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スピンオフ01 量産型女子の週末

10:00 AM 脱皮と換装

***


 土曜日の朝、10時。

 私はクローゼットの前で、平日の私――「量産型女子・一ノ瀬あかり」の抜け殻を見下ろしていた。


 ベージュのトレンチコート。無難な白のブラウス。歩きやすいが個性の死んだパンプス。

 これらは、月曜から金曜まで、私が社会という荒波を「波風立てずに」戦い抜くための戦闘服。


「よし、今週もお疲れ。来週までそこで寝てて」


 私は平日の「鎧」を端に追いやり、奥から「本命装備」を引っ張り出す。

 高円寺の古着屋で発掘した、昭和四〇年代製の柄ワンピース。くすんだマスタード色に、幾何学模様が散りばめられたそれは、見る人が見れば「お婆ちゃんの服?」だが、そんなことは放っておいて欲しい。私にとっては「神が宿る布」なのだ。


 仕上げに、度の入っていない丸眼鏡をかける。

 鏡の中の私は、どこからどう見ても「こじらせた文化系サブカル女子」だが、これがいいのだ。これが本当の私のデフォルト設定なのだから。


「……ん、よし。今日も世界は適度に汚れてる」


 謎の確認をして、私は部屋を出た。

 今日の天気は晴れ。絶好の「採取」日和である。



11:30 AM 谷中のフォント狩り

***


 目的地は、再開発の噂が流れる谷中・根津エリア。

 私の目的は、食べ歩きでもインスタ映えでもない。

 ――「フォント狩り」だ。


 路地裏に入り込むと、そこは宝の山だった。

 まず目に飛び込んできたのは、閉店して久しいスナックの看板。

 アクリル板が割れ、赤と青のカッティングシートが剥がれかけている。


『スナック     』


 店名の後半が欠落し、ただの『スナック』になっている。

 私はスマホを構え、その「ッ」の文字に限界まで寄った。


(……待って、尊い。この「ッ」の払いのカーブ、定規じゃ絶対に出せない角度。手書き職人の手癖がにじみ出てるじゃない……!)


 脳内で早口のオタク・あかりが絶叫する。

 風雨に晒され、紫外線に焼かれたプラスチックの質感テクスチャ。Photoshopのノイズフィルターを何回重ねても、この「本物の劣化」は再現できないだろう。


 シャッターを切る。

 カシャ、カシャ、カシャ。


 傍から見れば、ゴミ捨て場を撮影する不審者だろう。でも構わない。ここには、AIが学習データから弾いてしまう「歴史」があるのだ。


 ふと、大通りに出ると、新しい美容脱毛サロンの看板が目に入った。

 ツルツルの肌をしたモデル。完璧なサンセリフ体のフォント。


『自信は、素肌からはじまる』


 私は「うっ」と小さく呻いた。

 眩しい。白すぎる。ノイズがなさすぎて、視線が滑り落ちる。

 平日の私は、こういう「正解」を作る仕事をしている。でも、今の私には、あの完璧な肌よりも、このひび割れたコンクリート壁の方がよほど美肌に見えるのだ。



13:00 PM ジャンク品との邂逅

***


 路地裏の奥まった場所に、煎餅の匂いと古道具の匂いが混じる店があった。

 店先には、みかん箱のようなワゴンが無造作に置かれている。


『ガラクタ ―ご自由にご覧ください―』


 直球すぎるPOPに惹かれて覗き込む。

 欠けた湯呑み、動かない置時計、作者不明、謎の木彫りの熊。

 そのガラクタの海に、鈍く光る金属の塊があった。


 ハーフサイズのフィルムカメラだ。

 ずっしりと重い。メーカーのロゴは削れ、ファインダーはカビで白く曇っている。

 値札にはマジックで殴り書き。


『ジャンク。動きません。500円』


「……500円かあ」


 合理的な「平日あかり」の人格が、脳内で警告音を鳴らす。


『一ノ瀬さん、それはただの産業廃棄物です。修理に出せばオーバーホールで三万円コース。スマホの方が一億倍綺麗に撮れます。即刻リリースしてください』


 正論だ。

 佐伯さんがここにいたら、鼻で笑って通り過ぎるだろう。


 けれど、私の指先は、そのカメラのシャッターボタン周りを撫でていた。

 黒い塗装が剥げ、下地の真鍮しんちゅうが金色に覗いている。


(……これ、前の持ち主が、何千回もここを押したんだ)


 家族を撮ったのか、恋人を撮ったのか、それとも風景か。

 何千回もの「残したい」という感情が、この塗装を摩耗させたのだ。

 そう思ったら、このボロボロの鉄塊が、過去の「瞬間」を何度も切り取ってきた『時間の塊』に見えてきた。


「おじさん、これください」

「んあ? お嬢ちゃん、それ壊れてるよ。飾りにもなりゃしない」


 店主の爺ちゃんが煎餅をかじりながら呆れている。


「いいんです。この傷が、いい感じなんで」


 私は五〇〇円玉をチャリンと置いた。


「モノ好きだねえ」


 うん。最高の褒め言葉だ。



14:30 PM 心のF12キー

***


 近くの純喫茶に入り、ナポリタン(銀皿に乗った王道のやつ)を注文した後、私は儀式を始めた。

 カバンから、常備している無水エタノールと綿棒を取り出す。

 急遽、本日のメインイベントとなった「清掃メンテナンス」の時間だ。


 Webデザインの仕事で、画像のノイズを除去する作業は「単純労働」だ。

 けれど、このカメラの汚れを拭う作業は「対話」だ。


 綿棒にエタノールを浸し、ファインダーの隅を優しく擦る。茶色い汚れが取れるたび、カメラが「ふう」と息をついている気がする。


(君は、どんな時代を見てきたのかな? 平成? それとも昭和?)


 ボディの革張りの手油を拭き取り、レンズを磨く。

 動かなくてもいい。ただ、こびりついた汚れを落として、刻まれた傷だけを残してあげたい。


 三〇分後。

 テーブルの上には、鈍い輝きを取り戻したカメラが鎮座していた。

 傷だらけだが、威風堂々としている。


「やば……めちゃ、イケメンじゃん」


 私はナポリタンを頬張りながら、独りごちた。

 ダメ元で、巻き上げレバーを回してみる。

 ジャリ、という砂を噛むような感触。


 やっぱりダメか。

 そう思いながら、シャッターボタンに指をかけた。

 前の持ち主が、何千回も押した、その窪みに。


 ――カシュッ。


 乾いた、それでいて芯のある音が、店内に小さく響いた。


「……え」


 嘘。切れた。

 シャッター幕が動いた気配があった。

 もう一度、レバーを巻く。カシュッ。


「生きてる……?」


 完全に壊れているわけじゃなかった。瀕死だけど、まだ息をしている。

 きっと今の私は、今日一番の、いや、今週一番の笑顔だと思う。



17:00 PM エピローグ

***


 店を出ると、夕暮れが商店街をオレンジ色に染めていた。

 私は生き返ったカメラを構え、ファインダーを覗く。

 カビのせいで視界は白く霞んでいるし、ピントも合っているか怪しい。

 露出計も死んでいるから、たぶんまともに写ってはいないだろう。


 でも、ファインダー越しの世界は、高解像度の4Kモニターよりも、ずっと温かくて、愛おしかった。


 カシュッ。

 今日という一日を、不完全な音で記録する。


「……さて」


 来週のスケジュールを思い出す。

 月曜から、また佐伯さんと新しいLP制作だ。

 求められるのは「清潔感」「信頼」「洗練」。

 ノイズなど許されない、真っ白な世界。


「来週もまた、『正解』のデータを作りにいきますか」


 私はカメラをそっと鞄にしまった。

 少し重たくなった鞄の重みが、心地よい。


 平日の私は、ノイズを消すオペレーターかもしれない。

 けれど、私の鞄の底には、いつだってこの「愛すべきノイズ」が入っている。

 そう思うだけで、あの殺風景なオフィスも、少しだけ息がしやすくなる気がした。

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