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花にまつわる怖い話  真夜中の花屋 Pantalea   作者: 東雲大雅


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第27話「彼岸花」 誰そ彼の岸

 その少年は彷徨っていた。


 自分がどこを歩いているのかも分からない。


 なぜ足を止めないのか。


 どこへ向かっているのか。


 ただ、何を探しているのかだけは分かっていた。


 暗闇の中、離してしまった手。


 海の底へ沈んでいく身体。


 それが、少年の最後の記憶だった。


 次に目を開けた時には、見知らぬ夜道に立っていた。


 風が吹いている。


 けれど寒くない。


 どれだけ歩いても足は疲れない。


 人の気配もない。


 街灯だけが等間隔に並び、道だけがどこまでも続いている。


 立ち止まろうと思っても、足は自然と前へ進んでいた。


 探さなければならない。


 その思いだけが、少年を歩かせていた。


 どれほど歩いただろう。


 夜道の先に、一つだけ灯りが見えた。



 少年の足は、導かれるようにその灯りの方へ向かっていく。


 看板には「Pantalea」とだけ書かれている。


 少年は迷うことなく、その店の扉を開いた。



「いらっしゃいませ」


 眼鏡をかけた女店主が、穏やかに微笑む。


「どうぞ、ごゆっくり」


 少年はじっと女店主を見つめた。


 気づけば、言葉が口をついていた。


「……妹を、探しています」


「まだ、お見えになっておりませんね」


「……そうですか」


 少年は静かに踵を返した。


「これも何かの縁です」


 背中へ、女店主の声が届く。


「よろしければ、こちらを」


 女店主は一輪の彼岸花を摘み、少年へ差し出した。


「……僕に、ですか?」


「えぇ」


 女店主は穏やかに微笑む。


「その花が、貴方を選んだような気がしたものですから」


 少年は何も言わず、その彼岸花を受け取った。


「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ」


 女店主が、静かに語り始めた。





 ある地域には、「誰そ彼の岸(たそがれのきし)」と呼ばれる場所があります。


 季節になると、一面を覆い尽くすほど彼岸花が咲き誇る場所です。


 そこには、一つの言い伝えがありました。


 年に一度、彼岸花が最も美しく咲く夕暮れ。


 その日に誰そ彼の岸へ行けば、死者に会える。


 ですが――


 決して、その人に触れてはならない。


 理由を知る者はいません。


 ただ、その土地の人々は代々、その言い伝えだけは守り続けていました。




 最近になって、その場所へ毎日のように通う一人の少年の姿がありました。


 少年には、事故で亡くした妹がいたのです。


 事故の前日。


 二人はほんの些細なことで喧嘩をしました。


「もう知らない!」


 妹はそう言って部屋を飛び出していきます。


 翌日、妹は帰ってきませんでした。



 謝れなかった。


 それだけが、少年の心に残り続けていました。


 だから少年は、誰そ彼の岸へ通い続けます。


 もう一度だけ会いたい。


 たった一言、


「ごめん」


と言いたかったのです。




 何日目だったでしょう。


 夕暮れの彼岸花畑で、小さな後ろ姿が揺れていました。


「……〇〇?」


 少女が振り返ります。


「お兄ちゃん?」


 間違いありません。


 妹でした。


 少年の目から涙が溢れます。


「やっと会えた……」


 妹は少しだけ笑いました。


 生きていた頃と、何も変わらない笑顔で。


「お兄ちゃん、元気だった?」


「ごめん」


 少年は泣きながら頭を下げます。


「あの日、ごめん」


 妹は困ったように笑いました。


「そんなこと、もういいよ」


 その一言だけで、少年は救われた気がしました。


 ただ妹の笑顔は、少しずつ曇っていきます。


「……もう帰って」


「え?」


「お願い」


 妹は一歩後ろへ下がります。


「来ちゃダメ」


 また一歩。


「近づかないで」


 さらに一歩。


 妹の声は震えていました。


「お願いだから……」


 涙を浮かべながら。


「触らないで」


 ですが少年は首を振ります。


「やっと会えたんだ」


「もう離さない」


 少年は彼岸花を踏み分け、妹を強く抱き締めました。




 妹は抵抗しませんでした。


 ただ、小さく呟きます。


「……だから、来ちゃダメって言ったのに」


 その声は、とても優しかったそうです。




 気が付くと、少年は彼岸花畑で一人立っていました。


 夕日は沈みかけています。


「……夢?」


 そう呟きながら、少年は家へ帰りました。




 玄関を開けると、母親が振り返ります。


「やっと帰ってきたのね。最近どこへ行ってるの?」


「誰そ彼の岸だよ」


 少年は笑います。


「妹に会いに」


 母親は不思議そうに首を傾げました。


「妹?何言ってるの?アンタ、一人っ子でしょう」


 少年はムッとした表情を浮かべます。


「母さんこそ何言ってるんだよ!事故で亡くなった……」



 ですが、名前が出てきません。


「……あれ?」


 何度思い出そうとしても。


 名前も。


 顔も。


 声も。


 思い出せません。


「俺……」


 少年は首を押さえました。


「何で、あんな場所へ行ってたんだっけ」


 母親は苦笑します。


「変な子ね。ご飯できてるから、早く食べちゃいなさい」


「……うん」


 少年は頷きました。




 その日から。


 少年が妹の話をする事は無くなりました。




 ただ毎年、彼岸花が咲く季節になると。


 少年は理由も分からないまま、誰そ彼の岸に行っていました。


 何かを探すように。


 誰かを待つように。


 咲き誇る彼岸花を見つめながら。


 ただ、涙だけを流していたといいます。




 誰そ彼の岸には、忘れ去られた人の数だけ、彼岸花が咲いているそうです。






「……」


 少年は何も答えない。


「ふふっ。少し、お話ししすぎたかもしれません」


 女店主は口元に手を添え、静かに微笑んだ。


「お気になさらないでください。ただの、どこにでもあるお話ですから……」


 しばらく沈黙が流れる。


 やがて、少年がぽつりと口を開いた。


「……僕は、どうすればよかったのかな」


「あの日、父さんが出かけようと言った時、妹と一緒に行かなければよかったの?」


「車の中で、母さんが父さんと口論になった時、止めればよかったの?」


「母さんが無理やり父さんのハンドルを切る前に、逃げればよかったの?」


「どうして、沈む車の中で妹の手を離してしまったの?」


「妹は……いつ見つかるの?」


 女店主は、少年の手の中にある彼岸花へ静かに視線を落とした。


「……その彼岸花の花弁のように、人生にもいくつもの分かれ道があったのでしょう」


「どれか一つ、違う道を選んでいれば、違う景色があったのかもしれません」


 女店主は彼岸花をそっと撫でる。


「ですが、一度咲いた花が、咲きながら別の場所へ移ることはありません」


「咲いた花は、その場所で咲き終えるものです」


 少年は俯いたまま、小さく震えていた。


「だからこそ――」


「過ぎた花を追い続ければ、人は彼の岸を渡れなくなってしまうのでしょう」


 女店主は穏やかに微笑む。


「……ですが、枯れたからこそ、また違う場所で咲くこともできます」


「妹様とご一緒に、彼の岸を渡ってあげてください」


「もうすぐ、お会いになれますから」


 少年は顔を上げる。


「……どうして分かるの?」


 女店主は店の奥へ静かに視線を向けた。


 その先には、一輪の真っ黒な花が咲いている。


「花が、教えてくれましたから」


「……お姉さんは、何者なの?」


「さぁ」


 女店主は、いつものように穏やかに微笑む。


 少年は深く一礼すると、店を後にした。




 外へ出ると、街灯が一本の道を描くように、どこまでも続いている。


 少年はその道を歩き始めた。


 ふと、何かに気づいたように振り返る。


 Pantaleaの灯りは、まだ静かに夜を照らしていた。


 その扉の前には、一人の幼い少女が立っている。


 少女は店内を覗き込むと、吸い込まれるように中へ入っていった。


 


 少年は、その姿を静かに見届けた。


 何も言わない。


 何もできない。


 それでも、ほんの少しだけ口元が緩んだ。



 街灯の下では、紅い彼岸花だけが、静かに風に揺れていた。

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