第12話 言語化できない「匂い」
翌日の午後。
佐伯は大和金属工業へのヒアリングから帰社するなり、上着を脱ぐのももどかしそうにPCへ向かった。
「ヒアリング、どうでしたか?」
昨日の様子が少し引っかかっていた私がそう尋ねると、佐伯は眼鏡を押し上げ、満足げに頷いた。
「あぁ、問題ない。二代目の松永社長は叩き上げの職人肌だが、新事業への熱意は十分にある。録音データもクリアに取れた」
佐伯はすぐさま音声認識ソフトで録音データをテキスト化し、それを最新の生成AIに流し込んだ。
新規チャットを立ち上げ、佐伯は事前に用意していたのであろう、精緻なプロンプトを入力し始める。
『以下のヒアリングデータと市場トレンドを元に、新事業となるキャンプギアのメインターゲットとなる【ペルソナ】を三パターン出力せよ。年齢、職業、家族構成、休日の過ごし方、消費傾向を含めること』
数秒後、画面上に詳細な人物像が弾き出された。
「……よし。やはりここが本命だな」
佐伯は一つのペルソナをハイライトした。
『三十五歳・男性。都内IT企業勤務。週末は家族(妻・五歳の男の子)と自然の中で過ごすことを好む。大量生産品よりも、背景にストーリーがある「本物」の道具に価値を感じ、多少高くても長く使えるものを購入する傾向がある』
「このペルソナ設定で、ブランドの軸を固める」
佐伯は流れるような手つきで、次のプロンプトを打ち込んだ。
『上記のペルソナに対し、BtoB企業の堅実さと、新事業の革新性を融合させたコーポレートコピーを生成せよ。文字数は三〇字以内。ペルソナの心に刺さる情緒的なアプローチとすること』
エンターキーが叩かれると、わずか数十秒で、いくつもの洗練されたキャッチコピーが吐き出された。
『八〇年の精巧な技術で、自然と人をつなぐ新しい休日を。』
『鉄の温もりを、あなたの日常へ。』
『確かな品質が、家族の笑顔を誘う。』
「……凄いですね」
私は素直に感嘆した。
日本語として破綻がなく、ターゲット層にも刺さりそうなお洒落な言葉選び。ヒアリングから一時間も経たずにこれだけの案を出せるのだから、やはりAIの効率は圧倒的だ。
「ああ、データに基づいた最適解だ。これなら松永社長も納得するはずだ」
佐伯は自信に満ちた表情で、提案書の作成に取り掛かった。
***
三日後。
デザインの枠組みに佐伯のコピー案を組み込んだ提案書を持って、私たちは大和金属工業の応接室にいた。
油の匂いと、微かな機械の駆動音が壁越しに響く、昔ながらの町工場の空気。
向かいに座る松永社長は、作業着姿の体格の良い六〇代の男性だった。太く節立った指で、佐伯が提出した資料のページをめくっている。
「……なるほど。綺麗にまとまってるな」
松永社長はポツリとこぼした。しかし、その表情は晴れない。
佐伯が身を乗り出した。
「今回の新事業では、御社の『八〇年の歴史』を『家族の絆』という文脈に変換しました。既存の取引先にも安心感を与えつつ、新規の一般消費者にも――」
「いや、佐伯さんの言うことは分かるんだ」
松永社長は、提案書をゆっくりとテーブルに置いた。
「言葉はすごく立派だし、今の時代に合ってるんだと思う。でも……」
社長は腕を組み、眉間に深い皺を寄せた。
「ウチの会社の『匂い』がしないんだよ。ヨソの鉄工所には使えない、ウチだけの言葉でないとダメなんじゃないか?」
佐伯の表情が、微かに強張った。
「……どの部分が、社長のご希望と合わないでしょうか。ターゲットの年齢層ですか? それとも『温もり』という表現が少し柔らかすぎましたか? 修正の方向性を教えていただければ、すぐに別案を出します」
佐伯は、ヒアリングデータとAIの分析結果を脳内でフル回転させ、論理的に問題箇所を特定しようと試みる。
しかし、松永社長は首を傾げたままだ。
「いや、年齢層とかそういう問題じゃなくて……もっとこう……違うんだよ。ウチの先代が始めた頃の、もっと泥臭いというか……いや、泥臭いだけじゃダメなんだが……」
社長自身も、「何が違うのか」「本当はどう言いたいのか」を言葉にできずに苦しんでいるのが分かった。
「では、少し方向性を変えて、言葉のトーンをもっと『職人気質』に寄せたパターンで――」
「うーん……まあ、とりあえず別案を見てから決めるか。今日はこれで」
松永社長は言葉を濁して席を立ち、打ち合わせは不完全燃焼のまま終了した。
***
帰りの電車内。
佐伯は無言のまま、タブレットでヒアリングの録音データを何度も聞き返していた。
「……おかしい。社長の口から出たキーワード―—『技術力』『歴史』『家族向け』はすべて盛り込んでいる。条件は満たしているはずだが、なぜ刺さらない?」
佐伯の呟きは、誰に向けたものでもない、独白のようだった。
私は、吊り革に掴まりながら静かに外の景色を眺めていた。
(そりゃそうだよ、佐伯さん)
そして、心の中でこっそりと毒づく。
AIは与えられたテキストや情報から物事を分析する。
だから、もし分析をする上で大事な情報が、そもそも与えられていなければどうなるだろうか?
(うーん、らしくないなぁ。やっぱり、なんか焦ってる? いつもの佐伯さんなら、分かるはずなんだけどなぁ......)
松永社長の様子を見て、私はすぐに気付いた。人間は往々にして「自分が本当に言いたいこと」を咄嗟に言葉で説明できない生き物なのだ。
ましてや本当に大切な想いなんて、インタビューの質問に対して、スラスラと簡単に出てくるようなものじゃない。
(かく言う私も松永社長と同じで、「じゃあ、どうすればいいのか?」を言葉で上手く説明できないのだけど......)
でも、AIが回答を生成する上で、絶対に参照しない―—いや、参照することのできない―—「ノイズ」の中にこそ、松永社長が本当に求めている「ウチの匂い」が隠されている気がするのだ。
私は、カバンの中でスマホに触れた。
アドレス帳に入っている、ある人物の連絡先を思い浮かべながら。




