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第028話:選べる味

 祭り焼き包みの方向が決まると、厨房の空気はさらに熱を帯びた。


 一品目が決まる前は、全員がどこか手探りだった。見慣れない湿原食材をどう扱えばいいのか、祭りの露店で本当に回せるのか、百食という数が現実的なのか。そういう不安が作業台の上に薄く積もっていた。


 だが、一品目の試作が全員に刺さったことで、その不安は少し形を変えた。


 不安ではなく、次を試したいという熱になった。


 ボルガムはすでに次の食材へ手を伸ばしていた。湿原穀実を蒸したものを木べらで潰し、粗さを変えながら三つの器へ分ける。完全に潰したもの、半分だけ粒を残したもの、ほとんど粒を残したもの。カイルは横でその違いを見ながら、眉間に皺を寄せていた。


「こんなに変える必要あるのか?」


「ある。団子にするなら、潰しすぎると柔らかいだけになる。粒を残しすぎるとまとまらねえ。祭りで売るなら、串に刺して持ち歩ける硬さがいる。食ってうまいだけじゃ駄目だ。落ちねえ、崩れねえ、噛んで楽しい。そこまで見る」


 ボルガムの説明は長かったが、カイルはもう途中で口を挟まなかった。以前なら「面倒くさい」と言っていただろうが、最近は違う。文句を言う前に、まず見ようとする。分からないなら、その後に聞く。


 レイシャは殻茸の状態を確認していた。外殻の厚さ、割った時に出る水分、焼いた後に香りがどれほど残るか。彼女は料理人ではないが、食材の管理や流通の知識がある。そのため、ボルガムとは違う角度から見る。


「殻茸は、焼いてすぐなら香りが良いですが、少し置くと弱くなります。露店で出すなら、焼き置きは少なめにした方がいいと思います。串の数を少なくして、注文が入ってから仕上げる形なら香りを保てます」


 ボルガムは頷いた。


「だな。茸は十五食で正解だ。多く作ると腐らねえまでも、水が戻る。売れ残ると味が落ちる」


 クィナスはすぐに記録する。


「香草茸串は一日十五食。焼き置き最小。注文後仕上げ。説明札には『焼きたて推奨』と入れます」


「推奨って客は分かるのか?」


 カイルが聞くと、クィナスは少し考えた。


「では、『焼きたてが一番おいしい茸串』にします」


「そっちの方が分かる」


「採用します」


 次に作ったのは甘穀実団子だった。


 湿原穀実を粗く潰し、少量の粉と混ぜ、丸めて串に刺す。軽く焼いて表面を固め、甘いタレを塗る。最初の一口で、全員がほぼ同時に頷いた。


 甘い。


 けれど、重くない。


 穀実の自然な甘みがあり、焼いた表面が香ばしい。子供向けにできるが、大人が食べても悪くない。祭りで歩きながら食べるにはちょうどいい。


 カイルが二口目を食べながら言った。


「これは売れるな。子供向けって言ったけど、普通に大人も食う。けど、タレが多いと手が汚れる」


 レイシャも頷く。


「串の持ち手を少し長くした方がいいです。紙で巻くなら、下半分だけで足ります。甘い香りは良いですが、塗りすぎると垂れます」


 クィナスは帳簿に書きながら言った。


「甘穀実団子、基本は二十五食。タレは控えめ。持ち手長め。子供向けだが大人も対象。説明札は『焼き甘穀実のもちもち団子』でしょうか」


 ボルガムは腕を組んで少し考えた。


「もちもち、でいいのか?」


「食感が伝わります」


「ならいい!」


 次は辛味角鳥串だった。


 これはボルガムが少し慎重だった。角鳥は脂が少なく、火を入れすぎると硬くなる。辛味を強くすると肉の味が消える。逆に弱すぎると、酒飲みや職人には物足りない。


 最初の試作は、少し辛すぎた。


 カイルが一口食べて顔をしかめた。


「うまいけど、これ昼に食ったら水が欲しくなる。夕方の酒向けならいいけど、昼客にはきつい」


 レイシャも静かに言った。


「辛味が舌に残りすぎます。祭りでは他の店の商品も食べる客が多いので、後味が強すぎると次を邪魔します」


 ボルガムは不満そうではなかった。むしろ、指摘を待っていたように頷いた。


「だよな。俺もそう思った。辛さじゃなく香りで押す方がいい」


「そこでセリオラさんですね」


 クィナスが言った。


 ちょうどその日の夕方、試作の話を聞いたセリオラが店を訪れた。彼女は祭り用の香草について、いくつか候補を持ってきていた。灰紫の外套の内側から、小さな布袋を三つ取り出す。どれも強い匂いを撒き散らしてはいないが、近づくと違いが分かる。


「これは、時間が経っても香りが残りやすい香草です」


 セリオラは一つ目の袋を開いた。


「煙香草。焼いた時の香りが煙に乗りますが、刺激は強くありません。肉に合います。辛味を足さなくても、食べた時に少し温かい印象が残ります」


 次に二つ目。


「尾香葉。名前の通り、後から香りが戻ります。食べた直後より、飲み込んだ後に少し鼻に抜けます。使いすぎると薬臭くなるので、ほんの少しです」


 最後に三つ目。


「乾いた赤実の皮です。辛味はほとんどありませんが、見た目に赤が出ます。辛そうに見えますが、舌は焼けません。祭りでは見た目も大事です」


 カイルは赤実の皮を見て目を細めた。


「辛そうに見えて辛くないって、詐欺じゃねえのか」


 セリオラは穏やかに首を横に振った。


「辛いと書かなければ詐欺ではありません。『香り赤だれ』とすれば良いと思います」


 クィナスの耳が立つ。


「香り赤だれ。良いですね」


 ボルガムはすぐに試した。


 角鳥に煙香草と尾香葉を少量、赤実の皮を混ぜた油を塗り、焼く。匂いが変わった。舌を刺すような辛さではなく、肉の香ばしさに赤い印象が加わる。見た目は祭りらしく、味は強すぎない。


 試食すると、全員の反応は良かった。


 カイルが頷く。


「これなら昼でもいける。酒にも合うけど、辛すぎないから逃げない」


 レイシャも言う。


「行列中に香りが広がっても、周囲の客を刺激しすぎません。隣の露店にも迷惑が少ないと思います」


 セリオラは控えめに微笑んだ。


「香りは残りますが、押しつけない程度です。焼き置きすると少し弱くなるので、最後に軽く塗り直すと良いでしょう」


 ボルガムは大きく頷いた。


「採用だ!」


「まだ試作二回目ですけど」


 カイルが言うと、ボルガムは笑った。


「方向は決まった! 細かい調整はする!」


 最後に香草茸串を試した。


 殻茸を割り、表面を強く焼いてから香草油を塗る。セリオラの助言で、香りの余韻が短い青葉系の香草を使った。食べると、茸の内側に閉じ込めた水分が口の中で広がり、香草が軽く抜ける。肉ほど強くはないが、箸休めのように食べられる。


 クィナスが一口食べて頷いた。


「これは数を増やさなくて正解ですね。好きな人には刺さりますが、全員向けではありません。でも、四種類の中にあると品揃えが広がります」


 レイシャも続ける。


「肉を避ける人や、軽く食べたい人が選びやすいです。説明は短く、『焼きたて殻茸の香草串』で良いと思います」


 カイルは茸を見ながら言った。


「これ、焼くの難しいけど、うまくいくと面白いな。水が出る前と後で全然違う」


 ボルガムは満足そうに笑った。


「見えてきたな」


「まだ見えた気がするだけだ」


「最初はそれでいい!」


 四品すべてが、ほぼ確定した。


 大きな修正はない。


 細かい指摘は入った。タレの量、串の長さ、焼き置きの可否、香りの残り方、説明札、時間帯ごとの見せ方。だが、どれも方向を変えるものではなく、商品として磨くためのものだった。


 その後、オルゼンが提案した。


「味を全部こちらで決めすぎない方がいいかもしれない」


 全員が彼を見る。


「祭りでは、客が選ぶ楽しさもある。基本の味は決める。ただ、別枠でタレやソースを用意して、好みに合わせて少しかけてもらう形にする。こちらが『これが完成形です』と押し付けるのではなく、買う側が自分で仕上げる余地を残す」


 クィナスは少し考え、帳簿に新しい項目を書いた。


「選べる味。良いですね。客の参加感があります。ただし、タレを自由にしすぎると混雑します。こちらで三種類くらいに絞るべきです」


「甘香だれ、香り赤だれ、青塩香草だれ」


 セリオラがすぐに案を出した。


「甘香だれは甘穀実団子にも焼き包みにも使えます。香り赤だれは角鳥串向けですが、焼き包みに少し足しても面白いです。青塩香草だれは茸や焼き包みに合います。ただし、青塩は使いすぎると強いので、かける量を店側で調整した方が安全です」


 ボルガムは腕を組んだ。


「客に好きにかけさせると、青塩をどばっといく奴がいるな」


「います」


 クィナスは断言した。


「では、タレは小さな匙でこちらが渡す形にしましょう。『追加だれ一匙まで』。無料か有料かは決める必要があります」


 カイルが言った。


「最初の一匙は無料でいいんじゃねえの。祭りだし。追加で二匙目からは銅貨一枚とか」


 クィナスは彼を見た。


「良いですね。客が選ぶ楽しさを残しつつ、無制限にはしない。二匙目から有料なら、使いすぎも減ります」


 レイシャも頷いた。


「列の流れを考えるなら、タレ台を別にした方がいいです。商品を受け取る場所と味を選ぶ場所を分ける。そうすれば、焼き場の前で詰まりにくいです」


 オルゼンは店内を見回しながら、露店の配置を頭の中で組み立てた。


 焼き場。


 受け渡し。


 会計。


 タレ台。


 列。


 客が選ぶ時間。


 香りの流れ。


 三日間、一日百食。


 見えてきた。


 セリオラは香草の袋を閉じながら言った。


「香りが残る香草は、私の方で祭り前に必要量を用意できます。ただし、尾香葉は使いすぎると本当に薬臭くなるので、計量はきちんとしてください」


 クィナスがすぐに記録する。


「尾香葉、要計量。ボルガムの勘任せ禁止」


「おい!」


 ボルガムが声を上げる。


「俺の勘は当たるぞ!」


「当たりますが、祭りで再現性が必要です。カイルさんが手伝う以上、量は数字にします」


 カイルは少し笑った。


「俺は助かる。勘で少しって言われても分かんねえし」


 ボルガムは一瞬だけ不満そうにしたが、すぐに納得した。


「それもそうだな。祭りは一人で作るわけじゃねえ。数字にするか」


 クィナスの手が止まった。


 少し驚いたようにボルガムを見る。


「今、自分から数字を受け入れましたね」


「なんだその顔は!」


「成長記録に書きます」


「俺の成長記録もあるのか!?」


「あります」


「いつからだ!」


「最初からです」


「怖い!」


 店内に笑いが起きた。


 最終的に、祭り露店の四品はこう決まった。


 祭り焼き包み。湿原穀実、角鳥、殻茸を包んで焼く基本商品。四十食。


 焼き甘穀実団子。子供から大人まで食べやすい甘めの串。二十五食。


 香り赤角鳥串。辛すぎず香りで満足させる肉串。二十食。


 焼きたて殻茸の香草串。軽く食べられる香草焼き。十五食。


 そこへ選べる三種の追加だれ。


 甘香だれ。


 香り赤だれ。


 青塩香草だれ。


 最初の一匙は無料。二匙目から有料。青塩香草だれだけは店側が量を管理する。


 クィナスは帳簿の最後にまとめを書いた。


『祭り露店商品、ほぼ確定。四品合計百食。追加だれ三種。客が選ぶ余地を残すことで、味を押し付けず楽しませる。セリオラさんより、香りが時間経過しても残る香草の提供あり。尾香葉は要計量。ボルガム、数字を受け入れる。重要。』


 ボルガムが帳簿を覗き込み、最後の一行を指差した。


「そこ、重要なのか!」


「かなり」


 カイルが笑いをこらえながら言った。


「師匠、数字も料理っすよ」


 その場が一瞬だけ静かになった。


 カイル自身も、自分の口から出た言葉に気づいて固まった。


 ボルガムも固まった。


 クィナスの耳が立つ。


 レイシャの目がわずかに細くなる。


 セリオラも静かに見ている。


 オルゼンは口元を押さえた。


 カイルは顔を赤くし、慌てて言った。


「い、今のは違う。口が滑っただけだ」


 ボルガムはゆっくりと笑った。


 とても嬉しそうに。


「そうか」


「違うって言ってるだろ」


「分かった分かった」


「絶対分かってねえ」


「カイル」


「なんだよ」


 ボルガムは満面の笑みで言った。


「明日から計量も教える」


 カイルは天井を見た。


「墓穴掘った……」


 クィナスは当然のように帳簿へ追記した。


『カイルさん、初めてボルガムを師匠と呼ぶ。本人は否定。ボルガム、とても嬉しそう。』


 カイルが叫ぶ。


「書くな!」


「書きます。歴史的瞬間です」


 祭りの準備は、まだ始まったばかりだった。


 だが四品は決まり、タレも決まり、香草の協力も得た。


 厨房には試作の香りが満ちている。


 秋口の記念日祭りまで、まだ少し時間がある。


 けれど、この日オルゼンの店では、祭りで売る味の輪郭がはっきりと形になった。


 そしてついでに、カイルが自分でも気づかないうちに、ボルガムを師匠と呼んだ日にもなった。

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