『白と黒の贈り物』49
(わたし、小川美咲。肝試しとか――ほんとは、ちょっと苦手なんです……っ)
さっきまで、胸がざわざわしてたのに。
まだ、どこか怖いのに。
でも――今夜だけは、がんばってみようって思いました。
だって、ちー先輩たちと一緒に見る星空。
きっと、とっても素敵なんじゃないかなって……っ。
* * *
「……小川さん。こっちのルート、足元に段差あるかも。気をつけて」
隼くんが、懐中電灯を持った手をすっと差し伸べてくれた。
「えっ、あ、ありがとうっ……!」
びくびくしながら、その手に頼って林道を進む。
夜の森は、昼間とはぜんぜん違う。
虫の声も、風の音も、どこか不気味に聞こえて――
(うぅぅ、心臓の音、聞こえちゃいそう……)
「……小川さんって、こういうの、平気なタイプ?」
「ぜ、ぜんぜんっ、です〜〜〜〜っ……!」
即答してしまって、恥ずかしくて、思わず顔をそらしてしまいました。
「け、けど……先輩たちと一緒に星空、見たかったからっ。
だから、ちょっとくらい怖くても、頑張ろうって思って……っ」
「へぇ。なんか、小川さんらしいね。それ……」
優しく笑われて、胸がきゅっとなる。
(らしい……って、ど、どんな……!?)
それ以上の言葉は続かなくて、ふたりのあいだに、ぽつりと静けさが落ちた。
懐中電灯の灯りが揺れるたび、木々のあいだから影が踊る。
――まるで、もうひとりの“わたし”が、森の奥で笑ってるみたいで。
そのとき。
(……なんでだろう)
(ずっと、誰かに……見られてる、気がする……)
――ぞくっ。
背中に、ぴたりと冷たい気配が貼りついた。
「……隼、くん……?」
声をかけた瞬間、風が吹き抜けた。
木々の影が、ゆらりと揺れる。
そして、指先から――
さっきまであったはずの手の温度が、すり抜けた。
「――っ、あれ?」
視界がふわりと傾く。
頭が、痛い。
(やだ……また、あの夢……?)
ふらりと揺れた足元に、闇が沈む。
懐中電灯の輪郭だけが、かすかに道を照らして――
『……魂ヲ……喰ラウ……』
(ひ……っ)
頭の奥に、どろりと染みこむ“声”。
濁っていて、冷たくて、聞いていられないほど――穢れている。
『ナゼ……オマエノ中ニ……我ガ、眠ッテイル……?』
(ちがう、わたし……誰……?)
『イヌガミ……天ノ巫女……憎イ……許サナイ……』
名前を呼ばれた瞬間、全身が強張った。
(――犬神、ちー先輩……? 天野先輩……?)
『我ヲ閉ザシ、封ジ、忘レ去ッタ女達……
ソノ血ヲ継グ者共……許サナイ……ッ』
(ちが……そんなの、知らない……わたしは……っ)
『忘レテモ……体ハ、覚エテイル……
夢ハ、我ヲ呼ブ……オマエハ見タハズダ。
海、嵐、悲鳴……溺レ、奪ワレ、祈ッタ……』
胸の奥が痛んだ。
思い出したくないのに、夢の断片が焼きついたように浮かぶ。
(……嵐の夜……わたしが……っ)
『ソノ手首ニ巻カレタ“守リ”……
役ニ立タヌ……今度ハ、壊ス……壊シテ、奪ウ……!』
ミサンガが、ぴたりと熱を帯びた。
――まるで手首に“光”が差し込んだみたいに。
ほんの一瞬、何かが軋んで、遠ざかるように気配がにじむ。
(……まもって、くれてるの……?)
『天ノ巫女……』
……ひどく、低い声。
『……ツキノ……』
そして――
『ツキノォ……!!!』
最後に残ったのは、狂ったような“名前”の反響。
(……ツキノ……?)
気づけば、わたしは膝をついていた。
肩が小刻みに震え、冷たい汗が首筋をつっと伝う。
「小川さんっ!?」
隼くんが駆け寄る。
その腕の中で、わたしは、かすかに笑って――
「……だいじょうぶ、だから……わたしは……わたし、だよっ……」
でも、その言葉の奥で――確かに、何かが叫んでいた。
(ツキノって、だれなの……?)
***
【肝試しコース 森の中】越智隆之 × 森川天音 ペア
夜の森には、ひっそりと靄が立ちこめていた。
懐中電灯の灯りが、揺れる木々の間をゆらゆらと切り裂いていく。
その光の先――
越智隆之が、静かに目を細めて呟いた。
「この空気の湿度、97%……光の拡散率からして、視認性は10メートル以下だな」
理屈と数値で、恐怖を解析する男。
それが、彼らしい肝試しのスタイルだった。
「こわっ……。なんで怖がらへんのかと思ったら、脳内で森ん中の霊気を数値化しとるとか、まじで理系の呪いやわ……」
「幽霊の存在証明には再現性が必要だ。観測できない現象に“意味づけ”をするのは、非科学的だろ?」
「今その幽霊に出会うかもって状況で、ようそんなセリフ吐けるなぁっ!?」
天音は思わずツッコむ。
「仮にここで“視線を感じる”としても、それは“群集心理における主観的な錯覚”――」
「もうええわ!それが幽霊ちゃうん!?」
ふたりの足元をカサリと何かが走り抜けた。
「きゃあっ!? な、なに今っ!?」
天音が思わず隆之の袖をつかむ。
「……今のはたぶん、リス。体長と重量からして――」
「“霊”って言えや!!空気読めぇぇぇえええっ!!」
天音のツッコミが森中にこだまし、ついでに鳥がばさばさっと飛び立った。
「……あ、野鳥が反応したな。ということは、超音波的な霊的干渉は発生していない。つまり――」
「だからやめぇっ言うてんのに!!はよ進もっ!!チハルちゃんらに置いてかれるでっ!」
「落ち着け。こういうときは――“安全確認→前方索敵→物理検証”が鉄則だ」
「それ、肝試しにおけるプロトコルやないんよぉぉぉぉっ!!」
***
「うわっ!? 何、今の……っ!!」
あちこちで悲鳴と笑い声が入り混じって、視界が一気にフラッシュで染まった。
木の上から吊るされた何かが、バサッと落ちてきて――白い布がふわりと舞った。
反射的に肩をすくめた瞬間、奥の茂みから「ヒッヒッヒ……」という不気味な笑い声。
続けざまに、道の脇から“ボロ布姿の何者か”がガサリと這い出してきて、地面を這うように迫ってくる。
生徒会の大仕掛け――
きっと、誰かが遠隔で光と音を操作してるだけじゃない。
人員まで動員して、演劇部仕込みのリアル系ホラーを投入してきたみたいだ。
「すご……! これ、全部仕込み!?」
思わず声が出そうになったけど、それより先に――
心のどこかが、ひゅっと冷たくなった。
……ざわり、とした気配。
でも、驚きより先に――胸の奥が、すっと沈んだ。
「犬神さんっ、大丈夫……?」
ヒカリがそっと手を握ってくれたのに、
どうしてだろう。指先が、うまく動かなかった。
私の視線が、自然と吸い寄せられる――
木々の奥。ざわり、と枝葉が揺れた気がした。
風……じゃない。空気の流れが、一瞬だけ――逆に流れたような、そんな錯覚。
ザ……ッ。
土を踏みしめるような音。
でも、誰も歩いてないはずの方向から。
「っ……」
そのときだった。
黒く深い木陰の中――
そこに、“何か”が立っていた。
まるで最初から、そこにいたかのように。
けれど、さっきまでは確かに“いなかった”。
月も届かない闇の中で、
桃色の金魚柄の浴衣だけが、異様なほど鮮やかに浮かび上がる。
ぽつん、と。
私の心音と世界の音が、一瞬凍ったように止まった。
一対の、赤い目。
じっと。
私を、見ていた。
呼吸を忘れた。
あれは……美咲ちゃんだ。
……でも、どうして。
どうして、“あんな憎しみを湛えた目”で、私を見るの……?
「……美咲ちゃん……だよね?」
声がかすれて、空気に溶けていく。
呼びかけたはずなのに、届かない。
その瞬間――
“声”が、聞こえた。
どこからでもなく。誰でもなく。
私の心に、じかに、落ちてくるような。
――「……よくも、笑っていられるね」
音じゃなかった。
でも、確かに聞こえた。
背筋をなぞるような、ひやりとした感情だけが、
言葉となって染み込んでくる。
――「あの子が、何を差し出して、何を失ったか……
あんたには、分からないくせに」
ヒカリの手のぬくもりが、強くなった。
でも、世界のどこかが――きしむような、そんな音がした。
私だけが気づいた“何か”。
そしてあの目。
闇の奥で、微動だにせず――
じっと、私を見ていた。
……全身が、ふるえた。
それは、風のせいなんかじゃない。
肌の奥に突き刺さるような、冷たい針みたいな気配。
憎しみ。
ただの視線じゃない。
私の奥深く――魂ごと責められているような感覚。
心臓がきゅっと縮こまって、指先まで血が引いていく。
あの目の奥にあるのは――怒り? それとも――悲しみ?
……どうして、こんな感情が、あんなに静かな目に宿るの……?
……でも、それは――
ほんとうに、美咲ちゃんだったの……?
隣で、ヒカリが小さく息をのんだ気配がした。
その手が、そっと――でも、確かに私の手を強く握り直す。
「……っ、犬神さん。立ち止まってる暇はないわ」
ヒカリの声。
――ほんの一瞬だけ。
どこか、温度の低い何かが背筋をかすめた。
思わず横顔を見る。
月明かりに照らされたその瞳が、ふと、私を見返す。
なぜか、息を飲んだ。
……どうしてだろう。
胸の奥が、すこしだけざらりとした。
一瞬、目を合わせるのが怖いって――思ってしまった。
こんな気持ち、ヒカリに抱いたことなんて……なかったのに。
……でも、そんなの――きっと、気のせいだよね?
だって、あの手のぬくもりは――ヒカリ、だったから。




