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真夜中の花屋 Pantalea  作者: 東雲大雅


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第2話「白百合」 綺麗なものだけを見たい少年の末路

「こんなところに花屋なんてあったかしら?」


 女は不意に足を止める。通りに面した花屋は、真夜中にもかかわらず、灯りがともっていた。


 風もないのに、店頭に並ぶ花がわずかに揺れていた。


 まるで誘われるように、女は店内に入っていく。


「いらっしゃいませ」


 いつのまにか、女店主が目の前に立っていた。


「どうぞ、ごゆっくり。お探しの花などあればなんなりと……」


 眼鏡越しの目は優しく微笑んでいるが、どこか不気味な感じがする。


「……白百合の、花束をいただけますか」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 女店主は静かに頷き、店の奥へ消えていった。奥は妙に暗く、まるでどこまでも続いているように思えた。

 


「お待たせしました。こちらをどうぞ」


 差し出された白百合は、不自然なほど白かった。


 汚れひとつないその花に、思わず目を奪われる。


「……綺麗でしょう?」


「ええ……」


「そうそう。この白百合には、こんなお話があるんですよ」


 白百合の花束に視線を落とした女店主が、淡々と語り出した。



 あるところに、生まれつき目の見えない少年がいました。


 ですが少年は、自分が不幸だと思ったことはありません。

 世界は、生まれたときからずっと暗かったからです。


 その少年の母親は、よく世界の話をしてくれました。

 空はどこまでも青く、海は広く、森にはたくさんの動物がいて、花は色とりどりに咲き誇っているのだと。


 少年は、その話を聞くのが好きでした。見えない世界を、頭の中で想像するのです。


「お母さん、犬ってどんな生き物なの?」


「ふわふわした毛をしていてね、四本の足で歩くの。とても可愛いのよ」


 ある日、母親は本当に犬を連れてきました。


「ほら、この子よ。触ってみなさい」


 少年は両手でそっと触れました。


 柔らかな毛。


 温かい体。


 小さく揺れる尻尾。


「わぁ……すごい。ふわふわだ」


 少年は笑いました。


「この子の姿が見てみたいな。きっと、お母さんの話の通り可愛いんだろうな」


 母親は少しだけ黙り、そして言いました。


「ええ。きっと見える日が来るわ」


 少年は、世界の話をたくさん聞きました。


「色って、たくさんあるの?」


「ええ。赤や青や緑……本当にたくさんあるのよ」


「僕は今、何色を見てるの?」


 母親は少し困ったように笑いました。


「たぶん……黒、かしらね」


「黒かぁ」


 少年は少し考えて、言いました。


「そこに色がついたら、きっとすごく綺麗だろうね」


 母親は頷きました。


「そうよ。この世界は、とても美しいものばかりなの」



 そして、ある日。病院から連絡が来ました。


「手術ができるそうよ!」


 母親は感嘆の声を上げて言いました。


「あなたの目が、見えるようになるかもしれないの!」


 少年は飛び跳ねるように喜びました。


「本当に!?じゃあ、お母さんが話してくれた景色、全部見られるんだ!」


 手術は無事、成功しました。


 そして数日後、包帯を外す日がやってきます。


 白い病室。


 医者と母親が、少年の前に立っています。


「さあ、ゆっくり目を開けて」


 母親が優しく言いました。


「ここは病院だから、あまり綺麗なものはないかもしれないけど……」


 少年は息を吸いました。


 夢にまで見た瞬間がすぐそこまできています。


 ゆっくりと、目を開けました。


 そして――


「……う、あ……」


 少年の顔が、強張りました。


「うわああああああ!!」


 絶叫でした。


 母親も医者も驚きました。


 しかし少年は、ただ震えていました。


 目の前の光景が、あまりにも恐ろしかったのです。


 母親の顔。


 皮膚は歪み、目は大きく膨れ、口は裂けるように広がり、色はまだらに濁っていました。


 医者の顔も同じです。


 服も、壁も、床も。


 すべてが、ぐにゃぐにゃと歪み、腐りかけた肉のような色に見えます。


 世界は、少年の想像していたものとは大きくかけ離れていました。


 それから少年は、何を見ても怯えるようになりました。


 初めて犬を見た時もそうです。


 あの温かく柔らかな生き物は、毛がまだらに生えた、歪な獣に見えました。


「ちがう……」


 少年は泣きました。


「こんなのじゃない……」


 母親の話してくれた世界は、こんなにも醜いものではなかったはずなのに。


 しかし――


 ひとつだけ、違うものがありました。


 白百合の花です。


 それだけは、少年の目にも美しく見えました。


 白く、整った花びら。


 まっすぐに伸びた茎。


 それだけが、母親の話してくれた世界と同じ姿をしていました。


 それから少年は毎日、白百合の花を見るようになりました。


 その花だけが、怖くなかったからです。


 けれど生きている限り、他の景色はどうしても目に入ってしまいます。


 母親の顔。街の人々。動物。建物。


 すべてが、恐ろしく歪んで見えます。


 少年は、思うようになりました。


 ――見えなかった頃に戻りたい。


 あの暗い世界の方が、ずっと綺麗だったと。


 ある日のことでした。


 母親が部屋に入ると、少年が床に座っていました。


「何してるの?」


 母親は、そこで言葉を失いました。


 少年の目には、白い花が咲いていました。


 両目に、白百合の茎が深く突き刺さっていたのです。


 血が、静かに床へ落ちていました。


「いやあああああ!!」


 母親の絶叫が響きました。


 しかし少年は、穏やかに笑っています。


 そして言いました。


「お母さん」


 血に濡れた頬で、微笑みながら。


「これで僕は、綺麗なものだけ見ていられるよ」





「いかがだったでしょうか?」


「へっ、変な話をしないでください!」


 女は必要以上に声を荒げる。


「それは失礼いたしました」


 そう言いながら、女店主は軽く頭を下げる。


「ですが、ああいったものをご覧になった方には、必要なお話ですので」


「何がです?」


「引き上げられた瞬間、目があったのでしょう?大丈夫です。すぐ、忘れられますよ」


「……何を知っているの?」


「さあ」


 女店主は顔を上げ、微笑む。


「お気になさらないでください。貴方も、綺麗なものだけ、見てればいいのですから」


 女は逃げるように店を出る。


 外の空気は、やけに冷たかった。


 そして視線を先程買った白百合に移す。


 少しだけ、あの日見てしまった光景を、忘れられるような気がした。

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