第1話 未完の結末と、泥だらけの産声
はじめまして、作者です。 「何も成し遂げられなかった男」が、二度目の人生で泥臭く足掻き、知恵と工夫で英雄たちを導く物語です。 派手なチートで無双する話ではありませんが、大人の生存戦略を楽しんでいただければ幸いです。
31話まで書き終わっておりますので毎日投稿いたします!!
まずは第1話、主人公の「終わりと始まり」からどうぞ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。
無機質な電子音が、俺の命のカウントダウンを刻んでいる。 消毒液の匂いと、体に繋がれた無数のチューブの違和感。それすらも、もう遠くの出来事のように曖昧だ。
視界が白い。 天井のシミが、何かの地図に見える。
「……亮くん……」
耳元で、涙に濡れた声がする。 視線を動かす力はもう残っていないが、誰がいるかは分かる。 美咲だ。 高校の同窓会で二十年ぶりに再会し、意気投合して、来月、俺の籍に入るはずだった女性。
その手を、握り返したいと思った。 大丈夫だと言いたかった。 だが、指先一つ動かない。俺の体はもう、俺の命令を聞かなくなっていた。
(ごめんな、美咲)
声にならない言葉が、喉の奥で消える。 四十二歳。末期癌。 体調が悪いとは薄々感づいていた。だが、病院には行かなかった。 いや、行けなかったのだ。 起業した会社を畳み、田舎に帰ってきて、ようやく友人の会社での仕事が軌道に乗り始めた時期だった。「今、休むわけにはいかない」。そんな昭和臭い仕事人間としての矜持が、俺の寿命を縮めた。
走馬灯というやつだろうか。 薄れゆく意識の中で、俺の「中途半端な人生」がスライドショーのように巡る。
俺はいわゆる「就職氷河期世代」だ。 大学を出てもまともな職はなく、ようやく滑り込んだ中堅商社は、今で言うブラック企業だった。 朝七時に出社し、終電で帰る日々。罵声とノルマ。それでも歯を食いしばって十年働いた。 だがある日、上司が犯した数千万円の損失ミスを、俺が被ることになった。「お前のためだ」という常套句と共に退職届を書かされた時の、あの吐き気を今でも覚えている。
次は、勢いで起業した。 必死だった。プライドもあった。 眠る間を惜しんで働き、ようやく黒字化し、従業員も雇えるようになった矢先――世界をウイルスが覆った。 不可抗力。そう言えば聞こえはいい。 だが、経営者としての俺には、この理不尽な嵐を耐え抜く体力も、才覚も足りなかった。 黒字倒産。 積み上げたものが、ガラガラと崩れ落ちる音を聞いた。
そして今だ。 田舎に帰り、古い友人の情けに縋り、ようやく「人並みの幸せ」を掴みかけた。 美咲と二人、趣味のキャンプ道具を買い揃え、「落ち着いたら軽バンでも買って日本一周しようか」なんて笑い合っていた。
その結果が、これだ。
(……何も、成し遂げられなかったな)
悔しさが、熱い塊となって胸を焼く。
高望みなんて、しちゃいなかった。 誰かに崇められるような大金持ちになりたかったわけでも、歴史に名を残すような人間になりたかったわけでもない。
ただ、普通に生きて、普通に働いて。 愛する人と、ささやかな幸せを守り抜いて、老いて死ぬ。 それだけのことが、どうして俺には許されなかったのか。
一度目は社会に。 二度目は時勢に。 そして三度目は、病という運命に。
いつも、あと一歩のところで、俺の人生は理不尽に踏み潰される。
「亮君、嫌だよ……置いていかないで……」
美咲の嗚咽が聞こえる。 俺の人生で、最初で最後の、俺のために泣いてくれる人。
幸せにしたかった。 一緒にテントを張って、焚き火を見ながら、下らない話をしたかった。 パチンコで勝った負けたと笑い合いたかった。
(……したくない)
死にたくない。 まだ、何もしていない。 俺の人生は、ただ耐えて、奪われて、終わるだけなのか。
電子音が、ひと際高く鳴り響く。 視界が急速に黒く塗りつぶされていく。 意識が、深い底へと落ちていく。
もしも。 もしも、次があるのなら。
(二度と、奪わせるもんか……)
その執念だけを最後に、俺の四十二年の人生は、唐突に幕を下ろした。
†
……寒い。
それが、最初の感覚だった。 意識の底から浮上した俺を迎えたのは、病院の空調が効いた快適な温度ではなく、肌を刺すような冷気だった。
目を開けようとするが、瞼が重い。まるで鉛でも乗せられているようだ。 それに、身体が動かない。麻酔が効いているのか? いや、それにしては感覚が鋭敏すぎる。全身が何かの布で強く巻かれているような圧迫感。そして何より、腹の底から突き上げてくるような、強烈な飢え。
「オギャア! オギャアアア!!」
俺の意志とは関係なく、喉から甲高い叫び声が迸った。 なんだこれ。止められない。自分の声なのか? 耳をつんざくような鳴き声に、俺自身の脳がパニックを起こす。
(おい、どうなってる。俺は死んだんじゃないのか?)
混乱する思考の端で、誰かの声が聞こえた。
「……元気な男の子だよ、ハンナ」
しわがれた、老婆の声だ。 直後、ごわごわした布で体を乱暴に拭き上げられる。痛い。 俺の体は布でくるまれ、一人の女性へと手渡された。
「ああ……よかった……」
答えたのは、弱々しいが、安堵に満ちた若い女の声。 直後、俺の身体がふわりと持ち上げられた。 独特の浮遊感に、三半規管が悲鳴を上げる。視界がグラグラと揺れ、ようやく薄目を開けることができた。
ぼんやりとした視界に映ったのは、煤けた木の天井だった。 蛍光灯はない。薄暗い部屋には、暖炉の残り火があるだけで、ほとんど真っ暗だ。 土と、藁と、獣の脂が焦げたような匂いが鼻をつく。
(どこだ、ここは……)
俺を抱いている女性が、困ったように呟いた。
「暗くて……顔がよく見えないわ」 「おや、待っておくれ。今、灯りをつけるからね」
老婆の声がした。 俺の視界の端で、老婆が枕元の古ぼけたランプに手を伸ばす。 マッチも、火打石もない。 彼女は何気ない手つきで、空中で指をパチンと鳴らした。
ボッ。
老婆の指先に、赤い炎が灯った。 手品じゃない。タネも仕掛けもない。何もない虚空から、確かに火が生まれたのだ。 老婆はその指先の火をランプの芯に移し、ふう、と自分の指を吹いて消した。
(……は?)
俺の思考が停止する。 ランプの灯りが、俺を抱く女性の顔を照らし出した。 額には汗が滲み、呼吸も少し荒いが、その表情は穏やかだ。 素朴な綿の服。荒れた手先。だが、俺を見下ろすその碧い瞳には、強い愛情が宿っていた。
「私の……赤ちゃん……」
彼女が俺の頬に、自分の頬を擦り寄せる。 働き者の、少し硬い肌の感触。だけど、温かい。 その体温が伝わってきた瞬間、俺の混乱した思考が、ある一つの事実へと収束していった。
死んだはずの俺。 動かない身体。 老婆の指から出た、魔法のような炎。 そして、赤ん坊としての本能的な号泣。
(まさか……転生、したのか?)
ラノベやアニメで見たことがある、あのお約束の展開。 神様が出てきてチート能力をくれるとか、真っ白い空間で説明を受けるとか、そんなプロセスは一切なかった。 ただただ事務的に、俺という魂が、この新しい肉体に放り込まれたようだ。
それにしても――。
俺は必死に首を巡らせ(それだけで酷い重労働だった)、周囲を確認する。 隙間風の吹く丸太小屋。 粗末だが使い込まれた道具類。 窓の外に見える、吹雪に閉ざされた暗い森。
(お城でもなければ、貴族の屋敷でもなさそうだな)
四十二歳、元経営者の冷静な分析本能が、瞬時に現状を弾き出す。 ここは、文明レベルの低い世界。 そしてこの家は、裕福ではない。開拓民か、猟師の家か。
俺の前世は、氷河期世代のブラック企業勤めから始まり、最後は病室で終わった。 そして第二の人生は、暖房すらない極寒の辺境からスタートらしい。
(……上等じゃないか)
俺は心の中で毒づきながら、母親らしき女性の胸に顔を埋めた。 不思議と、絶望はなかった。 むしろ、身体の奥底から湧き上がる「生」への執着が、俺を奮い立たせていた。
生きていれば、チャンスはある。 さっきの老婆が見せた「指先から火を出す」技術。あれが魔法だとしたら、少なくともこの世界には、俺の常識を超えた「力」が存在する。 なら、希望はある。 仕組みを解明し、利用し、味方につければいい。経営と同じだ。
前世では、掴みかけた瞬間に指の隙間から零れ落ちていった幸せも、今度こそ掴めるかもしれない。
「……名前は、アドリックにしましょう」
母親が、優しい声で言った。
「強く、賢く育つように。父さんが決めていた名前よ」
アドリック。 それが、俺の新しい名前か。 悪くない。何かを積み上げていく(Add)には、良い響きだ。
強烈な睡魔が襲ってきた。赤ん坊の脳は、これ以上の覚醒に耐えられないらしい。 俺は、亮としての記憶と、アドリックとしての本能の狭間で、泥のように眠りへと落ちていった。
これが、何も成し遂げられなかった男の、二度目の人生の始まりだった
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
いきなり極寒のボロ屋スタートですが、主人公アドリック(中身42歳)はへこたれません。 次回、第2話では少し成長した彼が、この世界の「魔法」と向き合い、独自の生存戦略を編み出していきます。
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