第5話 エピローグ
「ありがとうございました。本当に、助かりました」
芳子さんの深々としたお辞儀に見送られ、私たちは店を後にした。
背後でシャッターが下りるガラガラという音が、どこか心地よい終了の合図のように響く。
時刻は二〇時を回っていた。
商店街のアーケードは完全に静まり返り、私たちの足音だけがコツコツと反響する。
「……参ったな」
駅へ向かう道すがら、佐伯がぽつりと溢した。
「君の言う通りだ。あの店に必要なのは、洗練された記号ではなく、手触りのある文脈だった」
「佐伯さんの案も、間違ってはなかったですよ。ただ、ちょっとだけ『正解すぎた』だけだと思います」
私がフォローを入れると、彼は少しだけ口の端を上げた。
「慰めは不要だ。今回は、僕の計算違いだ」
タクシー乗り場で車を拾う。
流れる車窓の夜景を眺めながら、佐伯が眼鏡の位置を直した。
「……次の案件だが」
「はい」
「デザインの生成プロセスを見直す。AIに指示を出す前に、まず君の意見を聞きたい。……構わないか?」
それは、この合理主義の塊のような男からの、最大限の譲歩であり、敬意の表明だった。
私は窓ガラスに映る自分に向かって、小さく微笑んだ。
「善処します。ただし、私のスケジュール最優先でお願いしますね」
「分かってる。定時内できっちり終わらせよう」
私はバッグからスマホを取り出し、勤怠管理アプリを立ち上げた。
退勤時刻、二〇時一五分。
いつもなら、この数字を見るだけでストレスで胃が痛くなるところだ。
けれど今日は、不思議と誇らしく見える。
「残業申請、しておきますね」
「ああ、承認しておく」
「定時組の私にとっては深夜も同然なので、気持ちは『深夜割増』扱いでお願いします」
「手厳しいな」
スマホの画面をタップし、送信ボタンを押す。
『申請完了』の文字が浮かび上がった。
定時は過ぎてしまったし、行きつけのレトロ喫茶で過ごすゴールデンタイムも逃してしまった。
けれど、悪くない。
一八時以降の私は、どうやら自分が思っているよりも少しだけ、いい仕事ができるみたいだ。
私はスマホを仕舞い、深くシートに身を預けた。
明日はまた、仮面を被って定時退社する「量産型女子」に戻るだろう。
でも、その仮面の下には、今日手に入れた小さな自信が、確かな温度を持って息づいているはずだ。




