『白と黒の贈り物』50
夜風が、ほんのり汗ばんだ肌をやさしく撫でていく。
玲奈先輩の別荘から森を抜けてたどり着いた、高台の麓。
星空鑑賞のために集まったその場所には、まださっきまでの肝試しの興奮が残っていて、あちこちで笑い声が弾けていた。
「うっわ、マジであれ演劇部のヤツだったの!?」
「やば、あの這ってきたのガチ怖すぎ……!」
「ヒッヒッヒ……って笑い声、誰の声〜〜!? 寝れなくなるって〜〜っ!」
白い浴衣をひるがえして、亜沙美が笑う。
「うちらの班、ダントツ怖かったっしょ〜っ♪」
「わ、私、途中で本気で逃げ出そうとしましたもん……っ!」
柚葉ちゃんも頬を赤くして、興奮気味にうなずいている。
長谷川先輩や隆之も、種明かしを交えながら周りを和ませていて、先生たちの姿も見えた。
夜の庭は、お祭りのあとの余韻みたいに、あたたかくて賑やかだ。
そんな中――
「お待たせしましたぁ〜。はい、みなさん、クッキーどうぞ〜〜っ」
愛衣ちゃんがリュックを開けて、星型のクッキーを配りはじめる。
「それ、天音と愛衣ちゃんが作ってくれたんだって。すごいよね〜」
「星型って……今日のために?」
「えへへ〜、じつはそうなんですぅ〜」
「金平糖もな、ほんまは添えたかったんやけどな〜。さすがに時間足りひんかったわ♪」
天音ちゃんが、くすっと笑った。
――そして。
ふと見上げた空は、息をのむほど深い群青だった。
まるで宇宙そのものみたいに、どこまでも静かに広がっている。
(……きれい)
さっきまでの賑やかさが、すうっと遠のいていく。
誰かが言葉を止めて、またひとり黙って。
気づけば、みんなで肩を並べたまま、星の瞬きに見入っていた。
そのとき。
「……ねぇ」
ぽつりと声がこぼれる。
「こうして空を見てるとさ……悩みごととか、ちっぽけに思えてこない?」
亜沙美が、すぐにふふっと笑う。
「えっ、ちょっと待って? チハルに悩みごとなんてあったのぉ〜?」
「あるよっ! ちゃんとあるもんっ!」
「なにそれ〜? もしかして恋っ!? わんこ、ついに恋しちゃった〜?」
「ち、ちがうもん〜〜〜っ!!」
笑い声が、夜の高台にふわっと広がった。
――その瞬間。
スッ、と。
夜空を裂くように、一筋の光が流れた。
「……っ」
誰も、声を出せなかった。
小さくて、儚くて――
でも、たしかにそこにあった光が、願いごとをかける暇もなく、夜の向こうへ消えていく。
「……今の、見えたか」
隆之の声に、ヒカリが静かにうなずく。
「……うん。流れ星」
その言葉が落ちたあと、また静けさが戻る。
誰も何も言わないまま、夜空を見上げていた。
願いごとなんて口にしなくても、たぶん、みんなそれぞれ胸のどこかでそっと結んでいたんだと思う。
美咲ちゃんの笑い声が、夜風に溶ける。
「……ふふっ、なんか……ほんとに、きれい、ですね……」
(……あ)
その声は、いつものやわらかさに戻っていた。
でも――
ほんの一瞬だけ、笑顔の奥に影が差した気がした。
「……美咲ちゃん、大丈夫?」
声をかけると、美咲ちゃんは、はっとしたみたいに笑う。
「ううんっ! 平気ですっ。ちょっと眠くなっちゃっただけですっ」
いつもの元気な声。
なのに、そのあとほんの少しだけ視線を逸らしたのが、ひっかかった。
(……やっぱり、気になる)
「ねぇ、そろそろ戻ろっか」
亜沙美が、空気をやわらかく整えてくれる。
みんなが頷いて、帰り道へ向かいかけた――
そのときだった。
ぞわり、と。
背筋をなぞるような感覚が、不意によみがえる。
(……あの視線)
今朝、ベランダで感じたもの。
それから、美咲ちゃんの瞳にちらついた、あの違和感。
「……ヒカリ、ちょっといい?」
「……ええ」
小さく息を吸う。
この夜が、ずっと続けばいいのに――
そう思うのに、どこかで“この先に何かがある”気がしていた。
芝生のあたりに残る笑い声が、少しずつ遠のいていく。
その輪から外れるみたいに、ヒカリと並んで夜の奥へ歩いた。
灯りが届かなくなったところで、ヒカリが立ち止まる。
「犬神さん……少しだけ、ここにいよう」
見上げた空は、さっきよりも深くて、静かだった。
星が、こぼれそうなくらい瞬いている。
「きれい……だね」
「……うん。夜がやさしいのは……星たちが、話をしてるからかもしれない」
その言葉に、少しだけ驚く。
「……なにそれ。ヒカリ、めっちゃロマンチックじゃん」
ふっと、昨日見た夢のことがよぎる。
「夢を、見たんだ」
ヒカリのまなざしが、静かに揺れた。
「“どんな星になりたい?”って、聞かれたの」
風が髪を揺らす。
「……そのときは答えられなかった。でも――」
もう一度、空を見上げた。
「今なら、少しだけ分かる気がする」
言葉を、ひとつずつ置いていく。
「誰かが、ひとりで泣きたくなる夜に――
そっと隣で光っていられる、そんな星に……なれたらいいなって」
静かな時間が流れる。
ヒカリが、そっと肩に寄り添ってくれた。
「もう、なってると思うよ」
「……え?」
「少なくとも、私は」
その声が、じんわり沁みてくる。
「……そっか」
流れ星は、もう見えない。
それでも――さっき空を横切った光が、まだどこかに残っている気がした。
風が少し強くなって、浴衣の裾がふわりと揺れる。
「ねえ……ちょっと、気になることがあってさ」
「……シロ、のこと?」
「うん……」
言葉は小さく落ちた。
「最近ね、話しかけても……返事がないの」
「前は、返事なくても、ちゃんと“いる”って分かってたのに……今は、なんか遠くて」
ヒカリは空を見上げたまま、静かに言う。
「……きっと、大切なものを守ってるのね。届かない場所で」
まっすぐ、こちらを見る。
「シロは、私たちの“守り神”だから」
そのひとことで、張っていたものが少しだけゆるむ。
「……うん」
少しだけ、息を吐く。
「犬神さん……ひとつだけ」
「……うん?」
「前に話してくれたよね。ずっと、視線を感じてるって」
「……っ」
ヒカリの言葉に、今朝のことがよみがえる。
ベランダで感じた、あの気配。
それから――美咲ちゃんの瞳に、一瞬だけよぎった違和感。
小さく、うなずく。
「……うん。ずっと」
「わたしだけじゃなくて……みんなを見てる感じがしてた」
ヒカリの表情が、わずかに翳る。
「……あれは、気のせいじゃないわ」
静かな声。
「でも、もうすぐ分かる」
「全部」
「……それって……」
ヒカリは、やわらかく微笑んだ。
「その“視線”を感じる力――
それはきっと、あなたの力のひとつ」
「いまはまだ……だけど」
「きっと、役に立つ日が来る」
その言葉に押されるみたいに、もう一度、夜空を見上げた。
満天の星たちは、何も言わないまま――
ただ、静かにそこにあった。




