第019話:一歩間違えれば
レイシャが試用として店に顔を出すようになってから数日が経った。
共同販売館との往復は想像以上に順調だった。
販売数の確認。
棚の補充。
客からの問い合わせの回収。
説明札の補修。
売上記録の照合。
どれも正確だった。
何より仕事が速い。
慌てない。
騒がない。
言われたことだけをやるわけでもない。
必要なことを先に考えて動く。
クィナスですら、
「想像以上でした」
と認めていた。
ボルガムも最初こそ警戒していたが、今では荷運びを頼む程度には信用している。
ただし、それと同時に別の問題もはっきりした。
厨房だった。
共同販売館の販路が増えたことで商品の種類が増えた。
保存食。
調味小包み。
焼き菓子。
試験商品。
ボルガムは回している。
回してはいる。
だが余裕は減っていた。
味は落ちていない。
むしろ以前より良い。
だが、それはボルガムが無理をしているからでもあった。
ある日の閉店後。
仕込みを終えたボルガムは椅子へ腰を下ろしながら言った。
「駄目だな」
その声は珍しく疲れていた。
オルゼンは帳簿を確認していた手を止める。
クィナスも顔を上げた。
レイシャも商品整理の手を止める。
ボルガムは大きく息を吐いた。
「今は回ってる。でもこれ以上は無理だ。俺が無理できるから店が回ってる状態は良くねえ」
それはボルガム自身が一番理解していた。
料理人が潰れたら終わる。
どんなに味に自信があっても、体が一つしかない以上限界は来る。
オルゼンは頷いた。
「厨房補助を探そう」
「だな」
「条件は?」
そう聞くと、ボルガムは真顔になった。
「まず料理が好きな奴」
「普通だな」
「普通じゃねえ。意外といねえ」
真剣だった。
「料理人になりたい奴は多い。でも料理が好きな奴は意外と少ねえ。見栄だったり金だったり、そういう奴は長続きしねえ」
クィナスが帳簿へ書く。
ボルガムは続けた。
「あと諦めねえ奴」
その言葉だけは少し重かった。
「料理は失敗する。何度もする。俺だってした。焦がしたこともあるし、腐らせたこともある。怒鳴られたこともある。でも続ける奴しか残らねえ」
オルゼンは頷いた。
「分かった」
翌日。
四人は職探しの斡旋所へ向かった。
共同販売館や商業管理局とは別組織。
商人。
職人。
工房。
店。
そういった場所と求職者を繋ぐ施設だった。
昼過ぎ。
施設内は思った以上に混雑していた。
仕事を探す者。
人を探す者。
職員。
様々な人種が行き交っている。
レイシャは周囲を見ながら静かに歩いていた。
クィナスは掲示板を眺める。
オルゼンは受付へ向かう。
ボルガムは落ち着かない様子で辺りを見ていた。
「なんだ?」
オルゼンが聞く。
「いや」
ボルガムは腕を組んだ。
「料理人希望って奴らを見てる」
「どうだ?」
「半分くらいは続かなそうだな」
「見ただけで分かるのか」
「分かる」
本当に分かるらしい。
そこへ受付職員がやって来た。
話を聞くと、職員は少し考えてから言った。
「一人、いるにはいます」
「いるには?」
オルゼンが聞く。
職員は困ったように笑った。
「能力はあります」
「ですが問題もあります」
「どんな?」
「口が悪いんです」
全員が少し黙った。
クィナスが言う。
「それだけですか?」
「それだけではありません」
職員は続けた。
「何度も職場を変えています」
「問題を起こした?」
「喧嘩です」
「暴力?」
「口です」
レイシャが少し興味を示した。
「口だけで職を失うほどですか」
「かなりです」
職員は苦笑する。
「ですが料理の腕だけは評価されています」
「変な奴だな」
ボルガムが呟いた。
職員は奥を指差した。
「あそこにいます」
視線を向ける。
椅子へ座っていた男がいた。
年齢は二十代前半。
人族。
茶色の髪。
細身。
見た目は普通だ。
だが目だけは妙に鋭かった。
男は四人を見る。
そして。
第一声が最悪だった。
「なんだ。店主って聞いたから来てみれば、ただの普通の兄ちゃんじゃねえか」
空気が止まった。
男は続ける。
「もっと腹黒い商人かと思ったぞ。そんな顔で商売やってんのか? 騙される方だろ」
職員の顔が青くなる。
オルゼンは少し笑った。
本当のことでもある。
だから気にしない。
だが。
その瞬間だった。
レイシャの目が見開かれた。
視界から二人が消えた。
正確には消えていない。
速すぎた。
クィナス。
ボルガム。
次の瞬間には男の左右に立っていた。
誰も動きを見ていない。
レイシャですら途中を追えなかった。
男はまだ気づいていない。
笑ったままだった。
だが。
首筋。
心臓。
どちらにも一歩で届く位置。
しかも無音。
無気配。
レイシャの背筋を冷たいものが走る。
今まで感じていた違和感。
正体不明の圧。
その欠片が初めて見えた。
違う。
強いとかそういう話ではない。
これは。
殺す側の動きだ。
躊躇なく。
迷いなく。
何百回も繰り返した者の動き。
男も遅れて気づいた。
笑みが止まる。
クィナスは笑顔だった。
いつも通り。
だが目だけが違う。
「今の言葉、取り消しますか?」
声も静かだった。
怒鳴らない。
だから余計に怖い。
ボルガムも同じだった。
普段はよく喋る。
だが今は無言。
無言のまま男を見下ろしている。
それだけで威圧感が異常だった。
斡旋所全体が静まり返る。
職員も動けない。
レイシャだけが理解していた。
次の一手。
本当に一手で終わる。
この二人は出来る。
いや。
出来るではない。
やってきた。
何度も。
だからこその距離だった。
男の額に汗が浮かぶ。
空気が張り詰める。
その時。
オルゼンが呆れたように言った。
「やめろ」
その一言だった。
クィナスが先に動く。
何事もなかったように戻る。
ボルガムも同じだった。
さっきまでの空気が消える。
まるで最初から何もなかったように。
だがレイシャだけは見ていた。
あれは演技ではない。
本気だった。
二人とも。
男もようやく息を吐く。
顔色が悪い。
オルゼンは苦笑した。
「気にするな。事実だ」
「いや」
男は乾いた声を出した。
「今のは事実とかそういう話じゃねえだろ」
「そうか?」
「そうだろ」
オルゼンは肩を竦めた。
クィナスはもう帳簿を抱えている。
ボルガムは腕を組んでいる。
いつもの二人だ。
だがレイシャの中では違った。
確信した。
この店は普通ではない。
オルゼンは普通に見える。
だが周りが違う。
そして。
その周りを普通に扱っているオルゼン自身も、たぶん普通ではない。
男はしばらく黙っていた。
やがて笑った。
さっきとは違う笑いだった。
少しだけ。
本当に少しだけ。
敬意が混じっていた。
「なるほどな」
そう言って立ち上がる。
「面白い店だ」
ボルガムが低く言った。
「で、お前料理できるのか?」
男は鼻で笑った。
「お前よりは下手だろうな」
「ほう」
「でもそこらの料理人よりは上手い」
「自信家だな」
「事実だからな」
ボルガムの目が細くなる。
男も引かない。
空気が少し変わった。
今度は殺気ではない。
料理人同士の睨み合いだった。
そしてその瞬間。
ボルガムが笑った。
大きく。
豪快に。
「気に入った」
男は怪訝そうな顔をする。
「は?」
「お前、諦めねえ顔してる」
ボルガムは言った。
「嫌いじゃねえ」
男は少し黙った。
それから。
ぼそりと言った。
「……何度辞めさせられても、料理だけは辞めなかったからな」
その言葉だけは妙に重かった。
オルゼンは思う。
たぶん。
この男も何か抱えている。
だが今は聞かない。
必要なのは過去ではない。
これからだ。
レイシャは静かに男を見る。
そして思った。
この男。
たぶん近いうちに。
ボルガムを師匠と呼ぶようになる。
そんな予感がした。
もっとも。
本人はまだ知らないだろうが。




