ヴェルヴェーヌ家のお招き、あの子にもう一度会いたくて
その日のヴェルベーヌ家――エレオノーラは母の部屋に呼び出され、母親と向かい合っていた。
母の声は落ち着いているものの、その言葉には反論の余地を与えぬ圧がこもっている。
「王太子殿下が、子爵家ごときの令嬢を妃にするとは考えられないわ。けれど、“目をかける”というだけでも前代未聞のこと。だからこそ――王太子妃候補であるあなたが、その子と近づいて“どういう関係なのか”、“殿下が何をお望みなのか”を探るのよ」
「……わかりました、お母様。領にお戻りになる前にお目にかかれるよう、使いの者を出します」
恭しく答えたエレオノーラだったが、内心では母の意図とは異なる別の思いが芽生えていた。
(リリス・ラヴェンダー子爵令嬢――あのときの茶会で見せたあの凛とした態度、堂々とした物言い。……あれは、なかなか格好良かった)
(小さな子爵家の娘なのに、どうしてあそこまで自信を持っていられるの?)
(……もう一度、ちゃんと話してみたい。もしも友達になれたなら、きっと、私……もっと輝ける)
そう心に決め、エレオノーラは椅子から立ち上がった。
その瞳には、単なる任務以上の期待と、微かなときめきが宿っていた。
そしてお茶会当日、リリスがヴェルヴェーヌ家へと訪問すると案内された客間の扉が開かれエレオノーラがやわらかな笑みを浮かべて立っていた。
「突然の招待でごめんなさいね、昨日はお疲れだったでしょう? きちんと休めたかしら?」
丁寧な気遣いに、リリスは椅子から立ち上がり、礼を取った。
「はい、お心遣いありがとうございます。おかげさまで、ゆっくりと休ませていただきました」
二人が向かい合って腰を下ろすと、ティーカップが静かにテーブルへと置かれた。
エレオノーラはその香りを一度楽しむように目を閉じてから、リリスを見つめて言った。
「ええ……仲良くなれたらと思うの。あなたとね」
「お互いの領地も近いし、仲良くしておいて損はないと、あなたもお思いでしょう?」
その言葉に、リリスはほんの少しだけ首を傾げると、静かに答えた。
「光栄ですわ、エレオノーラ様。ですが、辺境伯家のご領地と、当家の子爵領では栄え方など、あまりに差があり過ぎます。……エレオノーラ様には、そこまでのメリットはないのでは?」
一瞬、エレオノーラのまつげが震える。
「え……それは、その……やっぱり、そのような場合でも周囲の貴族との関係性は大事だと思っているから。あまり気にしないで」
(ち、違うのよ! あなたと仲良く……できればお友達になりたかったなんて……言えないわよっ!)
ひとしきり会話が弾んだ後、エレオノーラはふとティーカップを置いて、さりげない調子で口を開く。
「そういえば――昨日の王宮のお茶会、王太子殿下やアメリア王女殿下と、随分と親しげにお話しされていたそうですわね?」
その言葉に、リリスはカップを持ったまま目を細めた。問いかけは柔らかいが、その裏にある“意図”は明らかだ。
「……“親しげに”というよりは、たまたま話す機会をいただいただけです。王太子殿下は場を仕切っておられましたし、アメリア王女殿下はとても聡明なお方でした」
「“たまたま”にしては、ずいぶんと印象的なやり取りだったと聞きましたわ。あの場で貴族たちを相手に冷静に意見を述べるなんて……どこでそのような考えを?」
問いに対し、リリスはあえて数秒の沈黙を置く。無用に答えを急がず、視線をテーブルの帳簿に落とすような仕草を見せながら――
「……わたくしの家は、もともと“何もない家”でした。父も母も、家族のことで手一杯で。お金も、時間も、余裕もなくて――考えることが、生きるための手段だったんです」
「生きるため、の手段……?」
「はい。理想より、現実。お金や食糧の管理は、子どもでもできる。でも、それをどう使えば“守れるか”を考えるのは……貴族であっても、案外やらないことですから」
静かに紡がれるリリスの言葉は、ひとつひとつが芯を持ち、どこか凛としている。
(……やっぱり、この子……ただ者じゃないわ)
エレオノーラの胸に、再びあの日と同じ感情が湧き上がる。年下の令嬢とは思えないその瞳に、思わず見入ってしまいそうになる。
「でも――そんな風に割り切って考えるなんて、時には寂しくならない?」
「そうですね。……だからこそ、少しだけ“夢”も持つようにしているんです」
リリスは微笑む。その顔に浮かぶのは、ただの現実主義者ではない、未来を見据える少女の顔だった。
数杯目の紅茶に手を伸ばしながら、エレオノーラがちらりと笑みを浮かべる。
「リリスさん――いえ、リリス、と呼んでもよろしいかしら?」
その言葉に、リリスは少しだけ眉を上げた。
「……構いませんけれど、少し意外でしたわ。エレオノーラ様のようなご身分の方が、私のような者にそんな風に親しげな呼び方をされるなんて」
リリスの穏やかな返しに、エレオノーラは気まずそうに微笑んだあと、ほんの少し顎を上げて言う。
「わたくし、名前で呼び合える“友達”は、そう多くはありませんのよ? ――けれど、リリスとはもっと仲良くなれる気がして」
その声音はどこか自信に満ちているが、微かに赤くなった頬が、彼女の本心を物語っていた。
リリスは一瞬、口元に微笑を浮かべたあと、小さくうなずく。
「……では、わたくしも“エレオノーラ”と呼ばせていただきますわ。お名前だけは以前から知っておりましたもの」
「まあ……そう言ってもらえると嬉しいわ、リリス」
(ふふ、よかった……これで、少しは“距離”が縮まった……はずよね)
心の中でそう安堵するエレオノーラだったが、その顔はやや硬いまま。
(名前を呼ばれただけで、なんでこんなにドキドキするのよ……!)
「本当に……あなたって、変わっているのね」
ふと、エレオノーラがそう口にした。感心でも、否定でもない。評価を定めきれないまま、ただ、胸のうちから漏れたような一言だった。
リリスは少しだけ眉をひそめる。
「……そうでしょうか?」
「ええ。でも、悪い意味じゃなくて。“貴族の子女”ってこうあるべき、という枠にあなたは収まっていない。だからこそ……目を引くのよ、きっと」
エレオノーラは、自分でも驚くほど素直な言葉を口にしていた。
これまで多くの貴族子女と交流してきた。誰もが似たような礼儀作法を身につけ、似たような振る舞いをする中で――この子は、どこか違った。
(……ただの興味のはずよ。なのに、どうしてこんなに気になるの?)
内心のざわめきを抑えるように、エレオノーラは話題を切り替えた。
「ねえ、リリス。もし“今後も”こうしてお茶をしたり、お話できる機会があったなら……あなたはどう思うかしら?」
「わたくしは、構いません。ですが――」
リリスは言葉を区切り、相手の瞳をまっすぐに見つめる。
「お互いの立場を、冷静に弁えた上でのことなら。わたくしは、無理に背伸びして付き合う気はありませんもの」
それは遠回しな警戒心。だが、相手を否定する意図はなかった。むしろ、相手を“対等な関係”として尊重するがゆえの距離の取り方だった。
その言葉に、エレオノーラは胸を突かれた気がした。
(なんなのよ、この子……)
「ふふ……ふだんなら“友達になりましょう”って言えるのに、今日はなぜか……その言葉が出てこないわね、わたし」
茶化すように言ってはみたが、自分でも少し顔が熱くなるのが分かった。
ただの“関心”にしては、自分の感情は揺れすぎている――けれど、それを直視するにはまだ早すぎた。
楽しい時間は、思いのほか早く過ぎていた。
「今日は、来てくれてありがとう。短い時間だったけれど……とても有意義だったわ」
エレオノーラが立ち上がり、リリスの方を振り向く。
その姿は、先ほどまでよりもほんのわずか、柔らかい雰囲気を纏っていた。
「わたくしこそ。こうして丁寧にお招きいただき、光栄ですわ」
リリスもまた、品よく立ち上がり、裾をつまんで小さく一礼する。
エレオノーラは一瞬、何かを言いかけて、しかし首を振った。
「また……いつか、ぜひお話しできると嬉しいわ。リリス」
初めて名前で呼ばれたその響きに、リリスは軽くまばたきをした。
「ええ。その機会があれば、わたくしも楽しみにしています」
――この関係が、これからどうなっていくのか。
まだ、その答えはふたりの胸の内にあった。
リリスが屋敷を辞すとき、扉の影からちらりと覗いていたエレオノーラは、小さく息を吐いた。
(あんな小さな子に……なんだってわたし、こんなに振り回されてるのかしら)
でも、それは不快なものではなかった。むしろ、ほんの少しだけ胸が高鳴っていた。
一方で、馬車の中のリリスもまた、窓から遠ざかる屋敷を眺めながら呟いた。
「……一体、何を考えていたのかしら。あの方は」
どちらにとっても、今日の出会いは「終わり」ではなかった。
――小さな違和感と、ほんの少しの好奇心。
それが、また次の再会を引き寄せていく。
やっと一番出したかったキャラを出すことができました…




