表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/32

第014話:六粒のうち、二粒

 セリオラが持ってきた木札は、小さなものだった。


 手のひらに収まるほどの薄い木片。

 表面には、古い温室区画の管理印が焼き付けられている。

 裏には、ラグネルの名前が短く彫られていた。


 紹介状ではない。


 ラグネルはそう言ったらしい。


 入口だ、と。


 その言葉の意味を、オルゼンはすぐに理解した。


 これがあれば門前払いはされない。

 だが、温室を借りられるかどうかは別だ。


 店のカウンターには、木札、クィナスの帳簿、リュナメルの栽培記録、そして小さな種袋が並んでいた。


 種袋の中には、まだ発芽していない二粒の種が入っている。


「この二粒なんだが」


 ボルガムはいつになく真面目な顔で言った。


「普通じゃねえ」


「普通じゃない?」


 オルゼンが聞く。


「ああ」


 ボルガムは種袋を開き、二粒の種を小皿へ出した。


 クィナスの耳がぴんと立つ。


 二粒は、発芽した四粒とは明らかに色が違っていた。


 発芽した四粒は、濃い茶色に金の筋が入ったような種だった。

 いかにも乾いた果実の中に入っていた硬い種、という見た目だ。


 だが、残りの二粒は違う。


 ひとつは、白銀に近い淡い色をしている。

 乾燥しているはずなのに、表面が月光を含んでいるように薄く光っていた。


 もうひとつは、赤褐色。

 ただの赤ではなく、深く焼けた橙色にも見える。

 表面の筋は黒に近く、まるで小さな火脈のようだった。


「これは……」


 クィナスが帳簿に手を伸ばしかけて、少し止まった。


「記録前に聞いた方がいいですね。ボルガム、これは何ですか?」


「リュナメルの変わり種だ」


「変異種、ということですか?」


「近い。向こうじゃ、月の色が違う、と言う」


 オルゼンは二粒の種を見る。


 指先で触れようとして、少しだけ迷った。


 それでも、白銀の種に触れる。


 指先に残ったのは、甘さではなかった。


 冷えた夜。

 白い花。

 香料瓶。

 薄い菓子。

 静かな茶席。


 次に、赤褐色の種に触れる。


 こちらは、まるで違う。


 火。

 肉。

 果実酒。

 濃い煮込み。

 赤い皿。

 夜の宴。


 オルゼンは小さく息を吐いた。


「どちらも、ただの果実じゃないな」


「分かるのか?」


 ボルガムが聞く。


「なんとなくな」


 クィナスはすぐに書き始めた。


『未発芽種二粒。通常種と色違い。白銀、赤褐色。マスター、価値反応あり』


 ボルガムは二粒を指差した。


「普通のリュナメルは、熟すと黄金色になる。味は濃い。干すと蜜が詰まる。こっちの四粒がたぶんそれだ」


「マンゴーに近い感じでしたね」


 クィナスが言う。


「そうだ。甘くて、少し酸味があって、干すとうまい」


「では、この白い方は?」


「白月種だと思う」


 ボルガムは言った。


「果実は小さい。甘みは普通のリュナメルより弱い。だが香りが強い。菓子や香料に向く。昔、乾かした皮を茶に入れてるのを見た」


「セリオラさんが好きそうですね」


 オルゼンが言うと、クィナスも頷いた。


「間違いなく興味を示します」


「赤い方は?」


「緋月種。こっちは酸味が強い。生で食うには少しきついが、肉や酒に合う。干すと甘酸っぱくなる。脂の強い肉料理に少し入れると、くどさが消える」


 ボルガムはそこで少しだけ目を細めた。


「高級そぼろに使うなら、こっちだ」


 オルゼンは赤褐色の種を見る。


 緋月種。


 たしかに、これが育てば肉料理との相性は強そうだ。


 リュナメル入りの高級そぼろ瓶。

 あるいは、酒場や貴族向けの肉加工品。

 保存食ではなく、贈答品にもできる。


 白月種は甘味と香料。

 緋月種は肉料理と酒。

 通常種は乾燥果実と菓子。


 六粒だけで、三方向に広がる。


「ただし」


 ボルガムが言った。


「この二粒は難しい」


「通常種よりも?」


「ああ。発芽しにくい。土も選ぶ。たぶん、このまま店の裏でやったら駄目になる」


 クィナスの手が止まった。


「駄目になる可能性が高い?」


「高い」


 ボルガムははっきり言った。


「だから温室がいる。普通の四粒も温室に移した方がいいが、この二粒は特にだ。白月は夜の温度と湿度。緋月は土と風。どっちも雑に扱えねえ」


 オルゼンは木札を見た。


 ラグネルからの入口。


 おそらく、ここから先は金がかかる。


 かなりの額だ。


 特殊温室の使用料。

 土の調整費。

 魔術設備。

 水路。

 管理費。

 保証金。


 さらに、リュナメルはすぐに実をつけない。


 短期で回収できる投資ではない。


 商人として考えれば、かなり重い。


「マスター」


 クィナスが静かに言った。


「温室を借りる場合の概算を出してあります」


「早いな」


「必要になると思ったので」


 帳簿の一枚が開かれる。


 そこには、魔術温室区画の使用料に関する情報がまとめられていた。


 小区画の月額。

 特殊土壌の費用。

 温度調整魔石の使用料。

 水管理費。

 保証金。

 申請手数料。

 希少植物管理記録の提出義務。


 オルゼンは数字を見た。


 高い。


 小さな店にとっては、かなり重い。


「これは……」


 ボルガムも帳簿を覗き込んで、少し黙った。


「高いな」


「はい」


 クィナスの声も真面目だった。


「ただ、完全に無理という額ではありません。ですが、店の運転資金から出すと危険です。そぼろ瓶の利益をすべて回しても、短期では厳しいです」


「借りるなら、外部資金が必要か」


「はい」


 その時、入口の鈴が鳴った。


 入ってきたのは、ラグネルだった。


 いつもの小さな卸店で見た時と同じ、質素な服装。

 だが、店に入った瞬間、空気が少し締まる。


 後ろにはセイドもいた。


 ラグネルはカウンターの上の木札と種を見て、目を細めた。


「話は聞いた」


「いらっしゃいませ」


 オルゼンは立ち上がる。


「セリオラさんから?」


「そうだ」


 ラグネルは白銀と赤褐色の種を見る。


「……本当に色違いがあったか」


 ボルガムが少しだけ目を細める。


「知ってるのか?」


「昔、見たことがある」


「どこでだ?」


「南西高地の市で一度だけな」


 ラグネルは種から目を離さない。


「白月種と緋月種。どちらも普通の農家が育てるものではない。育てられる者も限られる」


 セイドが静かに補足する。


「一般市場にはまず出ません。加工品としても、香料商や高級料理店へ少量流れる程度です」


 クィナスが帳簿に記録する。


 ラグネルはオルゼンを見た。


「温室を借りたいんだろう」


「はい」


「金がかかる」


「分かっています」


「かなりの額だ」


「それも」


「すぐに実はならん。失敗すれば、ただ金を捨てることになる」


「その可能性もあります」


 ボルガムが一歩前に出た。


「失敗させねえ」


 ラグネルはボルガムを見た。


「言い切るか」


「育つとは言い切れねえ」


 ボルガムは珍しく慎重に言った。


「だが、手を抜かねえとは言い切れる」


 ラグネルは少しだけ笑った。


「いい答えだ」


 それから、オルゼンへ視線を戻す。


「温室区画を借りるには、名義がいる。お前たちの店の名だけでは弱い」


「でしょうね」


「だから、管理名義に俺の名を貸す」


 クィナスの耳がぴくりと動いた。


「ラグネルさんの名義を?」


「ああ」


 ラグネルは淡々と言った。


「施設側には、俺の管理案件として通す。ただし実際の栽培責任者はボルガム。栽培記録はクィナス。商業判断はオルゼン、お前だ」


 オルゼンは黙って聞いた。


 ラグネルは続ける。


「出資金も俺が出す」


 店内が静かになる。


 クィナスの指が止まった。

 ボルガムも黙る。


 オルゼンはラグネルを見る。


「出資ですか」


「貸付でもいい。だが、俺は出資と呼ぶ」


「条件は?」


「リュナメル栽培が軌道に乗ったら、収益から返せ。果実、加工品、香料、保存食。形は問わん。返済計画はクィナスが組め」


 クィナスはすぐに反応した。


「利息は?」


「低くする」


「低く、の具体的な数字を後ほど書面で」


「いい猫だ」


「帳簿担当なので」


 ラグネルは小さく笑った。


 だが、すぐに真面目な顔へ戻る。


「ただし、これは小さな額ではない」


「分かっています」


「普通の小店なら断る話だ」


「でしょうね」


「それでもやる価値はある」


 ラグネルの声は低かった。


「通常のリュナメルだけでも、育てば価値がある。白月種は香料になる。緋月種は料理になる。三つ揃えば、ただの果実ではない。食材、香料、保存加工、贈答品。全部に繋がる」


 セイドが静かに書類を出した。


「こちらが概算です」


 クィナスが受け取る。


 数字を見た瞬間、耳が少しだけ下がった。


「……かなりですね」


「だから言った」


 ラグネルは言う。


「かなりだ」


 ボルガムも数字を見る。


 顔色は変わらない。


 だが、ほんの少しだけ目が細くなった。


 オルゼンはそれを見た。


 ボルガムなら、出せるのかもしれない。


 そう思った。


 クィナスも同じだ。


 彼女も、この額を見て驚きはした。

 だが、「絶対に無理」という顔ではなかった。


 二人とも、普通の雇われ店員ではない。


 それは最初から分かっている。


 過去に何かがある。

 その過去の中で、金も持っているのだろう。


 だが、それは今の店の金ではない。


 今、ここで出すべきものでもない。


 ボルガムが口を開きかけた。


「マスター、俺は――」


「出さなくていい」


 オルゼンは先に言った。


 ボルガムが止まる。


 クィナスも、わずかに目を上げた。


「これは店の投資だ」


 オルゼンは言う。


「ボルガム個人の金でやるものじゃない。クィナスの金でもない。やるなら、店としてやる」


 ボルガムは黙った。


 クィナスも何も言わない。


 ラグネルだけが、静かにオルゼンを見ている。


「失敗したら店の負担になるぞ」


 ラグネルが言う。


「分かっています」


「成功する保証はない」


「それも分かっています」


「なら、なぜやる」


 オルゼンは白銀の種と赤褐色の種を見た。


 まだ芽も出ていない。

 商品でもない。

 金にもならない。


 それでも、指先には価値が残っている。


 今日の売上ではない。

 明日の利益でもない。


 数年後、この店を別の場所へ連れていく可能性。


「うちの店は、珍しいものを仕入れて売る店です」


 オルゼンは言った。


「でも、仕入れるだけなら、いつか大きな店に負けます」


 ラグネルは黙っている。


「だから、育てるものがあってもいい。自分たちで手をかけたものを、商品にする。それができれば、店の価値は変わる」


「リュナメルに賭けるか」


「リュナメルだけに賭けるわけではありません」


 オルゼンは続けた。


「青塩も、そぼろ瓶も、保存食棚も、全部続けます。リュナメルはその先です。今すぐ店を支える柱ではなく、数年後の柱にする」


 クィナスが静かに帳簿を開いた。


「数年後の柱」


 小さく呟いて、書き込む。


 ボルガムは何も言わない。


 ただ、種を見ている。


 オルゼンはラグネルへ向き直った。


「出資を受けます」


 クィナスの耳が立つ。


 ボルガムの目がオルゼンを見る。


「ただし、書面にします。管理名義、栽培責任、記録義務、返済条件、収益配分、失敗時の扱い。全部決めます」


 ラグネルは少しだけ口元を上げた。


「商人らしい答えだ」


「小さい店なので」


「見落とすと潰れる、だったな」


「はい」


 ラグネルはセイドへ視線を向ける。


 セイドはすでに書類を用意していた。


「仮契約書を作成できます」


「早いですね」


 クィナスが言う。


 セイドは穏やかに答えた。


「ラグネル様が、こうなる可能性があると仰っていました」


「つまり、試されていましたか」


「少しだけ」


 クィナスは目を細める。


「その“少し”は、セリオラさんと同じくらい信用できませんね」


 セイドは初めて少し笑った。


「よく言われます」


 ラグネルはボルガムを見た。


「責任者はお前だ」


「ああ」


「温室の管理者は細かい。水をやりすぎるな、土を触るな、記録を出せと毎回言う」


「言われなくてもやる」


「白月種と緋月種は、通常種より気難しい」


「知ってる」


「なぜ知っている?」


 その問いに、店内が少し静かになった。


 ボルガムはラグネルを見返した。


 長い沈黙ではない。


 だが、短くもない。


 やがて、ボルガムは言った。


「昔、見た」


「どこで」


「遠いところで」


 それ以上は言わなかった。


 ラグネルはしばらくボルガムを見ていたが、やがて頷いた。


「今はそれでいい」


 ボルガムも頷いた。


 オルゼンは、そのやり取りに口を挟まなかった。


 クィナスも帳簿に書かない。


 いや、正確には、少し考えてからこう書いた。


『ボルガム、白月種・緋月種を知っている。詳細は聞かない。今はそれでいい。』


 書いたあと、彼女はそっと帳簿を閉じた。


 ラグネルとの仮契約は、その場で大枠だけ決まった。


 管理名義はラグネル。

 栽培責任者はボルガム。

 栽培記録担当はクィナス。

 事業判断と返済責任はオルゼン商店。

 初期出資はラグネルが行う。

 返済はリュナメル関連商品の収益から段階的に行う。

 失敗時の扱いは、正式契約時に詳細を詰める。


「明後日、温室区画へ行く」


 ラグネルは言った。


「俺も同行する」


「ラグネルさんも?」


 オルゼンが聞く。


「名義を貸す以上、顔を出す必要がある」


「助かります」


「それと、温室の管理者は偏屈だ。嘘をつくな。知らないことは知らないと言え。だが、分かっていることははっきり言え」


 ボルガムが頷く。


「分かった」


「大声は?」


「控える!」


 ラグネルは少しだけ目を細めた。


「本当か?」


「努力する!」


「不安だな」


 クィナスが小さく笑う。


「私たちもそう思っています」


 話が終わる頃には、外は夕方になっていた。


 ラグネルとセイドが帰ったあと、店内には静かな熱が残った。


 リュナメルの種。

 温室。

 出資。

 返済。

 責任。


 青塩やそぼろ瓶とは違う。


 これは、すぐ売って終わる商品ではない。


 数年単位の話だ。


 オルゼンはカウンターの上の二粒の種を見た。


 白月種。

 緋月種。


 まだ芽も出ていない。


 だが、もう商売は始まっている。


「マスター」


 クィナスが言った。


「本当に、よかったんですか?」


「何が?」


「ラグネルさんの出資を受けることです」


「簡単な話ではないな」


「はい」


「だが、やる価値はある」


 ボルガムが低い声で言った。


「俺が育てる」


 オルゼンは頷いた。


「任せる」


「……金のことは」


「店でやる」


 ボルガムは少し黙った。


 クィナスも、何かを言いかけてやめた。


 二人とも、出せるのかもしれない。

 だが、オルゼンはそれを聞かない。


 今はまだ。


 過去に触れる必要はない。


 この店で必要なのは、過去の金ではなく、今の信頼だ。


「ボルガムは育てる」


 オルゼンは言った。


「クィナスは記録する」


「マスターは?」


 クィナスが聞く。


「俺は決める。売り方と、責任を」


 クィナスは少しだけ笑った。


「では、帳簿にそう書いておきます」


「頼む」


 彼女は帳簿を開き、新しい項目を書いた。


『リュナメル事業記録』


 その下に、丁寧な文字で続ける。


『通常種四芽。白月種一粒。緋月種一粒。

 ラグネル氏名義にて特殊温室申請予定。

 初期出資、ラグネル氏。

 栽培責任者、ボルガム。

 記録担当、クィナス。

 最終判断、オルゼン。』


 少し間を置いて、最後に一行。


『これは今日の売上ではなく、数年後の店への投資。』


 ボルガムは小さな種を大事そうに見た。


「白月と緋月か」


「育てられそうか?」


 オルゼンが聞くと、ボルガムはゆっくり頷いた。


「簡単じゃねえ」


「知ってる」


「金もかかる」


「知ってる」


「時間もかかる」


「それも知ってる」


 ボルガムは、そこでいつものように笑った。


「なら、やるしかねえな!」


 その声は大きかった。


 けれど、不思議と店の中にちょうどよく響いた。


 小さな店のカウンターに、六粒から始まった未来が置かれている。


 四つの芽。

 二つの眠る種。


 それはまだ、商品ではない。

 けれど確かに、店の次の物語だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ