第3話 春の脅威と、規格外の両親
春が来ました。
雪解けと共に目覚めるのは草花だけではありません。
平和な開拓村を襲う、規格外の脅威。
そしてついに、両親が隠していた「本当の顔」が明らかになります。
北の辺境に、遅い春が訪れた。
分厚い雪の層が解け、黒々とした大地が顔を覗かせる。開拓村の人々にとって、それは待ちに待った活動の季節であり、同時に得体の知れない「脅威」が目覚める季節でもあった。
俺、アドウィック(愛称はアド)は、家の前の泥濘に足を取られながらも、懸命に歩を進めていた。
転生して二年。
ようやく幼児の体にも慣れ、行動範囲が広がってきたところだ。
「アド、あまり遠くへ行くなよ。まだ森には入るんじゃないぞ」
背後から、薪割りをしていた父・ロイドの声が掛かる。
俺は「あーい!」と元気よく返事をしつつ、内心では苦笑していた。
父さんは過保護だ。
見た目は黒髪の屈強な男で、腕なんて俺の胴体くらい太いのに、性格は穏やかで争いごとを好まない。村の男衆に混じっても、ニコニコと愛想笑いをしていることが多い「人の良いおじさん」だ。
母・ハンナもそうだ。
栗色の髪をした美人だが、少し天然なところがある。村の女性たちと井戸端会議をしては、朗らかな笑い声を上げている。
どこにでもいる、平和で平凡な両親。
けれど、俺には一つだけ不満があった。
それは、この村の生活水準の低さだ。
(水汲み一つで重労働。暖房は薪のみ。衛生観念も低い……)
俺の前世の知識と、この世界で得た「魔力」を使えば、もっと生活をカイゼンできるはずだ。
俺は泥だらけの手を見つめ、丹田に意識を集中した。
熱い塊がある。魔力だ。
だが、俺の魔力は「内向き」にしか作用しない。体の中で練り上げることはできても、外に放出して火を起こしたり、水を操ったりすることができないのだ。
身体強化や自己治癒には使えるようだが、これではインフラ整備には役に立たない。
(くそっ……。父さんと母さんを楽させてやりたいのに)
父さんは木こり仕事で毎日泥だらけになり、母さんは冷たい水で洗濯をして手が荒れている。
俺がもっと早く成長するか、有用な魔法が使えれば。
そんな焦りを感じていた、ある日の午後だった。
カラン、カラン、カラン、カラン!!!
村の中央にある火の見櫓から、けたたましい早鐘が鳴り響いた。
ただ事ではない。
鳥たちが一斉に飛び立ち、空気が張り詰める。
「魔物だッ! 『赤熊』が出たぞぉぉ!!」
誰かの絶叫が、村の平和を引き裂いた。
赤熊?
前世の知識にあるヒグマのようなものだろうか。だとしたら厄介だ。
それが、柵を破って村の中に侵入したらしい。
「アド!」
母さんが家から飛び出してきて、俺を抱きしめた。
その顔には、いつもの穏やかさは消えていた。
だが、恐怖で怯えているのではない。
まるで戦場を見定めるような、鋭い眼差し。
「……あなた」
母さんが短く呼ぶと、父さんは持っていた斧をゆっくりと地面に置いた。
そして、家の壁に掛けられていた剣――錆びついた飾り物だと思っていた古剣――を手に取る。
「ああ。行ってくる」
「気をつけて。昨日の雨で足場が悪いわ」
「問題ない。すぐに終わらせる」
二人の空気は、まるで手慣れた仕事に向かう職人のようだった。
「と、とーさん! だめ! にげて!」
俺は父の腰にしがみついた。
相手は熊だぞ。俺は前世のニュースで知っている。人間が素手や刃物で勝てる生物じゃない。
だが、父は俺の頭を優しく撫でた。
「アド。よく聞きなさい」
「……え?」
「父さんと母さんがこの村に来たのはな、ここが俺たちの『家』だからだ。お前を守り、育てるための場所だからだ」
父さんの瞳が、静かに燃えていた。
「だから、荒らさせるわけにはいかないんだよ」
父はニカっと笑うと、俺を母さんに預け、ふらりと外へ歩き出した。
俺は母さんの腕の中で暴れたが、母さんの力は驚くほど強くてびくともしなかった。
窓から外を見る。
広場は地獄絵図になりかけていた。
丸太の柵が粉砕され、家屋の壁が破壊されている。
そして、暴れ回っている「それ」を見て、俺は息を呑んだ。
(……おいおい、嘘だろ)
デカすぎる。
地球の熊なんかじゃない。軽自動車……いや、ダンプカー並みの巨体だ。全身から立ち上る異常なプレッシャー。
野生動物というより、明らかに「モンスター」というジャンルの化け物だった。
「ぎゃああああああ!」
悲鳴が上がった。
逃げ遅れた村の青年が、赤熊の前足で薙ぎ払われたのだ。
青年は人形のように吹き飛び、俺たちの家の近くに転がった。
腹部からおびただしい量の血が流れている。致命傷だ。
「ハンナさん! 頼む、助けてくれ!」
自警団の男が、泣きそうな顔で母さんを呼んだ。
母さんは俺を部屋の隅に座らせると、迷いのない足取りで青年のもとへ駆け寄った。
(無理だ、あんな傷……現代の救急救命だって間に合わない!)
俺が絶望した、その時だ。
「――癒せ(ヒール)」
母さんが短く紡ぐと、その掌から眩い光が溢れ出した。
強烈な黄金の輝きが青年の傷口を包み込むと、信じられない現象が起きた。
抉れた肉が盛り上がり、ちぎれた血管が繋がり、流れ出た血が嘘のように引いていく。
ほんの数秒。
青年の腹には、傷跡一つ残っていなかった。
(な……?)
俺は言葉を失った。
これがファンタジー世界の魔法……!
この世界の常識は知らない。だが、あんな瀕死の重傷を一瞬で無かったことにするなんて、どう考えても異常だ。
母さんは汗一つかかず、立ち上がった。
一方、広場では父さんが赤熊と対峙していた。
剣をだらりと下げ、無防備な姿で立っている。
それなのに、周囲の村人たちは逃げようとしない。
むしろ、期待の眼差しで父さんを見ている。
「ロイド! 頼む、やってくれ!」
「お前しかいないんだ!」
(……は?)
俺は耳を疑った。
村人たちは、父さんに助けを求めている?
あんなダンプカーみたいな化け物を相手に? 木こりの父さんに?
赤熊が、新たな邪魔者に気づく。
血走った眼球がギョロリと父を捉え、その丸太のような腕を振り上げた。
一撃で大木すらへし折る暴力の塊。
だが、父さんは一歩も引かない。
(やめろぉぉぉッ!!)
俺が心の中で絶叫した瞬間。
――ヒュン。
風が鳴った。
ただ、それだけだった。
赤熊の剛腕が、父さんの鼻先でピタリと止まる。
いや、止まったのではない。
父さんの体が、陽炎のように揺らいだかと思うと、次の瞬間には赤熊の背後に抜けていたのだ。
手には、いつの間にか抜かれた剣。
その刀身には、血の一滴すら付着していなかった。
ズズ……ン。
遅れて、音がした。
赤熊の巨体が、斜めにずれた。
首から脇腹にかけて、一直線に走る切断線。
鮮血が噴き出すよりも早く、その巨体は物言わぬ肉塊となって崩れ落ちた。
「おおおおおおお!!」
「さすがロイドだ!!」
村人たちから歓声が上がる。
父は短く息を吐くと、剣についた血を振るい落とし、パチンと鞘に納めた。
その所作には、一切の無駄がなかった。
「よし。今夜は熊鍋だな」
父は振り返り、窓から覗いていた俺と目が合うと、いつもの優しげな顔でニカっと笑ってピースサインをした。
(……マジかよ)
俺は窓枠から崩れ落ちそうになった。
母は、死にかけた人間を数秒で治す魔法使い。
父は、ダンプカーサイズの化け物を一撃で葬る剣士。
俺の両親は、ただの一般人じゃなかった。
前世の常識で測るまでもない。明らかに「異常」だ。
俺は居ても立ってもいられなくなり、勝手口から飛び出した。
父さんの足元へ駆け寄り、その太い足にしがみつく。
「とーさん! すごい! つよい!」
俺は幼児らしく目をキラキラさせて、興奮気味に叫んだ。
演技ではない。半分は本心だ。
父は俺をひょいと抱き上げると、高い高いをしてくれた。
「ははは、アドは怖くなかったか? 強い男の子だなぁ」
「とーさん、なんで? なんでそんなにつよいの? けん、キラキラしてた!」
俺は核心を突いた。
この際だ、聞いてしまおう。
父は少し困ったように頬をかき、家の中から出てきた母の方を見た。
母は呆れたように肩をすくめ、しかし微笑んでいる。
「まあ、アドももう大きくなったし(まだ二歳だが)、そろそろ教えてもいいんじゃない?」
「そうだな。アド、実はな……」
父は声を潜め、いたずらっ子のように俺に耳打ちした。
「父さんと母さんはな、昔『冒険者』だったんだ」
「ぼーけんしゃ?」
「ああ。父さんが剣士で、母さんが僧侶。あと3人の仲間と一緒に、5人でパーティを組んで、世界中を旅して、悪いドラゴンを退治したりしてたんだぞ」
父さんは懐かしむように遠くを見た。
「ランクは確か……引退した時で『Aランク』だったかな。もう昔の話だけどな」
(……Aランク)
俺の思考がフリーズした。
この世界の格付け基準なんて知らない。上がSなのか、下がFなのかも習っていない。
だけど、目の前の『結果』を見れば嫌でも理解らされる。
大人たちが震え上がっていた森の主を、父は散歩のついでみたいに一撃で葬ったのだ。
これが、Aランク。
つまりは、桁外れの化け物ってことだ。
(マジかよ……。俺、とんでもないサラブレッドだったのか)
どうりで。
母さんの魔法も、父さんの剣技も、あんなに常識外れなわけだ。
「……なんで?」
「ん?」
「なんで、ここ、いるの?」
俺の問いに、父は少しだけ真面目な顔になった。
そして、隣に寄り添う母さんの肩を抱いた。
「結婚して、子供を作るためさ」
「え?」
「冒険者はいつ死ぬかわからない仕事だ。でも、俺たちはどうしても家族になりたかった。だからパーティを解散して、剣を置いて、この村に来たんだ。……まあ、お前が無事に生まれるまでは、こっそり『用心棒』として村長と契約して、村を守ることもあったけどな」
父は悪戯っぽくウィンクした。
村人たちが父さんに助けを求めた理由がわかった。
彼らは知っていたのだ。この夫婦が、ただの開拓民ではないことを。
結婚と妊娠。そして愛する家族との暮らし。
そのささやかな幸せを守るために、彼らはAランクという栄光を捨て、ここにいる。
「でもな、アド。これは秘密だぞ?」
父は俺の鼻をちょんとつついた。
「俺たちはもう、ただの村人だ。静かに暮らしたいから、この村に来たんだ。だから、外で言いふらしちゃ駄目だぞ?」
「うん! わかった!」
俺は元気よく頷いた。
心の中では、ガッツポーズをしていた。
勝った。
俺の人生、完全に勝ち組ルートに入った。
最高の血統と、最高のお手本(師匠)が、家に二人もいるのだ。
俺の「カイゼン」活動なんて、子供の砂遊びに過ぎなかった。
けれど、同時に確信した。
俺のこの「内向きな魔力」が、この二人の遺伝子を受け継いでいるのなら──決して「無能」で終わるはずがない。
俺は父の腕の中で、沈みゆく夕日を見ながら誓った。
この最強の両親からすべてを吸収し、いつか俺も、彼らを超えるような「何か」になってやると。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
両親、強すぎました。
熊を倒して晩御飯ゲットです。
そんな両親の血を引くアド。果たして彼自身の能力はどう開花していくのか。
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