プロローグ
わたしの名前は、この手紙のどこにもない。
それでもわたしは今日も、羽根ペンを握って「愛しています」と書く。姉の名で。姉の署名で。七年、そうして姉が第二王子へ送る恋文を、代筆し続けてきた。
「お前の言葉に価値などない」。姉はそう笑う。わたくしの名で書けばこそ、意味を持つのだ、と。だからこれは姉の恋で、わたしはただ、その手にすぎない。
——けれど。
王子が長い返事をくれるのは、いつも姉の言葉ではなかった。わたしが余白にひとつだけ、こっそり忍ばせた本音の一行。あの人が答えるのは、決まって、そこにだけ。
七年、手紙の向こうの人は、姉ではない誰かに恋をしている。この文字を書く、名前のないわたしに。それを知っているのも、口にできないのも、世界でわたしひとりだった。
だけど、本当におかしいのは、そこじゃない。
あの人の返事には毎回、ひとつだけ、意味の通らない古い言葉がまぎれている。前にも後にも馴染まない、たった一語。まるで恋文の下に、誰にも読ませたくないもう一通の手紙を、そっと隠しているみたいに。
わたしは、その一語だけが、こわい。読み解いてしまえば、ただの恋では済まなくなる。あの人が命がけで隠したものに、触れてしまう気がして。
だからわたしは、七年、気づかないふりをしてきた。この恋が壊れるのが、こわかったから。
けれど、そろそろ、そのふりも続けられなくなる。そんな予感だけが、指先に冷たく残っていた。




