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花にまつわる怖い話  真夜中の花屋 Pantalea   作者: 東雲大雅


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最終話 Pantalea

 気がついた時、少女は一軒の花屋の前に立っていた。


 どうやって辿り着いたのかも。


 なぜここにいるのかも。


 分からない。


 けれど、不思議と迷いはなかった。


 「Pantalea」と書かれた看板が、店の灯りで静かに照らされていた。


 少女は吸い寄せられるように扉を開き、店の中へ入った。



「いらっしゃいませ」


 眼鏡をかけた女店主が、穏やかな笑みを浮かべる。


「……お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」


 女店主は少女を店の奥へ案内する。


 奥には丸い木の机が一つ。


 向かい合うように二脚の椅子が置かれていた。


「おかけになってください」


 女店主は椅子を静かに引く。


「今、温かい飲み物をお持ちしますね」


 一度だけ少女の身体を見つめ、優しく目を細めた。


「あの場所は、さぞ冷たかったでしょうから……」


 少女は小さく頷き、椅子へ腰を下ろした。


 少しすると、湯気の立つ紅茶が運ばれてくる。


 少女は両手でカップを包むと、湯気が頬を優しく撫でた。


 小さく一口だけ口をつける。


「……」


 それでも少女は、何も話さない。


 女店主も、何も尋ねなかった。


 ただ静かに微笑み、一輪の花を少女へ差し出す。


「どうぞ、こちらを……」


 真っ黒な花弁。


 夜をそのまま形にしたような、不思議な花だった。


 光を受けても輝くことはない。


 それでも、目を離せなくなる美しさがあった。


「Pantaleaという花です」


 少女はその花を、そっと両手で受け取る。


 見たことがない。


 学校の花壇にも。


 本の図鑑にも。


 こんな花は咲いていなかった。


「……きれい」


 その一言に、女店主は嬉しそうに微笑んだ。


「ふふっ。気に入っていただけて嬉しいです」


 少しだけ間を置いてから、いつものように穏やかな口調で続ける。


「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ」





 その少女には、居場所がありませんでした。


 学校では友達もほとんどおらず、休み時間になると、一人で花壇の花の世話をしています。


 家に帰っても、それは同じです。


 父親は仕事が忙しいと言って、ほとんど家に帰ってきません。


 けれど少女は知っていました。


 夜更けに、知らない女性と楽しそうに電話をしている父親の姿を。


 母親は勉強のできる兄につきっきりで、少女を見ようともしません。


 精神的に不安定なところもあり、よく病院へ通っていました。


 兄に話しかけようとすると、


「お兄ちゃんの邪魔をするんじゃない!」


 そう怒鳴られ、頬を叩かれることもありました。


 食事も満足に作ってもらえません。


 机の上に置かれた数枚のお札だけを頼りに、少女は夜のコンビニへ向かう毎日でした。


 それでも少女は、兄のことが大好きでした。


 母親の前では口もきいてくれません。


 けれど、学校の授業で作った花のワッペンだけは、大切にカバンへ付けてくれていたのです。


 その優しさを、少女は知っていました。



 そんなある日のことです。


「久しぶりに、家族みんなで出かけないか」


 父親がそう言いました。


 少女は嬉しくて、思わず顔を輝かせます。


「どこに行くの?」


「どこでもいいぞ。〇〇の好きな場所に連れていってあげる」


「じゃあ、海!」


 少女は迷わず答えました。


 ですが、母親と兄だけは、どこか暗い表情を浮かべていました。

  



 車が走り出してしばらくすると、助手席の母親がぽつりと口を開きます。


「今さら、どういう風の吹き回しなの?」


「……今まで、すまなかった」


「どうせ、あの女に振られたんでしょ?」


「何を言ってるんだ」


「私が知らないとでも思った? 仕事なんて嘘ばっかり。あの女と会ってたくせに!」


「子どもの前でそんな話をするな!」


 車内には険悪な空気が流れていました。


 少女は何も言えません。


 ただ、不安になって兄の手をそっと握ります。


 兄は何も言わず、静かに握り返してくれました。


 その温もりだけが、少女には救いでした。


「もう知らない! どうなってもいい!」


 母親が突然、父親のハンドルを掴みました。


「やめろ!」


 父親は慌ててハンドルを戻そうとします。


 その拍子にアクセルを強く踏み込みました。


 激しい衝撃。


 車はガードレールを突き破り、そのまま海へ落ちていきます。


 冷たい海水が車内へ流れ込んできました。


 兄は咄嗟に少女を抱きしめます。


 少女は兄の胸に顔を埋めました。


 怖くはありませんでした。


 兄の温もりがあったからです。




 けれど。


 激しい水流は、その手さえ引き裂いてしまいました。


 兄の手が離れる。


 少女の小さな身体は車の外へ押し流され、一人、暗い海の底へ沈んでいきます。


 少女の意識は、そこで途絶えました。




 次に目を開けた時。


 少女は、一軒の花屋の前に立っていました。


 看板には、小さく「Pantalea」と書かれています。


 導かれるように店へ入ると、眼鏡をかけた女店主が微笑み、一輪の花を差し出しました。


 真っ黒な花弁。


 夜をそのまま閉じ込めたような、不思議な花でした。


 学校の花壇にも、本の図鑑にも載っていない。


 どの花にも似ているようで、どの花とも違う花。


 女店主は、その花を少女の手にそっと乗せます。


「その花が、貴方をここへ導きました」


 そして、静かに微笑みました。


「きっと、その花は、貴方を待つ人のもとへも導いてくれるでしょう」


 少女は小さく頷き、その花を胸に抱きしめます。


 そして店を後にしました。


 大切な人と、一緒に彼の岸を渡るために。






「少し、お話しすぎてしまいましたね」


 女店主は、ふっと微笑む。  


 紅茶の湯気はいつしか消えていた。


「これは、どこにでもあるお話ではありません」


 少女は小さく首を傾げた。


「……じゃあ、どんなお話なの?」


 女店主は静かに立ち上がる。


「その続きは、ご自身の目でお確かめください」


「参りましょう」


 少女も椅子から立ち上がる。


 女店主は店の扉を開いた。


 外には、街灯が一本の道を描くように、どこまでも続いている。


 夜風が静かに吹き抜けた。


「本日は、ご来店ありがとうございました」


 女店主の礼につられ、少女も小さく頭を下げる。


 そして、黒い花を胸に抱きながら、街灯の続く道へ歩き出した。


 数歩進んだところで、少女は足を止める。


 街灯の下。


 一輪の彼岸花を手にした少年が、そこに立っていた。


 少年は何も言わず、そっと手を差し出す。


 少女は迷うことなく、その手を握った。


 二人は並んで歩き始める。


 もう離れないように。


 街灯の灯りに照らされながら、ゆっくりと。


 やがて、その姿は夜の彼方へ溶けていった。


 女店主は、その背中を静かに見送る。


「……あら」


 指先で頬に触れる。


「いけませんね」


 小さく笑う。


「花に水をあげる時間でもないのに」


 一筋の涙が、静かに零れ落ちた。




 翌日の夜。


 Pantaleaは、いつもと変わらず灯りをともしていた。


 カウンターの上には、一枚の新聞が置かれている。


「沿岸部で身元不明の少女の遺体を発見――」


 女店主は記事へ目を向けると、それを静かに閉じた。


「ようやく……見つけてもらえたのですね」


 窓辺に飾られた黒い花が、風もないのに、小さく揺れた。


 その直後、店の扉が静かに開かれた。

 

「いらっしゃいませ」


 疲れた表情の女性が、ゆっくりと店へ入ってくる。


「どうぞ、ごゆっくり。お探しの花があれば、なんなりと……」



 女性は花を見つめる。


 迷いながら、一輪の花を手に取った。


 女店主は、その花を見つめ、穏やかに微笑んだ。


「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ」

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