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『犬神物語』 〜転生少女と不思議な絆〜  作者: 犬神 匠
第八話 渡島編 後編

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『白と黒の贈り物』46

日が沈み、夕暮れの海が朱に染まるころ――

別荘のダイニングには、にぎやかな声と、湯気の立つごちそうが並びはじめていた。


テーブルには地元の海の幸をふんだんに使った舟盛りや、炭火焼きの魚、冷たい夏野菜の小鉢がずらり。

旅館とはまた違った別荘ならではの“ちょっと背伸びした家庭の味”が並んでいて、見ているだけでお腹が鳴りそうだった。


「おぉ〜〜〜っ!なんか、めちゃ豪華じゃないっ!?」

「ねえねえ、このお刺身、キラキラしてるぅ〜〜っ!!」


チハルがぴょんとイスに座りながら、目を輝かせて歓声をあげる。


その隣では――


「ふふ……さっきのサウナ、気持ちよかったですわね」

「亜沙美さん、柚葉さんもご一緒してくださって、嬉しかったですわ」


と、玲奈が涼やかに微笑みながら、冷たい麦茶のグラスを揺らしていた。


「ね〜〜っ!なんか、あたしも意外とイケたかもっ♪」

「最初は無理〜〜って思ってたのに……気づいたら“ととのってた”〜〜〜!!って感じ?」


亜沙美が明るく笑えば、柚葉も「うんうんっ」とうなずきながら、小さく手を胸に当てて言う。


「……なんだろ。あの、じんわり温まってからの冷たさ……」

「体もだけど、心までスッと軽くなった気がして……気持ちよかったです」


その言葉は、どこか照れくさそうで――

でも、まっすぐな素直さが胸にすっと届くようだった。


「わぁ〜〜っ!!ほんとに行ったんだ〜〜っ!?うれしい〜〜っ!!」

「わたしの“サウナ推し”が……ちゃんと伝わったんだね〜〜っ!!」


チハルは思わず、手をぱちぱち叩いてはしゃいでしまう。


「でさ〜〜!“風神熱波”ってあったじゃん!?あれ、マジで台風だったんだけど〜〜っ!」


亜沙美が身振り手振りで大げさに再現するように言うと、玲奈と柚葉も静かに頷く。


「熱風が……思っていた以上に、情熱的でしたわ……」


「それ〜〜っ!あたし、前髪めくれたもん……」


「……あの風、ぜったいサウナの神様の“ふぅ〜〜っ”って、息です……」


三人のやり取りに、チハルはもうキラキラ顔で身を乗り出す。


「ででっ、そのあと水風呂!どうだった〜〜っ!?入った!?」


「……うん、がんばった……けど……さ、さむっ!!って叫んだぁ〜〜!」


「でもでもっ!そのあとの外気浴、最高やったぁ〜……空見ながらととのった〜〜……」


「うんうんっ、それだよ〜〜っ!サウナ→水風呂→外気浴、この流れが最強なんだよ〜〜っ!!」


「……チハル先輩のテンション、上がりすぎっスよ」


「えへへ〜っ、みんながサウナの楽しさわかってくれて、わたし、しあわせっ!!」


チハルはうれしさが爆発したように、ぴょんっと立ち上がった。


「ねぇねぇっ、じゃあさっ――今から、みんなでっ!」


両手を前に出して、わんこみたいにクイッ!


「“ととのったわんっ!”ポーズ、やろっ!!」


ぱたぱたと耳を立てるように頭に手を添えながら、うるうるした上目遣いで続ける。


「サウナでととのって……水風呂でしゃっきりして……外気浴で、風にふかれながら……」


くるんっ!と一回転して、胸に手をあて――


「ご主人さまぁ〜〜っ……チハル、いま……最高にととのってる、わんっ!」


「……ちょ、ちょっと犬神先輩っ!? なにそれっ、あはははっ!!」


「ふふ……あいかわらず全力ですのね」


「も〜〜っ、ズルいっ☆ かわいすぎでしょっ、それ〜〜っ!!」


「そ、それじゃあ……ウチらも……せーのでやるぅ〜〜っ!?」


「「「ととのったわんっ♡」」」


夏の夜の食卓に、わんこたちのととのい大合唱が響きわたる――。


その笑顔は、自然と肩が触れ合う距離のまま、やさしくて、あったかくて。


けれどその輪の外で――

美咲の前には手つかずの小鉢と、ほとんど減っていないご飯茶碗だけが、ぽつりと残っていた。


(……美咲ちゃん?)


チハルはそっと横目でその様子を見て、小さく眉をひそめる。声をかけようか迷ったそのとき――


「……少し、外の風に当たってきます」

美咲がぽつりとつぶやき、椅子から立ち上がった。


その表情に、チハルはふと違和感を覚える。

一瞬の沈黙ののち――


「……わたしも、ちょっと行ってくるねっ」


席を立つチハルの隣で、ヒカリもそっと立ち上がった。

二人は目を合わせることもなく、同じ方向へ――美咲のあとを、静かに追いかけていく。


やわらかな夜の風が、開かれた廊下の向こうからそっと吹き込んできた。

その背中を、誰も呼び止めることはなかった。


「さて――」

ゆったりとお茶を置いた玲奈先輩が、微笑みとともに視線を皆へ向ける。


「このあとは、温泉で疲れを癒したあと、お部屋で浴衣に着替えて……二十時から浜辺にて、打ち上げ花火を予定していますの」


「うぉ〜っ!花火きた〜〜っ!!」

男子生徒の一人が、立ち上がりそうな勢いで声を上げる。


「やっぱ夏はこれだよな!」

「しかも、合宿ってまだ明日もあるんだろ? なんかさ、月曜も休みみたいな気分だよな!」


「そうそう、“もう終わっちゃう”ってならない感じ、最高〜〜っ!」


そのテンションに続くように、女子生徒たちの声も弾ける。


「きゃ〜〜っ!!待ってました〜〜〜っ!!」

「えへへっ、浴衣で花火とか……ぜったい映えるやつ〜〜っ♡」

「写真いっぱい撮ろうね〜〜っ!」


わいわいと賑やかに盛り上がる声が、

食堂のあちこちから響き始める中――


「そのあとには、ほんの少し……“お楽しみ”も、ご用意していますわ。ふふっ」


玲奈の意味ありげな一言が、空気をふわりと止める。


「えっ、お楽しみって……なにっ!?」

「うわ〜〜っ、気になるぅ〜〜〜っ!!」


生徒たちのざわめきが広がる中、亜沙美と柚葉が目を合わせて、ちょっぴりいたずらっぽく笑う。


玲奈はグラスに口をつけながら、涼やかに微笑んだ。


「ふふ……続きは、夜のお楽しみですわ」


***


その笑い声が遠くなったとき――

わたしの前にあるお茶碗と小鉢。

……ほとんど、手をつけていなかった。


「……ごちそうさまでしたっ」


声に出せたか、出せなかったか。それすら、よく覚えていない。

誰にも気づかれないようにそっとお箸を置いて、

席を立った。


ダイニングの灯りと笑い声が、背中の方で揺れてる。


河田先輩の明るい声も、柚葉ちゃんの楽しそうな表情も、高橋先輩の静かな微笑みも――

どれも、あったかくて、まぶしいくらいに優しいのに。

どうしてだろう。

心の奥に説明のつかない影だけが、揺れていた。


(みんな、楽しそうなのに……なんで、わたし、こんな……)


下を向いたまま階段をのぼる。

木のきしむ音さえ、やけに大きく聞こえた。


やがて、2階の突き当たり。

いつかの朝、ちー先輩たちと笑い合ったあのテラスへ足を向ける。


ガラス戸をそっと開けると、夕暮れの風がふわりと頬を撫でてきた。

まだ空は明るくて、西の空はほんのりオレンジ色に染まっている。

蒸し暑さの残る空気のなか、どこか潮の匂いが混じっていた。


「……ふぅっ」


小さく息を吐いて、手すりに寄りかかる。

空には、少しずつ星が顔を出しはじめていて――

わたしの心は、それとはちがう場所に沈んでいくようだった。


(……なんで……こんなに、寂しいんだろ)


そう思った瞬間――

体の奥が、かすかに“ざわっ”と揺れた。


風のせいじゃない。

星の光でも、涙のせいでもなくて――


……自分の中にある、“なにか”が、目を覚ましかけている気がした。


(……誰か、じゃない……なにかが――呼んでる……?)


鼓動が、どくん、と強くなる。

その衝撃が内側から響くようで――


(やだ……なに、これ……)


わたし、いま――


……ほんとうの“自分”じゃないものに、なりそうで……

怖かった。


そのとき。


「……美咲ちゃん?」


静かに響いた、ちー先輩の声。

わたしの名前が、ちゃんと“ここ”に引き戻してくれた。


振り返ると、ちー先輩と天野先輩が、テラスの入口に立っていたんです。


「なんかさ……元気ないなって思って……」

ちー先輩が、小さく眉を下げながら近づいてくる。

「ごはん、ほとんど手つけてなかったから……ちょっと心配で」


わたしは――言おうか迷いました。

でも、ふたりがちゃんと“わたしを見てくれていた”と気づいた瞬間、こわばっていた何かがゆるんで。


「……なんか、うまく言えないんですけど」


わたしは、ぽつりと口を開いた。


「最近、時々……自分が自分じゃないみたいな感覚がして。

ひとりでいても、誰かにのぞかれてるような……

わたしの中に、知らない“何か”がいるみたいな……そんな、へんな感じがして」


喉が、つまる。

うまく言葉にできないのがもどかしくて、でも怖くて。


すると、天野先輩がそっと隣に立って、静かに言った。


「……小川さん。

それは、“心の奥”が、何かを思い出そうとしてるのかもしれない」


「……思い出す?」


「うん。でも、それは無理にじゃなくていいの。

ちゃんと時が満ちれば、自然と形になるから」


天野先輩の声は、風みたいだった。

やさしくて、涼しくて、でもどこか深くて――

わたしの怖がってた心を、ゆっくり包んでくれた。


「……ひとつ、渡しておきたいものがあるの」


そう言って、天野先輩がそっと手のひらを開いた。


そこにあったのは――白いレースの首輪だった。


小さな金色の鈴がひとつ、ちりんと揺れて、

やわらかに鳴る。

どこか手作りの温もりがあって、見ているだけで、

胸の奥がふっとほどけていくようだった。


「これ……あの時の猫の、首輪……ですか?」


わたしがそう聞くと、天野先輩は静かにうなずいて、

目を細める。


「……うん。大切に持ってたの。

これがあれば、きっと“怖くない”って思えると思って」


その声には、どこか――やさしい祈りのような想いが宿っていたんです。


わたしは、一瞬だけ戸惑いました。

だって、わたしは人間で……猫じゃない。


けれど――


「ふふっ……私、人間なんですけどっ。

……でも、悪いような感じはしないです。

この首輪、見てると……心が落ち着きます」


自分でも不思議だった。

ただの首輪なのに、触れているだけで呼吸が少しだけ楽になる気がして。


「お守りとして、持っておきますね」


そう言って、わたしはその首輪を両手でそっと受け取った。


天野先輩が微笑む。


「……ふふ。じゃあ、こうして――」


首輪をくるりと回して、わたしの手首に巻いてくれる。


ふわっと、やさしく結ばれた白いレースは、まるでブレスレットみたいに馴染んで……

その結び目の裏側に、何か、ほんの小さな“刺繍”のようなものが見えた気がしたけれど――


その時のわたしは、まだ知らなかった。

その小さな刺繍が、あとで意味を持つことを。


「……ありがと、ございます」


そう口にしながら、手首に触れるレースのぬくもりを、そっと胸に抱きしめた。


――それはきっと、まだ形を知らない“願い”のかけらだった。


そのとき、風がそっと吹く。

夏の匂いを乗せた柔らかくてあたたかい風。

胸のざわつきをすうっと撫で、溶かしていくようで―― わたしは、ひとつ深く息を吸った。


その様子を見ていたちー先輩が、ふわっと笑う。


「うんっ、その首輪……美咲にぴったりだよっ!

 よーしっ、じゃあ次はみんなで温泉行こっか〜っ!」


ぱんっと手を鳴らして、くるりと振り返る。


「美咲ちゃんも、あったかいお湯に入ったら、モヤモヤもきっととけるよ〜っ!」


(……うん。

 今は、ちょっと信じてみたい)


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