 受け渡し。


 彼女はずっと観察していた。


 完全再現は無理でも補助ならできる。


 ボルガムは頷いた。


「よし。ならやるぞ」


 そこからのレイシャは予想以上だった。


 包みを作る速度は遅い。


 串焼きもぎこちない。


 だが無駄が少ない。


 一度教わったことを繰り返さない。


 補充の順番も覚えている。


 何より慌てない。


 カイルとは真逆だった。


「次の角鳥串、あと八本で切れます」


「了解!」


「殻茸は三本後に補充です」


「了解!」


「青塩だれ残量半分です」


「了解!」


 ボルガムは笑った。


「本当に見てたんだな!」


「仕事ですから」


「怖えな!」


「褒め言葉として受け取ります」


 クィナスが横で頷く。


「レイシャさんは見ることに関しては異常です」


「異常は余計です」


「褒めています」


「褒め方が雑です」


 忙しい中でも少し笑いが生まれる。


 その頃、休憩用の椅子で座っていたカイルは悔しそうに露店を見ていた。


 情けない。


 悔しい。


 もっと動きたい。


 そんな感情がぐるぐる回っている。


 そこへ現れたのがミレイユだった。


 午後後半。


 茶の露店が落ち着いた時間帯だった。


 彼女はカイルの顔を見るなり事情を察したらしい。


「疲れましたか?」


「……少し」


「少しではなさそうですね」


 そう言って小さな木製のカップを差し出した。


 湯気が立っている。


 香りは強くない。


 だが落ち着く匂いだった。


「疲労時向けの香草茶です。眠くなるものではありません。身体を休ませるためのものです」


 カイルは受け取った。


 一口飲む。


 温かい。


 苦くない。


 甘くもない。


 けれど張り詰めていた何かが少し緩む。


「……うまい」


「良かったです」


 ミレイユは微笑んだ。


「頑張るのは良いことです。でも祭りは三日あります。今日倒れたら明日も動けません」


 カイルは悔しそうに笑った。


「分かってるんだけどな」


「分かっていても悔しい時はあります」


 その言葉は優しかった。


 責めるでもなく。


 慰めるでもなく。


 ただ受け止めるような言葉だった。


 カイルは少しだけ肩の力を抜いた。


 露店を見る。


 ボルガムが焼いている。


 レイシャが動いている。


 クィナスが販売している。


 オルゼンが全体を見ている。


 悔しい。


 だが同時に思った。


 明日は戻る。


 絶対に。


 今日の分まで動く。


 その決意だけは揺らがなかった。


 夕方。


 二日目もまた大成功で終わった。


 祭り焼き包み完売。


 香り赤角鳥串完売。


 殻茸串完売。


 甘穀実団子完売。


 初日より早かった。


 片付けの最中、ボルガムがカイルの頭を軽く叩く。


「悔しいか?」


「悔しい」


「なら明日だ」


「分かってる」


「無理はするな」


「するかもしれない」


「するな」


「努力する」


 ボルガムは満足そうに笑った。


 その様子を見ていたクィナスは帳簿を開く。


『祭り二日目。完売。競合露店多数来訪。追加だれ好評。一匙の満足感が評価される。真似したいとの声あり。オルゼン了承。カイルさん途中離脱。悔しそう。ボルガムさん、育成者らしいことを言う。レイシャさん臨時参戦。想定以上。観察能力が怖い。ミレイユさんの香草茶、効果良好。』


 そして最後に付け加えた。


『三日目。全員で締める予定。』


 祭りの二日目が終わる。


 疲労はある。


 だが誰の顔にも後悔はなかった。


 最終日が待っている。


 そしてカイルもまた、その日を待っていた。

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