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商人たちへの招致と、“市”の準備

 執務室の中、地図と書類が机一面に広げられていた。

 クラウス・ラヴェンダー子爵は地元の市場記録と税収の帳簿に目を通しながら、深く息をついた。


「……市の制度化、か。たしかに実現すれば、秩序ある取引が可能にはなるだろうが――」


 そう独りごちる彼の元に、リリスが小さな書類束を携えて現れた。


「父様、先日お話しした“市”の制度について、具体的な案を詰めてまいりました」


 そう言って机の上に広げたのは、簡素ながら整理された制度案と、収支予測のメモ。

 クラウスはその用紙に目を落とす。


「出店申請制……許可証の発行……検査制度か。なるほど、無秩序な露店よりも信頼を担保できるな。で、出店料は?」


「1日出店あたり1ルアを基本とし、売上に応じて売上の3%を“市税”として徴収します」


「1ルア……まあ常連の商人であれば問題ない額だが、利益の薄い農民にとっては重くならんか?」


「はい。地元農民向けには特例を設け、登録済み農民は出店料を半額の50センに。

その代わり、検査を免除せず、安全性の確認は全員に必須とします」


「ふむ……公平性と安心のバランスを取ったか」


「ええ。それと、出店料と市税は、広場の維持費や警備の人件費、次回以降の運営に充てます。

毎月開催でも赤字にならないよう、モデルを作りました」


 リリスは手元の帳面を開き、必要経費や想定人数のグラフを指差して説明を続ける。

 その緻密さに、クラウスの眉がわずかに上がる。


「……この年齢で、ここまで考えられるとはな」


「この制度が確立すれば、よそからの商人も“安全に取引できる場”として認識し、やがて“わざわざ来たくなる市”になります。そのための第一歩を、今、踏み出したいのです」


「ふむ……だが、制度だけでは人は動かん。“呼び水”が要るな。売るものだけでなく、買う価値がある土地だと思わせなければ」


「はい。それも含めて、次に行うべきは“招致”です。ラヴェンダー領にとって、信頼できる商人を呼び込む必要があります」


 リリスは机の上に、すでに選定済みの商人候補リストを並べた。

 それは彼女がこの半年、取引や視察を通じて信頼を築いてきた商人たちの名前だった。


「このリストにある方々へ、市への参加招待と出店制度の案内、そして簡単な登録申請書を同封して送付したいのです」


「招致状か……面白い。それに、うちには優秀な使者もいるな。あのルビー嬢とやらも、この件に絡めて動かせるのではないか?」


「はい。彼女にも正式に協力を依頼し、今後の市運営における意見や改善案を取り入れたいと考えています」


 クラウスは満足げに頷いた。

 娘の提案は、ただの夢物語ではなく、現実に根差した計画となりつつある。


「よかろう。まずは招致の段取りと、市日第一回の試験開催までの準備を進めていこう。――父としても、領主としても、お前を全力で支えるつもりだ」


 リリスはこくりと頷いた。

 この一歩が、やがて“ラヴェンダー領に来れば得をする”という信頼につながる未来への礎となるのだと、彼女は確信していた。


 午後の屋敷応接間。紅茶の香りが静かに漂う中、ルビーは椅子に軽く身を預け、足を組んでいた。


「……で、今日は“正式な依頼”ってわけね」


「はい。あのときの“市”の構想、今本格的に進めております。その上で、貴商会の協力を改めてお願いしたいのです」


 リリスはまっすぐにルビーの瞳を見つめる。その視線に嘘はない。


「まったく、八歳とは思えないわね……。――でもまあ、帳簿を見たときから、あんたが本気だってことは分かってた。小娘の気まぐれじゃないって、あの数字が証明してたわよ」


 ルビーは紅茶を一口飲んでから、少しだけ真顔になった。


「“市”ってのは、やる側が思ってるよりも、ずっと調整が面倒なのよ。商人を呼べば秩序が乱れるし、税を取れば文句も出る。利益にならなきゃ来ないし、信用がなきゃ売れない。思いつきで回るほど、甘いもんじゃない」


「……承知しています。それでも、やらなければならないのです」


 リリスは鞄から数枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。


「これが、現在検討している“市の運営案”です。規模は当初小さく、収税は低率に。許可制で出店を管理し、粗悪品を取り締まるための最低限の審査制度。買い手にも安心を、売り手にも公平さを確保します」


「ふーん……なるほど、よく練ってある。けど問題は、これを“誰が伝えるか”なのよ。リリス、あんたが現地で直接説明するの? それとも、使者を立てる?」


「現地商人への説明や調整については、できればルビーさんにお願いしたいのです。貴女がいれば、商人たちも耳を傾けてくれるはずですから」


「……あら、持ち上げてくれるじゃない。――でも、悪くない話ね」


 ルビーは軽く目を伏せて笑う。


「この制度、上手く回れば確かに私たちにとっても利益になる。だから協力はやぶさかじゃない。ただし――」


「ただし?」


「制度設計の透明性、情報共有、そして実行責任。どれもおろそかにしないって約束できる?」


 リリスは迷わず頷いた。


「もちろんです。貴女とは、商人として、対等に信頼を築いていきたいと思っています」


「……いいわ。だったら、商会の名にかけて、この“市”に手を貸してあげる」


 差し出されたルビーの手を、リリスはしっかりと握り返した。


 ルビーとの話を終えた翌日、リリスはさっそく市の制度導入に向けた実務の準備に取りかかっていた。


 執務室の一角。帳簿や試算書、ルール案の下書きが並んだ机の上に、リリスは新たな紙束を重ねる。


「これが、出店者向けの案内文……。そしてこちらが“市”に必要な物資の調達リスト。簡易屋台の資材、看板、検査台、徴収所の設置場所……。まずは仮設で十分。コストは抑えつつ、整然とした印象を作らなきゃ」


「リリス様、地元の木工職人には、すでにお声がけしてあります。屋台や案内板の件、快く引き受けてくださるとのことでした」


 背後から控えめな声をかけたのはアイシャだった。書類を持ちながら、そっと傍らに立つ。


「ありがとう、アイシャ。やっぱりあなたは頼りになるわ」


 そう言って、リリスは小さく笑う。


「“市”の制度って、つい商人目線で考えがちだけれど、領民の生活もきちんと視野に入れなきゃ。買い物の導線、荷車の通行、日除けや雨対策まで――」


 そう呟きながら、地図を引き寄せて広場の区画を確認するリリス。


 その目は真剣そのものだった。


「リリス様、いまは準備が山積みですが……ほんの少し、息をついてもよいかと」


「……そうね。つい夢中になってしまうわ。でも、もう少しだけ」


 リリスは椅子にもたれ、ふと窓の外に目をやる。


 そこには、少しずつ春の気配を帯びてきた領地の風景。市場の未来を想像するには、ちょうどいい景色だった。


「“市”が成功すれば、この広場は賑わうわ。いろんな人が集まり、物が動いて、お金が循環して、暮らしが変わっていく。――その中心に、私たちの商会があれば」


 その呟きに、アイシャはふっと微笑んだ。


「きっと、叶いますよ。リリス様の歩みは、すでに未来を変えているのですから」


 夕刻、リリスは新たな帳簿の束を机に広げていた。


「ここからが、いよいよ本番ね」


 目を通していたのは、これまで領内で取引を行ってきた商人たちの記録だった。商品の種類、仕入れ量、販売先、滞在期間、評判――記された内容は多岐にわたる。


「優先的に声をかけるのは……誠実な商売をしてくれる人。できれば地元の農産物や保存食と相性のいい商材を扱っている人たちが理想ね」


 その判断基準は、数値や利益だけではない。リリスの視線は、記録の片隅にある「村人との関係良好」「トラブルなし」「礼儀正しい」といった備考欄にも向けられていた。


「リリス様、先ほどクラウス様から“領主印の発行についても検討を進めてよい”とのお言葉がありました」


「本当に……? あの印が使えれば、信頼性は段違いになるわ」


 領主印とは、子爵家が正式に発行する“公認証明”のしるし。市での信用担保として大きな意味を持つ。


「それなら、選定した商人にだけ“優先出店証”と共に印付きの招致状を送ることにしましょう」


「かしこまりました。郵便係と書記係にも、招集をかけておきます」


 リリスは小さく頷き、アイシャと共に招致リストの作成に取りかかった。


「まずは十五人を目安にして、出店者の顔ぶれを整える。来られない場合も想定して、候補は三十人以上リストアップしておいて……」


 その目には、もう一度未来を描く光が宿っていた。


「“市”は、売るためだけの場所じゃない。“買いに来たくなる場所”にするのよ」

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