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ドレスに託す、未来の私

 早朝の風が頬を撫でる。朝露に濡れた石畳を、リリスは軽やかな足取りで歩いていた。目指すのは、いつもの市場。その先にいる、信頼できる相棒のもとへ――。


(今日こそ、きちんと相談しなきゃ)


 胸の中で小さく息を整える。前を歩くアイシャは振り返らずに進んでいたが、リリスの足音の速さに気づいたのか、ほんの一瞬だけ振り返って彼女を見やる。


「お嬢様、急ぎすぎでは?」


「ううん。ちょっと……気がはやってるだけ」


 照れ隠しのように笑いながら答えると、アイシャは小さくうなずいて再び歩き出した。


 王都で開かれる子供たちのお茶会――

 その知らせを受けてから、リリスの胸の中には一つの焦りが芽生えていた。相手は近隣領の令嬢たち。なかには王族もいるという。そんな場所に、ただの“商売好きな子爵令嬢”として現れれば、間違いなく冷ややかな視線を浴びるだろう。


(お茶会って、きっと見た目もマナーも、全部が“勝負”になる場だわ)


 いくら言葉で頑張っても、第一印象がすべてを左右する。今の自分に足りないもの――それは、誇りをまとえる「見た目」だった。


(あのドレスじゃ、きっと浮いてしまう。質素なだけで、印象にすら残らない)


 リシアに選んでもらったまだ見れる礼服もあったが、それは“質素な貴族の娘”でしかない。今、必要なのは――「未来を語るための装い」だ。


 その時、ふと前方に見慣れた赤みのある髪がふわりと揺れるのが目に入った。


(ちょうどよかった……ルビー)


 彼女の姿が、市場の一角で帳簿を手に商品を見渡しているのが見えた。今日の目的は、ここからが本番。リリスはぐっと小さく拳を握った。


(出世払いだからこそ、ちゃんと“お願い”しなきゃ。中途半端な気持ちでは、失礼になる)


 胸の内に湧いた小さな不安を振り払うように、リリスは足早にルビーのもとへ向かっていった。



 「つまり、昨日言ってた通り今後しばらくは委託でってことね? ――大歓迎よ!」


 ルビーはにっこりと笑いながら、石畳の通りをリリスと並んで歩く。商人街の喧騒のなかで、その声は妙に軽やかだった。


 「ほんとに? 助かるわ……」


 リリスがほっと息をつくと、ルビーは肩をすくめて言う。


 「実はね、リリスが頼んでくれるの、けっこう楽しみにしてたのよ。うちの商品に“売れ筋”があるって、誇らしいもの」


 「そんな風に言ってもらえるなんて……」


 「それに、あなたの瓶詰めや石鹸って、何気にリピーターもついてきてるわ。中には“いつ出るの?”って聞きにくる人もいるくらい」


 「えっ……それって、すごいことよね?」


 「ええ。しかも、“どこで作ってるの?”って聞かれても秘密にしてるから。少しミステリアスな商品って、なおさら惹かれるのよ」


 「……ありがとう、ルビー。本当に頼りにしてるわ」


 「ふふ、じゃあもっと頼っていいわよ? それと――」


 ルビーはリリスの服の裾をじっと見つめて、にやっと笑った。


 「せっかくのリリスを着せ替え人形みたいにできるなんて、楽しすぎて困るくらい」


 ルビーは軽口を叩きながら、目を輝かせて布地を選び始めた。


 『マジでこんなかわいい子を着せ替え人形にする機会なんてめったにないし、楽しんじゃおう!』


 その内心の声を悟られぬように、表情はあくまで落ち着いた“大人の女性”を装っている。


 「だったらこっちがお金取りたいくらいだわ!モデル料って事で!!」


 リリスが頬をふくらませて返すと、ふたりは顔を見合わせてクスリと笑い合った。


 「あはは、それでもいいわね。こっちはむしろ払う側でも納得できるかも。着せ替え甲斐があるんだから」


 二人は思わず笑い合う。


 リリスはふっと笑いながらも、内心で(ルビーに頼れて本当によかった)と胸をなでおろしていた。これで、ドレスのことも、少し安心できそうだ――。



 応接間の扉が静かに開き、ルビーが丁寧な所作で一礼する。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。ルビー・カーマインと申します」


「ようこそお越しくださいました。ラヴェンダー子爵家の妻、リシアと申します。お嬢様がいつもお世話になっておりますわ」


「いえ、こちらこそ。お嬢様にはいつも感心させられっぱなしです。そして奥様も……とてもお若くていらっしゃって、気品があって……リリス様と並んでいらっしゃると、姉妹のように見えるくらいですわ」


「ふふ、まぁ。お世辞でも嬉しくなってしまいますね」


 ルビーの軽やかな言葉に、リシアは楽しげに笑いながらもどこか誇らしげな表情を見せた。


 そしてルビーは、改めてリリスとルシェルに視線を向け、ふわりと微笑む。


「こうしてあらためて見ると……リリス様は本当に可愛らしい方ですね。まるで上質な磁器のドールみたい。どんな衣装でも似合いそうで、着せ替え人形にできるなんて、楽しすぎて困るくらいです」


 ルシェルにも視線を移した瞬間、ルビーの心に再び熱がこみ上げる。


『この妹ちゃんも、なんて愛らしいの……! こんな姉妹を同時に着飾れる機会なんて、滅多にないわ。マジで楽しんじゃおう!』


 そんな心の叫びを抱えながらも、ルビーは笑顔を保ったまま続けた。


「そして……妹君もまた、若々しくて気品があるお顔立ち。お姉さまによく似ていらっしゃるわ」


「まぁ、ありがとうございます。ルシェル、きちんとご挨拶をして?」


 リシアに促され、ルシェルがそっとリリスの隣から一歩前に出る。


「はじめまして。ルシェル・ラヴェンダーでしゅ……!」


 舌足らずな声で、しかし丁寧に頭を下げるルシェルの姿に、ルビーは思わず頬を緩めた。


「はじめまして。とても立派なご挨拶ですね、ルシェル様。お姉さまと並んでいらっしゃると、おふたりがまるで童話から出てきたようですわ」


 ルシェルの様子を見たリリスが、ふとルビーに目を向けて小さく告げる。


「……今回は急ぎで、わたくしのドレスを優先でお願いしたいのですけれど……もしよろしければ、お母様の分も、新しいドレスを仕立てていただけませんか?」


 ルビーが反応する前に、リシアが苦笑を浮かべる。


「でも、わたくしはもう何年も社交の場に出ておりませんし……今さら新しく仕立てるだなんて、もったいないですわ」


 それに対して、リリスはまっすぐに言葉を返す。


「けれど、お母様――もう、何年も新しいドレスをお仕立てになっていないでしょう? わたくしの自慢のお母様には、いつまでも美しくいていただきたいのです」


 そのひとことに、リシアはそっと胸元で手を組み、目元を押さえた。


「……もう、そんなことを言われたら……泣いてしまいそうですわね……」


 リシアの様子に、ルビーはくすっと笑いながらリリスの耳元に寄ってささやく。


「……あんまり調子に乗ると、あとで痛い目見るわよ?」


 リリスも小さく笑って返す。


「後悔なさるようでしたら、最初から引き受けなければよかったのですわ?」


「ほんと……そういうとこが、憎たらしいくらい可愛いのよね。あなたって子は」


 そしてルビーは、改めてルシェルの方に視線を向けた。


「ねえリリス、ルシェル様のドレスも合わせて仕立てていい? もちろん、こっちも出世払いでいいわ!」


 リリスはくすっと笑いながらうなずく。


「お願いできますか? ルシェルには、わたくしと一緒に並んでも恥ずかしくない装いをさせたいんです」


「お安い御用! ――それにしても、さすがお嬢様の妹さんね。若々しくて、可愛らしくて、気品もあって。きっと素敵なレディになりますわ」


「まあ……ありがとうございます。そう言っていただけると、母として嬉しいですわ」



 採寸がひと段落し、応接間にあったサンプルの生地や装飾品も少しずつ片付けられていく頃――ルビーが帳面を開いて内容を確認しながら、ふとリリスに問いかけた。


「そういえば、あと二週間もないんじゃなかった? さすがに新調するのはギリギリじゃない?」


 リリスは小さくうなずくと、やや困ったような表情を浮かべた。


「はい。ですので、本当は無理をお願いしてしまっている自覚はありますわ。でも……」


 そこで言葉を切り、リリスは応接間の窓の外――初夏の光にきらめく庭の緑を見やった。


「でも、どうしても中途半端な格好では出席したくありませんの。あの場所に立つには、“わたくし自身が誰なのか”を、姿で伝えなければいけない気がするんです」


 その言葉に、ルビーは帳面を閉じてから真剣なまなざしを返す。


「……リリス。そういうところ、本当にあなたらしいわね」


 そう言いながらも、口元にはすっと笑みが浮かぶ。


「なら、急ピッチで仕上げてみせるわ。わたしがこの道を歩いてきたのは、こういう時のためでもあるんだから」


 「ありがとう……ルビー。本当に、頼りにしていますわ」


 「当然でしょ? あなたが“着るべきドレス”を仕立てるのは、わたしの誇りでもあるんだから」


 堂々とそう言い切るルビーに、リリスは深く頭を下げた。


 その背中を、リシアとルシェルも静かに見守っていた。誰よりも若く、そして誰よりも強く在ろうとする少女の背を――。

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