第24話「オダマキ」 見てしまったもの
その男は、急きょ呼ばれた仕事終わりの道をゆっくり歩いていた。
本来なら休日だったはず。
夕方になり、少し早い晩酌に手をかけようとした瞬間、職場から電話がかかった。
「夜番の運転手が体調を崩したから、代わりに出てくれないか?」
バスの運転手をしていると、たまにある出来事。
もう酒を呑んでいるから出られない。
そういえばよかったが、男の生真面目な性格がそれを許さなかった。
代わりに明日は休みをもらえた。
急いで帰る必要はない。
そう思いながら夜道を進んでいると、灯りのついた一軒の店を見つける。
「Pantalea……?」
見たことのない看板だった。
興味本位で店に入る。
中では眼鏡をかけた女店主が、花の手入れをしていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」
店内に置かれた色とりどりの花を見て、初めてここが花屋だと分かった。
「こんな時間まで営業してるなんて、大変ですね」
「ありがとうございます。ですが、苦に思った事など一度もありませんよ」
女店主が目尻を下げ微笑む。
「そうですか。せっかくだし、何か買っていこうかな……」
「ぜひ。きっと、良い花と出会えますよ」
「ははっ。期待しています」
男も軽く笑い、店内を見て回る。
これといった知識はなかったが、少し気になる花を見つけた。
どこか謙虚に、花弁を俯かせて咲く青紫色の花。
「そちらはオダマキという花です」
いつのまにか作業を終えたらしい女店主が、声をかける。
「独特な咲き方ですが、可憐で美しい花です」
「あまり見たことない花ですし、これをもらえますか?」
「かしこまりました。準備いたしますので、少々お待ちください」
女店主はオダマキの花を手にとり、店の奥へ入っていく。
時計の秒針だけが、店内に小さく響いていた。
そう時間も経たないうちに、綺麗に包まれた花束を手に、女店主が戻ってきた。
「お待たせしました。こちらをどうぞ」
男はそっと差し出された花束を受け取る。
女店主は視線を少し下げ、オダマキの花を見つめながら口を開いた。
「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ」
その男性はいつも後悔していました。
あの時ああしていれば。
違う仕事を選んでいれば。
もっと努力していれば。
やり直したい。
それが無理なら、これから何をすれば自分は幸せになれるか。
日々、そんな事ばかり考えていました。
ある日、近所を歩いていると、高架橋の下に咲く青紫色の花を見つけました。
首を垂れるように、俯き加減に咲くオダマキの花。その自信のない様子が、今の自分と重なります。
自然と、男性の足はそのオダマキに向かいます。何気なく一輪摘むと、ある光景が浮かびました。
帰り道、いつもの三叉路を右に曲がると、ひったくりに遭う自分の姿。後ろから押され地面に転がる寸前、男性の視界は手元の花に戻ります。
すぐに首を振り、帰路に就こうとします。
そして三叉路に来た瞬間、足を止めました。
ふと腕時計を見る。時刻は18時。
「……たまには、遠回りして帰るか」
いつもなら右に曲がる道を、あえて左に回りました。特段何か起きる訳でもなく、男性は家に到着しました。
翌日、ニュースを見るとひったくりに遭ったという被害者が、インタビューを受けていました。
キャスターが現場付近の映像を流す。
その場所は、男性がよく通る道。
被害時刻は、18時過ぎだったそうです。
男性は、その日も高架橋の下に行きました。
そして、同じようにオダマキの花を摘む。
今度は取引先に遅刻する映像が流れました。
乗る電車が事故を起こし遅延する。必死に謝っても許してもらえない。
「……まさかな」
男性は半信半疑ながら、別の電車で取引先へ向かいました。もちろん問題なく到着します。
ふとスマホで調べてみると、自分が乗ろうとしていた電車は、前日に見た通り、事故を起こしていました。
男性は確信します。
この花は、自分の嫌な未来を見せてくれる。
その日から男性は変わっていきます。
ミスをしなくなり、よく気が利くようになりました。
初めはよかった。
何も頑張らなくても、花が教えてくれる。
間違いがない。いや、間違いを起こさないよう動ける。
花を摘んでみた結果が良ければその通りに動けばいい。
それを繰り返すうちに、男性は些細な事も花を摘み、確認するようになりました。
休日は何をして過ごすか。
誰とどんな会話をするか。
夕飯の食事の献立は何にしよう。
その頃には、もはや自分では何も決められなくなりました。
ですが、永遠に咲く花などありません。
いつものように高架橋に行くと、あれだけあったオダマキが無くなっていました。
男性は地面を這いずり、必死に探します。
泥だらけになりながら、一輪だけ見つけました。
今にも枯れそうな、青色の花弁を男性は勢いよく引き抜きます。
「……あ、っああああぁぁぁ!!」
高架橋を走る車の音を掻き消すかのような絶叫。
男性が最後に見た景色は分かりません。
ただ、数日後。
男性は自宅で首を吊っていました。
その足元には、こう書かれた遺書が残っていたそうです。
『見なければよかった』
「……その男性が最後に見たものは、一体何だったんですか?」
男はオダマキの花を見つめる。
「それは誰にも分かりません」
女店主は軽く首を振った。
「見たものが本物かどうか、それは本人にしか分からない事ですから」
そして、どこか遠くを見つめるような目で、優しく言葉を紡いだ。
「ただ、あなたの目に映った光景は、本物だったと思いますよ……」
「……何か、知っているんですか?」
「さぁ」
女店主が微笑む。
「お気になさらないでください。ただの、どこにでもあるお話ですから……」
それ以上何も聞けず、男は店を出た。
帰り道、女店主の言葉を聞いた瞬間、ある兄妹の姿が浮かんだ。
朝の通学時、よく一緒にバスに乗る兄妹。
兄の学生服の袖を小さく握る妹。
それを振り払うわけでもなく、俯きながら一緒に座る兄。
仲がいいとまではいえないが、微笑ましいなと思っていた。
あの一家心中のニュースで顔写真を見た時、息が詰まった。
その後の家族仲について言及された記事を読み、腑に落ちない点があった。
――兄が妹を虐めていた。
外に出ているときは隠していた可能性もある。
記事の通りかもしれない。
ただ、本当にそうだろうか。
今となっては分からない。
花弁を俯かせ咲くオダマキが、あの少年と重なって見えた。




