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真夜中の花屋 Pantalea  作者: 東雲大雅


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第5話「ポピー」 夢と現実が入れ替わった女

 女は眠れず、深夜の街を歩いていた。


 人気のない通りで、ひとつの看板が目に入る。


「パンタレア……?」


 見覚えのない花屋だった。


 こんな時間に開いていることを不思議に思いながらも、女は店の中に入っていく。


 店内には静かに花が並び、奥では眼鏡をかけた女店主が水をやっていた。


「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」


「あの、花屋さんなんて初めてきたので勝手が分からなくて……」


「ご安心ください。必ず、貴方に合った花が見つかりますよ」


「そうだといいんですが……」


 言われるままに店内を見て回ると、ひとつの花に目が留まる。 


 橙色の花弁が、やけに鮮やかに見えた。


「そちらはポピーの花です。綺麗でしょう?」


「はい。でしたら、それをお願いします」


「ありがとうございます。少々お待ちください」


 花を包みながら、女店主はふと思い出したかのように言った。


「そうそう、この花には、こんなお話があるんですよ」




 ある女性は、長いあいだ眠ることを恐れていました。


 目を閉じれば、決まった夢を見る。


 逃げても逃げても終わらない、底の見えない悪夢を。


 朝になれば、現実に戻れます。

 でもその現実もまた、夢の続きを引きずったように、どこか歪んでいるように感じました。


 医者に通いました。薬も飲みました。


 効きません。


 神に縋ってみました。祈ってもみました。


 変わりません。


 ――眠ることが、怖い。


 そう思うようになってから、どれくらい経ったのかも分からなくなりました。


 そんなある日、ふらりと立ち寄った占いの店で、老婆にあるものを渡されます。


「これをお持ちなさい」


 差し出されたのは、一輪のポピーでした。


「枕元に置いて、毎日水をやるのです。忘れずに。そうすれば、あなたは安らかに眠れるでしょう」


 半信半疑でした。


 ですが、その夜。


 女性は夢を見ませんでした。


 何もない、ただの暗闇。


 恐怖も、不快も、何もない。


 気がつけば朝で、久しぶりに身体が軽かったのです。


 ――眠れた。


 それだけで、世界は少しだけまともに見えました。


 それから女性は、毎日決まった時間に水をやりました。


 夜、眠る前に。


 コップ一杯分の水を、ゆっくりと。


 葉に触れ、土の湿り気を確かめる。


 枯れていないか、萎れていないか、息をするように確認する。


 それを終えてようやく、女性は一日を終えることができます。


 そして、目を閉じる。


 夢は、来ない。


 ――これがあれば、大丈夫。   


 そう思いながら、毎日花に感謝して眠りました。


 ですが。


 慣れは、恐怖を薄める。


 ある夜、女性は思いました。


 ――本当に、これに意味があるのだろうか。

 ただ水をやるだけで、悪夢が消える訳がない。

 これまでの自分は、疲れていただけではないのか。

 過剰に怯えていただけではないのかと。


 その疑念は、日に日に大きくなっていきます。


 そして、ある日。


 ――水やりを忘れた。


 気づいたのは、布団に入って目を閉じた後でした。


 1日くらい、大丈夫だろう。


 そう自分に言い聞かせ、女性は眠りました。

 


 朝、ゆっくり目を覚まします。


 顔を洗い、服を選び、家を出る。

 電車に乗り、仕事をして、同僚と会話を交わす。

 昼食をとり、帰宅し、夕飯を食べる。

 何も変わらない、穏やかな一日。


 そして布団に入る。



 目を閉じた瞬間。


 ――これは夢だ。


 唐突に理解しました。


 同時に、目を覚まします。


 見慣れた天井。


 自分の部屋。朝の光。


 そして、枕元のポピー。


 昨日より、わずかに萎れている気がします。


 背筋に、嫌な汗が伝いました。


 それから、女性は再び水をやりました。


 ですが一度芽生えた違和感は、なかなか消えません。


 あの一日は何だったのか。


 どこからが夢だったのか。


 考えるたびに、足元が崩れるような感覚に襲われます。


 そして、ある夜。


 女はポピーを見つめながら、水をやる手を止めました。


 ――これさえ無ければ。


 そんな考えが、頭をよぎります。


 次の瞬間、女性は花を掴み、そのままゴミ袋に押し込みました。


 心臓の音が、部屋中に響くほど高鳴っていました。


 でも、その夜。


 悪夢すら、来ませんでした。


 静かな眠り。


 朝は、普通に訪れました。



 それから女性は、穏やかな日々を過ごします。

 誰かと出会い、恋をして、結婚し、子を産みました。

 小さな手を握ったときの温もり。

 笑い声。泣き声。

 季節が巡るたびに増えていく思い出。

 やがて老い、身体は弱り、ベッドの上で静かに目を閉じる。

 家族が手を握っている。


 その温もりを感じながら、女性は確かに思いました。


 ――これが、私の素晴らしい人生だったと。

 そして、穏やかに息を引き取りました。

 


 ――アラームの音で、目を覚まします。

 

 女性は飛び起きました。


 若いころに見慣れた部屋。


 そして、若いままの自分の身体。


 理解が追いつきません。


 さっきまで、確かに――


 必死に頭を振り、枕元を見ます。


 そこには、ポピーがありました。


 わずかに萎れたまま。


 いつか、水をやり忘れたときと、同じ姿で。


 震える手で花に触れようとしました。


 でも、怖くて触れられません。


 ――これに触れたら、どうなる?


 また、夢に落ちるのか。


 それとも、今が夢なのか。


 分からない。


 何も、分からない。



 その日以降。


 女性が悪夢にうなされることは、二度とありませんでした。


 ただ、朝、目を覚ますたびに。


 目の前の世界が、本当に現実なのかどうか。


 確かめる術を、女性は持っていません。


 窓の外の景色も、手の温もりも、すべてが薄く、頼りない。


 枕元のポピーだけが、変わらずそこにありました。


 水をやるたび、ほんのわずかに、色が戻ったような気がする。


 ――それが、現実の証なのか。


 それとも。


 夢を、繋ぎ止めているだけなのか。


 女性にはもう、判断できなくなってしまいました。




「どうかされましたか?」


 女店主が花を渡しながら問いかける。女の受け取る手が、かすかに震えていたからだ。


「何で私に、そんな話をしたんですか?」


「似た悩みを、持っていると思いましたので。あんな事があれば、そうそう穏やかに眠れませんよね」


「なんで、貴方がその事を?」


「ご安心ください。その花を見ていれば、自然と忘れられますよ」


「どこまで分かってるんですか?」


「さあ」


 女店主は顔を上げ、微笑む。


「お気になさらないでください。ただの、よくあるお話ですから……」


 女は納得のいかないまま、店を後にした。

 これ以上、あの女店主と話していると、思い出してしまいそうだったから。


 あの忌まわしい出来事を。


 女は首を振り、早足で帰路に就く。ポピーを持つ手は、いまだ震えたままだった。

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