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第2話 凍てつくゆりかごと、小さな生存戦略

いつもお読みいただきありがとうございます。 今回は、転生して一年が経った主人公(1歳〜2歳頃)のお話です。


「異世界転生したら、とりあえず魔法を撃ってみたい」 男の子なら誰しも抱く夢ですが、どうやら現実はそう甘くはないようで……?


地味だけど役に立つ? 主人公の能力の片鱗が見えてきます。

寒い。  とにかく、寒い。


 俺がこの異世界に生まれ落ちてから、最初に脳髄に刻み込まれた感情は、感動でも興奮でもなく、ただひたすらに物理的な「寒さ」への恐怖だった。


 転生してから、おおよそ一年という月日が流れた。  俺の新しい肉体は、ようやく四つん這いで動き回れるハイハイの時期を経て、物につかまれば二本足で立てる程度の幼児へと成長していた。  視界は低い。手足は短く、筋肉など皆無に等しい。  だが、その未熟な脳に入っている精神(中身)は、四十二歳のおっさんのままだ。  だからこそ、現状の「詰み」具合が手に取るように分かってしまう。


 ここは、巨大な冷蔵庫の中だ。


 俺の家――リビエラ村という辺境の開拓民の住処は、太い丸太と粘土質の土を固めて作られた、実に簡素なログハウスだ。  一応、立派な屋根はある。壁も俺の胴体ほどに分厚い。  しかし、ここは大陸の北西の果て。冬将軍の支配領域だ。  容赦のない北風は、丸太の合わせ目や窓枠のわずかな歪みを抜け、鋭い刃物のように室内に侵入してくる。  朝、目が覚めると、桶の水が凍っていることなど日常茶飯事だ。


「……あーあ。また薪が湿気ってるわねぇ」


 朝の薄暗がりの中、母ハンナの声が響いた。  彼女は暖炉の前でしゃがみ込み、薪の山を検分しながらぼやいている。  雪の降る日が続いたせいで、軒下の薪棚にまで湿気が回ってしまったらしい。普通の火打石で火を点けようとすれば、小一時間は煙と格闘することになるだろう。


 だが、母は困った顔をしながらも、手慣れた動作で右手をかざした。  その指先が、パチンと軽い音を立てる。


 ボッ。


 何もない空間から、ライターの種火のような、小さな赤い炎が灯った。  彼女はそれを湿った薪の樹皮へと移す。当然、水分を含んだ木はジュウジュウと音を立てて抵抗し、簡単には燃え広がらない。  すると母は、さらに手のひらを薪にかざし、ふわりと空気を送り込んだ。  ただの風ではない。熱を孕んだ温風だ。  彼女の手のひらから放射される熱気が、薪の水分を強引に蒸発させ、乾燥させていく。白煙が上がり、やがてパチパチという快活な音と共に、赤々とした炎が薪を包み込んだ。


(……魔法だ)


 俺は毛布の隙間から顔だけを出して、その光景をじっと眺めていた。  生まれて一年。毎日見ている光景だが、未だに見飽きることがない。  この世界では、魔法は選ばれた勇者だけの奇跡ではないらしい。電気やガスといったインフラが存在しない代わりに、誰もが当たり前に使う「生活スキル」として浸透している。  父さんも狩りに出る際、弓矢に風を纏わせて飛距離を伸ばすくらいのことは平気でやっているようだ。


 とはいえ、それは万能の力ではない。  母さんの魔法は確かに便利だが、現代のエアコンのように、家全体をボタン一つで暖め続けるほどのパワーも持続力もない。  あくまで「火種」であり、「補助」なのだ。  だから結局、こうして物理的に薪を燃やし、毛皮を着込み、体を寄せ合って冬を耐えるしかない。文明レベルは、中世ヨーロッパの農村といったところか。  魔法があるからといって、生活が劇的に楽になるわけじゃない――それが、この一年の観察で得た結論だった。


「よし、これで少しはマシになるわね」


 母は満足げに頷くと、鍋を火にかけ、朝食の準備のためにキッチンへと向かった。  暖炉からは心地よい熱が放射され始めるが、部屋の隅までは届かない。俺のいるベッドのあたりは、まだ白い息が出るほど寒い。


(ま、指先から火が出るだけでも十分ファンタジーだけどな)


 俺はこっそりと布団から這い出した。  幼児の体は冷えやすい。すぐに手足の先が氷のように冷たくなる。  俺は冷えた自分の手をじっと見つめた。    男の子だもの。やっぱり、自分でもやってみたいじゃないか。  前世では漫画やゲームの中でしか存在しなかった力。それが実在し、遺伝的にも俺に備わっているはずなのだ。  母さんの真似をして、指先から炎を出してみたい。  そうすれば、この凍えるような寒さを少しでも追い払えるし、何より「転生者」としての面目躍如だ。


(イメージは着火マン。いや、もっと強く……ガスバーナーだ)


 俺は誰にも見られないように、部屋の隅で小さな両手を構えた。  へその下、丹田のあたりに意識を集中させる。  そこには確かな熱源がある。俺の「魔力」だ。  血管を流れる血液のように、あるいは体温そのもののように、俺の体の中を巡っているエネルギー。  これを右手の指先一点に集約し、圧縮し、外気との摩擦で発火させる──!


「……ん……ぐぐっ……!」


 俺は顔を真っ赤にして、幼児特有の高い唸り声を漏らしながら念じた。  血管が浮き出るほど気張る。  さあ出ろ、燃えろ、俺のファイアボール!


 だが──。  指先からは、火花ひとつ、煙ひとつ出なかった。  何度やっても、虚しい空気が指をすり抜けるだけだ。


(……あれ? 出ない)


 おかしい。  母さんはあんなに簡単そうに、あくびをするような気軽さで火を生んでいたのに。  俺の指先は、充血してほんのりと赤く、温かくはなっている。魔力は間違いなく指先まで来ているのだ。  だというのに、皮膚という境界線を越えて、空中に炎として「放出」しようとすると、途端にうまくいかなくなる。


 威力が足りない? まだ子供だから?  いや、そういうレベルの話ではない気がする。  もっと根本的な、生理的な「違和感」が、腕全体にこびりついていた。


 腕に残るその違和感を、どう表現すればいいだろうか。


 サラサラと流れるはずの水が、急に粘り気を帯びて泥に変わったような感覚。あるいは、細いストローで濃厚なハチミツを無理やり吸い上げようとしている時の、あの息苦しい抵抗感に近い。  俺の魔力は、妙に「重い」のだ。  体の中を巡っている分には問題ない。だが、いざ体外へ放出しようとすると、まるで磁石が鉄板に吸い寄せられるように、俺の肉体に留まりたがる。  無理に押し出しても、外気に触れた瞬間に形を保てず、ボトリと落ちるように霧散してしまう。


 マッチの火どころか、線香の先っちょ程度の熱量すら維持できない。  これでは、薪に火を点けるどころか、蝋燭の火を揺らすことさえ不可能だ。


(マジかよ……。俺、魔法の才能ナシか?)


 ガクリと膝をつきそうになる。  転生特典で大魔法使いになり、ド派手な爆裂魔法でドラゴンを退治する──そんな妄想が、音を立てて崩れ去っていく。  どうやら俺の魔力スペックは、出力も射程も最低ランク。  これじゃあ攻撃魔法なんて夢のまた夢だ。将来、冒険者になって身を立てるという選択肢にも、早くも暗雲が立ち込めてきた。


 俺は冷え切った自分の手をじっと見つめた。  指先には、行き場を失った魔力がまだくすぶっている。  外に出られず、出口を探してウロウロと彷徨っている熱いエネルギー。  それはまるで、俺の体から離れるのを拒んでいるようにも思えた。


(……いや、待てよ)


 ふと、逆転の発想が頭をよぎる。  俺の魔力がこれほどまでに「外に出たがらない」のなら、無理に出す必要はないんじゃないか?


 放出するから減衰するのだ。  外に出すと消えてしまうのなら、「出さずに、体の中に留めて循環させたら」どうなる?


 俺はイメージを切り替えた。  もはや着火マンではない。  イメージするのは、車のエンジンだ。あるいは、閉鎖されたボイラー室。  せっかく丹田で練り上げた熱エネルギーを、指先から捨てるのではなく、血管というパイプに乗せて、再び全身へと還流させる。  心臓のポンプに合わせて、魔力を加速させる。  外へ向かうベクトルを、すべて内側へ、自分自身の細胞ひとつひとつへと向け直す。


(……おおっ!?)


 変化は劇的だった。  さっきまでの、あの泥のような抵抗感が嘘のように消え失せた。  魔力は、水を得た魚のようにスムーズに体内を駆け巡り始めた。  心臓から送り出された熱い波が、肩を通り、指先へ、そして足の裏へと瞬く間に伝播していく。


 ただ温かいだけではない。  筋肉の繊維一本一本に、見えないバネが仕込まれたような、不思議な万能感。  視界がクリアになり、周囲の音が鮮明に聞こえる。  重力に縛られていた未発達な幼児の肉体が、羽のように軽く感じられる。


(すごい……なんだこれ?)


 俺はその場で軽くジャンプしてみた。  ポーン。  自分でも驚くほどの高さまで、体が浮き上がった。着地の衝撃も、強化された脚力がふわりと吸収してしまう。  これなら、凍えて震えることもない。  ハイハイで移動するスピードも、恐らく倍以上になるだろう。


(なるほど。ドカンと放つのは苦手でも、こうやって内側に作用させて身体能力スペックを底上げするのは得意なのか?)


 俺はニヤリと笑った。  地味だ。あまりにも地味すぎる。  ビームも出なければ、爆発も起きない。見た目はただの幼児が突っ立っているだけだ。  だが、この極寒のサバイバル環境において、自分だけ常にポカポカしていられるというのは、どんな攻撃魔法よりも実用的かもしれない。  それに、この身体強化があれば、もっと色々なことができるはずだ。


 派手な魔法使いへの道は閉ざされたかもしれないが、生存者サバイバーとしての道は大きく開けた。  俺はこぶしを握りしめた。  まずはこの地味な特技を極めて、この冬を生き抜いてやろうじゃないか。


          †


 それから数日が過ぎた。  俺は、もう一つの「実用的な魔法(物理)」を行使する機会を窺っていた。


 この数日、父さんの体調が思わしくなかった。  風邪気味なのか、咳をして寝込む時間が増え、薪集めが捗らないのだ。  母さんが看病に追われる中、暖炉の火は心なしか小さくなり、部屋の温度は下がる一方だった。


 俺自身は、例の「身体強化」のおかげで寒さを感じにくくなっている。  魔力を循環させていれば、薄着でもポカポカと温かい。  だが、それはあくまで対処療法に過ぎない。  俺が温かくても、家に入ってくる冷気そのものを止めなければ、両親が凍えてしまう。


 根本的な解決が必要だ。  俺は強化した腕力と脚力を使い、誰にも気づかれない「高速ハイハイ」で暖炉の前へと移動した。  ターゲットは、壁だ。  丸太を積み上げただけのこの家は、経年劣化で隙間だらけになっている。そこから吹き込む隙間風こそが、室温を下げる最大の要因だ。


(魔法で家を建て直すことはできない。だが、前世の知識を使えば、家の断熱性能スペックを上げることはできる)


 俺は作業を開始した。  用意したのは、暖炉の熱で溶けた雪解け水(泥水)と、炉の中に溜まった灰。そして、床下の乾いた土だ。  これらを適当な割合で混ぜ合わせる。  簡易的な「パテ」作りだ。


 ドロドロになった混合物を、小さな両手ですくい取る。  冷たくて汚いが、そんなことを気にしている場合ではない。  俺はそれを、壁の隙間という隙間に、ギュッ、ギュッとねじ込んでいった。


 この時も、ただ詰めるだけではない。  俺は指先に、あの「重い魔力」を込めた。


(放出するんじゃない。染み込ませるんだ)


 外へ飛ばそうとすると霧散してしまう魔力も、対象に密着させれば、驚くほど素直に従う。  俺の魔力は、泥と灰、そして丸太の繊維の間に入り込み、それらを強固に結びつける「接着剤」の役割を果たした。  イメージは硬化樹脂。  泥パテは、塗った端から魔力によって乾燥・硬化し、まるで石のようにカチカチに固まっていく。


(……いける!)


 これだ。この感覚だ。  俺の才能は「破壊」ではなく「結合」や「変質」にある。  地味な作業だが、指先から伝わる「修復されていく」手応えは、破壊魔法にはない独特の快感があった。


「アド? そこで何をして……あら?」


 不意に、母ハンナの声が降ってきた。  俺はビクリとして作業を止めたが、既に主要な隙間は埋め終わっていた。  母は怪訝な顔で俺に近づき、そして、ふと足を止めた。


 彼女は、俺がパテ埋めした壁に手をかざす。  いつもなら冷たい風が吹き込んでくる場所だ。  だが今は、ピタリと風が止まっている。


「……風が、来てない?」


 母は目を丸くした。  見た目はただの泥汚れだ。子供の泥遊びにしか見えないだろう。  だが、その効果は劇的だった。  隙間風がなくなったことで、暖炉の熱が逃げずに滞留し、部屋の空気は明らかに以前より温かくなっている。


「すごいわ、アド。……ひょっとして、風が入らないようにしてくれたの?」


 母が驚きと優しさの入り混じった表情で、俺を抱き上げた。  泥だらけの手を拭きながら、彼女は俺の頭を撫でる。  俺は言葉の分からないフリをして、ニカっと無邪気に笑ってみせた。


 魔法の才能は平凡かもしれない(少なくとも、火球を飛ばしたりはできない)。  けれど、俺には「知恵」と、この不思議な「馴染む魔力」がある。  魔法で寒さに耐え、知恵で環境を変える。  この二つがあれば、この厳しい異世界でも、なんとかやっていけそうだ。


 俺はこの時、まだ知らなかった。  平凡だと思っていたこの両親が、実はとんでもない実力者であることも。  そして、俺のこの地味な「内向きな魔力」が、将来彼らを驚愕させることになることも。


 運命の歯車が大きく回り出すのは、もう少し先。  俺が一人で外に出られるようになる、四歳の冬のことである。

「ドカンと撃つ」派手な魔法は使えませんでしたが、代わりに「身体強化」と「素材への干渉」という、なんとも職人気質な能力に目覚めました。 地味ですが、こういう能力こそが後々チートになっていく……はずです。


次回は一気に時間が進み、四歳になったアドがついに家の外へ。 そこで運命の出会いが待っています。


「続きが気になる!」「アドくん頑張れ!」と思っていただけたら、 ブックマークや評価ボタンを押していただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします。

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