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ただいま、わたしの居場所へ

 ヴェルヴェー抜けの令嬢とのお茶会を終えたその後、王都の空は晴れ渡っていた。

 日差しが石畳を照らすなか、ラヴェンダー子爵家の小さな馬車がゆっくりと街を抜けていく。


「いよいよお屋敷に帰れるんですねっ」

 向かいの席で、セラが目を輝かせながらはしゃいだ声を上げる。

「……ええ、やっと」


そういいつつセラは思う

(今回私何もしてないな…まあ護衛が何もしない事は良いことなんだろうけども)


 リリスは微笑みながらも、窓の外に目を向けた。

 見慣れた建物も、人の波も、もうしばらくは目にすることもない。けれど、どこか胸の奥に残るのは、単なる疲れや寂しさではなかった。


 ――エレオノーラ・ヴェルヴェーヌ。


 今日の、招かれたお茶会を思い出す。

 凛とした佇まいと落ち着いた声音、そしてあのどこか不器用な距離感。


(……まだ、警戒は解けないわ)


 友好的な笑みの裏に、貴族特有の計算を感じなかったとは言い切れない。

 だが同時に――それだけでは片付けられない、妙な親しみやすさもあった。


(……面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だけど、あの人には……何か、引っかかる)


 思考を遮るように、アイシャがそっと声をかける。

「リリス様。お身体、お疲れではありませんか? お顔に影が落ちております」

「……大丈夫よ。ちょっと考えごとをしていただけ」


 リリスはそう言いながら、背筋を伸ばした。

 この数日で、王都で見たもの、感じたこと、学んだこと――

 すべてを、自分の領地に持ち帰らなければならない。


(ただの視察ではない。わたしは、変わらなきゃいけない)


 馬車は城下を抜け、ゆるやかな道を郊外へと進んでいった。


 数日間の馬車の旅の後にラヴェンダー家の屋敷に戻ると、いつもの懐かしい香りが出迎えてくれた。

 開いた玄関扉の向こうに、母リシアと弟ルーファス、そして妹ルシェルの姿が並んでいる。


「おかえりなさい、リリス!」

「おねーちゃんっ!」

「お姉しゃまっ!」


 二人の弟妹が一斉に駆け寄ってくる。

 リリスはその勢いに目を細めながら、優しく両腕で抱きとめた。


「ただいま、ルーファス、ルシェル。……寂しくなかった?」


「……ちょっとだけ」


 ルーファスが照れ隠しのように呟き、ルシェルはリリスの腰にしがみついたまま小さく首を横に振った。

 その様子に、リシアも静かに微笑んで言葉をかける。


「ずいぶん顔つきが変わったわね、リリス。王都で何か……大きな収穫でもあった?」


「ええ、母さま。王太子殿下やアメリア王女殿下とお話しする機会がありましたし――」

 リリスは少し言葉を切り、奥の応接間に移動してから、王都での出来事をかいつまんで報告した。


 王子たちとの初対面。

 アメリアとの会話で得た考察や視点。

 そして――辺境伯令嬢エレオノーラからのお茶会への招待と、そのやりとり。


 リシアは途中で口を挟むことなく、静かに話を聞いていた。

 すべてを聞き終えたあと、わずかに眉をひそめて口を開く。


「……そのエレオノーラ嬢、あなたに何か特別な――特に悪い感情を持っているようには見えた?」


「ええと……どうでしょう。まだ何とも。でも、油断はしないようにします」


 リリスはそう答えながらも、内心では複雑な思いを抱いていた。

 あの令嬢がただの情報収集だけを目的に自分に接してきたとは、思えなかった。


(……わたしをどう見ていたのか、もっと知りたい)


「でも、全体的には好意的でした。下に見られていたわけではないと、思います」


「そう……ならよいわ。でも、相手は辺境伯家。決して気は抜かないようにね」


「ええ、母さま」


 短いやりとりのあと、ルーファスとルシェルが「もっとおねーちゃんと話す!」と駆け寄ってきて、話は一時中断された。


 屋敷の裏手――草地が広がる空き地を前に、リリスは立ち止まった。


「……ここ、日当たりもいいし、水場も近い。鶏舎を建てるにはちょうどいいわね」


「ですが、完全に荒れ地です。整備にはそれなりの人手が必要かと」


 横に控えるアイシャが、手帳を開いて確認する。


「敷地面積は問題ありません。あとは資材と建築手順、餌の調達ですね。飼料となる野菜くずや干し野菜の配分も含めて、計画が必要です」


「ふふ……課題が山積みね。でも、やる価値はあるわ」


 リリスは周囲を見回しながら、すでに頭の中で作業手順を組み立て始めていた。

 王都で見た“溢れる卵料理”の光景が、今も脳裏に焼き付いている。


(あの卵……ふわふわのオムレツ、半熟の目玉焼き、カスタードのタルト……)


(――あれを、いつか、この土地でも)


「この計画、最優先で進めるわ。資金繰りの試算、今日中にお願い」


「かしこまりました、リリス様」


 空き地を見渡しながら、リリスは静かに息を吐いた。


(ただ……まずは、もっと使える資金が必要だわ)


(今はせいぜい、わたくしの裁量で動かせるのは百ルア前後。これでは、鶏舎を一つ建てるのも難しい……)


 リリスは胸元の帳簿をぎゅっと抱きしめるようにして考え込む。


(まずは我が家で、小規模でも養鶏を試してみる。それと並行して、今の商売も継続……それで資金を回していく)


(もしこれがうまく行けば――商会を立ち上げて、直営で養鶏をしてくれる人たちを募る。

 鶏が安定して卵を産んでくれれば、鶏肉も副産物として活用できるわ)


(そう、これが回れば、きっと広がる。養鶏が“産業”になる。子爵領の新たな柱として、誰もが卵を手に取れる時代が来る……!)


 拳を握るリリスの目には、未来の市場の風景が浮かんでいた。


(……そのためには、まず家の体制を立て直さないと)


(今はどうにかメイドたちでやり繰りしてくれているけれど、ルーファスとルシェルには、ちゃんとした乳母か、せめて専属の世話係が必要)


(父様と母様にも、もう少し余裕のある生活を――わたくしが、この家を、ちゃんと“守れる形”に整える)


 そう心に決めた瞬間、アイシャが隣でそっと声をかけてきた。


「……少し、顔が険しくなっています。無理はなさらずに」


 我に返って、リリスは頬をゆるませた。


「ふふ、大丈夫よ。まだ始まったばかりだもの」


 そしてふと、脳裏に浮かぶ――


 とろりと黄身が溶ける目玉焼き、ふわふわのオムレツ、濃厚なソースをまとったエッグベネディクト。

 あの日、夢見た「お腹いっぱい卵料理を食べること」が、手の届く場所にあると知ったときのときめきを、リリスはまだ忘れていなかった。


(いつかこの国中に、わたくしの大好きな“卵料理”が溢れたら――)


(それこそが、子爵令嬢としての“わたくしの夢”だわ)


 もう一度、リリスは小さく拳を握りしめた。


 夜更けの執務室には、暖かなランプの灯りが揺れていた。


 リリスは父・クラウスの向かいに座り、手元の帳簿とメモを開いていた。


「王都でのやり取り、すべてお伝えしますわ。……まずは、王太子殿下とのお茶会についてです」


 クラウスは真剣な面持ちで娘を見つめ、黙って頷いた。


 リリスは、どこに気を配ったか、誰がどんな発言をしたか、何を意図していたか――

 可能な限り細やかに分析しながら語っていく。特に、王太子エリアスやアメリア王女、そしてエレオノーラとのやりとりには重点を置いた。


「……つまり、あの場でわたくしに興味を示していたのは、殿下の思いつきではなく、周囲が動き始めている兆しかもしれません」


 その報告に、クラウスの目がわずかに細められる。


「辺境伯令嬢、そして太陽のような尊厳を持つ方たちに目をつけられてしまったか……ここからは、だいぶ慎重にならないと危ういぞ」


 そして彼は、低く続ける。


「ラヴェンダー家が、再び王都の目に留まる――それは良くも悪くも、我々に試練をもたらすだろう」


 リリスは静かに頷いた。


「ええ、ですからこそ、今のうちに備えたいのです」


 クラウスはふっと笑い、娘の額に手を伸ばして軽く撫でた。


「お前は……私が驚くぐらい立派になったな。だが、どうかまだ“子供のままの心”は忘れずにいてくれ。背伸びしすぎて折れることのないようにな」


 その言葉に、リリスは少し驚いたように目を見開くと、静かに頷いた。


「はい、父様」


「なあ、リリス…お前は何になりたいのだ?もし子爵家を継ぎたいと思うのであればそれもやぶさかではない、ルーファスも反対はしないだろう」


「いいえ、お父様。私はルーファスがこの地を安心して継げる基盤づくり、そしてルシェルがきちんと幸せに嫁げる基盤づくりをしたいのです。私自身は爵位も必要なければ無理に貴族の令息と結婚したいとも思っておりません。」


「だが、この国で貴族令嬢の幸せと言えばいかに良い条件の相手に嫁げるかだぞ?」


「多くの貴族女性にとってそれは幸せなのでしょう、しかし私にはそこに幸せを見出せそうにないのです。旦那を支えて後ろで控えているよりも、自分のしたいことをして皆の笑顔を作っていきたいのです。」


「そうか…その道は決して楽ではないだろう、だがリリスがそれを目指したいというなら私もリシアもそれを応援できるようにしよう、まあまずは子爵領をきちんと立て直さねばならんがな…」


父の声は非常に深く重く、リリスの心に響いた


 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、リリスはそっと視線を落とす。


「……ありがとう、父様。きっと、ラヴェンダー家を良い方向へ導いてみせます」


 強くはない、けれどしっかりと芯の通った声でそう言い切ったリリスに、クラウスは静かに目を細めた。


「ならば、まずは明日からの計画だな。焦らず、だが怠らずに進むのだぞ」


「はい、父様!」


 ひとときの温かな時間が流れ――その夜。


 リリスの寝室に戻ったアイシャは、机に向かって帳簿を広げたままの主の姿にため息をついた。


「お嬢様、もう夜も更けております。お体のためにも、今日はそろそろお休みを」


「……うん、わかってるわ。でも、あと少しだけ……」


「“少しだけ”が長くなるのが、お嬢様の悪い癖です」


 そう言いながらも、アイシャはそっとブランケットをリリスの肩に掛けてやる。

 その優しさに、リリスはくすっと笑った。


「ありがと、アイシャ。……でも、どうしても考えずにはいられないの。

 私のやりたいこと、やるべきこと……家族の未来、領地の未来……それに――」


 そこまで言いかけて、リリスはふと目を閉じた。

 脳裏に浮かんだのは、王都で出会った人々、かわした言葉、見つけた夢。


「やっぱり、卵料理のバリエーションももっと増やしたいわね……。

 エッグベネディクトのこと、まだ忘れてないもの。あれは絶対、皆を笑顔にできる味になるわ」


 そう呟いて、リリスはゆっくりとペンを置いた。


 明日は、新しい一歩を踏み出す日になる。

 そんな予感とともに、夜は静かに更けていった。

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