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『犬神物語』 〜転生少女と不思議な絆〜  作者: 犬神 匠
第八話 渡島編 後編

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『白と黒の贈り物』45

夕方。

別荘内には、ゆるやかな静けさが満ちていた。

海から戻った千陽たちは、浜辺の更衣室で軽くシャワーを浴びたあと、今はそれぞれの部屋でひと息ついている。潮風に揺られた髪を乾かしながら、ほんのすこしだけ、窓の外に染まりゆく空を見上げる時間。


そして、別の棟――

ヒノキの香りに包まれた温泉施設では、

また別の静かなひとときが流れ始めていた。


サウナ室。

ほの暗いヒノキの空間に、しゅうしゅうと静かな音が響く。ほんのりと立ちこめる蒸気と木の香りの中――

バスタオル姿の三人の少女が、ベンチに腰かけていた。


高橋玲奈、河田亜沙美、杉本柚葉。

生徒会メンバーによる、束の間の“温もり休憩”である。


「……やっぱ、汗かくと気持ちいいね〜〜〜っ♪」

亜沙美がふぅっと息をつきながら、バスタオルの端で首筋をぬぐう。


「ふふ、代謝が良くなるのは、健康にも美容にも大切なことですわ」


玲奈は優雅な口調で答えつつも、ハンカチを小さくたたんで汗を拭くその仕草は、いつもどおりの気品に満ちている。


「……あの、河田先輩っ」


柚葉が汗ばんだ頬をほんのり赤らめながら、少し姿勢を正した。


「今夜の肝試し……担当、引き受けてくださってありがとうございますっ」


「んふふ〜♪ 今回は“リベンジマッチ”だからねっ!」


亜沙美はいたずらっぽく笑いながら、タオルを肩にかけ直す。


「ふふ……“リベンジ”というのは?」

玲奈が目を細めながら問い返す。


「もうっ、わざと聞いてるでしょ〜〜っ!? 学校七不思議の旧校舎のアレ!!」

ぷくーっと頬を膨らませて、亜沙美がまっすぐ玲奈に抗議する。


「あたし、仕掛け側のメンバーだったのに、ガチで驚かされたんだよ〜〜!? 怖がってるとこ、ちゃんとデータに録られてたしっ!」


「ふふっ。でも、あのときの“素の反応”……とても貴重でしたわ♡」

玲奈の目が、わずかにいたずらっぽく光る。


「もうぉ〜〜っ!! だから今回は、やり返す側に回るって決めたんだからっ!」


ぱしんっと膝を叩いて、亜沙美がにっこり笑う。


「今夜は……“覚悟しといてください”ねっ、先輩っ☆」


「ふふ……楽しみにしてますわね」


玲奈は上品に微笑んだまま、わずかに目を閉じた。

柚葉はというと、二人の間であたふたしつつも、ちょっとだけワクワクした表情で――


「じゃ、じゃあ……道順と演出の台本、あとで確認しましょうか……?」


「任せて♪ 今回はちゃんと書いたよ〜っ!」


その笑顔は、去年よりずっと前向きで、自信に満ちていた。


***


ちょうどその頃――

お隣の男湯では、越智隆之、長谷川信也、新居田隼の三人が、ヒノキの香りただようサウナ室で静かに汗を流していた。


浜辺で遊んだ熱気がまだ身体に残るなか、しゅうしゅうと響く蒸気の音が、じんわりと火照った空気を包みこむ。


ふいに、その静けさを破ったのは、隼のひとことだった。


「犬神先輩、バスケのセンス、ありますよね!」


サウナ室にしゅうしゅうと立ちこめる蒸気の中、汗を拭っていた隆之が、さりげなく視線を動かす。


「……犬神が、バスケ?」


声はいつも通りの調子だったが、言葉の端に、わずかなひっかかりが滲んでいた。


「はいっ。さっき、長谷川先輩と一緒にちょっと教えてたんです。ドリブルもシュートも、すぐ形になってて……すごかったですよ」


「犬神は、運動は得意なほうだ」


タオルでゆっくり額の汗を拭いながら、隆之は短く返した。

その横顔に変化はない。けれど、心の奥で知らなかった出来事が、そっと波紋を広げていた。


――バスケを教えてもらった。

あのチハルが、長谷川先輩と。隼と一緒に。


ほんの数秒の沈黙のあと、長谷川がさらりと補足する。


「教えたってほどじゃないさ。ドリブルとレイアップをちょっと見せた程度。けど……飲み込みは早かったな」


「……そうなんですね。あいつ、意外とやるな」


表情は穏やかだったが、その声色はどこか曖昧で――

自分でも掴みきれない何かが、心の奥をひっそりと揺らしていた。


その空気を読んだのか、隼が少し照れたように話題を切り替える。


「……あの、ふたりって……好きな人、いたりします?」


今度は、長谷川がふっと息を吐いて

サウナの天井を仰ぎ見た。


「ああ……いるよ。」

少し間をおいて、湯気の向こうでゆるく笑う。


「……まぁ、昔から知ってるやつでさ。強くて、真っ直ぐで……時々、手がかかるけどな」


彼の声は、どこかあたたかくて、

「……でも、そういうとこが、放っておけないんだよな」

くつろいだような声でそう言ったあと、ふっと横目で隼を見やる。


「なあ、隼。お前はどうなんだ?好きなやつ……いるのか?」


声は穏やかだけど、どこか大人の兄貴っぽい優しさがにじんでいる。


「好きな人、ですか……」

少し間を置いて、真剣なまなざしでぽつりと。


「うん、います」

「その人を見てると、なんか……自然と目で追っちゃってて」

「声が聞こえるだけで、気づけば笑ってたりして……」


照れ隠しのように小さく笑って、タオルで額の汗をぬぐう。


「まだ、ちゃんと気持ちを伝えたわけじゃないけど……」

「今は、ただそばにいられるだけで、けっこう幸せだなって思うんです」


静かな余韻が、サウナの蒸気と一緒にゆっくりと漂っていく。


「……いいな」

ぽつりと、長谷川先輩が言った。

その目には、どこか懐かしさのような、やさしい光が宿っていた。


「そういうふうに素直に気持ちを言えるって、案外むずかしいんだぜ」


隆之も静かにうなずく。


「……焦る必要はない。自分のペースで向き合えばいい」

「それだけ想ってるなら、きっと伝わる」


長谷川先輩と越智先輩――ふたりの言葉は、暑いサウナの中でも、不思議と心にすっと染み込んでくるようで。

隼は、少しだけうつむきながらも、ふっと口元をゆるめた。


「ありがとうございます……なんか、ちょっと背中押された気がします」


隼の言葉が、ふわりと空気に溶けたそのとき。


「……なあ、越智。お前は、どうなんだ?」


長谷川の問いかけは、いつもの穏やかな調子のまま。

けれど、そこにほんの少しだけ、間があった。


そして――


「……恋だって、自覚してる。自分でも驚いてるけど、あいつのことになると……思考が乱れる」

「……それが“好き”ってことなんだろうな」


しん……と、湯気の立ちこめる空間に、少しの沈黙。


隼が、おどけたふうに笑って――


「へぇ……。それ、けっこう本気のやつですね?」


長谷川先輩は、微笑みをたたえて言う。


「その“あいつ”、きっと幸せもんだな」


そのときの隆之の目は、いつもより静かだった。

その奥には、確かな決意が宿っていた。


焦らず、背伸びせずに、できることからひとつずつ。

……きっと、今はそれでいい。


隆之はそっとタオルを握り直した。


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