表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/31

第003話:青塩の使い道

 青塩の注意札を出した翌朝、店の前にはいつもより少しだけ人が多かった。


 朝包みを待つ常連。

 甘味目当ての老魔術師。

 出勤前の役人。

 そして、見慣れない料理人らしき客が二人。


 入口横の黒板には、いつもの文字が書かれている。


『本日の朝包み、十個限定』


 その下に、もう一枚、小さな札が添えられていた。


『青塩について

 料理に使う際は、ごく少量をおすすめします。

 多量使用は香りが強く出すぎる場合があります。

 獣人族・騎獣の近くでの大量使用にはご注意ください。』


 危険物とは書いていない。

 違法とも書いていない。

 ただ、扱い方に注意が必要だと書いてある。


 それだけで十分だった。


「マスター、昨日から青塩の問い合わせが三件増えています」


 開店前の店内で、クィナスが帳簿をめくりながら言った。


「増えたのか」


「増えました。料理人が二人、旅人が一人。あと老魔術師が『白蜜プリンに合うか』と聞いてきました」


「合わないだろ」


「私もそう言いました」


「何て返された?」


「試してみなければ分からん、と」


「強いな」


「甘味に対する執念だけは尊敬します」


 厨房ではボルガムが朝包みの具を炒めていた。


 今日の朝包みは、香草肉ではなく白身魚と根菜の包み焼きだ。

 魚は昨日の夕方に仕入れた川魚。

 少し癖があるが、下処理をきちんとすれば美味い。


 その隣に、小皿がひとつ置かれている。


 青塩だ。


 ただし、ほんのひとつまみだけ。


「マスター、本当にこれを入れるのか?」


 ボルガムが皿を見下ろしながら言った。


「嫌ならやめる」


「嫌ではない! 嫌ではないが、こいつは加減を間違えると魚が青い顔をするぞ!」


「魚はもう死んでる」


「そういう話じゃねえ!」


 クィナスが口元を押さえて笑う。


「ボルガム、料理人としてはどうです?」


「少量なら悪くねえ」


 ボルガムは不満そうにしながらも、正直に答えた。


「普通の塩より角がない。脂の臭みが消える。あと、後味が少し涼しい。夏場の料理には合うかもしれん」


「では商品価値はありますね」


「ある。だが、多く入れたら台無しだ。料理じゃなくて、鼻の奥を殴られる感じになる」


「殴るのはやめろ」


 オルゼンは言った。


「表現だ!」


 ボルガムは大きな指先で、青塩をほんの少しだけつまんだ。

 それを魚の身に振る。


 量は少ない。


 普通の塩なら足りないと感じるほどだ。


 だが、青塩はそれでいい。


 多く使えば高くつく。

 香りも強くなりすぎる。

 少量で違いが出るなら、それが一番商売に向いている。


「青塩は瓶で売るより、小包みの方が良さそうだな」


 オルゼンが言うと、クィナスがすぐに頷いた。


「はい。瓶売りだと高く感じますし、使い方を間違える人が出ます。小包みなら料理一回分。価格も抑えられます」


「瓶は?」


「料理人向けの予約販売でいいと思います。購入者の名前と用途を帳簿に残します」


「管理できるか?」


「誰に聞いているんですか、マスター」


 クィナスは胸を張った。


「帳簿は私の縄張りです」


「頼もしいな」


 その時、入口の鈴が鳴った。


 まだ開店前。


 だが、今朝の客はいつもの常連ではなかった。


 ナギルカだった。


 いつもより少し早い。

 そして、少しだけ眠そうだった。


「おはようございます」


「おはようございます、ナギルカさん」


 クィナスが明るく手を振る。


「今日は目の下に疲れがありますね。役所の書類に勝ちましたか? 負けましたか?」


「引き分けです」


「それは実質負けでは?」


「言わないでください」


 ナギルカは苦笑したが、その目は真面目だった。


 オルゼンはカウンターから顔を上げる。


「南門ですか?」


「ええ」


 ナギルカは小さく頷いた。


「昨日、いただいた注意札の件ですが、役所内で確認しました。青塩そのものは違法品ではありません。ただ、南門の一部倉庫で、用途が不明なまま複数回に分けて搬入されていたことが分かりました」


「量は?」


「ひとつひとつは少量です。ですが、合わせると料理用とは考えにくい量です」


 クィナスの耳が動く。


 ボルガムは厨房で火加減を落とした。


 ナギルカは続ける。


「それと、三番倉庫で扱われていた荷の一部に、申告と違うものが混じっていました」


「違うもの?」


「高価な薬草です。乾物として申告されていました。完全な密輸というより、税率をごまかすための偽装ですね」


「なるほど」


 大事件ではない。


 だが、商売としては十分に悪質だ。


 薬草は種類によって税率が変わる。

 危険性があるもの、薬効が高いもの、魔術素材になるものは管理も厳しい。

 それを安い乾物として通せば、差額でかなり儲かる。


 そして青塩は、その薬草の匂いを隠すために使われていた。


 鼻の利く荷運びや獣人職員の検査を鈍らせるために。


「犯人は?」


 オルゼンが聞くと、ナギルカは少し困った顔をした。


「まだ調査中です。ですが、倉庫の使用許可と通行書類に不自然な点がありました。内部に協力者がいる可能性もあります」


「大変ですね」


「大変です」


 ナギルカは深く息を吐いた。


「ただ、昨日の札のおかげで、表立って確認できました。青塩の多量使用が荷役に影響する可能性がある、という名目で」


「それはよかった」


「本当に、商売上の注意喚起だったんですね」


「ええ」


 オルゼンは穏やかに答えた。


「うちは小さな店ですから。扱う品の使い方には気をつけないと」


 ナギルカはじっと彼を見た。


 それから、少しだけ笑った。


「そういうことにしておきます」


「助かります」


 ボルガムが厨房から大声を出した。


「ナギルカ嬢! 今日は魚の朝包みだ! 青塩をちょびっと使った!」


「青塩を?」


 ナギルカが驚いた顔をする。


「大丈夫なんですか?」


「料理用としてなら大丈夫だ」


 オルゼンは答えた。


「多く使えば高いし、香りも強すぎる。けれど、少しだけなら味が変わる」


「どんなふうに?」


「食べてみれば分かります」


 クィナスがすかさず言った。


「本日限定です。十個しかありません。そしてナギルカさんは一番目です」


「商売が上手ですね」


「ありがとうございます」


「褒めたつもりでは……いえ、褒めています」


 ナギルカは代金を置き、朝包みを受け取った。


 紙包みから、焼いた魚と香草の匂いが立ち上る。

 その中に、ほんのわずかに涼しい香りが混じっていた。


 ナギルカは一口食べた。


 そして、目を少しだけ丸くする。


「……普通の塩と違いますね」


「分かりますか?」


「魚の癖が消えているのに、味が薄くないです。後味が軽いというか、冷たいわけではないのに、すっとします」


 ボルガムが満足げに腕を組む。


「だろう! 俺の火加減もいい!」


「はい。とても美味しいです」


「おう!」


 ボルガムは分かりやすく嬉しそうに笑った。


 クィナスは帳簿に何かを書き込む。


「ナギルカさん、青塩朝包み、評価高。表情、やや驚き。再購入見込みあり」


「それ、帳簿に必要ですか?」


「必要です。お客様の反応は大事ですから」


「恥ずかしいので、表情は書かないでください」


「では、控えめに書きます」


「書くんですね」


 店の入口の外では、開店を待つ客が増え始めていた。


 魚の包み焼きの匂いにつられたのか、今日はいつもより視線が多い。


 オルゼンは入口の札を裏返した。


『開店』


 鈴が鳴り、客が入ってくる。


「朝包み、まだあるか?」


「ありますよ。今日は青塩を少し使った魚包みです」


 クィナスが明るく言った。


「青塩? 昨日の札のやつか?」


「はい。ただし、料理用としてごく少量です。香りが強いので、使いすぎ注意ですよ」


「へえ。じゃあ一つ」


「ありがとうございます」


 その次に来たのは、料理人風の男だった。


 白い前掛けをしている。

 顔には興味が浮かんでいた。


「青塩を少し見せてもらえるか?」


「料理用ですか?」


 オルゼンが聞く。


「そうだ。魚料理に使えると聞いた」


「香りは確認しますか?」


「もちろん」


 男は即答した。


 オルゼンは小さく頷いた。


 今朝の灰色外套の男とは違う。


 この男は、まず香りを確かめた。

 次に粒の大きさを見た。

 それから、値段を聞く前に用途を考えている。


 料理人の目だ。


「瓶で買えますか?」


「瓶は高くなります」


「だろうな」


「初めてなら小包みをおすすめします。一回分です。魚料理なら二皿から三皿分。多く使うと香りが立ちすぎます」


「値段は?」


 オルゼンが告げると、料理人は少し眉を上げた。


「普通の塩よりは高いな」


「ええ」


「だが、一回でそれだけしか使わないなら、悪くない」


「そういう品です」


「なるほど。なら小包みを三つ」


「ありがとうございます」


 クィナスがすぐに帳簿へ記録する。


 料理人。

 香り確認あり。

 小包み三つ。

 用途、魚料理。


 青塩は、売れた。


 ただし、正しい形で。


 それから朝の時間は慌ただしく過ぎた。


 青塩魚包みは、いつもより早く売り切れた。

 八個目を買った冒険者は「夏の遠征に良さそうだ」と言い、九個目を買った鳥人族の配達人は「後味が軽い」と評した。

 十個目は、迷った末に老魔術師が買った。


「白蜜プリンとは合わぬが、魚とは合うな」


「でしょうね」


 クィナスが言う。


「では、白蜜プリンに青塩を振る案は」


「却下です」


「まだ試しておらん」


「却下です」


 老魔術師は残念そうに帰っていった。


 昼前になると、ナギルカがもう一度店に顔を出した。


 今度は客としてではなく、役所の顔だった。


「オルゼンさん」


「はい」


「南門の三番倉庫ですが、今日から一時的に嗅覚検査と書類確認を分けることになりました。獣人職員だけに頼らず、薬草の専門職員も入ります」


「それは良かった」


「青塩についても、一定量以上の搬入は用途記録を残す方向で調整されます」


「少量販売は?」


「問題ありません。料理用としての小売は規制対象外になると思います」


 オルゼンは小さく頷いた。


 理想的な落としどころだった。


 青塩は危険物ではない。

 だが、多量に使えば問題が出る。

 だから大量搬入には用途記録を残す。

 一方で、料理用の少量販売は認められる。


 商売としても、都市の安全としても、悪くない。


「それで、ですね」


 ナギルカは少し言いづらそうに続けた。


「役所の食堂でも、青塩を使った料理を試したいという話が出まして」


 クィナスの耳が勢いよく立った。


「役所の食堂ですか?」


「はい。もちろん大量には使いません。少量で味が変わるなら、夏場の魚料理に良いのではないかと」


 ボルガムが厨房から身を乗り出す。


「役所の料理人に言っておけ! 入れすぎるな! 青塩は主役にすると面倒だが、脇役にするといい仕事をする!」


 ナギルカは真面目に頷いた。


「そのまま伝えます」


「そのままはやめてくれ」


 オルゼンが言った。


「分かりました。少し整えます」


 クィナスはもう帳簿に書いている。


「役所食堂、青塩検討。将来的な取引見込みあり。ボルガム発言、主役にすると面倒、脇役にすると良い仕事」


「書かなくていい!」


「名言かもしれません」


「そうか! なら書け!」


「ボルガムはどっちなんだ」


 店内に、いつもの笑いが戻る。


 青塩を巡る不穏な空気は、完全に消えたわけではない。

 南門の件も、役所の調査はこれからだ。

 内部に協力者がいるなら、ナギルカの仕事はしばらく忙しくなるだろう。


 だが、それは役所の領分だ。


 オルゼンの店は、店としてできることをした。


 扱う品の価値を見極めた。

 危ない使い方を表に出した。

 正しい使い方を示した。

 そして、売った。


 それが商人の仕事だった。


 夕方。


 店の棚には、新しく小さな紙包みが並んでいた。


『青塩 一回分

 魚料理・夏野菜・脂の多い肉に

 使いすぎ注意』


 その横には、小さな瓶が三つだけ置かれている。


『青塩 小瓶

 料理人向け

 購入時に用途をお聞きします』


 普通の塩より高い。

 瓶で買えば、それなりに値が張る。


 けれど、一回分の小包みなら手が出る。

 そして少量でも、確かに味が変わる。


 それが、青塩という商品の落としどころだった。


 クィナスは満足げに棚を見た。


「いいですね。高級だけど、遠すぎない。珍しいけど、怖すぎない。マスターらしい商品です」


「褒めてるのか?」


「もちろんです。少し面倒なところも含めて」


 ボルガムは夕方用の仕込みをしながら言った。


「次は青塩を使った夜包みもやるか?」


「しばらくは魚包みだけでいい」


「なぜだ!」


「続けると飽きられる」


「む、それは困る!」


「季節商品にしよう。暑い日にだけ出す」


 クィナスがすぐに帳簿へ書き込む。


「青塩魚包み、夏季限定候補。販売数十。完売。反応良好」


「仕事が早いな」


「私は優秀なので」


「知ってる」


 その時、入口の鈴が鳴った。


 入ってきたのは、一人の若い配達人だった。


 犬族の少年に近い青年。

 南門で鼻をこすっていた荷運びとは別人だが、同じように鼻が利ちそうな顔をしている。


 彼は少し緊張した様子で、店内を見回した。


「ここ、珍しい品を扱ってる店で合ってますか?」


「合っていますよ」


 オルゼンが答える。


「何をお探しです?」


 青年は肩にかけた革鞄を押さえた。


「届け物です。差出人は、南門の屋台の親父さんから」


「あの人から?」


 オルゼンは少し意外に思いながら、革鞄から出された包みを受け取った。


 中には、小さな木箱が入っていた。

 蓋には簡単な紐がかかっている。


 添えられた紙には、乱暴な字でこう書かれていた。


『青塩の礼だ。

 面白いものが手に入った。

 ただし、食えるかどうかは知らん。

 商人なら見れば分かるだろ。』


 ボルガムが厨房から大声を上げた。


「食えるかどうか分からんものを送ってくるな!」


 クィナスは目を輝かせた。


「マスター、新しい面倒ごとの匂いがします」


「言うな」


 オルゼンは木箱に指をかけた。


 触れた瞬間、指先にかすかな感覚が残る。


 青塩の時とは違う。


 これは、門でも倉庫でもない。


 雨。

 古い森。

 濡れた布。

 そして、夜にだけ開く花。


 オルゼンは小さく息を吐いた。


「……また、変なものを拾ったかもしれないな」


 クィナスが笑う。


「帳簿に新しい欄を作っておきます」


 ボルガムが言う。


「食えるなら俺が試す!」


「食えないかもしれないって書いてあっただろ」


「だから少しだけだ!」


「そういう問題じゃない」


 店の外では、夕方の都市が赤く染まり始めていた。


 青塩は、店の商品になった。

 南門の問題は、役所の手に渡った。

 小さな店は、またいつもの商売に戻る。


 そして、商人の店には、今日もまた新しい品が届く。


 オルゼンは木箱をカウンターに置き、ゆっくりと蓋を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ