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花にまつわる怖い話  真夜中の花屋 Pantalea   作者: 東雲大雅


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第13話「水仙」 教室の片隅に座る人形

 女は、深夜の帰り道を重い足取りで歩いていた。


 普段なら、夏休みに入れば学校へ行くことはない。


 けれど今年は違った。


 自分が担任するクラスで、ある出来事が起きてしまったのだ。


 その対応に追われ、ここ数日はほとんど休めていない。


「……花も必要ね」


 ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほど疲れていた。


 しばらく歩いた先で、通りの向こうにぽつりと灯りが見えた。


 こんな時間に営業している店など珍しい。


 近づいてみると、小さな花屋だった。


 看板には、「Pantalea」と書かれている。


 店先には、色とりどりの花々が静かに並んでいた。


 女は吸い寄せられるように店の中へ入っていく。


「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」


 店内では、眼鏡をかけた女店主が花の手入れをしていた。


 その花を見た時、不意にある光景が脳裏に浮かんだ。


 放課後の花壇。


 しゃがみ込んで、じょうろで水をやる小さな背中。


 白い花弁に、黄色い中心。


 水仙の花。


「……その水仙を、いただけますか?」


 女が指差すと、女店主は静かに微笑んだ。


「かしこまりました。少々、お待ちください」


 そう言って、店の奥へと姿を消す。


 一人残された女は、ぼんやりと店内を見渡した。


 赤、青、黄、白――色とりどりの花々が並ぶ中で、ひとつだけ異質な花が目に留まる。


 墨を流し込んだように、花弁のすべてが真っ黒な花。


 見たこともない、不気味な形をしていた。


「……なに、あれ」


 気になって近づこうと、一歩踏み出したその瞬間。


「お待たせしました。こちらをどうぞ」


 すぐ背後から声がして、女は小さく悲鳴を上げた。


「ひっ……!」


 振り返ると、女店主が穏やかな笑みを浮かべ、水仙の花束を差し出していた。


「あ……すみません」


 胸を押さえながら花を受け取る。


 もう一度、先ほど黒い花があった場所へ目を向ける。


 だが、そこには赤や白の花が並んでいるだけで、黒い花の姿はどこにもなかった。


 見間違いだったのだろうか。


 釈然としないまま水仙へ視線を落としたとき、女店主が何かを思い出したように口を開いた。


「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ。」






 ある小学校の教室の後ろには、古びた日本人形が置かれていました。


 いつからそこにあるのか、誰も知りません。


 黒く艶のある髪。白い顔。小さな唇。

 ガラスケースにも入れられず、棚の上にそのまま座っています。


 昼間に見ればただの飾りです。


 ですが夕方になると、薄暗い教室の隅でじっとこちらを見ているように思えます。


 クラスの誰も、その人形には近づきたがりません。


 ある一人を除いて。



 その少女は、学校ではほとんど口を開きませんでした。


 友達もいません。


 休み時間は自分の席で本を読んでいるか、窓の外を眺めているだけです。


 誰かに話しかけられても、うまく言葉が出てこない。だから、教室の後ろに座るその人形に、どこか親しみを感じていました。


 誰にも話しかけられず、ただそこにいるだけの存在。自分と少し似ている気がしたのです。



 ある日、少女は通学路の途中で一輪の水仙を見つけました。


 白い花弁の中央に、鮮やかな黄色。


 少女はそっと摘み取り、教室へ持っていきました。



 その日の放課後。


 誰も見ていないことを確かめて、人形の小さな手に水仙を握らせました。


「……かわいい」


 思わず、小さく呟きます。


 その日、人形はいつもより少しだけ嬉しそうに見えました。



 次の日の朝。


「うわ、なにこれ。気持ち悪っ」


 男子の一人が人形の手にある花に気づきました。


 誰かがふざけて持たせたと思ったのでしょう。


 男子は水仙を取り上げ、そのままゴミ箱へ放り投げました。


 クラスの何人かが笑います。


 少女は何も言えません。


 ただ、自分の胸の中の何かまで捨てられたような気がしました。



 翌朝。


 教室に入った少女は、思わず足を止めました。


 人形の手に、また同じ水仙が握られていたのです。


「……え?」


 昨日、確かに捨てられたはず。誰かのいたずらだろうか。


 その日も、別の生徒が見つけて水仙を捨てます。


 ですが翌日には、また戻っている。



 最初は面白がっていたクラスメイトたちも、次第に気味悪がるようになりました。


「誰がやってるんだよ」


「絶対、あの人形のせいだって」


 そう言って、人形に関わる者は少なくなっていきました。


 少女は、最初の日以来、水仙を持ってきていません。


 けれど花は、毎朝必ず人形の手の中にありました。



 ある日の放課後。


 少女は教室の掃除用具入れの陰に身を潜めました。


 誰かがこっそり置いているなら、今日こそ見つけられるはず。


 教室には、自分と人形しかいません。


 窓の外では、生徒の声が遠くに響いています。


 時計の秒針の音だけが、静かに教室へ落ちていました。



 少女はじっと人形を見つめます。


 その手には、何もない。




 数十分が過ぎました。


 何も起きない。

 


 ふと、廊下から物音がしました。


 少女は反射的にそちらへ目を向けます。


 ほんの一瞬です。


 すぐに視線を戻します。


 


 そして、目を大きく見開きました。


 人形の手には、水仙が握られていたのです。



「……っ」


 声も出ません。


 教室の扉は閉まったまま。


 誰も入ってきてはいない。



 白い花が、かすかに揺れていました。



 少女の全身に鳥肌が立ちます。


「いや……」


 気づけば駆け寄り、人形の手から花をむしり取っていました。

 


「やめて……!」



 床へ叩きつけ、何度も踏みつけます。


 花びらが散り、茎が潰れ、黄色い芯がぐしゃりとつぶれました。



 息を切らしながら立ち尽くします。


 足元には、無残な水仙の残骸。



 もう大丈夫。


 そう思った時。



 背後から、声がしました。


 


「――返して」


 


 少女の身体が凍りつく。


 


 幼い女の子のような声でした。


 すぐ後ろから、確かに聞こえたのです。


 


 ゆっくりと振り返る。


 


 教室の後ろ。


 日本人形が、こちらを見ていました。



 さっきまで閉じていたはずの小さな唇が、わずかに開いているように見えます。



 少女は悲鳴を上げ、教室を飛び出しました。



 その日以降、少女が学校に姿を見せることはありませんでした。


 担任は「しばらくお休みします」とだけ説明しましたが、詳しい理由を知る者はいません。


 クラスの子どもたちは、誰もその話題に触れようとしませんでした。


 ただ、教室の後ろに置かれた日本人形だけは、以前と変わらず、静かにそこに座っています。



 白い水仙を手に抱えて。



 その花は、以前のように一輪ではなく。


 


 二輪に、増えていたそうです。






「……なんだか、嫌なお話ですね」


 女は、水仙の花を胸に抱えたまま呟いた。


「そうでしょうか?」


 女店主は、眼鏡の奥で静かに微笑んだ。


「ただ、大切にしていたものを無下にすると、思わぬ形で返ってくることもある……というだけのお話です」


 その言葉に、女の指先がわずかに震える。


「……どうして、その話を私に?」


「水仙を見つめるあなたの顔が、とても悲しそうでしたので」


 女は言葉を失う。


 確かに、自分はあの子のことを思い出していた。


 もっと早く気づいていれば。


 もっと話を聞いていれば。


 そんな後悔が、胸の奥にずっと残っている。


「私が……あの子を追い詰めたのかもしれません」


 思わずこぼれた言葉に、女店主は静かに微笑んだまま答えた。


「花は、誰かを責めたりはしません」


 そう言って、女の腕の中の水仙へ視線を落とす。


「ただ、覚えていてほしいと願うことはあるかもしれませんね」


 女は、水仙を見つめた。


 白い花弁は、ただ静かに揺れている。


 それでも、あの少女の小さな背中が脳裏から離れなかった。


「……あなたは、何を知っているんですか?」


「さぁ」


 女店主が顔を上げ、微笑む。


「お気になさらないでください。ただの、どこにでもあるお話ですから……」


 女はそれ以上、何も聞けなかった。


 店を出て、夜道を歩き出す。


 しばらくして振り返ると、先ほどまで灯っていた花屋の明かりは、跡形もなく消えていた。


 女は立ち尽くし、腕の中の水仙に目を落とす。


 白い花弁が、街灯の下でかすかに揺れる。


 その姿はまるで、何かを待っているようにも見えた。

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