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第017話:共同販売館と、説明の価値

 温室契約から数日後。


 オルゼンたちは、都市中央区と北区の境にある共同販売館へ向かっていた。


 この都市には大小様々な商店が存在する。


 大商会が運営する店舗。


 職人が自宅兼工房で営む店。


 屋台。


 露店。


 行商。


 そして、共同販売館。


 共同販売館は、一言で言えば「小規模商人のための販路」だった。


 店を構えるほどの資金はない。


 だが商品はある。


 そんな者たちが棚を借り、自分の商品を並べられる施設である。


 もちろん無料ではない。


 棚代がかかる。


 売上に応じた手数料もある。


 だが店員は販売館側が用意する。


 客足も一定数ある。


 小さな商人にとっては、店を一軒構えるより遥かに現実的な販路だった。


「なるほどな……」


 建物を見上げながらボルガムが感心したように言った。


「思ったより大きい」


 オルゼンも同じ感想だった。


 共同販売館は三階建てだった。


 石造りの頑丈な建物で、正面には大きな看板が掲げられている。


『都市共同販売館』


 飾り気は少ない。


 だが実用性を重視した造りであることは一目で分かった。


 出入りする客も多い。


 旅人。


 職人。


 主婦。


 料理人。


 様々な者が出入りしている。


「客層は悪くなさそうだな」


 オルゼンが言うと、クィナスが頷いた。


「販売記録を見る限り、この辺りではかなり信頼されています」


「そこまで調べたのか」


「申請前の基本です」


 クィナスは当然のように言った。


 彼女の腕には帳簿が抱えられている。


 今日は販売記録や試算表まで持参していた。


 ボルガムが笑う。


「共同販売館より帳簿の方が重そうだな」


「大切な資料です」


「帳簿ってそんなに増えるのか?」


「増えます」


「怖えな」


 そんな話をしながら中へ入る。


 館内は思った以上に整理されていた。


 棚ごとに区画が分かれている。


 保存食。


 工芸品。


 香料。


 調味料。


 日用品。


 旅人用品。


 商品説明札も統一されている。


 客が見やすい。


 売る側ではなく、買う側を意識した構造だった。


 オルゼンは少し感心した。


「管理が行き届いているな」


「だから信用されているんでしょう」


 クィナスが言う。


 館内を進むと受付が見えてきた。


 そこには若い職員がいた。


 オルゼンが出店申請を伝えると、職員はすぐ頷いた。


「共同販売館への新規出店ですね。少々お待ちください」


 そう言って奥へ消える。


 数分後。


 重い足音が近づいてきた。


 そして現れたのは、小柄な老ドワーフの女性だった。


 身長は低い。


 だが存在感は大きい。


 灰色の髪を後ろで束ねている。


 深い皺が刻まれた顔。


 鋭い目。


 その視線だけで、商人なら思わず背筋を伸ばしたくなる。


「新規申請はお前たちか」


 声も低い。


 職人の金槌のような響きがある。


「オルゼンです」


 オルゼンが名乗る。


「店主か」


「はい」


「私はバルドリアだ」


 共同販売館管理人。


 その名前を聞いた瞬間、クィナスの耳がわずかに動いた。


 事前調査で見ていたのだろう。


 バルドリアは椅子に腰を下ろしながら言った。


「まず言っておく」


 その視線が三人を順番に見ていく。


「私は若い商人が嫌いだ」


 ボルガムが吹き出しそうになる。


 オルゼンは平静を保った。


 バルドリアは続ける。


「夢ばかり語る」


「売上予測は雑」


「管理は甘い」


「売れなかったら市場のせい」


「潰れたら運のせい」


「そういう連中を何百人も見てきた」


 言葉に重みがあった。


 脅しではない。


 経験だ。


「だから私は最初から信用しない」


 そう言って机を指で叩く。


「商品を見せろ」


 オルゼンたちは持参した商品を並べた。


 青塩小包み。


 香草小包み。


 保存調味料。


 試験販売予定の焼き菓子。


 旅人向け調味セット。


 バルドリアは無言で確認する。


 触る。


 匂いを嗅ぐ。


 説明札を読む。


 時間をかけて見ている。


 やがて青塩の説明札を手に取った。


 そして眉をひそめる。


「長いな」


 クィナスが反応する。


「必要な説明です」


「長い」


「ですが――」


「客は全部読まん」


 館内に静かな緊張が走った。


 オルゼンは黙って見ている。


 これはクィナスが答えるべき問いだ。


 クィナスも理解していた。


「読まない方もいます」


 落ち着いた声だった。


「ですが読む方もいます」


 バルドリアは説明札を振る。


「この文字数だぞ」


「青塩は普通の塩ではありません」


 クィナスは続けた。


「使い方を間違えると本来の価値が伝わりません」


「それでも長い」


「だから順番を作っています」


 バルドリアの目が少し細くなる。


 クィナスは説明札を手に取った。


「最初に見るのは一行目です」


 そこにはこう書かれていた。


『少量で味が変わる特製青塩』


「ここだけでも商品は理解できます」


 さらに指を下へ移す。


「その後、興味を持った方だけが続きを読みます」


 バルドリアは何も言わない。


 クィナスは続けた。


「全員に説明するためではありません」


「必要な人に必要な情報を渡すためです」


 その言葉に、バルドリアの視線が変わった。


 ただの反論ではない。


 客の行動を見ている答えだった。


 クィナスはさらに続ける。


「説明を削ることはできます」


「ですが削り方を間違えると商品の価値まで削れます」


「それは避けたいんです」


 バルドリアは説明札を見つめたまま黙る。


 オルゼンはその様子を見ていた。


 クィナスは帳簿担当として優秀だ。


 だが数字だけではない。


 客も見ている。


 売場も見ている。


 そこが彼女の強みだった。


 バルドリアは今、それを測っている。


 やがて老人は別の商品を手に取った。


 保存調味料だ。


「これは利益率が高そうだな」


 クィナスは首を横に振る。


「普通です」


「普通?」


「むしろ青塩の方が高いです」


「ならなぜこっちを売る」


 クィナスは迷わなかった。


「入口だからです」


 バルドリアが顔を上げる。


「説明しろ」


「保存調味料を買ったお客様は家で料理をします」


 クィナスは言った。


「料理をした方は次に香草を見る」


「香草を買った方は青塩を見る」


「青塩を使った方は別の商品も試します」


 彼女は帳簿を開いた。


「実際の購入履歴です」


 そこには記録が並んでいる。


 商品単体ではなく客単位。


 何を買い。


 何を再購入し。


 何に興味を持ったか。


 丁寧に記録されていた。


 バルドリアはその帳簿を見た。


 そして初めて本当に驚いた顔をした。


「客ごとに見ているのか」


「はい」


「商品ではなく?」


「商品だけ見ても売れません」


 クィナスは静かに答えた。


「買うのは人です」


 受付近くの空気が変わる。


 バルドリアは帳簿を閉じた。


 ゆっくり息を吐く。


 それから椅子に深く座り直した。


「なるほどな」


 その声には先ほどまでの刺々しさが少し消えていた。


「最近は数字しか見ない若い商人が多い」


 彼女は言った。


「利益率」


「回転率」


「原価率」


「そればかりだ」


 そしてクィナスを見る。


「お前は違うな」


 クィナスの耳が少し動く。


「数字も見る」


「商品も見る」


「だが客も見ている」


 バルドリアは小さく笑った。


「今どき珍しい」


 その言葉にクィナスは少しだけ目を瞬いた。


 褒められるとは思っていなかったのだろう。


「ありがとうございます」


 いつもより少し素直だった。


 バルドリアは申請書を手に取る。


 そして迷わず判を押した。


 重い音が響く。


「棚一区画」


「まずはそこからだ」


 オルゼンは頭を下げた。


「ありがとうございます」


「礼は売れてから言え」


 バルドリアは言う。


「売れない商品は棚の場所を奪うだけだ」


「はい」


「だが」


 そこで老人はクィナスを見る。


「お前の説明札は嫌いじゃない」


 クィナスの耳がぴくりと動く。


「少し長いがな」


「改善します」


「全部削るな」


「はい」


「必要な部分は残せ」


「そうします」


 バルドリアは満足そうに頷いた。


「その猫耳、飾りじゃなかったらしい」


 クィナスは珍しく少しだけ照れたような顔をした。


 その変化を見たボルガムが、後でからかうことを決意した顔になっていた。


 帰り道。


 共同販売館への出店は正式に決まった。


 棚は小さい。


 だが店の外へ伸びる初めての販路だ。


 オルゼンは歩きながら思う。


 大きな一歩ではない。


 だが確かな一歩だ。


 隣ではクィナスが帳簿を開いていた。


 もう記録を書いている。


「早いな」


 オルゼンが言う。


「忘れる前にです」


 ボルガムが覗き込む。


「何書いてる?」


 クィナスは少し考えた。


 それから素直に読んだ。


『共同販売館管理人バルドリアさん』


『最初は怖かったです』


『途中から少し怖くなくなりました』


『最後に褒められました』


 そこでペンが止まる。


「たぶん」


 と付け足した。


 オルゼンは思わず笑った。


「たぶんじゃないだろ」


「そうでしょうか」


「完全に褒められてたぞ」


 ボルガムも頷く。


「耳ずっと立ってたしな」


 クィナスは即座に否定した。


「立っていません」


 だが帳簿にはその後、


『耳は立っていません』


 と書かれていた。


 そしてその文字だけ、ほんの少しだけ乱れていた。

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