心からの安心と家族、そしてお姉ちゃん争奪戦
昼前の市場は、活気に満ちていた。朝ほどの混雑は落ち着いたものの、陽の光に照らされた果物や野菜が鮮やかに並び、焼き菓子の香ばしい匂いが風に乗って漂っている。
リリスは、いつものように籠を片手に市場を歩いていた。今日もアイシャとふたりきり。ルシェルとルーファスは屋敷で待っている。
「卵は……今日はもう少し多めに買っていこうかな」
ふと立ち寄った卵売りの屋台には、白く丸みのある新鮮な卵が並んでいた。前回は三つしか買えなかったけれど、今回は違う。
「すみません、この卵を六つください」
「はいよ、お嬢さん。今日はよく売れてるよ、早めに来て正解だ」
屋台の親父さんが笑いながら、丁寧に卵を紙で包んでくれる。
リリスはその包みを受け取ると、思わず胸が熱くなった。
(六個も買えるなんて……わたし、ちゃんと稼げてるんだ)
籠の中の卵をそっと見つめながら、リリスは屋敷のキッチンを思い浮かべた。今日の夕方は、ルーファスとルシェルにチーズ入りのふわとろオムレツを作ってあげるつもりだ。
「アイシャ、今日のオムレツ、チーズを入れた特別バージョンにようと思うんだけどチーズってあったかしら?」
「もちろんです、リリス様。リナさんからそのあたりの在庫のことは伺っております。リリス様が作るとなれば、きっとおふたりとも飛び跳ねて喜びますよ」
アイシャの軽やかな声に、リリスは微笑んで頷いた。
そんな何気ないやりとりが、どこまでも幸せで、愛おしかった。
(お姉ちゃんの特製オムレツ、きっとふたりとも気に入ってくれるはず)
籠を腕に下げながら、リリスは市場の喧騒の中を、いつもより軽やかな足取りで歩き出した。
——この日の卵は、いつもよりも少しだけ重く、けれどその分だけ、しっかりと未来の希望が詰まっていた。
「ただいまー!」
屋敷の扉を開けると、まず最初に飛びついてきたのはルーファスだった。
「おかえりおねーちゃん!今日も卵、買えたの?」
「ええ、今日は六個も買えたのよ。お金も少し余裕ができてきたからね」
「やったー!じゃあ、あのふわとろのオムレツ食べたい!」
「オムレツ……?」と、隣にいたルシェルが小さく首をかしげる。
「ふわとろのオムレツっていうのはね、卵をやさしく焼いて、とろっとしてて……すっごくおいしいの!きっとルシェルも好きになるよ!」
説明するルーファスの目は輝いていて、まるで宝物を見せるような笑顔だった。
「……たべたい……」
ぽそりと呟いたルシェルの声に、リリスはそっと微笑みを返した。
「じゃあ、今日はお姉様が作ってあげるわね」
そのとき、台所からリナが現れた。
「それでしたら、お嬢様。今日はチーズも入れてみませんか?最近は冷蔵の余裕も出てきたので、少しは常備できるようになりましたし」
「まあ、わたしもちょうどそれを考えてたのよ!さすがリナね、よくわかってる!」
リリスの隣で、アイシャが誇らしげに胸を張る。
「これも、リリスお嬢様がしっかり稼いでいるからこそですよ」
「ふふっ、じゃあ今日はとろっとろのチーズ入りオムレツにしましょう。リナ、準備お願いできるかしら?」
「もちろんです、お嬢様」
「おねえしゃま……つくるの、たのしみ……!」
リシェルの小さな手が、リリスの袖をそっと掴んだ。
(うん、今日はとびきり美味しいオムレツを作ってあげよう)
リリスの心が、ほんのりと温かくなった。
キッチンには、卵とチーズ、そしてリナの用意してくれた新鮮な野菜が並んでいた。
リリスはルシェルに手を引かれながら、エプロンを着けた。ルシェルも自分の小さなエプロンを嬉しそうに着けている。
「ねぇねぇ、お姉しゃま、たまごはまあるいのね?」
「そうよ。これを割って、中身をボウルに入れるの。よく見ててね」
ぱかっ、とリリスが器用に卵を割ると、ルシェルは「わぁ……!」と小さく感嘆の声を漏らした。
「じゃあ、これをよく混ぜて……チーズも細かく刻んで入れて……」
「お姉しゃま、すごい……なんだか、お母さんみたい……」
「ふふっ、それを言ったらお母様が寂しがるわよ」
「えへへ……でもほんとに、やさしくて、すてき」
「もー……私はまだ八歳の子供なのよ?」
照れくさそうに返すリリスの言葉に、ルシェルはくすっと笑って、また「お姉しゃま、だいすき」と囁いた。
(この子の笑顔を、もっとたくさん見たい)
心からそう思いながら、リリスは丁寧にオムレツの仕上げに取り掛かった。
食卓には、焼きたてのチーズ入りふわとろオムレツが並べられていた。ふんわりと立ちのぼる香りに、ルーファスもルシェルも目を輝かせている。
「おいしそう~!」とルーファス。
「……ふわふわ……とろとろ……」とルシェルも、椅子の上でぴょこぴょこと背筋を伸ばして喜ぶ。
「ふたりとも、落ち着いて。ちゃんとお父様とお母様が揃ってからよ」
リリスが注意すると、ルーファスは「はーい」と素直に返事し、ルシェルも「……がまんする」とちょこんと正座をした。
「それじゃあ、いただきましょうか。今日もリリスが作ってくれたのね」
母リシアが微笑み、父クラウスも「見事な焼き加減だ」と顔をほころばせる。
「うん! ふわふわでとろとろで、チーズがとろけてて……お姉ちゃんのオムレツ、大好きー!」
ルーファスが笑顔でひと口頬張って感想を伝えると、リシアがほっとしたように微笑んだ。
「そう、よかったわね。ルーファスがそんなに嬉しそうに食べてくれると、私まで幸せな気持ちになるわ」
「ぼく、もっと食べていい? これ、たぶん三つくらい食べられる!」
「三つ!?ルーファス、成長期なのはわかるけれど、ちゃんとお腹と相談しなさい」
クラウスが苦笑しながら返すと、ルシェルも口を開く。
「……おいしい……。お父さまもお母さまも、たべて」
「ありがとう、ルシェル。お前が元気にこうして一緒に食卓を囲んでくれるのが、なにより嬉しいわ」
リシアがそっとルシェルの髪を撫でると、ルシェルは「……うれしい……」と小さく呟いた。
そんな様子を見守るリリスは、自然と胸が温かくなるのを感じた。
「今日も頑張って作ったかいがあったわ」
「さすが我が家の自慢の料理係だな」
クラウスがおどけて言うと、リシアも笑いながら応じる。
「ちょっと、そんなこと言うと、アイシャが張り合っちゃうわよ?」
「張り合いませんっ!」と台所からアイシャの声が響いて、皆でくすくすと笑い合った。
食後、リリスが食器を片付けようとすると、ルシェルがそっと袖を引っ張った。
「……お姉しゃま……またいっしょにねてくれる……?」
すかさず、ルーファスが身を乗り出して叫ぶ。
「ぼくだって! 今日もおねーちゃんと寝たいのにー!」
「ふたりとも、喧嘩しないの。じゃあ、今日も三人で寝ましょう?」
リリスが優しく提案すると、ふたりは目を見合わせてから、そろって大きく頷いた。
「やったー!」「……うれしい……」
子供部屋のドアの前で子供たちが騒いでるのを見かけて、クラウスがぽつりと呟く。
「……最近、ふたりともリリスに夢中だな」
「そうね……ルシェルが帰ってきたばかりなのに、もうお姉ちゃんにべったり。ちょっとだけ、寂しいかも」
「……たまには、パパとママにも甘えてくれてもいいのにねぇ……」
「じゃあ明日、パパとお出かけしてくるのはどう?」
「ほんと!? ぼく行きたい!」
「……おでかけ……わたしも、いく」
「ふふ、ちゃんとみんなの予定を調整しないといけないわね」
夜のラヴェンダー家には、今日もまた温かな笑い声が響いていた。




