表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真夜中の花屋 Pantalea  作者: 東雲大雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/12

第6話「睡蓮」 引き上げてはいけなかったもの

「いつの間に、こんな所まできたんだ?」


 男は深夜の街を走っていた。いつもなら、決まった道を走る。だがその夜だけは、なぜか知らない道へ足を向けていた。


 ただ、無心に。


 胸にこびりついた、あの日の記憶を振り払うように。


 辺りを見渡すと、一軒の灯りの灯った店を見つける。看板には、「Pantalea」と書かれていた。


「……花屋か?こんな時間に?」


 店頭に並ぶ花々を見て、小さく呟いた。普段なら絶対に入らない。だが男の足は、導かれるように店の中へ入っていった。


「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」


 カウンター越しに、眼鏡をかけた女店主が声を掛ける。手元でペンを動かしながら。


「こんな時間まで花屋って営業してるんですか?」


「ふふっ。他のお店は、やってないと思いますよ。ウチは少し変わってますから……」


「そうですか……。ええっと、どうしようかな」


 男は店内を見渡し、ある一点で視線を留めた。水の入った桶の上に咲く、白い花。


「そちらは睡蓮ですね。今の時期は、特に綺麗に咲きますから」


「——綺麗ですね。じゃあ、それをください。あっ、でも持って帰れるかな……」


「ご安心ください。お包みしますので、少々、お待ちください」


 女店主は睡蓮の咲く桶を持つと、店の奥へ入っていった。


 男は所在なく棚を眺める。見たこともない花が並んでいた。手持ち無沙汰に、花へ近づこうとした瞬間——


「お待たせしました。こちらをどうぞ」


 背後から声をかけられ、男は焦って振り返る。


「あっ!……ありがとう、ございます」


 女店主が丁寧に包装された睡蓮を男に手渡しながら、こう言った。


「そうそう、この花には、こんなお話があるんですよ」




 ある村では、睡蓮を忌み嫌う風習がありました。


 睡蓮は死者に手向ける花。


 生きている人間が触れていい花ではない。お彼岸の時期を除き、摘むことはもちろん、池を覗くことすら嫌われていました。


 もし禁を破れば、恐ろしいことが起きる。


 そう、言い伝えられていたのです。


 村の奥、森を抜けた先に、大きな池がありました。池の水面は一年を通して静かで、そこには無数の睡蓮が咲いています。


 毎年、お彼岸になると、村人たちはその池へ行き、睡蓮を摘みます。


 摘む数は決まっていました。


 前のお彼岸から、村で亡くなった人の数。その数と、ぴったり同じだけ。


 それを仏前に供えるのが、この村のしきたりでした。


 村に住む少年は、その睡蓮が好きでした。

 お彼岸のたびに供えられる花は、ほかのどんな花よりも美しく見えたのです。


 ですが、村の大人たちは口を揃えて言います。


「あれは死者の花だ。生きている者が触っていい花じゃない」


 少年は頷きながらも、心の奥では思っていました。


 一度でいいから、近くで見てみたい。


 そしてある年のお彼岸が過ぎた夜。


 少年は、こっそりと家を抜け出しました。

 月明かりを頼りに、森を抜け、池へ向かいます。


 池には、変わらず睡蓮が咲いていました。


 水面いっぱいに広がる、白い花。


 少年は息を呑みました。


 こんなに近くで見るのは初めてです。手を伸ばせば、すぐ届くところに咲いていました。


 少年はそっと一輪摘み取ります。


 花は、ひどく冷たく感じられました。


 それでも少年は嬉しくて、その花を大事に持ち帰りました。


 家の裏にある桶に水を張り、ゆっくりと浮かべます。


「きれいだな」


 そう呟いて、少年は眠りにつきました。


 しかし翌朝、桶を覗いた少年は息を呑みました。


 睡蓮が枯れていたのです。


 ただ枯れたというより、色が完全に抜け落ち、何年も干からびていたように萎れていました。


 昨日摘んだばかりとは思えないほどに。


 少年は急に怖くなりました。


 もし誰かに見つかったら――。


 村の掟を破ったことが知られたら、ただでは済みません。


 少年は震える手で枯れた睡蓮を拾い上げました。


 池に戻そう。


 そう思ったのです。


 その夜、少年はまた森へ向かいます。池はすぐに見つかりました。


 月明かりに照らされ、白い花が水面に浮かんでいます。


 ですが、近づいたとき、少年は違和感を覚えました。


 睡蓮の位置が高いのです。


 水面から咲いているというより――


 池の中から、何かが持ち上げているように見えました。


 少年は池の縁まで歩き、目を凝らします。


 そして、気づきました。


 睡蓮を支えているのは、茎ではありません。


 人間の腕だったのです。


 池の底から、何本もの腕が伸びていました。

 青白くふやけた腕が、水面から突き出し、その手のひらに、睡蓮を一輪ずつ大事そうに乗せていたのです。


 腕は、静かに揺れていました。  


 まるで、花を落とさないように気をつけているかのように。


 その中に一本だけ、何も持っていない腕がありました。

 その腕だけが、左右に大きく揺れていました。


 何かを探すように。


 少年はすぐに分かりました。


 自分が摘んだ花だ。


 少年は泣きながら、枯れた睡蓮を取り出しました。

 そして池へ差し出します。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 池の縁に膝をつき、何度も頭を下げました。すると、何も持っていなかった腕が、ゆっくりと近づいてきました。


 その手は、少年の頭に触れました。


 冷たい手でした。


 けれど、その動きはどこか優しく、まるで子どもをあやすように、そっと頭を撫でました。


 少年は、少しだけ安心しました。


 そして、顔を上げました。


 その瞬間、腕は少年の首を掴みました。強い力で、そのまま池の中へ、少年を引きずり込みます。


 水音は、ほとんどしませんでした。


 翌日。


 池には、変わらず睡蓮が咲いていました。


 ただ一輪だけ。


 ほかの花より、少し小さな睡蓮が増えていたそうです。




「……なぜ、そんな話を……?」


 男の声は震えていた。


 女店主は微笑んだまま、静かに答える。


「この世には、引き上げてはいけないものも、ありますからね」


 男の肩がびくりと跳ねる。


「俺が、間違えたって言いたいのか」


 絞り出すような声だった。


「いいえ、その逆です」


 女店主は小さく首を振る。


「貴方が引き上げたものに、間違いなどありません」


「ですから、どうか……あまりご自身を責めないでください」


 男の目が揺れる。


「……なんで、あんたがそれを知ってる?」


 掠れた問いに、女店主はただ眼鏡を押し上げた。


「さあ」


 そして微笑む。


「お気になさらないでください。ただの、どこにでもあるお話ですから……」


 男はしばらく俯いたまま、立ち尽くしていた。

 

 やがて睡蓮を胸に抱え、何も言わずに店を後にする。


 少し歩いた先で、男が振り返った時には、もうそこに、花屋の灯りはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ