第五章:黄金都市の潜入とカイゼル髭の珍客
第五章:黄金都市の潜入とカイゼル髭の珍客
列車での長旅を終えた3人の目の前に広がるのは、重厚な石造りの街並みと、洗練されたカフェ文化が息づくウィーン。
だが、その美しい街並みのあちこちには、すでにクリムージュの「歪んだ金飾」の病胞が忍び寄りつつあった。
「すごい……パリよりずっと金の飾りがキラキラしてる! でも……なんか息が詰まりそうだな」
人間の姿となったゲブが、ダボダボの上着の襟を正しながら、重厚な街並みを警戒するように見回す。
「ああ、ウィーンは伝統的な美術と新しい装飾美学が激しくぶつかり合っている街だ。……クリムージュのような奴が身を隠し、信奉者を集めるには絶好の環境さ」
リュシアンの手を引くように歩くポルページは、「わぁ、あの建物も金ピカだ!」「あっちの彫刻も金箔が塗ってあるよ!」と、子供のように街の装飾に目を奪われている。
「……さて、手当たり次第に探してもクリムージュの足取りは掴めない。まずは『あの方』の店を訪ねよう」
リュシアンが二人を連れて向かったのは、旧市街の路地裏にひっそりと店を構える古美術商兼修復工房——「ハインリヒ画廊」だった。
店主のハインリヒ老人は、かつてパリで修行していた頃のリュシアンの父親とも親交があった古い修復士であり、ウィーンの裏社会や芸術パトロンたちの動向に最も精通している人物だった。
——チリン、チリン……
ドアをくぐると、店内には年代物の油彩画や修復待ちの額縁が所狭しと並べられており、絵の具とニス、古書の匂いが満ちていた。
「やあ、誰かと思えばパリの若き修復士、リュシアン・モローじゃないか。こんなところで何をしている?」
奥の作業台から顔を出したのは、丸眼鏡をかけた白髪の老人ハインリヒだった。
「お久しぶりです、ハインリヒさん。急な訪問を許してください。……実は、パリから逃亡した『ギュスターヴ・クリムージュ』という男の行方を追っているんです」
「……クリムージュだと?」
ハインリヒ老人の表情が、一瞬で険しいものに変わった。
老人は眼鏡を外し、重い溜め息をつきながら店の鍵を閉めた。
「あの男なら知っているとも。……いや、知っているどころか、今のウィーンの美術界は奴が持ち込んだ『過剰な金の絵の具』に狂わされつつあるのだ」
ハインリヒの話によれば、クリムージュはウィーンへ到着するや否や、伝統に固執する保守派の芸術家や、過激な装飾を好む新興パトロンたちを言葉巧みに取り込み、すでに街の郊外に「黄金の密室館(ゼツェシオン風の過飾アトリエ)」を建設中なのだという。
「奴の潜伏先かい? ……ここだけの話だが、奴は旧市街の地下深く、かつて宮廷の貴族たちが使っていた『秘密の錬金術サロン』を占拠して根城にしている」
「地下の錬金術サロン……!」
「ああ。だがリュシアン、近づくのは危険だ。奴の周りには、金で買収されたパトロンだけでなく、あの『金の結晶絵の具』で完全に魅了され、身体を半ば金箔化させた狂信者たちが夜な夜な集まっている。……普通に入ろうとすれば、たちまちつまみ出されるか、奴らの『金飾の作品』にされてしまうぞ」
「……潜入の手段なら、なんとかなります」
リュシアンは頼もしい手つきでゲブの肩を抱き、アトリエの隅で古い絵の具の壺を興味深そうに突っついているポルページを振り返った。
「僕たちには、あの男の美学の『穴』を知る最高の仲間がいますから」
ハインリヒ老人は、ポルページの顔をまじまじと見つめ、驚きに目を見開いた。
「ま、待て……その男はまさか……かつてパリで圧倒的な美学を誇った、あのジョルジュ・ポルページではないか!? なぜこんな無垢な子供のような顔をしているんだ!?」
「長くなる話です。……ですが、ハインリヒさん。クリムージュの潜伏先(地下サロン)へ入るための『招待状』か『裏口の暗号』に心当たりはありませんか?」
ハインリヒ老人は少し考え込んだ後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふむ……実は今夜、その地下サロンで『黄金の新作お披露目オークション』が開かれる手はずになっていてな。私のもとにも、鑑定依頼を兼ねた一枚のパトロン用招待状が届いている」
ハインリヒ老人は引き出しの奥から、冷たい金箔の意匠が施された重厚なカードを取り出し、リュシアンの前に置いた。
「これを使えば、正面から堂々と潜り込める。しかし、君はまだしも連れの二人はそのままの姿ではちと厳しいな。ちょっと待ってくれ」
ハインリヒ老人は店の奥に引っ込み何やらごそごそと探しものを、戻ってきたときに手にしていたのは立派なカイゼル髭(先端がくるりとカールした変装用のつけ髭)とシルクハットだった。
「つけ髭……? リュシアン、これ、お鼻の下がすごくムズムズするよぁ」
「静かにしてください、師匠。ウィーンの美術界に顔が割れているあなたをそのまま歩かせるわけにはいきませんからね。……よし、ゲブ、そっちはどうだ?」
「兄貴、僕のハットはどうかな!?」
ゲブは大きすぎる黒銀の上着に合わせ、少し大人びたシルクハットを深めにかぶり、不揃いな石ころをポケットでジャラリと鳴らした。
「ああ、バッチリだ。二人とも、見事な『ウィーンの若き画商とその気難しそうな老鑑定士』に見えるぞ」
ハインリヒ老人は、つけ髭をいじくって「へへっ、これでお髭の紳士だねぇ」と無邪気に喜ぶポルページを見て、腹を抱えて笑った。
「ハハハ! かつてパリの美術界を名を轟かせたあのポルページが、カイゼル髭の珍客になるとはな! よし、これならクリムージュの目を盗んで地下サロンの入口まで同行させても怪しまれまい。ただし、絶対に目立たせるんじゃないぞ」
「よし、三人で向かうぞ。ポルページさん、絶対に自分でその髭を引っ張って剥がさないでくださいね」
こうして、つけ髭で変装したポルページも加わり、三人でいざ旧市街の地下サロンへと足を踏み入れることとなったのだったーー。




