第6話 高スペックという名の罠
「洋菓子クラタ」のECサイトが無事にカットオーバーを迎え、クライアントから感謝のメールが届いた翌日。
出社した私の足取りは、自分でも分かるほど軽かった。
いつもなら憂鬱な朝が、少しだけ輝いて見える。
私が出した、泥臭くて人間味のあるアイデア。それが「正解」として世に出たという事実は、凍りついていた私の自己肯定感を、ほんの少しだけ溶かしてくれていた。
「おはようございます、佐伯さん」
自分のデスクに向かう途中、珍しく私から声をかけた。
佐伯賢人は、キーボードを叩く手を止めず、だが眼鏡の奥の目が微かに見開いたようだった。
「……珍しいな、君から挨拶なんて。明日は雪か?」
「失礼ですね。仕事へのモチベーションが高いだけです」
「ほう。それは喜ばしい。ちょうど新しい案件が動くところだ」
互いに朝の雑務を片づけた後、佐伯がモニターに映し出したのは、地方の観光協会が運営するブログメディア『奥多摩・再発見』の現行サイトだった。
「クライアントの要望は、『若者を呼び込みたいので、エモい感じで』だ」
佐伯は感情をまったく込めずに「エモい」と発音した。
「担当者は観光協会の権田さん。六〇代で定年再雇用の方だ。ITリテラシーは高くない。だから今回は、WordPressの標準テーマをベースに、多少カスタマイズを加えた構成で提案する」
佐伯が提示したワイヤーフレームは、実に彼らしい、無駄のないものだった。
上から順に、ヘッダー、目を惹く大きな画像、そして記事がグリッド状に並ぶ。
読みやすく、更新もしやすそうな、優等生レイアウト。
いつもの私なら「分かりました。それでコーディングを進めます」で終わっていただろう。
それが、定時で帰るための、一番楽な道だ。
でも、今日の私は少し違った。
(……クラタさんの時みたいに、もっと『匂い』を出せるんじゃないか?)
「佐伯さん。これ、ちょっと無難すぎませんか?」
私が異を唱えると、佐伯はピタッと手を止めた。
「無難? 運用面を最優先した結果だ」
「それは分かりますけど、これじゃあ『エモい』を求めている若者には刺さりませんよ」
私は身を乗り出した。
「それに、この感じだとクライアントからも『味気ない』『もっと目立たせて』って、後から無限に修正指示が飛んでくる未来が見える気がします」
「……」
「最初から『おっ』と思わせるくらい作り込んだ方が、結果的に修正のラリーが減って、時短になりませんか? 私、基本的には残業したくないので……」
これは本音だった。
高いクオリティの初稿を出して、クライアントを納得させる。それが最強の残業キャンセル術だ。
私は手元のメモ帳に、ササッとラフを描いて佐伯に見せた。
「例えば、記事のタイトルを『縦書き』の明朝体にするんです。で、写真を規則正しく並べるんじゃなくて、あえて大小のサイズを散らして、雑誌のレイアウトみたいに複雑に重ねる。どうですか? 一気に『旅エッセイ』みたいな雰囲気になりますよね」
「……見た目は確かに良くなるだろう。だが、実装コストと運用リスクが跳ね上がる。縦書きはブラウザの表示差異が出やすいし、画像のサイズがバラバラだと、更新時にレイアウトが崩れる恐れはないか?」
佐伯の懸念はもっともだった。
理系の彼は、常に「壊れないシステム」を作ろうとする。
でも、私はデザインの力を信じたかった。
「大丈夫です。更新マニュアルは私が完璧に作りますから!『写真はこのアスペクト比でトリミングしてください』『文字は全角で』って、ちゃんとルール化すれば防げます」
私が自信満々に言い切ると、佐伯はしばらく私とラフ画を交互に見比べた後、小さく溜息をついた。
「……そこまで言うなら、今回は君の案で行こう。マニュアル作成も含めて、定時内に終わらせるってことでいいんだな?」
「もちろんです!」
私は小さくガッツポーズをした。
自分が主導してデザインを提案し、通った。
久しぶりに味わう高揚感。アドレナリンが分泌され、私は猛烈なスピードで作業を開始した。
『洋菓子クラタ』の時と同じように、私の感性がこの案件を成功に導くはずだ。
マニュアルさえあれば、クライアントだってプロと同じようにサイトを運用できる。そう信じて疑わなかった。
自分の「美意識」が、現場の運用者にとってどれほど残酷な枷になるかなど、この時の私は少しも理解していなかったのだ。




