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真夜中の花屋 Pantalea  作者: 東雲大雅


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第10話「オシロイバナ」 視界の端に咲く花

 男は、道端に咲く花を踏みかけて、寸前で足を止めた。


 ——危ない。


 疲れているらしい。


 気づけば、今日も終電だった。


 疲れきって下を向いて歩いていると、ふと街灯に照らされた店を見つける。

 

「こんな時間まで……俺と一緒だな」


 「Pantalea」と書かれたその店に、吸い込まれるように入っていく。


 通り過ぎるつもりだった。


 だが、店の灯りが妙に気になった。


 この時間まで働いている人間が、自分以外にもいる。


 妙な親近感と共に中に入ると、男の疑問は増えた。よく見ずに入ったが、こんな深夜まで営業しているなら居酒屋か何かだろうと思っていたからだ。


 店内には様々な花が置かれていた。

 その花の一つに水を与えている、眼鏡をかけた女店主を見て、ここが花屋である事を理解した。


「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」


「ええっと、すみません。花屋とは知らず入ってしまいました」


「ふふっ。お気になさらないでください。此処に来たのでしたら、きっと必要な花があるはずですから……」


「はぁ……」


 女店主の発言が少し引っかかったが、確かに何も買わずに出ていくのも気が引ける。


 男は辺りを見回す。どこかで見た事があるような花から、初めて見る花まで色々とあったが、ふとある一点で止まる。


「この花、子供のころによく見ました。なんていう名前だったかな……」


「そちらはオシロイバナという花です。綺麗ですよね」


「えぇ。他に知っていそうな花もないし、これください」


「ありがとうございます。お包みしますので、少々お待ちください」


 女店主は花を手に店の奥へ入っていく。

 

 少しして綺麗に包装されたオシロイバナを手に、女店主が戻ってくる。

 その花を手渡された時、女店主は何か思い出したかのように口を開いた。


「そうそう。この花には、こんなお話があるんですよ」






 その男性は、呑んだ日の帰り道、道端の花を蹴り飛ばしました。


 仕事で嫌なことがあった。酒を飲んでも収まらない苛立ちを、どこかにぶつけたかっただけです。


 視界の端にあった、小さな花。


 足先で払うように蹴る。茎が折れ、湿った音を立てて花が転がった。


 それで、終わりのはずでした。



 数日後。


 男性はふと、違和感を覚えます。


 歩いている最中、視界の端に、何かが引っかかった気がしたのです。


 足を止めて周囲を見渡す。


 何もない。


「……気のせいか」


 そう呟いて、再び歩き出しました。


 

 翌日。


 また、同じ違和感を覚えました。


 視界の端に、小さな色が見える。


 振り向くと、そこには何もない。


 だが、確かに“見えた”そうです。


 


 それが、毎日続きました。


 日を追うごとに、その“何か”ははっきりしていく。


 やがて男性は、それが花であることに気づきました。


 小さく、淡い色をした花。


 夕方から夜にかけて咲く、ありふれた花です。


 


 そして、ある瞬間。


 男性は思い出します。


 ——あの日、蹴り飛ばした花だと。


 


「……は?」


 思わず声が漏れました。


 そんなはずはない。


 あの時の花が、ここにあるわけがない。


 


 ですが、その日から。


 花は、確かに“近づいて”きました。


 


 視界の端にあったものが、少しずつ内側へと寄ってくる。


 最初は、ほんの点のようでした。


 それが、日に日に大きくなる。


 無視できる大きさではなくなっていく。


 


 男性は医者にかかります。


「視界に異常は見られませんね」


 そう言われるだけでした。


 


 仕事中も、歩いているときも、食事中も。


 花は、そこにある。


 消えない。


 


 気づけば、男性はそれを“避ける”ように生活していました。


 視線を動かす。


 頭を傾ける。


 それでも、花はそこにある。


 


 やがて。


 花は、視界の中心へと近づいてきます。


 


「やめろ……」


 誰に向けた言葉か、自分でも分かりません。


 その頃にはもう、花の形がはっきりと見えていました。


 薄く開いた花弁。


 中央にある、小さな種。


 その奥に、白い粉が詰まっているのも見えます。

 


 ある夜、部屋の中で、男性は鏡を覗き込みました。


 自分の目を、確かめるために。


 そこには、いつも通りの自分が映っています。


 ただ——


「……なんだ、これ」


 瞳の奥に、わずかに白いものが見えた気がしました。


 瞬きをする。


 消えない。


 指で目をこする。


 白い粉が、わずかに指先へつきました。


「……は?」


 心臓が大きく跳ねた。あわててもう一度鏡を見ます。


 瞳の奥に。


 小さな花が、咲いていました。

 


 その日を境に。


 男性の視界は、急速に花に侵されていきました。


 白い粉が、視界の奥から広がっていく。


 花弁が近づくたびに、世界が欠けていく。


 人の顔も、街の景色も。


 すべてが、花の向こう側に隠れていく。


「やめろ……やめろ……」

 

 何度も目を閉じる。


 ですが、閉じた暗闇の中にも、花はありました。


 そして、最後には。



 男性の視界は、ひとつの花で埋め尽くされました。


 静かに開いた、オシロイバナ。


 その奥で、白い粉が、ゆっくりと零れ落ちていきました。






「——それって、この花を雑に扱ったら、僕も同じ目に遭うってことですか?」


 男は、包まれたオシロイバナへ視線を落とした。


「あぁ、ご安心ください」


 女店主は、穏やかに微笑む。


「その花は、違いますので」


「……そうですか」


 男は小さく息を吐いたが、すぐに眉をひそめた。


「でも、どうしてそんな話を?」


 女店主は、眼鏡のフレームを指先でそっと押し上げる。


「深い理由はございません。ただ——」


 一拍置いて、静かに続けた。


「少し、気をつけた方がよろしいかと思いまして」


「……何をです?」


「人間は、追い詰められると、自分でも思いがけないことをしてしまうものです」


 女店主の視線が、男の目をまっすぐに捉える。


「貴方がお調べになっている件も、そうでしょう?」


 男の表情が強張った。


「……どうして、それを」


「さぁ」


 女店主は、わずかに首を傾げる。


「それに——」


 口元に、淡い笑みを浮かべた。


「貴方自身も、どうなるか分かりませんから」


「僕が、あんなことをするとでも?」


 男の声には、明らかな苛立ちが混じっていた。


 だが女店主は、何事もなかったかのように微笑む。


「お気になさらないでください。ただの、どこにでもあるお話ですから……」


 男はそれ以上何も言わず、静かに店を後にした。


 帰り道。


 道端に、小さな花が咲いている。


 先ほど、踏みかけた花だった。


 男は立ち止まり、その花を見つめる。


 もし、今ここで踏みつけたら。


 自分の視界にも、あの花が現れるのだろうか。


 右足が、ゆっくりと持ち上がる。


 だが——


「……そんなわけないか」


 男は小さく笑い、足を下ろした。


 そして、振り返ることなく、夜の闇へと歩き去っていった。


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